2012年05月11日

●和文解釈入門 第357回

この和文解釈入門を始めた動機はいろいろあるが、主なものは、会話で和文露訳をするときに動詞が出てくれば、どちらかの体を選ばなければならないわけで、その判断を即座に行うために、これまで勉強した点を整理してみよう、そうすればほぼ瞬間的に体の選択ができるようになるかもしれないと考えてのことである。

 ロシア語の本や新聞などを読んでいて(露文解釈していて)、体については特に気に留めなくても、単語の意味が分かれば前後の文脈で、なんとなく意味は分かる。体の重要性ということを主張するロシア語の翻訳家というのは聞いたことがないから、ロシア人も日本人と同じ感性であろうという大前提のもと、前後の文脈で翻訳しているのだろう。

 しかし、和文露訳ではそうはいかない。どんな初心者だって、どんな簡単な文だって、動詞がある限りは、普通は完了体か不完了体かを選ばなければならない。これまでは、多くの文例を暗記して、漠然と自分の勘を磨いて、自然と体の用法を体得するかのような学習法しかなかったように思う。つまり普通のロシア人が幼いころ、我々が母国語の日本語を習得するような、コミュニケーションの中でロシア語を覚えようというものである。しかし我々は、いい意味でも悪い意味でも、赤ん坊ではない。もうそのような方法は、限定的にしか頭が受け付けないのである。ロシア人も、英米人の英語のように、コミュニケーションの中で会話を教えたがる、これがいわゆる母語話者至上主義というものである。普通の学習者はロシア語漬けの生活を送る環境にはないし、あったとしても頭が赤ちゃんのように全てを吸収するような白紙の状態にはないという事に気がつかないのだ。大人には大人の学習方法がある。それが丸暗記のみに頼らない、理詰めの文法中心の学習法である。この和文解釈入門はその一つのアプローチである。

 話がそれたが、第300回の表を会話のたびに思い出すのは至難の業である。会話の露文和訳の際に、瞬間的に体を選択するためには、体の本質を理解することが必要だろうと思う。普通、完了体は完了、不完了体は繰り返しと覚える。しかし、Садитесь!(おかけなさい)という会話では非常によく使われる動詞の命令形で、頓挫してしまう。これは動作の完了を意味していないのか?そんなはずはない。そこで、これはこれとして、体の用法について別の解釈を探さざるをえなくなる。

 だったら、不完了体を日常(ルーチン、日常業務)と考え、完了体を非日常と考えるのである。ルーチンというのは決まりきった仕事が毎日繰り返されるわけである。不完了体が繰り返しであり、その場の雰囲気に合わせて、波風立てないというイメージが出来上がるはずだ。イメージするなら、不完了体はどんよりした穏やかな海で、完了体を波風が立っている海としてもよい。最近、未来の時制などの説明で、不完了体の動作の有無の確認(動作の名指し)という言葉をよく使っているが、要は不完了体というのはその動作が起ころうと起こるまいと、どうでもいいという客観的ニュアンスなのだ。同じ動作の有無でも、完了体には起こって欲しい(期待)、起こってもらっては困る(懸念)という主観が入る。新しい事態の生起は完了体の特性だが、これも、波風の何も起こらない静かな水面に、突如嵐が起こるというのが完了体のイメージである。我々は日本語でいろいろな会話を毎日聞いているが、そのときに動詞が出たときに、どちらかのイメージがすぐ湧くような訓練をしてはどうだろう。有難いことに毎日日本語漬けになっていることだけは間違いないことなのだから。

 ルーチンが不完了体、非ルーチンが完了体という区別は、ロシア文をチェックすれば、ご理解いただけると思うが、会話で和文露訳をするときに、瞬時に体の選択をしなければならないわけで、これが5分後に分かったのでは遅すぎる。そのため第300回の表の例文を見て、瞬時に体を識別する訓練をするわけである。あの表は個々の体の用法を例文によって理解してもらうための勘を養うためのものである。

設問)「この小さなベルの音はふつう半径数キロまで聞こえた」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年05月11日 05:54
コメント

Звуки этого
маленького звонка
обычно слышались до
расстояния несколько километров радиуса.
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радиусはこのような語結合はしません。私の答えは、Звон этих колокольчиков был слышен обычно в радиусе нескольких километров.
ベルколокольчикиはトロイカ馬車の中央の馬の頚木дугаにつけられるが、このほかに鈴(こう訳してよいかはみなさんの判断に任せる)бубенцы (полые металлические шарики с кусочками металла внтри, позванивающие при встряхивании) を頚木につける場合もある。

Posted by ブーチャン at 2012年05月11日 06:31

Звон маленького звонка обычно доходил до нескольких километров в радиусе.
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これでも意味は通じるでしょう。設問はロシアのトロイカなどの馬車のベルについてです。

Posted by asuka at 2012年05月11日 23:32

Звон этого колокольчика обычно доносился радиусом за несколько километров.
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заは取るべきです。これだと「数キロを超えて」となり、設問とは違います。заを取って、нескольких километровとした方がよいと思います。

Posted by Ml at 2012年05月11日 23:57

Звук этого маленького звонка обычно слышался в радиусе до несколько
километров.

過去の繰り返しで不完了体を使いました。
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惜しい。доを取るか、несколькихに変えるべきです。

Posted by メイ at 2012年05月12日 00:34
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