2012年09月29日

●和文解釈入門 第498回

「日本語と日本語論」(池上嘉彦、ちくま文芸文庫、2007年)の、特に「文法的範疇としての<数>」という章を非常に興味深く読んだ。現代の言語学の素人向けの解説書で、ドイツ語、英語、フランス語、日本語の文例で説明してある。go to schoolに冠詞がつかないのは、学校という建物を意味しているのではなくて、学校の機能を示しているからだというのは、英語の専門家なら常識なのかもしれないが、わたしのとっては初めて聞く話である。go to bed, go to churchも同じ考え方とのことである。単数・複数も、単にものが複数あるから複数をという場合だけではなく、話し手の主体的判断によって、機能だととらえれば抽象化されて冠詞がなくなり、具体的・個別的と意識されれば、抽象名詞でも複数になるという指摘は興味深い。ロシア語にもつながるものがあるように思える。
複数には、同質の個体が複数あるという意味での複数の他に、近似複数(мыのように、私 + だれか)、強意複数(量の多さや程度の高さを示す。ロシア語のснега〔大量の積雪〕, пески〔砂漠〕などもそうであろう)や回数を示すものもあると指摘している。回数に関してはロシア語でも同じ考え方をするようで、「ポテトサラダ8人前」は8 порций ольвьеとなるが、その他にвосемь раз ольвье、直訳すれば「ポテトサラダ8回」という言い方も街のレストランでは聞くことがあり、これは回数で複数を示していることになる。痛みболь、便秘・下痢などの抽象名詞の有無を尋ねるときに、複数にするのはこういう意識が働いているからかもしれない。Вы страдаете запорами (поносами)? (便秘〔下痢〕していますか?)

設問)「発作を止めるには何がいいですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年09月29日 06:51
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