2011年09月05日
●和文解釈入門 第108回
金、もの、書類を「(郵便などで)送る」はотправить, послать, отослать, выслатьなどがあるが、выслатьは手紙や電報を送るには使えない。つまりメールを送るときでも使えないと考えてよい。「耕す」はобработать, возделатьが総称で、пахатьは犂やトラクターで耕すことをさし、焼畑には使えないことが分かる。поднять, распахатьはпахатьのシノニムだが、処女地や長く放置された畑を耕すという意味である。「条件」はусловие だが、作業条件(いわゆるモードmode)はрежим работыが技術関係ではよく使われる。「人や交通機関が到着する」というのは、使う交通機関によってприйти, приплыть, прилететьだが、приехать/приезжатьを使えば交通機関を問わない。ехать(陸上ないしは水上では使えるが、飛行機では使えない)と違って、飛行機でも船でも使える。しかし貨物грузыや郵便物почтовое отпралвениеが到着するというのは、прибыть/прибывать, поступить/поступатьしか使えない。Во Владивосток грузы прибыли с опозданием.(貨物は遅れてウラジオに到着した)という文でも分かるように、бытьと違い、прибытьはгдеではなく、кудаを取る。прибытьは人や交通機関が主語でも使えるし、到着という意味では公式訪問などの文でも使える万能な動詞でもある。ただ公式発表などの硬い表現で使うという事を頭に入れておいた方がよい。
設問)「男の方がお二人お見えです」をロシア語にせよ。
(1) Два мужщины пришли.
(2) Двое мужщин
появились.
-----------------------------------
いずれも間違いです。一つはスペルミスでмужчинаです。(1)は数詞が間違っています。今回の出題は結果の現存の用法の復習で、そういう意味では正解なので惜しいと思います。私の答えは、Двое мужчин приехали.
このように性は男性だが、格変化は女性のようにする名詞にはдвое, торое, четвероなどの集合数詞が使われる。だからдядя, юношаなどは2人という意味でдва/двеは使わない。どちらを使ってもおかしく思えるからだろう。двое дежурных(2名の当直者)など男性で形容詞の様に変化するものにも使われる。ただ女性の場合はдве горничных(二人の女中), две дежурных(2名の女性当直者)となる。двоеなどの集合数詞は、двое японцев, двое граждан, двое цыплятのように民族、階層、動物の子にもдваと同様に使われる。двоеなどの集合数詞は生き物について用いられ、人間の場合は男性に使われるのが普通で、двое студентокというのは避けるべきとされる。不活動体の名詞でも複数しかない名詞ножницы, суткиにも用いられる。だからдвое ножниц, двое суток (= два дня)となる。またдвоеなどの集合数詞にはともに行動しているというニュアンスがあることである。Он встретил двоих парней.(彼は二人の若者と出会った)はこの二人は一緒にいた、つまりвместеというニュアンスがある。これと対照的なのはоба/обеでОба мальчика пошли гулять.(少年たちは二人とも散歩に出かけた)というのには、別々にврозь (не вместе)出かけたというニュアンスがある。
Двое мужщин уже на
месте.
-------------------------------
耳で聞けば正しいのですが、これもмужчинаのスペルミスです。
(訳)
男の方がお二人お見えです
Два мужчины приехали (к нам).
完了体過去による結果の存続=お見えになってお待ちですよ
と考えました。
さて、正解は
двоеですか!でもご説明を伺って納得です。
集合数詞とоба/обеとの違いも知りませんでした。
上方落語の仲良しやんちゃグループに、喜六、清八、源兵衛がいます。
彼らは始終行動を共にしている、との描写があります(たとえば『宿屋仇』)。
こういう場合には
Нас всегда трое.
とでも言えそうですね。
- Нас двое.
- Хорошо. У нас шведский стол.
(『そのまま使える!ロシア語会話表現集』112頁)
をここまで書いて思い出しました。
この場合のнасは直前のуが省略された生格と見ればよいでしょうか、
それとも何らかの無人称動詞(Бог посылаетでも来るのでしょうか)
が省略された対格と見るべきでしょうか、
またお手すきの時にお教えください。
------------------------------------------
これはもっと簡単に考えればいいのです。двоеは複数生格をとるのですから、мыは生格となるというものです。ですからНас трое приехало.というのも可能なはずですが、Нас трое, мы...という風にする文例が多いようです。これに似た例としてСколько вас в семье?(ご家族は何人ですか?)があります。帝政末期暗殺集団を率いたСавинков(「青ざめた馬」の作者)に、Мы трое не можем руководить организацией из 50 человек.(我々3人は50人から成る組織を指導できない)という文があります。
мужчина, дядя, юноша, будда 等々、おもしろいですね。なぜ女性形語尾なのでしょうか。この例外だけはずっとおもしろいなぁと思っていました。歴史的にはどうして生まれたのでしょうか。形容詞をつける場合にはきちんと男性形(высокий, добрый, красивый等)なのに、どうしてдваではいけないのでしょうか。двое, трое等が男性名詞だけにつくというのも不思議です。もしも女性につけたらどういうニュアンスになるのでしょうか。???だらけ。
---------------------------------------------
aの語尾をもつ名詞がロシア語で女性なのはラテン語からの影響かと思っていますが、мужчинаはмужから派生しており、16世紀にはмущинаという名詞ができています。Дальではмужчина = рослый, здоровый という意味を持つと書いてあるので、私見ですが、-инаはдомина(大きな家、男性名詞)のような指大形からできたのではないかと思います。集合名詞自体が口語的なニュアンスをもちますから、女性名詞につけると俗語的で軽視や蔑視のニュアンスが出ます。男性名詞でもпрофессорやгосподинなどにはつけないというのは軽視や蔑視、滑稽なニュアンスが出るので使うなと言われています。
>двоеは複数生格をとるのですから、мыは生格となるというものです。
なるほど。集合数詞の格支配を受ける、と考えればよいのですね。
動詞はないけど文として成り立つ、納得です。
ありがとうございました。