2011年11月26日
●和文解釈入門 第190回
80年代家族とともにモスクワに駐在して気がついたのは、アスパラспаржаや生姜имбирьが手に入らないことである。近く(Проспект мира)に植物園の分館があり、休日に行ったら、竹のように生い茂っていたアスパラを見つけた。当時アスパラというのは植物園で見るものだったのである。生姜も和風料理には不可欠なもので、モスクワで見かけなかったのでヨーロッパに出るときなど必ず買い求めたものだ。пряникというのはジンジャーブレッドみたいなもので、革命前の製造法などを見ると生姜が入っているが、革命後は生姜なくなったのであろう、風味だけ生姜まがいのまま、有名なトゥーラТулаのものですら未だに生姜が入っていないようだ。まあ無しで済むならというか、ないのが伝統になったのだろう。ところが1999年2度目のモスクワ駐在のときはスーパーにアスパラも生姜も出回っていた。隔世の感がある。
設問)「学部事務局に試験が何日になったか聞いてください」をロシア語にせよ。
Запросите,пожалуйста,
деловой отдел факультета,
какого числа будет
произведён экзамен.
-----------------------------------------------
запроситьというのは普通の人が会話で尋ねるという意味では使いません。かなり公的な用法です。それ以外はなんとなく意味は分かるでしょうが、「試験がいつか」ではなく、「試験がいつになったか(決まったか)」と聞いているわけで、その点の厳密さに欠けるような気がします。また学部事務局と出た段階で大学の試験ということが分かるわけで、試験も複数にするということが浮かぶはずです。私の答えは、Спросите (справьте) в деканате, на какое число назначены экзамены.
学部事務局に試験が何日になったか聞いてください
1) 試験日がまだ不明という場合
Обращайтесь, пожалуйста, к факультетскому бюро,
в каком дне будет экзамен.
2) 試験が延期になった場合
Обращайтесь, пожалуйста, к факультетскому бюро,
на какой день экзамен перенесли.
恐らくは2)の場面設定とは思いますが…
Обращатьсяと不完了体なのは、動作の着手を促すため、
перенестиと完了体なのは、変更になった結果が現存しているため、
とそれぞれ考えます。
-----------------------------------------------
ものを尋ねるときに、着手の用法を使う文脈というのは、なにか聞きたそうにもじもじしているときとか、相手が何か知らせを持ってくることが前もって分かっている場合に、Разговариввай!(言えよ)ということはあります。ただ一般的にものを尋ねるというのは、新規の動作のはずです。尋ねる人が行列で並んでいるという場合(これは着手の用法が適用されますが)は別ですが、普通は完了体命令形を使うべきです。перенеслиは体の用法としては正しいのですが、これは訳しすぎです。
Спросите в деканате, на какую дату назначен экзамен.
-------------------------------------------
正解です。ただ細かく言えば、設問は「何日」であって、дата(年月日)を聞いているわけではありません。試験も普通は複数としたほうがよいような気がします。
生姜と言えば思い出しました。90年代中頃に,モスクワで貴重な生姜が手に入ったので学校で子どもを通して知り合いにプレゼントをしたつもりだったのですが,その子がずっと親に渡すのを忘れていて,のちに干からびた生姜がランドセルから出てきたと,その子の親から連絡がありました(爆)。
Узнавайте в деканате факультета, на какое число назначен(назначили)
экзамен.
----------------------------------------
ほぼ正解なのですが、узнавайтеと不完了体命令形にするのはコーシカさんに書いたのと同じ理由で、おかしいと思います。
>一般的にものを尋ねるというのは、新規の動作のはずです。
>普通は完了体命令形を使うべきです。
そうか。不完了体を導くサインが特にありませんものね。
>перенеслиは体の用法としては正しいのですが、
>これは訳しすぎです。
こういう場面では確かに意訳に過ぎました…
ありがとうございました。