2011年12月20日
●和文解釈入門 第214回
ナウーモフНаумовという人との書いた「ピョートル大帝とその股肱の臣の日常生活Повседневная жизнь Петра Великого и его сподвижников, Молодая гвардия, 2010」という本の中に面白い記述を見つけたので、かいつまんで書いて見る。ピョートル大帝には最初の妻エウドキーヤとの間にアレクセーイ皇太子(1690~1718)と娘がいる。アレクセーイは後に父への謀反のかどでピョートルの面前で拷問を受け、死刑執行の朝謎の死を遂げた。死因は死刑を恐れるあまりの脳卒中とも言われている.一方二番目の妻エカチェリーナ(1684~1727、後の女帝エカチェリーナ1世)の間には12人の子ができだが、成人したのはアンナ(1708~28)とエリザヴェータ(1709~61/62)後の女帝エリザヴェータ・ペトローヴナ)の二人の娘だけである。二人は年子погодокだった。アンナはピョートル似で、やせて背も高く、知的好奇心が強く、頭の回転も速かった。ピョートルも世継にと考えた男の子が次々と早死にするので、ピョートルもいずれは彼女に国を任せたいという意向もあったようだ。若くして亡くなったのは惜しまれる。
当時のロシアの上流階級では幼い娘にはハレの席では天使の白い羽根крылышкиをつけた衣装をつけさせた。成人になるとこの羽根を折る儀式が行われたという。最も成人といっても、もう嫁に出してもいい年ごろとみなすということだから13歳ぐらいのようである。1721年アンナの婿候補であるカルル・フリードリヒ・ホルシュテイン・ゴットループ(時のスウェーデン王カルル12世の甥で、ピョートルはスウェーデンと対トルコ同盟を結びたいと考えていた)がペテルブルグに来た時、アンナとエリザヴェータも宴席に出た。服装は同じだったがエリザヴェータの背には天使の羽根があり、アンナは最近この羽根が折られ、ひもで結んであったとカルルは書いている。エリザヴェータの羽根はピョートルにより1721年9月11日に折る儀式が執り行われた。アンナはカルルより賢く、博識であり、まじめだったので、カルルとしては何となく煙たく思い、個人的には妹のエリザヴェータ(ぽっちゃりして生き生きしていた)の方が気にいったのだが、彼は将来の国王としての立場をよく理解していたから、不満を口にせず、1725年アンナと結婚することになった。二人の間にできたのが後のピョートル3世であり、この人がエカチェリーナ2世の夫で、彼女に王位を追われ殺された。もう一人有名な方のアンナは女帝として有名なアンナ・イワーノヴナ(1693~1740)である。父はピョートルの異父兄で、ピョートルの共同統治者となったイワン5世(1666~96)であり、実権は姉のソフィア(1657~1704)が握った。
設問)「はたから見れば同じことが起こっているかのように見えたかもしれないが、そうではなかった」をロシア語にせよ。
Хотя если смотришь со стороны, было видно, как будто происходит то же
самое, на самом
деле не было так.
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видноは挿入句ならпо-видимомуといいう意味です)でなければ、можно видеть, рассмотреть, заметитьか、видно, что(~ということは明らかだ)とうことなので、「思える」という意味に使うのは無理があるように思います。それとне было такの前に形式主語のような形でもэтоを加えないと文としておさまりが悪いような気がします。私の答えは、Стороннему глазу могло показаться, что происходит всё то же самое. Но это было не так.
「傍の目から見れば」としても同じ。Стороннему глазуの代わりにСтороннему наблюдателюとしてもよい。「何が起こっているのですか」は、Что происходит? とかЧто имеет место?であって、Что случается?とは言わない。случатьсяは過程を表せないからだ。
С виду, казалось бы, что происходит то же самое, но это было не так.
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с виду = на вид = по видуで「судя по наружности外見から判断すると」ですから、ここが違います。それとпоказалосьに直すべきです。
Посторонним, может быть, казалось, что происходят одинаковые вещи, но это было неправильно.
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ほぼ正解のようなものですが、実際とは違うという意味を出すためには、完了体(レールを外れているのだ、とか実はレールなど元々ないのだという想定外のニュアンスで)показалосьを使うべきだと思います。例えば、Телефон? Вскочил, прислушался - нет, показалось! 電話か?飛び起きて聞き耳を立てる。「違う、気のせいだ」
Петра Аеликого?
Bですよね?
毎回、興味深く読ませてもらっています。
ただ、改行がなくて、読みにくいです。
特に長文の場合。
適当な場所で改行いただければ幸いです。
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コメントどうもありがとうございます。すみません。訂正しました。今後はできるだけ改行するようにします。
はたから見れば同じことが起こっているかのように見えたかもしれないが、そうではなかった
Окружающие могут считать, что обе происшествия одинаковыми, но в самом деле, совсем другие.
さて、正解は
не такを使うんですか。
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совсем другиеでもいいのですが、問題はобеです。これは女性名詞と結合します。それとなぜここで使う必要があるのか理解できません。