2011年09月27日

●和文解釈入門 第130回

受験英語で時制の一致を学ぶと自然とロシア語でもそうなのではないかと、中級者でも露文和訳のときに思う人もいよう。この点ロシア語は日本語と同じく時制の一致はない。例えば、Они ждали, когда перестанет дождь.(彼らは雨がやむのを待っていた)となる。когдаの代わりにпокаを入れても意味は変わらない。「~するまで」はпока ...не(完了体の動詞)と覚えている人もいるかもしれないが、主節にждатьやпройтиという動詞のある場合はнеをつけないのが普通である。
ロシア語を勉強していると、だんだん受け身の勉強(~をやれと言われる勉強)から自主的な勉強に移ってくる。そのときに参考書に答えがないような、あまりにも初歩的過ぎるようで聞くのがためらわれるような何らかの疑問が湧いてくるはずだ。もし湧いてこないというのであれば、そういう人は語学に向いていないと思う。なんらかの疑問があれば、頭のどこかで常に考えているわけで、あるとき答えが分かった時にAHA (Ага!)という瞬間を体験できる。こういう瞬間を多く経験すればロシア語を続ける刺激にもなるし、体の用法だってマスターできるようになる。
設問)「被害者は赤で横断した」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年09月27日 06:44
コメント

Пострадавший
перешел переход
на красном светофоре.


Пострадавший пересек перекресток
на красном светофоре.
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二つとも完了体過去形を使っている点、красный светофорという言い方が問題です。それと二つ目は交差点となっていますが、設問には交差点とは書かれていません。私の答えは、Пострадавший переходил дорогу на красный свет.
不完了体過去形なのは横断中に交通事故に遭ったと考えたためである。渡りきったなら普通事故には遭わないはずである。もっとも渡った瞬間トラックが突っ込んできて事故に遭うということはありうる。そういう場面を除けば事実の確認(事実の名指し)ということで不完了体ということになる。完了体過去形なら渡りきってそこにいる(結果の現存)かアオリストだが、いずれにせよ事故に遭って渡りきるという設定がおかしいような気がする。赤信号をна красный светофорともいうが、на красный «светофор»とカッコ付けにするのが普通で、на красный сигнал светофораということであり、信号機自体が赤く塗られていると誤解を招くからだろう。個人的には使わない方がよいと思うので、на красный свет(~するときという意味の期間の対格であって、前置格ではない)を勧める。口語ではна красныйだけでも使う。
それとперейти переходというのは「横断歩道を横断する」ということで、日本語でも「馬から落馬する」の類のような気がする。

Posted by カジューシャ at 2011年09月27日 08:17

Пострадавший пересек улицу, когда красный
включился.

赤で、はもっと短い言い方があるのかもしれないと思いながらも、これしか出てきませんでした。
よろしくお願い致します。
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問題は完了体過去形を使っていることです。いろいろな解釈が可能だと思いますが、赤信号で渡っている途中に車にはねられたとするのが自然ではないかと思います。私が不完了体過去形を使ったのは必ずしも渡っている途中だからという意味ではありません。この文は警察官ないしはリポーターのものであるという感じを受けます。それゆえ事実の確認(名指し)ということで不完了体過去形を用いたのです。もしこの文に日付など過去をはっきり示すものがついていれば、完了体過去形を使ってアオリストとするのも可能だとは思います。
「信号が赤になった」というのは、На светофоре загорелся красный.というのがありますが、красный включилсяは赤い(色)のスイッチが入ったという意味にしか取れないと思います。

Posted by みなみ at 2011年09月27日 12:08

回答です
Пострадавший переходил на красный свет(сигнал) .

完了体と不完了体。もう何がなんだかわからなくなってきています。「二度あることは三度ある」で、また間違いそうですが敢えて投稿します。今回は恐らく過去の事実の確認(その行為があったかなかったか)であろうと考え、不完了体を使いました。
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正解です。体の用法の本質的なところはマスターされています。後は場を踏んで、実証というか確認(復習)するだけです。自分の感覚を信じるというのは幼児からロシア語をやったのでない限り無理だと思います。大人からロシア語をやった人は理詰めで行くのが本人も納得するし、間違いが少ない方法だと思います。体の用法は不完了体が話し手の意識の中において他力本願的(受け身という言葉は誤解を招くので使いません)で、そこからその場の雰囲気に逆らわない、着手の用法や、そこからその場の雰囲気にのまれるというか、義務という観念が生まれたのではないかと思います。またその現れ方が時制や法(命令法や不定法)によって強弱があるのだと思います。

Posted by メイ at 2011年09月27日 21:21
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