2011年02月18日

●和文解釈入門 第7回

発音やイントネーションを除いて、ロシア語をロシア人に習うのはどうかということを書いたが、習ってもいいロシア人がいる。それは日本でガイド試験に受かったロシア人である。今まで私の知るところ3人(女性一人、男性2人)の若いロシア人が合格しているし、今後少しずつ増えて行くだろう。一人についてはたまに電話やメールをもらうが立派な日本語である。こういう人たちは自分たちが日本語で苦労しているから、ロシア語の初級者についても和文解釈の分かりにくいところを日本語で分かりやすい説明してくれる可能性が多いと思う。一方日本の大学でも何人かのロシア人の先生がロシア語を教えているが、それが和文露訳となれば、和文露訳の授業をする上でのロシア語の日常会話の説明(こう言うんですとか、類似表現)はこなせても、ロシア語のニュアンスの差を日本語で説明できるレベルの日本語が出来る人はどのくらいいるのだろうか?和文露訳でこういう先生について学習効果があるのは、自由にロシア語で質問が出来、その解説をロシア語で理解できるロシア語の上級者にならないと無理だろう。
東京遷都について、1868年大久保利通は大阪遷都を提議したが、前島密がひそかに東京に遷都すべきという内容の書簡を大久保に遣わしたと「前島密自叙伝」(日本図書センター、1997年)にある。その主張は、
・蝦夷地開拓を考えると日本の中央に位置する東京が管理面で便利であること。
・大阪は小船用であり、修理の設備も近くにない。東京は大艦巨舶も受け入れ可能であるし、修理のために近くに横須賀がある。
・大阪は道路が狭いが、東京は広い。
・大阪の道を広げるためには巨費を要する。
・大阪に移せば、官邸、学校など新築せざるを得ず、金がかかる。東京であれば、江戸城を活用できるので国費の無駄もない。
・大阪は首都にならなくても衰微しないが、東京は首都にならなければ、人々が離散して寂びれる。
1895年オープンしたレストラン「ノーヴィ・エルミターシュНовый Эрмитаж」のメニューにотец с сыном = холодный поросёнок с ветчиной(父子〔ハム付冷製子豚〕とある。ロシア版親子丼だ。
庭はсадと訳すと思われるか知れないが、садは樹木も生えた道もある、いわゆる庭園である。日本語の庭には広辞苑によれば6つの語義があり、現代で通用するものは庭園と「家の出入口や台所の土間」であり、我々庶民の家の庭と言えば、後者の玄関周りの空間で、植木鉢を置いたり、ちょっと草花でも植えたりしている場所ということになろう。家の周囲にある庭ならдворикであろうし、玄関前ということになればпалисадникが適当という事になる。我が家にсадがあるとロシア人にいえば、どんな豪邸に住んでいるのだろうと思われる可能性が大きい。
設問)「追剥が通行人に「背広を脱げ」と言いました」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年02月18日 14:38
コメント

うっ、今度はしっかり引っかかりそう…

・追剥が通行人に声をかけるところから文が始まるので「言った」は新しい情報
 →完了体過去
・哀れな通行人にとっても「脱げ」は予想しない新しい情報
 →完了体命令形
 (ただし、通行人にとっての情報の新しさは無視して
 文の聴き手だけを考慮に入れた場合には、「追剥」という合図もあるので、
 行動の開始を促す不完了体命令形のснимайも考えられ…ますでしょうか?)
・「スーツ」は特に「上着」とも書かれていないのでкостюм

(答)
Разбойник сказал прохожего: сними костюм!
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設問は「背広を脱げ」となっているはずです。それはたいしたことではありません。あとпрохожемуと与格にしなければなりません。タイプミスでしょう。体の用法を勉強すればするほど深みにはまるというか、例外ばかりのように思えます。今回の回答で評価するのは思案の過程がわかることと、раздеватьを使っていないことです。多分ザルービンの露和(これにはраздеваться = снимать пальтоとなっています)を見たのでしょうか。露露でもраздеваться = снимать с себя одеждуとなっていますからсниматьを使えるのは分かるはずです。コーシカさんのように露露を活用できると飛躍的にロシア語運用能力が増えることは請け合います。раздеватьсяではコートかオーバーを脱ぐのか、文脈によっては全部脱ぐという意味しかならず、上着やシャツを脱ぐという意味には使わないのです。さて私の回答と解説は今回非常に重要なので長くなりますが、お付き合い願います。
Разбойник – прохожему: - снимай твой пиджак. (Разбойник говорит/сказал прохожемуでもよい。говоритは小話でよく使われる歴史的現在という用法。сказалは前に説明したアオリスト)。これは文法の参考書で書いてある不完了体の命令法の着手の用法である。これから何かをしろというときに、例えばСадитесь!(おかけ下さい)のような時に使う。しかし、着手するものは新規の具体的な事柄で、これは完了体の領域(不完了体は曖昧な事柄に使う)ではないかという疑問をずっと抱いてきて、これは体の用法の例外なのだと自分なりに思い込んできた。完了体の命令形Скажите! Познакомьтесь!だって着手と言えば、着手だしだし、なによりも「着手しなさい」というときに、Приступайте к делу! Приступите к делу.と両方出て来る。文法の本に書いてある着手という用法の説明は説明で分かるのだが、会話で和文をロシア語にするときの基準が今一つ分からない。一般的に文法の参考書自体が露文解釈を前提にしているか、著者が会話のロシア語(和文解釈)に不慣れだからか会話の例文が極端に少ない。なぜ不完了体が完了する動作(「脱げРаздевайтесь.」にしろ、「おかけ下さいСадитесь.」にせよ、繰り返しでもないし、長時間かかる動作ではないことは素人でも分かる)に使うのかという疑問の回答が当時は分からなかった。まだ完了体は完了を示すはずという呪縛にかかっていたのである。結局はこういうものはこういうと暗記するしかないとひたすら暗記してきたわけである。
 しかし「ロシア語の体の用法」(原求作、水声社、1996年)の121ページを読んで疑問は氷解した。これは習慣から来るその場の雰囲気というか、こういう場合にはこうなるという世間一般の風習という目には見えないサイン(合図)があるから、不完了体が出て来るということらしい。しかし用例が日常でよく使われるものばかり(входите, проходите, раздевайтесь)で、この程度であれば無理に理屈をつけなくても丸暗記すればよいものばかりである。実際に会話(和文解釈)で体の用法を活用せざるをえない我々のような立場(通訳とかガイド)に立てば、こういう例文ではものたりない。応用できなければ、これまで同様丸暗記の連続で文法を学ぶ意味はない。それで設問のような例を紹介したわけである。この文例にある強盗(追剥)にすれば、強盗を働く以上被害者に服を脱いでもらって取り上げるのは当然のことであり、この当然という意識が不完了体を使わせるのだろうと思う。これなら完了体に新しい(具体的)動作を担わせ、不完了体はそれ以外という趣旨と矛盾しない。話者(この場合「追剥」)にとってはその状況下では新規ではなく当然の動作だからだ。つまり不完了体命令法の着手という用法はその場で当然であると見なされる動作に使われると思えばよい。着手、着手と文法用語を書いたが、文法用語やその定義が分かったからと言ってロシア語がうまくなるものでもない。実際にロシア語を読んだり話したりして、実戦で使わないとうまくはならないし、応用も利かない。Садитесь.だって、お客様に立たせたままにしておくわけにはいかないという暗黙の常識が合図となって、不完了体が出て来る発想の引き金になるわけである。私が仮にロシア人に「おかけなさい」と言おうとしてСядьте.と言えば、相手のロシア人は、外国人だからそういう間違った言葉の使い方をしても仕方がないと思うか、あるいは普通と違うということで無礼だと取るかもしれない。ただСадитесь.と言ってから、Сядьте ближе ко мне.(もっと近くに座ってください)と完了体を使うのは、新規な状況を提示しているわけで正しい体の用法である。
 1976年函館空港に着陸したベレンコ中尉のミグ事件に関する記事を読んでいたら、面白い表現があったので書いておく。
- Разрешите идти на взлёт?(離陸許可願います)
- 0-6-8, идти на взлёт разрешается.(0-6-8、離陸を許可する)
- Вас понял. Иду на взлёт.(了解、離陸します)
 これはベレンコ中尉がソ連の基地から最後に離陸するときの管制塔との会話である。露文解釈をするにはどうってことはない内容だが、和文解釈をする上でこれを活用しようと思うと興味深い。なべて露文は和文解釈に活用しようと言う考えで読むべきだ。ロシア語の映画やビデオを見るのは1年ぐらいは耳慣らしにはよいものの、結局のところ部分的にはともかく完全な文のスペルが聞き取れないからそれほど勉強にはならない。またインターネットのサイトのロシア語は書いている人のレベルがまちまちなので、出版されている本(これなら一応はプロの読み手である編集者のチェックが入っているはず)なので語法的には安心できる。話はそれたが、なぜидтиと不完了体が出て来るのか気になった人は将来ロシア語の会話が伸びる可能性がある。1行目は動作の切迫性(着手から派生した用法で、予定という現在形の用法のようにすることが決まっていて未来で行われる確度が高くなると、未来における行動の自由度がなくなる、そこで逆に予定通りにせねばならないという切迫感が生まれのだと思う)を示す。問題は3行目である。私の考えは、「許可があって離陸する」という合図があって、つまり自分の意思という発想で動作を行うわけではないから不完了体が用いられるということだ。つまり、不完了体はなんらかの引き金になる状況や言葉によって出て来るわけである。
 70年代のロシア語の体の用法の参考書では、完了体と不完了体をいくつかの動詞群に分けて、用法を説明していたし、最近のはさらに細かく個々の動詞に分けて説明しようという動きがあるようである。そうなるとロシア語の動詞には完了体と不完了体の二つがある上に、未来、現在、過去、命令法、不定法の5つについて体の用法をそれぞれの動詞で覚えなければならないとしたら、動詞群で覚える以上にこれは不可能であろう。やはり体の用法には底に流れる普通のロシア人の言葉に対する意識というのをきちんと捉えておかなければならないと思う。
「ロシア語の体の用法」の123ページにはПриезжайтеは動作の着手と書いてあるが、ガイドをしていて客を見送るときによく使うПриезжайте в Японию. (приходитеも含めて)は「(いつか)日本にいらして下さい」という意味で使うのが普通だから、動作の着手ではなく、不完了体の動作(事実)の名指し、つまり不定状況の1回(あるいは1回か反復かですら分からない)動作を示すのではないか。Пишите!(手紙待ってますよ)、Заходите к нам.(いつか寄ってください)などというような、取り上げられる動作の状況が漠然としていて、時間的、空間的に一定していないときに使われるものだと思う。ただприезжай(те)はприехать/приезжать両方の命令形だから、ある意味で深く考えなくてもいいのかもしれない。

Posted by コーシカ at 2011年02月18日 23:01

ありがとうございます。

>世間一般の風習という目には見えないサイン(合図)があるから、
>不完了体が出て来る
なるほど。
今回も追剥は自分自身が合図になっているので
不完了体命令形で動作の着手になるのですね。

>動作の切迫性
不完了体現在で予定を表す方法ですね、覚えるようにします。

Posted by コーシカ at 2011年02月22日 23:47
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