2011年11月11日

●和文解釈入門 第175回

最近大きな勘違いをしていたことに気がついた。Роман «Братия Карамазовы» был написан в 1878 - 1880 гг. и печатался в журнале "Русский вестник" в 1879 - 1880 гг.(長編「カラマーゾフの兄弟」は1878~80年に書かれ、「ロシア報知」に1879~80年の間載った)という文で、был написанとなっている。これを能動文に直せば、(Достоевский) написал роман «Братия Карамазовы».となる。この能動文を完了体過去の結果の現存と思っていたのである。ところが受け身の文でбыл написанとなっているからには、これはアオリスト(アオリストには過去の動作について総括的に、また完結した出来事として述べるという意味であるが、「過去における繰り返しのきかない唯一の行為」という意味でここでは使っている)である。ラスードヴァ先生の「ロシア語動詞 体の用法」には「創作者としての資格духовное авторство」という用法として、過去における事件の発生(とその報告)という用法(私がいうところのアオリスト)の中の一つの用法として挙げている。しかし、Доктор Живагоの解説でНаписан в 1946 – 1956 гг.(1946~57年に書かれた)という文は結果の現存であろうから、能動文にしたПастернак написал «Доктор Живаго» в 1946 – 1956 гг.も結果の現存であろう。だから「書いた」や「描いた」がすべて創作者の資格(アオリスト)の用法だとはいえないと思う。ついでにバレーの「白鳥の湖」の解説の出だしには、(Балет) Написан в 1876 г., впервые поставлен В. Рейзингером в феврале 1877 г. в Большом театре.(1876年に書かれ、レイジンゲルによって1877年2月に初めてボリショイ劇場で上演された)とある。これらは結果の現存の用法もあるというのが私の考えである。それに、「作品を書いた、描いた」という文の解釈は結果の現存かアオリストかは露文解釈のときには重要かもしれないが、和文露訳ではнаписал(а, о, и)を使えばよいからこれまではあまり深く考えて来なかった。結論として、結果の現存という用法もないことはないが、やはりここはアオリストと考えるのが自然のような気がする。それゆえ第15回の回答のヨシダさんにはお詫びして訂正する。
部分否定(必ずしも~ではない)というと не всегда, не обязательно, не очень, не слишком, не совсемが思い出される。Надя его не очень любила.(ナーヂャは彼の事をそれほど好きではなかった)という例のほかに、部分否定の例としてОстальные чувства не обязательно проявляют внешне.(その他の感情は必ずしも外に現れない)を挙げておく。
「負ける」は、「競争(ゲーム)に負ける」はпроиграть соревнованиеとかпроиграть в конкуренцииを使う。「劣る」という意味ではОн проиграл Сталину по многим параметрам.(彼は多くの点でスターリンに劣った)とかЯпония значительно уступает по объёму инвестиций США.(日本は投資量において米国に著しく劣る)と言い、уступитьも使える。「(感情に)負けるな、屈するな」と言いたければ、Не поддавайте страху.(恐怖に負けないでください)、Не поддавайтесь на этот шантаж.(この脅しに負けるな)、Не поддавайтесь печали.(悲しみに負けないでください)というようにподдатьсяが使える。
設問)「彼は今によくなる」をロシア語にせよ。(病院でのお見舞いのときなど家族への慰めの言葉として)

Posted by SATOH at 2011年11月11日 06:48
コメント

Я уверен, что он скоро
выздоровеет.


Не беспокойтесь!
У него здоровье
скоро поправится.
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ともに正解です。私の答えは、Теперь он выздоровеет.
完了体未来形が来ているのは未来に起こることへの確信を示すとともに、その場の雰囲気とは違う話題を提示するというニュアンスがある。私の不完了体線路(ライン説改め)では、完了体未来形を使うのは、бытьの未来形 + 不完了体不定形のように線路の上をそのまま先に進む、あるいはかすんで遠くに見えるというのではなくて、別の線路(話題)や道を通って進むという感じである。
 「今」はсейчасとтеперьがあるが、сейчасは時間的に短いと一応覚えよう。今回は二つあるтеперьの用法の違いについてである。設問は現在から未来に及ぶ場合であり、сейчасも未来で使えるが、現在から直近の未来という意味である。Я сейчав приду.(今〔そっちに行く〕から)。もう一つ、現在から過去に及ぶ場合Теперь мы спасены.(今や我々は救われた、助かった)がある。この他に「それでは、それから」と訳せる場合で、Это общее положение, теперь частности.(これは全体像で、それから細かい点を)とか、文頭に来て、「さて」Теперь, почему ты всегда опаздываешь.(さてと、どうして君はいつもいつも遅刻するのだい)などとなる。
この他に「~になる」というのはстать + 造格や служить + 造格、文脈によってはбытьも使えるが、теперьにもそういう意味がある。Ты теперь папа.(あなたもパパよ)といきなり言われてびっくり(本当に嬉しいか、顔で笑ってという事かは知らないが)することがあるかもしれない。сейчасについては第38回回答を参照の事。
только что とсейчасの違いは、только чтоは二つの動作を対比した用法に使えるということである。Я только что вошёл, а ты ко мне со своими просьбами.(僕はたった今〔ここに〕入ってきたばかりだぜ。それなのに君ときたらお願い事かよ)という文でсейчасは使えない。またсейчасは過去の意味の「たった今」という意味では使えない。Я тогда только что уволился.(僕はその時首になったばかりだった)という文にсейчасは使えない。

Posted by ラーポチカ at 2011年11月11日 07:35

Он скоро поправится.
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これも正解です。

Posted by ラーポチカ at 2011年11月11日 08:27

ロンロンさん,初めまして。誰でも見られるこの場で恥をかき続けてきたメイです。どうぞよろしくお願いします。お住まいの地域にもよりますが,いつかここに参加している皆さん(先生+生徒)でオフ会をしたいですね。

Он скоро выздоровеет.
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正解です。

Posted by メイ at 2011年11月11日 21:32

① Его состояние постепенно улучшается.

② Он скоро поправится.

③ Он скоро выздоравливает .
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1番目は医者が淡々と事実を述べているという(過程)です。2番目は正解。3番目は予定の意味で使っているのでしょうが、выздоравливатьにこのような用法があるかどうかは未確認です。Он заболевает, но скоро выздоравливает.(彼は病気にかかるが、治りは早い)という反復・繰り返しの例はあります。

Posted by ロンロン at 2011年11月11日 23:14
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