2011年11月05日

●和文解釈入門 第169回

設問は短文ということもあって文脈自体がないと同然のため、体の用法がつかみにくい。だから逆に投稿者の側としては、今回は完了体を使っているが、それはこういう文脈を想定して使っているのだという意思表示ができれば、投稿する際にそれを書くか書かないかは別にして、それだけ体の用法に対する理解も確かなものになるはずだ。そういう意識がなくて設問の日本語の感覚だけでなんとなく完了体にしたり、不完了体にしたりして和文露訳をしても、実戦はゲームではないのだから、この文脈ではこの体をという確信が持てなければいつまでたっても外国人の話すロシア語のままということになる。
大学を出てから小さな商社に入って2、3年経って、ソ連向けに作業船を建造していたある造船所で通訳見習いをしていた頃、造船技師から「ブームのヒショウって何だ」と聞かれた。ヒヒョウとは飛翔という事だと分かったが、浚渫船に飛翔という組み合わせがよく分からない。技術条件の和訳がおかしいらしい。それで原文に当たって見ることにした。そのロシア語はвылет стрелыである。стрелаはブームboomでクレーンなどの腕に当たる部分である。露英船舶辞典を引くと、вылетは旋回半径のことで、訳した人は技術関連の辞書も引かないような素人のようだった。造船所の外国船建造の部署は書類は英語だけで作るわけで、当時現場では通訳の合間に技術書類の英文露訳をこなさねばならず、露英や英露の船舶用語辞典、技術辞典が会社にもあったし、自費でも購入していた。和露の技術辞典というのもあったが、量が少なく訳も正確さを欠いていて使いものにならなかった。当時ロシア人の技術者でドイツ語を知っている人は結構いたが、英語となるとあまりいなかったし、それもあってか契約の段階で英露の書類提出となっていた。技術関係は英語を知らないと訳せないのである。しかも現場の叩き揚げの職人は英語が出来ない。それで日本語、英語、ロシア語の船舶用語(船殻〔船体のこと〕、機関、電気、コンピューター用語)を覚えざるを得なかった。ギャレー(英語のgalleyから来ている)というのは船内の厨房だがロシア語ではкамбузと言って、кухняではない。この船舶用語には悩まされた。英露や露英の船舶用語辞典で調べ、さらに日本の船舶用語辞典(これは和英・英和でも引けるように成っている)と2回重い辞書を引かなければならなかった。そのため結局自分で語彙集を3カ国語で作り、それが今の自分の和露の語彙集のもとになっている。この20年くらい船舶関係の通訳をしたことがないので、無駄な事をしたようにも思うが、船舶もプラントなので、船体(船殻)用語以外の機関や電気、コンピューター用語は他にも使えるので勉強してよかったと思っている。何が役に立つか分からないし、現場で若いころ技師や職人に現場の用語を親切に教えてもらったようには、今の若い人にそういう機会が与えられないという事を考えれば幸運だったというしかない。
設問)「父は息子を後継にと考えていた」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2011年11月05日 07:16
コメント

Отец думал выбрать наследником своего сына.
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訳せば、「父は自分の息子を後継者に選ぶつもりである」となり、選挙で選ぶというような感じになります。私の訳は、Отец прочил сына на своё место. 過去の過程を示す用法です。

Posted by ロンロン at 2011年11月05日 14:16

せっかくこれだけ細かく教えていただいているのですから,習得したものを実地で使いたいと思いますが,実際はその場その場で即決しなければなりませんから,やはり相当意識しながら場数を踏むしかないのでしょうか。今はおそらく50%の確率で間違えつつ話しているような気がします。

①Отец думал сделать своего сына наследником.
②Отец желал, чтобы свой сын стал наследником.
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実戦では体の用法でも、語結合でも私もよく間違います。ただ重要なのは使ってすぐどこがおかしいかが分かるかどうかです。間違いを意識できるのと、間違っているかどうか、正しいかどうかさえ分からないというのが問題なのです。しかも文脈は実戦では千差万別で、文脈を詳しく教えてもらわない限り、一概にどうだとはだれにも言えないのです。
ともに正解です。ただ1番目のはいいのですが、2番目のはхотелのほうがよいと思います。желать кому, чтобыという構文はありますが、標準的用法では、幸せを願うという感じです。хотетьの意味でも、この構文はあるのですが、これまではне желать, чтобыの用法が多かったのです。ただ最近のアカデミーの露露ではИздательство и редактор книги желали, чтобы в ней были подробно описаны мои постановки.(その本の出版社と編集者はその本の中に詳細に私の設定を描いてもらいたいとのことだった)という用例を挙げてあり、хотетьと同等か、あるいは(私の感じですが)品のよい用法として使われつつあるような気がしますが、個人的には書き言葉のような気がして、会話ではどうかなという気がします。しかし個人の好みでしょう。

Posted by メイ at 2011年11月05日 18:46

そういう言い方もあるんですね。後継という言葉が出れば наследник と一つ覚えでしたが,
こちらのほうが文が短いし楽そうですね。

Posted by メイ at 2011年11月06日 23:27
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