2012年08月08日

●和文解釈入門 第446回

(198) 「ベルツの日記」(2巻)、トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳、岩波文庫、1979年
 ドイツ人医師エルウィン・ベルツ(1849~1913)は1876年訪日以来滞日29年で、1905年帰国した。日本に温泉の重要さを医学的観点から重要性を強く指摘したので有名である。明治の元勲などとも病気治療の関係で親しくし、当時の日本の国内情勢についても世界的な観点から客観的に見ている点で、本書は非常に高く評価できる。ベルツは日本贔屓であるにせよ、時の皇帝ウィルヘルム2世への痛烈な批判(舌禍の多さ)は読んでいて爽快である。後半は日露戦争時の日本国内の様子が窺えて面白いが、「公報によれば戦果(勝利の)が御稜威によるものとあるが、損害は天皇の不徳のせいになるという理屈になるのでは」と、ベルツの健全な常識が看取される。ベルツは明治天皇の実母、東宮一家(後の大正天皇や昭和天皇)の診察も任されていた。

(199) *「日本その日その日」(3巻)、E.S.モース、石川欣一訳、平凡社、東洋文庫、1970年
大森貝塚の発見で有名なモースの日本滞在記。モース(1838~1925)は3回(1877、1878~80、1882)来日している。モースの自筆の挿絵も多く、そのため説明が非常に分かりやすい。ユーモアを交えた中に科学者(人類学者)として詳細だが簡にして要を得た筆致は、人柄のなせる技であろう。かなりの日本贔屓で、日本に対して好意的である。幕末や明治の日本について、外国人が必ず触れる汚わい臭について一言もないが、船に乗った時の魚肥の臭さについて書かれているから、鼻がおかしいというわけでもなさそうである。中国人や朝鮮人について、当時の日本人が偏見をもっていなかったのは、開国直後だったからであろう。これを日本人の特質とするのは、後の歴史を見れば分かることだが、それは瑕瑾とまではいえない。6~7行で話題が変わるので当時の日本についての表題のない百科事典を読むような感じである。訳文も味わい深い。また北海道から鹿児島まで精力的に訪れており、東北地方についても、イザべラ・バードの紀行文を読むような暗さはない。モースは両手利きだという。こういう先生が側にいれば学問への興味もすぐに涌くに違いない。ちなみに森銑三の「明治東京逸聞史」(2巻)東洋文庫(1969年)にも本書からいくつか引用されている。モースの観察眼が高く評価されたのだろう。

設問)レストランで「4人です。2人は後から来ます」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年08月08日 05:12
コメント

ご無沙汰しております:

4人です。2人は後から来ます
Нас четверо: двое придут позже.

У нас четверо. かと思いましたが、裏が取れなかったので辞書の例文に倣いました。
あと2人が来るのは、予定といいますかそういう状況という頭でしゃべっているでしょうから、
不完了体現在の未来の用法が適すると考えました。
車を停めて後から、と考えてприйтиを充てております。

質問です:
(2人は)すぐ来ますよ、の意味でследоватьを使えるかもしれないと思いましたが、
そういう使い方はありうるのでしょうか。
事件など無生物ないし状況を指して使うのが適当でしょうか。
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正解ですが、まぐれのような気がします。つまりу насか насか迷っているからです。насになる必然性を理解していないことになります。設問で「4人です」というのは、お察しの通り「我々は4人です」ということで、мыが主語に立つことが考えられますが、次の「4人」は集合数詞четвероを使いますからの、この集合数詞は複数生格を要求します。この要求の強さに負けて、主格のмыが生格になるのです。ですから、過去時制にして、「我々は二人だった」という文はНас было двое.となります。
 уを使う例は、「何人家族ですか?<ご家族は何人ですか?>」をロシア語にする場合で説明します。次の3つの文が可能ですが、
イ) Сколько человек в вашей семье?
ロ) Сколько вас в семье?
ハ) Сколько человек у вас в семье?

ロ)はсколькоが複数生格を要求するために、выが生格になったという私の回答と同じ例です。イ)は直訳(ロシア語としておかしいという意味ではなく、立派なロシア語です)、ハ)はу + 生格で英語のhaveと同じ所有構文です。у вас = вашаと考えてよいでしょう。設問は所有を意味しているわけではないので、つまり私たちは4人を所有しているわけではないので、これは使えないわけです。私の答えは、Нас четверо, двое подойдут позже.
口語では、подойти = прийтиであることは何度か書いた。

 следоватьは「後からくる」という意味では、「尾行する」という意味もあるので、お勧めできません。идти/ехатьという意味もありますが、硬い言い方です。「向かう」という意味で訳せます。船同士の交信で、Куда вы следуете?(貴船はどちらに向かっているのですか(行き先は)?というのは漁業関係の会話でよく使います。後は「(この)列車はモスクワ行きだ」Поезд следует до Москвы.と予定の用法でも使えることが分かります。これは和文露訳入門にも入れております。しかし、繰り返しますが硬い表現で、日常会話で使うことは、まずないでしょう。公的な表現と考えればよいと思います。
 それとお答えは完了体未来であって、不完了体現在形の予定の用法ではありません。прийтиは過程では使えないので、予定の用法は基本的にはできないと考えたほうがよいでしょう。無論、ムラヴィヨーヴァ先生などは、приходитьを予定で使えるとしていますが、実際の会話でロシア人から聞いたことはありません。それに、後から来るというのですから、一拍置いた感じです。そうなると未来への動作が連続する予定の用法よりも、一拍置いた感じの完了体未来形の方が適切だと思います。この一拍置くという感じは、あくまで感じであって、未来への動作が連続していないという認識とご理解いただければよいかと思います。一瞬でも未来への動作が、現在から切れていると主観的に判断するときに完了体未来形が使われるのだと思います。完了体の機能は主観性にあるというのが私の考えです。
 コロン(:)は確かに説明のために用いますが、書き言葉です。会話で、このように用いることはないと思います。

Posted by コーシカ at 2012年08月08日 08:04

Нас четверо. Двое скоро придут.

今回もやはり迷いました。近接未来を表す不完了体の приходят を使って、単に二人が後から来るという動作の事実があることを伝えるのか、それとも叙想的意味の完了体未来形を使って必ず後から二人来るはずだということを伝えるのか。今回話者は、四人分の座席や料理を頼む以上、必ず二人に来てほしいという期待感をもって話しているはずだと考えて完了体未来にしました。
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正解です。コーシュカさんのところにも書きましたが、予定の用法は現在から未来への動作の連続というニュアンスです。完了体未来形は、動作を一拍置いて行うという主観的ニュアンスがあります。「後で」とある以上、一拍置いた感じがしますから、完了体未来形の方が適切だと思います。при-のついた運動の動詞は過程では使えないので、口語ではподойтиを使うのが普通であり、自然です。この動詞の使い方に慣れましょう。
 どうしても予定というか、過程で使いたいのなら、Лвое сейчас идут.するという手もあります。これだと後でという感じではありませんが、レストランでは「今来ます」とした方が、自然かもしれません。
 不完了体現在形の予定の用法と、完了体未来形の完遂的用法の違いですが、予定の用法では連続した動作(過程)の延長上にある動作であり、完了体未来形の完遂的用法では、動作がいったん途切れるか、新規の動作であるという違いがあります。途切れるのは一瞬でもよいし、その途切れるということを発話者が主観的に理解しているということになります。
 文を作るのは人間ですから、その人間が特に意識しないのが不完了体現在形の予定の用法であり、意識すれば(主観的に見れば)完了体を使うということになります。予定でも意識すれば、完了体の完遂的用法や、собиратьсяを使うことになります。この辺は何を持って予定とするか、予定の定義にもよりますが。

Posted by メイ at 2012年08月09日 00:03

お返事ありがとうございます。

>集合数詞четвероを使いますから、この集合数詞は複数生格を要求します。
>この要求の強さに負けて、主格のмыが生格になるのです。
なるほど。そういう理由で生格を取るのですね。覚えておきます。

> следоватьは「後からくる」という意味では、
>「尾行する」という意味もあるので、お勧めできません。
わかりました。他の使い方も頭に入れておくようにします。

Posted by コーシカ at 2012年08月13日 17:17
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