2012年09月04日

●和文解釈入門 第473回

(208) 「自由か死か」、玉水常治、日本人の自伝第2巻所載、平凡社、1982年
 自伝とあるが、1885年自由党大阪事件に関与した明治の自由党壮士玉水常治(1862~1939)の、長崎にて捕縛され、大阪堀川監獄からの脱獄と3年ほどの逃避行についてのみであり、本人にとっては人生の華と感じた時代であろう。乞食になって道中の蚊遣りの使い方を乞食に習うなど面白い。これなど海舟の父小吉の若いころの家出の様子とあまり変わらず、当時の壮士の生活や考え方がよく分かる。新潟、山形などを経て函館で憲法発布の特赦(国事犯のみ)の知らせを聞いて自首した。途中鳥目になったりしたが、ヤツメウナギを食べて治ったとも書いている。兄の玉水嘉一(1859~1947)は1884年加波山事件(栃木県令三島通庸〔みちつね〕暗殺計画)の首謀者である。文体は口語文で読みやすいが、自分のことを三人称で描くなど気障な感じがないわけでもない。

設問)「生存者を収容してください」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年09月04日 07:42
コメント

Поместите, пожалуйста оставшихся в живых.
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正解です。поместитьというのは、「入れる、置く」、「住むために部屋に入れる」、「(病院などに)入れるようアレンジする」という意味ですが、病院などをイメージしているのでしょう。私の答えは、波間に浮かぶ生存者をpick upするという感じです。Подберите оставшихся в живых.
подобратьはpick upと言う意味である。

Posted by ブーチャン at 2012年09月04日 08:46

Поместите оставшихся людей.
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動詞はこれでいいのですが、残った人ということで、生き残った人という風にはなりません。

Posted by аяка at 2012年09月04日 11:23

玉水常治の自伝「自由か死か」についての文中において、玉水嘉一の歿年が1947年となっていますが、正しくは1949年(昭和24年)です。憚りながら小生は嘉一の外孫です。失礼千万
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失礼いたしました。『日本人の自伝(第2巻)』(平凡社)に記載の通り書いたつもりでしたが、ご指摘ありがとうございます。

Posted by 中村 廣臣 at 2013年03月03日 20:53
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