2011年06月07日
●和文解釈入門 第32回
このコーナーを定期的に閲覧している人が日本全国に何人もいるとは思えないが、その数人の人に対して、あるいは偶然見てくれた人でロシア語の関心のある人に一言申し上げたい。ひょっとしてその中には設問に対して100%正解であるという自信がなければ恥をかくのが嫌だから投稿しないという人もいるかもしれない。そうだとすればとても奇妙な考え方である。なにも本名での投稿をお願いしているわけではない。自信がなくとも気楽に投稿してもらえれば、自分の弱点が分かり、答えが間違ったものほど、また他の人の目に触れたものほど次は間違えなくなる。ようは正解を覚えてしまえばいいわけで、丸暗記より、理詰めの方が覚えやすいというだけである。投稿する際に第1回からさかのぼって読み通す必要もない。とりあえずまだ回答のないもの(最新の設問)からやって見た方が面白いと思う。投稿がだれかに先を越されても、どしどし投稿してほしい。正答は一つではないし、私の回答自体納得のいかない場合もあるかもしれない。回答の投稿を一つに制限しているわけではないし、第1回や第2回分についてだって自分なりの回答があるなら出してもらえれば、正しいかどうかチェックする。バンドルネームだって、自信があるときはAで、あやふやなときはBと使い分けてもらってもかまわない。他の人の使ったバンドルネームだけ避けてもらえればいいのである。
こう書いたのは、設問を出題するのも学習者のためというよりは、自分のためである。いろいろな回答が寄せられれば自分の回答を見つめ直すよい機会になるからである。それに人には変な事を教えられないから自分のロシア語の知識を整理して、典拠もはっきりさせてから書くことにしているので自分にとっても非常にいい勉強になっているし、自分のロシア語の勉強の励みになっているので、気がねなく投稿してほしい。別に人助けのためにやっているわけではないし、自分のロシア語がそういうレベルでもないことは理解している。出題はいきあたりばったりのように見えるかもしれないが、一応は第10回に書いた表に沿ってはいる。この表は未完成なので、今のところ頻繁に訂正しているし、設問の回答との関連付けも出題後書き加えるようにしている。表に沿っていないものは、一見簡単そうだが通訳するときに悩んだものや使えそうなものを書いている。その出題の順番がアトランダムなのは、当初から出題はある程度気が向いたもの、その時点で面白いと思ったもの、学習効果が出そうなものを優先している。またよく市販の参考書で、練習問題をその項目毎、例えば名詞の格変化(単数)、完了体(過去)など分けて説明したすぐ後に出題しているのを見るが、そうなると学習者はその範囲だけに回答のテーマを絞ることができる。これはいい面と悪い面があり、復習するにはいいのだろうが、実際の通訳、ガイドでは文法事項の何が出てくるのか分からないのがあたりまえである。それで私の出題も、実戦に合わせて行き当たりばったり方式にした。趣旨を御了解願う。
хотетьとхотетьсяはどう違うかと聞かれれば、хотетьсяの方がやや丁寧な感じがするとずっと思ってきた。シノニムの辞典で調べると、「彼は絵画を習いたかった」と言う文をОн хотел учиться живописи. とЕму хотелось учиться живописи.と訳した場合、хотетьの場合は現実的に絵を学びたいという希望に焦点があり、それを実現しようという意志も感じられる。一方хотетьсяは、そういう希望が感じられるが、だれの(何の)影響でそういう希望が出てきたのかが分からない。つまり本人の意志かどうかが分からないということである。できれば希望はひとりでに実現してくれたらいいなという感じであり、それゆえこの希望が現実的なものか、あるいはそれを実現するために続けて行こうという本人の意志があるとは思えないということになる。хотетьсяのほうには意味上の主語が主格ではなく与格で出てくるのも、主体性が感じられないという気がする。また意志がはっきり出ないということから、遠慮しているというニュアンスが出て、これが丁寧さにつながっているのだろうと考える。この系列の動詞работаться, спаться, думатьсяなども同様である。
ついでにхотетьсяの特殊な用法について知らない人も多いと思うので書いておく。それは方向の副詞(куда, к кому) と共に使われた時は必ずпо-という接頭辞のある運動の動詞を用いるという事である。つまりМне хочется пойти в кино.(映画に行きたいのです)となり、そうでないкакに対応する場合はМне хочется идти пешком.(歩いていきたいのです)のようにидтиになるということである。またхотетьсяは直接補語を取ることもできる。補語に行き先が来た場合、例えばЕму хотелось домой.(彼は家に帰りたかった)やМне хотелось на воздух.(外に出たかった)という場合はхотеться = хотеть попасть куда-либо(行きたい)であり、具象名詞が来れば、Ей хотелось конфетку (сладкого, пива, чаю с вареньем)〔彼女はチョコ菓子(甘いもの、ビール、ジャムのついた紅茶)が食べたかった〕では、хотеться = хотеть использовать объект, съесть или выпить(ものを利用したい、食べたい、ないしは飲みたい)となり、具象名詞は対格か部分生格となる。補語が抽象名詞なら生格を取り、Актёрам хотелось большей свободы.(役者たちはもっと自由が欲しかった)〔большейはоに力点〕とかМне хочется мира в семье.(家庭の平和が欲しい)というようにхотеться = хотеть приобрести или иметь объект(ものを得たい、ないしは持ちたい)という意味になる。無論Хочу домой.(家に帰りたい)というのも可能である。
設問)(目の前にある神社の説明で)「この神社の創建は400年前です」をロシア語にせよ。
さとう先生
Этот синтоитский храм был основан четыреста лет назад.
よろしくおねがいいたします。
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このбылがよけいだと思います。私の回答と解説は、Этот синтоистский храм основан четыреста лет назад.
今回は被動形動詞過去短語尾の結果の現存(存続)という用法である。難しそうな用語だが、設問の和文を見れば分かるように観光案内や工場案内ではよく使う用法である。основанの前にбылとбытьの過去形を入れると、この神社は現存しない(あるいは名前が変わった、建て替えられた)というニュアンスになる。例えば、Этот буддиийский храм был завершён в 1605 г., но в 1818 г. сгорел, поражённый молнией.(この寺は1605年に完成したが、1818年落雷により焼失した)で、сгорелとあるから焼失した状態が今まで続いている(結果の存続)わけで、再建されていないことが分かる。観光案内や工場見学では目の前の寺・神社、工場・設備の説明をすることが多いが、そのときにбытьの過去形を入れてしまうと非常におかしいことになることは分かるだろう。
Завод основан в 1996 г.(工場は1996年設立である)〔今もある〕
Завод был основан в 1996 г.(工場は1996年に設立された)〔今はないか、名称が変更されたか、建て直された〕
しかし、ロシア語のガイドブックや、ロシア語で日本を紹介した本の歴史的建造物の由来などの説明などを読むと必ずしもそうではないことが分かる。日本の寺社の例を取ると、
Храм Кэнтёдзи был основан в 1253 г., в 1415 г. сгорел, потом горел ещё неоднократно.(建長寺は1253年創建、1415年に焼失し、その後も何度も焼けた)
Храм Цуругаока Хатимангу построен в 1063 г. предком Ёритомо – Ёриёси. Современные постройки датируются 1828 годом. (鶴岡八幡宮は1063年頼朝の祖先頼義によって建てられた。現今の建物は1828年のものである)
Здание Энгакудзи возведено в 1282 г.(円覚寺の建物は1282年に建造された)
Статуя (Великого Будды) была отлита в 1252 г.(〔鎌倉の〕大仏は1252年に鋳造された)
Серебряный павильон (Гинкакулзи) сооружён в 1483 г.(銀閣寺は1483年に建てられた)
Золотой павильон (Кинкакудзи) был потроен в 1397 г.(金閣寺は1397年に建てられた)
Кинкакудзи был восстановлен японскими мастерами в 1955 г.(金閣寺は日本の匠たちにより1955年再建された)
上記は京都や鎌倉の有名な寺社、大仏で現存しているものばかりである。鶴岡八幡宮は1828年再建されているのにбылがついていないし、鎌倉の大仏は奈良の大仏と違い、大仏を覆う大仏殿は14~15世紀に倒壊し再建されなかったとはいえ、御本体はそのままであるのに、былаがついている。金閣寺は1950年の放火で焼失したので、一見問題ないように見えるが、最後の文は再建されたものが現存しているのにもかかわらず、былがついている。これからは私見である。被動形動詞過去の短語尾は普通は完了体の他動詞の過去語幹から作られる。それとロシア語の完了体過去にはアオリスト(過去の目印である年号がつく文には通常完了体過去形が用いられるという意味で)と結果の現存という用法がある。そのため被動形過去の短語尾を使うときに、これらの用法が別々の形(アオリストや結果の現存という形)で現れるのではないかと思われる。アオリストのようにただ過去にそういうことがあったという認識だけで、結果の現存など特に意識しないのであれば、過去の年号がある以上、時制は過去だという認識との整合性からбылなどがつくし、話者が結果の現存ということに意識がいく場合(特に目の前にあるなどという場合)にはбылなどはつかないのだと思う。建長寺のように現存していても、創建当時の建物がсгорел(焼失した)など明らかに現存しないという文言があればбылなどがなければ変だと思うはずだし、逆に目の前にあるものを説明するときにбылなどをつけるというのはやはりおかしいと感じるはずだ。つまりбылなどの有無によって話者のその建物が現存するかどうかまで意識しているかどうかが分かるのだと思う。
円覚寺だって現存しているのは夢殿だけで、それ以外は建て直されている。былなどをつけるか、抜くべきか細かく考えれば面倒である。それに目の前にあるもの以外は、発話の時点で現存しているかどうかを調べるのも厄介であるという現実的理由で、一応былなどをつけておくということもあるだろう。しかしガイドや工場見学など現場で通訳する場合、現物が目の前にあれば、建て替えられたということが分かっている以外でбылなどをつけるのは難しいと思う。もしбылなどをつけたならすぐに「建て替えられた」、「名称が変わった」などの説明を補足する必要があると思う。こういう点は実際に通訳やガイドをしたことがないと分からないだろうと思う。
Этот синтоистский храм построили (построен) четыреста лет назад.
あとсоздан, основанとか。創建ってもしかして着手されたってことでしょうか?!
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正解です。400年前に着手されたことは確かですが、創建というのは、初めて建てることと広辞苑にはあります。つまり400年前に建てられた、建立されたということで、しかも目の前にあるのですから結果の現存ということになります。目の前になければ、あるいは本の説明で、現存しない場合や、現存するかどうか書き手が関心のない場合には、アオリスト的用法で書くことも可能です。そうなると過去の時制にして、построенの前にбылを入れることになります。построилиにすれば、結果の現存でもアオリスト的用法の二つの解釈が可能ですから、そのままでよいと思います。ただ害でオする場合は目の前にあるわけで、お答えのカッコの中のような現在の時制を使った被動形動詞過去短語尾を使うのが自然だと思います。通訳する場合、誤解がないように通訳すべきで、解釈があいまいになるような、ぼかすような通訳は、せざるを得ない場合もありますが、避けるべきです。