2016年12月04日
●和文露訳要覧第141回
出題)「卒業したら、私はそこで何かには、なれるだろうけど」をロシア語にせよ。
Хотя я мог бы быть кем-то тут, если я окончил бы.
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多分丁寧さを出そうとして仮定法過去を使っておられるのでしょうが、仮定法本来の実際とは違うというニュアンスが出てくるため、避けたほうがよかったと思います。тутも身振りを伴うのが普通で、тамで十分です。いずれにせよ、出題のポイントは正解されておられます。私の答えは、Когда закончу, смогу быть кем-то там.
この場合、-тоとなっているのは、話し手が何になるのかは頭の中で理解していると考えるのが自然だからです。出題のポイントは、ロシア語で、何かがだれかというように訳し分けする必要があるということです。
После окончания (школы), хотя там я мог бы стать чем-нибудь по должности.
宜しく御願い致します。
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今の世の中大学を出るのが普通だと思いますが。人がものに(それも何でもいいから、とにかく物に)なるというのでしょうか?
Возможно, что тут я
смогу быть при
какой-нибудь
должности в случае
окончания вуза.
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前の方がはるかによいですね。なんでもいいから役職につくというニュアンスで、これは違うでしょう。
Когда я закончу школу, там я смогу работать кем-то,
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惜しいですね。学校と決めつける必要はありません。そういうときは自動詞として、補語を取ればよいのです。
Когда окончу, хотя, я там кем-нибудь стану.
完遂でсвとしました。「なれるだろうけど」がうまく表現できたか?です。よろしくお願いします。
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хотя иのようにして、カンマを取るべきです。お答えだと、どんな職業にでもなれるとなりますが、そうではなくて、話し手は自分のなるだろう職業に何らかのはっきりしたイメージを持っていると考えるのが普通です。