2015年09月11日
●和文露訳指南第312回
私の話相手が自分の分をすごい食欲で平らげたその時に、「どぶねずみ」が自分の席から彼の方を、特に彼の丼の方に、がまんできないような、欲しくてたまらないような目つきを向けたのに私は気がついた。絶えず自分の頬の筋肉を神経質そうに動かしながら。今日の分のパン代を稼ぐことができずにいたから、「どぶねずみ」はきっと腹が減ってたまらなかったのだろう。
「食いたいのかい?」と、唐突に私は彼女に声をかけた。しかし、私の問いなど知らぬようだった。その問いが彼女に向けられたものとは思いもしなかったのだろう。
私はもう一度もっとはっきりと繰り返した。「どぶねずみ」はぴくっと体を動かして、ほんとにびっくりしたように、私の方を見た。
何も言わない。
同じ問いかけを三度繰り返す羽目になった。
「食うかって?」怪訝そうに彼女は言った。
「そうだよ。とても腹が減っているように見えたからね」
「食いたいからって、それがどうしたのさ」
出題)「寿司を食べたことのない人は(食の)楽しみを知らない」をロシア語にせよ。
Тот, кто не ел суши
не знает
удовольствие еды.
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抽象名詞ですから、否定の意味での補語はудовольствияと生格にした方がよいと思います。私の答えは、Тот не знает наслаждения, кто суши не едал.
едатьはесть(食べる)の多回体。過去時制において多回体の否定は、一度も~したことはないという動作の否定の強調となる。『和文露訳指南』3-1-9項参照。
Тот, кто ни разу не ел суси, то не наслаждался обеденным столом.
宜しく御願い致します。
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個人的には寿司は発音から見てсусиと書くべきだとは思うのですが、ロシアでは英語からの影響か、сушиと書くのが今では一般的のようです。それと食はお書きの正餐(の場)、昼食だけではないと思います。
Тот, кто не пробовал суси, не знает радость еды.
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抽象名詞ですからрадостиと生格にすべきです。
Тот кто не ел суши,не знает удовольствие от еды.
食べたことがないもしらないも動作の無で、нвとしました。よろしくお願いします。
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経験でしょうね。それとудовольствияと否定生格にすべきです。
Кто не ел суши, тот не знает радости есть.
よろしくお願いします。
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радостьは不定形を取らないと思います。