2015年02月02日

●和文露訳指南第174回

智さんが第19回でコーシカさん宛に2種類辞書を買ったことをお書きになっている。その中のУшаковは古い辞書だが、『窓別冊 ロシア語の辞書』(ナウカ、1980年)で東郷正延先生がこの辞書にはотвечатьに完了体的用法(完了体過去形のアオリスト的用法だと思われる)と記載あることを指摘され、стаканは「ものを飲むための円筒形の、取っ手のないガラス容器であり、бутылкаの約1/3が入る」とあって日本のコップよりは大きいことが具体的に分かるとして褒めておられる。このコップの量がうかがえるアネクドートとして、拙著『ロシアのジョーク集』に次のようなものがある。

На том свете встретились Брежнев с Андроповым. - Выпьем, Юра ! - Нет, Леня, подождём третьего. 
訳)あの世でブレジネフがアンドローポフと会いました。
「アンドローポフよ、飲もうぜ」
「ブレジネフ、だめだよ。三人目を待とうよ」

 ソ連末期酒不足の時に流行ったアネクドートで、オチはチェルニェンコの死を揶揄したものだが、そのほかにも読み取れるものがある。1本のウオッカを買う金のない人は酒屋の前で、見知らぬ人同士であっても後二人飲みたい人を集め、3人で1本買い、その場で隠し持っていたコップстаканで一気飲みして、名前も聞かずに分かれるのを常とした。なぜ3人かというと、ウオッカ1本は500 ccであり、それを3人で飲むと空になり、このことからウシャコーフの辞典にあるように、コップはビンの1/3の大きさであることが分かる。ロシア庶民のトリビア(雑学)に大いに関係していることが分かるアネクドート(小噺)である。以上蛇足ながら。

出題)酒を勧められての答えとして「運転がありますので」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2015年02月02日 07:40
コメント

(Нет, спасибо.) Я буду
за рулем.
------------------------------
文法的にはそうだといいたのですが、бытьの未来形は近接未来では使いにくいと思います。私の答えは、Я за рулём.
未来の時制の代わりに現在を用いる時制の転用で、なおかつ状態の動詞の動作の用法。現在の時制が用いられているのは、酒席に車で来て、帰りも車ということになるために、車を運転しているという意識が続いているせいかもしれない。

Posted by ブーチャン at 2015年02月02日 09:05

Нет спасибо, мне нужно вести машину.
切迫でнвとしました。よろしくお願いします。
-----------------------------------
これも切迫という用法で可能だとは思いますが、そういう文脈(けが人を運ぶとか)ならともかく、普通はこうは言わないでしょう。

Posted by やま at 2015年02月02日 21:12

У меня роль водителя.
Я буду водить машину.
Водителю надо быть трезвым.
---------------------------------------
意味は伝わると思います。

Posted by ゴ at 2015年02月02日 23:27

(お題)
運転がありますので
(コーシカ訳)
Нет, спасибо. Я еще должен вести машину.

切迫、義務の不完了体と考えます。
------------------------------
意味は通じると思います。

Posted by コーシカ at 2015年02月03日 00:04

Я за рулём.
現在形の予定の用法
---------------------------
正解です。ただ予定と言いきれるかどうかといったところです。
Я мигом.というのは近接未来の動作を示しているのであって、予定ではないことは明白です。

Posted by チジクピジク at 2015年02月03日 01:31

Я за рулём.

Ушаковの辞書には確かにстаканの容量がбутылкаの3分の1である旨の説明はあるのですが、отвечатьの完了体的用法についての記述はотвечатьの項にもответитьの項目にも見つかりませんでした。私の買った辞書の標題は"Большой толковый словарь русского языка"ですが、もしかすると別の版なのかもしれません。

それはともかくотвечатьには完了体的用法があるのですね。ロシア小説を読んでいると、例えば以下のように台詞の後に不完了体過去形отвечалが置かれることが多く、なぜ完了体ではなく不完了体が来るのかが分からなかったのですが、少しすっきりしました。
- Что, слепой? - сказал женский голос, - буря сильна; Янко не будет.
- Янко не боится бури, - отвечал тот.
---------------------
正解です。Ушаковの辞書は持っていないので、なんとも言えませんが、最新版のアカデミー版露露では、отвечать, аю, аешь, в знач. сов. - А, Федя! дома Хорь? - спросил его г-н Полутыкин. - Нет. Хорь в город уехал, отвечал парень.とトゥルゲーニェフの文章が載っており、отвечатьが完了体過去形(アオリスト的用法だと思います)であることを示しています。ご提示の文も同じ用法だと思います。

Posted by 智 at 2015年02月03日 03:57
コメントしてください