2015年01月12日

●和文露訳指南第153回

岩波露和辞典のмочьの項885ページにмочьとсмочьの過去の用法として、いくつか使い分けの例文が次のように載っている。

イ) Он смог перепечатать свой доклад.(彼は自分の報告をタイプで打つことができた)
ロ) Он мог перепечатать свой доклад.(彼は自分の報告をタイプで打つことができたはずだ(が打たなかった))
ハ) Как ты смог подняться на такую высоту?(君はどうしてこんな高い所へ上れたんだ(感嘆))
ニ) Как он мог обмануть меня!(彼はよくも私をだませたものだ(非難))

これらの例文は露文解釈には非常に役に立つのだろうが、和文露訳の観点から考えると、この説明だけではイ)、ロ)のグループとハ)、二)のグループの使い分けがよく分からない。そこで今回は短文出題の代わりに、мочьとсмочьの過去の用法の使い分けを、和文露訳に使えるよう、上記の例文の用法について、汎用性のある説明をしてほしい。『和文露訳指南』の用語を使ってもいいし、独自の用語でもよいが、その場合は定義を明確にすることが必要である。これまで体の使い分けについて、いろいろ考えを深めてきたみなさんなら、それほど難しい問題ではないだろう。ちなみに研究社露和辞典では、смочьの過去は「うまく...することができた (суметь)の意」とあるだけで、岩波のような区別は立てていない。

Posted by SATOH at 2015年01月12日 08:51
コメント

出題が出ません。教えて下さい。
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私の回答は次回本文を参照ください。

Posted by ゴ at 2015年01月12日 20:13

原則:完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする(『和文露訳指南』上、30-31頁)

イ)過去の具体的な出来事であって、その結果が発話時点に残っているため完了体過去смог
ロ)過去にそういう事実があったということだけを伝えるため、また行為が完了しておらず結果が現在に及んでいないために不完了体過去мог
ハ)「できた」という具体的な事実を強調したいため、完了体過去смог
ニ)話者は「よくも」を強調したいため、不完了体過去мог
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イ)は正解です。ロ)は近いのですが、完了しておらずではなく、完了しているかどうかが不明ということです。ハ)とイ)は同じことで、結果の存続です。ニ)は違います。ここまでできれば、体の本質は理解していると言っていいと思います。

Posted by コーシカ at 2015年01月12日 20:38

お題に対する説明を考えてみました。見ていただければ幸いです。

【мочьとсмочьの過去の用法の使い分け(後続の動詞が完了体の場合)】
1(1)後続の動詞が完了体である場合のмочьとсмочьの過去の用法の使い分けは、一般的には以下のような規則が当てはめられる。
мочьの過去の用法:後続の動詞が表す動作を完遂する潜在性を主体が過去の時点で有していたという状態を表す。
смочьの過去の用法:後続の動詞が表す動作を完遂する潜在性を主体が過去の時点で有しており、その潜在性を実現した、即ち動作を完遂したという事実を表す。
(2)上記用法はある程度明快だが、やはりこれだけでは和文露訳の際の指標とはなりづらい。そこで、上記用法を前提にしつつ、次に示す、より具体的な考え方がмочьとсмочьの過去の用法の使い分けの指標になりうる。その考え方とは、一般の動詞の不完了体と完了体の過去の用法の使い分けの考え方の一部である「結果存続×結果存続の無効」、「動作の完遂×動作の有無の確認」である。以下2で右考え方を4つの例文を用いて検討する。

2(1)まず、例文イとロでは、完了体смочьと不完了体мочьがそれぞれ結果存続、結果存続の無効を表すために用いられているといえる。具体的には、例文イはタイプすることが可能であり、その可能性を実現した結果、タイプされた報告書が現時点で存在するという結果の存続を表している。一方、ロの文はタイプすることが過去の何らかの時点で可能であったという事実のみが語られており、そのことと現在とのつながりは言及されていない。現在タイプされた報告書が存在したとすれば、それに言及しないのは不自然であることから、例文ロを自然に捉えれば、タイプはなされなかった、即ち可能性は実現されなかったという結果存続の無効が不完了体мочьにより暗に表されていると捉えられる。
(2)次に例文ハとニだが、完了体смочьと不完了体мочьがそれぞれ、動作の完遂、動作(もしくは意図)の有無の確認を表すために用いられているといえる。具体的には、例文ハの感嘆は高い所に上りきる潜在性の実現、即ち動作の完遂に関する感嘆である。その一方で例文二は、彼には私を騙すという行為を完遂する潜在性を有していた、即ち、彼は私を騙そうと試みたか、少なくともそうした意図を有していたことへの憤りが示されている。ここではその潜在性が実現されたか否か、即ちペテンが成功したかどうかという結果は重要ではない。結果として騙されなかったとしても、例えば友人が自分を騙そうと意図していたことを知ったら人間誰でも憤るだろう。即ち例文二では、一般の動詞の、動作の有無の確認を表す不完了体にきわめて似た用法で不完了体мочьが用いられているといえる。

3 以上のように、動詞完了体が後続する場合、мочьとсмочьの過去の用法の使い分けには、一般の動詞の不完了体と完了体の過去の用法の使い分けの考え方の一部をほぼそのまま用いることができ、和文露訳の際に過去の用法でмочьとсмочьのどちらを選んだら良いかわからなくなった場合には、「結果存続×結果存続の無効」、「動作の完遂×動作の有無の確認」という指標に立って考えることで、適切な選択が可能となると思われる。

4 なお、後続の動詞が不完了体の場合は上記の考え方をそのまま当てはめることはできず、別途の考察が必要となる(そもそもсмочьの後に動詞不完了体は置けないと考える)。
以上
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論旨明晰であり、正解です。それとсмочьにはアオリスト的用法があります。ただ後続の動詞が不完了体の場合でも、不定法の特殊性(不定形自体が過去を表現できないなど)はありますが、体の本質は同じだと私は思います。それと、смочьの後に不完了体不定形が続くことは少ないとは思いますが、次のような例(規則的反復)も可能だと思います。これはアオリスト的用法から派生した継続の例です。
С осени 1911 года он смог ходить в школу и окончил ее весною 1913 года.
 мочь/смочьは叙想語(話し手の主観を示す語)ですから、後に続く不定形は完了体が普通です。不完了体不定形が来るとしたら、上記のような規則的反復や、下記のような促し(着手)でしょう。不定法自体は命令法と用法が非常に似ています。

(試着室が空きました。試着なさって結構です)Примерочная освободилась, можете примерять.) <можете примерять = можете приступить к примерке>

Posted by 智 at 2015年01月13日 05:08

先の回答を下記に訂正させて下さい。

イ) 一回体でもある完了体のсмочьは行為の可能性そのものが焦点になる。従って、過去では行為の可能性があったことを表すのみになる。

ロ) 多回体でもある不完了体のмочьは行為の可能性がある状態が焦点になる。従って、過去では行為の可能性がある状態にあったことが強調されるが故に、「がしなかった」という反語的になる。

ハ) 疑問詞に文の焦点が移ることで、 смочьは行為に能力を付加するだけの一回体の助動詞の過去形になる。

ニ) 疑問詞に文の焦点が移ることで、 мочьは行為に能力を付加するだけの多回体の助動詞の過去形になり、反語的な用法は消える。

以上のように、イロとハニの違いは助動詞 + 動詞に文の焦点があるかないかでしょうか?

また、ロに近い英語のcould + 完了体は、過去の事柄に対する可能性を表し、a) 実際には行為が行われなかった場合と、b) 行われたかどうか不明の場合があると、江川泰一郎先生の英文法解説にありますが、ロシア語には b) の用法はありますでしょうか?
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мочь/смочьを特別に考えることはないのです。語義に可能性を持つ助動詞ですが、他の動詞と体の用法は同じです。文の焦点の有無だけでは、体の使い分けは無理だと思います。couldはмог быや смог быですが、仮定法過去と、英語同様、それ由来の丁寧語法があり、仮定法過去を未来の時制で用いると、条件法の未来の時制と意味が近くなり、ただ仮定法過去の方は可能性がより少ないというニュアンスになります。

Posted by チジクピジク at 2015年01月13日 05:43

мочьとсмочьの過去の用法の使い分けということで...。完了体смочьは個別具体的な出来事について可能であったの意。イ)は結果の存続、ハ)は完遂の強調。不完了体мочьは単に可能な状態であったの意。ロ)は可能な状態であったことを表わしているが、半面では完了体を使わなかったことで、その個別具体的な場面での行為が行われなかったことを表わしている。ニ)は、よくぞ騙したという具体的行為への評価ではなく、騙せる状態であった・(彼が)そのような性質を持っていたことへの評価となっているため不完了体を用いている。
よろしくお願いします。
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正解です。簡にして要を得るという言葉がありますが、まさにそれが当てはまります。

Posted by やま at 2015年01月13日 06:15
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