2014年10月29日

●和文露訳指南第82回

『和文露訳指南』5-1項の出だしに下記追記願う。

動作の全一性というのは完了体の特質とされるが、不完了体にも現れる場合がある。特に強く現れるのが次項で説明する命令法の促しや着手の用法である。完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージするのだが、不完了体におけるこの点は全体を一つの大きな点として見立てたものであり、不動の極小の一点ではない。完了体の動作の全一性には動作の結果を包含しているが、不完了体は動作の結果を意識しないから、全一的動作を提示ないしは示唆していることになる。いわば動作に主観性を与えず、聞き手にその動作を行うかどうかの選択の余地があることを示しており、この状況下ではこうするのが自然であると言っているに過ぎない。ただこの状況下での動作ということを強調すれば、義務や強制というニュアンスが出てくるが、これは何の色にでも染まる不完了体の特性であり、それは飽くまでも文脈に依るのである。

出題)「二部授業をせざるを得なかった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年10月29日 08:08
コメント

Приходилось вести занятия в две смены.
よろしくお願いします。
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構文的には正解ですが、お答えの不完了体過去形だと、「(しばしば)~せざるを得なかった(反復)」とか、「~せざるを得なかったことがある(動作の有無の確認、経験)」となりますが、これでは出題とは違うように思います。それとも何か別の意味で使っているのでしょうか?私の答えは、Пришлось занятия проводить в две смены.

Posted by 智 at 2014年10月29日 08:51

Мы вынуждены были
преподавать в две
смены.
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正解ですが、お使いの動詞から判断すると大学での講義ということになります。

Posted by ブーチャン at 2014年10月29日 15:04

Должно было принимать обучения в две смены.
一定期間の継続と考え、нвとしました。よろしくお願いします。
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принимать обучениеという語結合は知りませんが、あったとしても、生徒が学習するということですから違います。それとобучениеは複数にはならないと思います。

Posted by やま at 2014年10月29日 19:50

очередь系の単語かな、と思い、続和文解釈第81回を覗きに行きました。

(お題)
二部授業をせざるを得なかった
(コーシカ訳)
1) У нас не было выбора кроме обучения в две смены.
2) Мы были вынуждены обучать в две смены.

1) のбылоは…なんで中性?
主語がвыборではなく、選択肢がない状況そのものだから中性と考えます。
2) のвынужденыの後を不完了体にしているのは
・二部授業は教員の不足など慢性的な状況への対策のようですから
長期的な意味合いを出すために不完了体不定形
・完了体обучитьは不完了体обучать と完全には対応していないように思われたためです。
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обучениеは学習ということであって、具体的な授業の意味では使いません。1)は否定生格なので主語がなく、無人称文ということで動詞は単数中性を取ります。

Posted by コーシカ at 2014年10月29日 22:12

Мне пришлось вести уроки в вечерном курсе.
Мне пришлось поделять студентов своих уроков на две части.
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最初の文は夜間コースということですが、二部授業は午前と午後の部というのもあり得ますから、違います。学生を二つに分けてもクラスやグループが二つになるだけのことではないでしょうか?それと学生の他に生徒も考えないといけません。

Posted by ゴ at 2014年10月29日 23:26

Нам пришлось ввести двухсменные занятия.
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正解です。

Posted by じぇーにゃ at 2014年10月30日 00:10

Обучение (было) вынуждено в 2 смены.
文脈によってアオリスト的用法か結果の存続(быть動詞過去形か現在形の省略)
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обучениеは学習であって、具体的な授業ではありません。

Posted by チジクピジク at 2014年10月30日 05:16

「せざるを得ない」という状態が続いていたので不完了体を選んだのですが、違うのですね。прийтись/приходитьсяの体の選択は未だによくわかりません。
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「完了体のприйтисьの使用のほうがはるかに多く、不完了体のприходитьсяは反復、継続の動作、否定で用いられる」と『和文露訳指南』6-2-7項にも書きましたが、これは語義的に、不可避・必然を示しているために、具体的な1回の動作が多いからだと思われます。おっしゃっている状態が続いている(継続)というのは、授業の反復であって、せざるを得ないという動作ではないと思います。
 6-2-7項は「完了体のприйтисьの使用のほうがはるかに多く、不完了体のприходитьсяは反復、習慣、慣用、否定で用いられる」と訂正します。この場合の動作の継続は不定形の役割の一つであって、приходитьсяそのものとは関係ないと判断したからです。

Posted by 智 at 2014年10月31日 05:59

解説いただきありがとうございます。指南の該当箇所をもう一度読んでみます。
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習慣や慣用というのも反復の一種です。また授業をするという不定形に不完了体が来ているのは、反復と書きましたが、よく考えてみると、反復ないしは継続と考えた方がより適切だと思います。状態を示すには、пришлосьと完了体過去形を使った結果の存続を用いることが多いように思います。

Posted by 智 at 2014年10月31日 09:17
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