2014年10月26日
●和文露訳指南第79回
『木田元の最終講義 反哲学としての哲学』(木田元、角川ソフィア文庫、2008年)を読んだ。これまで読んだ木田先生の著作のまとめのようなものだが、弟子筋の村岡晋一中央大教授が書かれた解説が面白い。木田先生が、「本がちゃんと読めるようになれば人柄がよくなる」とおっしゃったのは、「原文をきちんと日本語に移しかえることができれば、その文章だけでなく、前後の文脈が一気に誰にでも理屈抜きにクリアになる」ということであり、「テキストの一文を自然な日本語にできなければ、結局その部分を理解できていないことがばれてしまう。その結果テキストの間では分からないことを分かったふりなどできなくなり、謙虚にならざるを得ないというわけである」というのが木田先生から学んだ教訓であるとある。「ちゃんと理解すれば、それにぴったりと当てはまる日本語の表現が見つかるはずだ」という木田先生の信念については、全く同感である。「哲学は本来難解なものだから、翻訳が分からないのは読者の無理解のせいだと言わんばかりのものが多かった」とか、「哲学とは人類普遍の英知とばかり教えられてきた」が、木田先生は、「日本で哲学と言っているのは西洋哲学のことであり、日本の哲学的翻訳のレベルを全く新しい次元にまで高められた」とあるのもうなづける。1972年から毎週月曜中央大学後楽園キャンパスにてドイツ哲学書の原書を読む読書会を主宰され、休むのは正月ぐらいだったとあるから、後進の指導にも熱心だったことがよく分かる。
木田先生は最初ハイデガーの『存在と時間』を読解するために、ドイツ語の他に、フランス語、英語、ラテン語、古典ギリシャ語も学ばれたと聞く。そうであればドイツ人の哲学を専攻した人と哲学についてドイツ語での会話でどのくらいわたりあえたのだろう?ロシア語から類推すればロシア語読解がかなりのレベルできても、会話のロシア語(和文露訳)ができるかは別問題であり、私がいた頃の大学でロシア文学専門の先生方は会話が得意の方は少なかった。これは当然のことで、和文露訳は和文露訳用の勉強をしないとうまくならないからである。これまでは初級文法を終えた後はおおむね例文の丸暗記だったが、和文露訳用に理詰めの、動詞の体を中心とした勉強を私は提案している。木田先生のように読解だけと割り切るにせよ、語彙を完璧に理解するためには原語の語彙を使いこなせなければ、読解の方も完璧な理解にはならないと思う。使ってみて初めて知る、その語彙のニュアンスや味わいというものがあるからである。動詞の体の用法を理解し、使いこなせなければ、ロシア語からの翻訳などとてもできるものではないと思う。翻訳や通訳を考える上での最初の通過点が体の理解とその使い分けであり、それができない人が翻訳や通訳をするというのはそら恐ろしい気がする。
出題)「何をした後に痛みが起こりますか?」をロシア語にせよ。
После какого поведения
у вас возникает боль ?
--------------------------------------
どのような振る舞い(挙動)の後というのは、意図的な動作、そうでない動作の総称であり、具体的な動作ではンく、行動様式ですから違います。考えすぎずに、もっとリラックスされるとよいと思います。例えば、О чём вы думакте?(何のことを考えていらっしゃるのですか?)などもヒントとなります。私の答えは、После чего возникает боль?
После чего вы сделали, почувствовали боль?
--------------------------
前置詞 + 疑問詞であるпосле чего(何の後)はいいのですが、お使いの用法は節(主語 + 述語)を結び付ける(接続する)ものですから、本来после того, какとなるはずです。после чегоというのは前置詞 + 関係代名詞であり、Он сделал небольшую паузу, после чего продолжал свой рассказ.(彼はちょっと間をおいて、その後自分の話を続けた)のように、前の文全体を受けるчто(『和文露訳指南』9-9項参照)の用法として使います。
もっと問題なのは体の用法を理解されていないことです。私が身近にいれば、レベルに従ってより分かりやすい説明ができるはずですが、こういう一方的に書いたものでしか説明できないのは隔靴掻痒といったところです。人を見て法を説けといいますが、悪い意味ではなく、その学習者の進度や興味の持ち具合に合わせた説明があるはずだと思います。あまり深く考えるたりすると、かえって簡単なことが見えないということもよくあります。完了体過去形の用法は、「(2014年3月12日午前7時35分24秒)私はつまづいて転び、痛かった」というように、動作が具体的な時間の一点で行われたということを示しており、()のような細かいところまで表現することは普通ありませんが、意味するところはそういうことです。一方不完了体は、具体的でもそうでない場合も表現できますが、具体的な動作を示すのは完了体が使えない場合、例えば現在の過程(現在進行形)などです。Он читает эту книгу.(彼はこの本を(今)読んでいるところです)。反復も不完了体が示しますが、それは不完了体の特質というよりは、完了体が示せないから代わりに示すということで、不完了体の表現できないのは、過去であれ、未来であれ、具体的な時の一点で動作が行われる場合(完了体が使われる)だけで、それ以外は表現できます。反復については次回の本文で説明します。出題は「何をした後で」ですから、答えとして考えられるのは、朝ご飯を食べた後、走った後など、繰り返し(反復)の動作であることは明らかです。そうであれば不完了体を使うべきです。多分「~した」という日本語の形式を過去の動作と理解されたのでしょうが、この「~した」というのは、確述(確言)という表現であり、動作の終了を示すのですが、反復も示せますし、未来の時制でも使えます。例えば、「今後ハワイに行ったら、お土産を買ってきてね」というのは、相対時制で、二つ動作があって、先にハワイに行くという動作があり、そのあとお土産を買うという動作の順序を示していますが、未来の時制であって、過去の時制ではないことは明らかです。日本語とロシア語は違うのですから、言葉面(づら)で判断するのではなく、頭の中でイメージすることを勧めます。
чувствовать/почувствоватьは『和文露訳指南』7-3項にもあるように、完全な体のペアとは言えません。Я почувствовал боль.というのは、結果の存続ではありますが、痛いという感覚が残っているのではなく、痛いという感覚の記憶が残っているという意味です。注射をされて、一瞬チクッと痛みが走るということであり、痛み自体はなくなっていますが、痛みの記憶は残っているということです。Я чувствую боль.(〔今も〕痛みを感じている)と比べてみると違いがよく分かります。
После какого действия у вас возникает боль?
------------------------------
после каких действийとした方が自然です。
По каком движении возникает боль?
規則的反復でнвとしました。よろしくお願いします。
-----------------------------------
по + 前置格 = сразу послеと同義ですが、書き言葉であり、会話では使いません。при каком движенииというのは、数学や物理学で使います。
Что вы сделаете, потом начинётся боль?
После какого движения тела у вас боль начинается?
--------------------------------------
最初の文は完了体未来形の順次的用法ですが、例示的用法ということであれば、仮に痛みが起こればということであり、出題は現に痛みがあり、それがいつ起こるのかを聞いているのです。二つ目は痛みだすとありますが、痛みも短時間に何度も繰り返すというものもあるはずですし、каких движенийの方が自然です。
(お題)
何をした後に痛みが起こりますか
(コーシカ訳)
После какой деятельности Вы чувствуете боль?
繰返しの不完了体現在です。
--------------------------------
деятельностьは何らかの分野での活動という意味の他に、自然の営み、内臓の働きなどの意味があります。деятельность = действие силы природы, работа оргнаизма, отдельный его органов。しかし、具体的な個々の動作ではありません。
После чего у вас возникает боль?
よろしくお願いします。
----------------------------
正解です。
После какого движения возникает боль?
反復(不完了体動詞現在形)
------------------------------
каких движенийのほうが自然です。