2014年10月10日
●和文露訳指南第63回
大岡昇平は好きな作家で『俘虜記』や『レイテ戦記』は、極限状態での人間同士の関わり合いを描き、興味深く読んだことは以前書いたことがある。ロシア語を勉強しているので、翻訳や通訳に絡んで日本語の文体論にも興味があり、大岡昇平の『現代小説作法』(大岡昇平全集第12回所載、中央公論社、1974年)を読んだ。その中でトゥルゲーネフの『猟人日記』の一節の訳である二葉亭四迷の『あひゞき』を、「コンマを読点、ピリウドを句点として、語の数も合うように移植したそうで、日本の言文一致の走りであるだけでなく、翻訳の手本を示したものです。文章としても、翻訳としても、その後これ以上のものは出ていないと言っても過言ではないほどの出来栄えです」と絶賛している。訳の日本語が素晴らしいというだけならともかく、ロシア語のできない大岡昇平がロシア語の翻訳について云々するのはまともな発想とは思えない。ロシア語と日本語は全く別の言語であり、それを二葉亭がしようと試みたように、「コンマを読点、ピリウドを句点として、語の数も合うように移植」というのは、たんに曲芸や職人芸の類であって、翻訳という芸術に対するものとは思えない。そういうのに感心しているのだから、日本の文士もまったく大したことがない。コンマもピリオドも同じようにするということを考えるよりは、いかに文意を正しく移し替え、耳への響きもよく、文体的に優れた訳をするかに心を砕くのが翻訳家としての本筋だろう。
木村毅の「小説研究十六講」(恒文社、1980年)は松本清張が小説家を志すに当たって重宝したというものだが、その中に偶然、中村白葉による『罪と罰』の翻訳が人物・性格・心理の例として1ページほど挙げられていた。試しに12行ある文の文末を見てみると、「~た」ばかりである。確かにこれでは機関銃のようで芸がない。露文は過去時制なのだろうが、完了形も不完了形も、быть動詞もあるようなのだからおかしいように思う。山本夏彦が「本来、血沸き肉踊る大河ドラマであるはずのロシアの大作を、無味乾燥で晦渋な文章にしたのは岩波お抱えの米川正夫以下の翻訳者が文法的に正しくありたいあまり、日本語のリズムを失ったからだ」と批判しているのも分かるような気がする。この山本がロシア語を知っているというのではなく、多分文末の調子などから判断したものだろう。日本語の歴史的現在、遂行動詞というのに思い至らずに、形式重視の形式主義の端緒となったのは二葉亭ではないのか?
出題)「知らないことを知っているふりをすることは恥だし、有害である」をロシア語にせよ。
Притвориться, что знал
даже незнакомые вещи -
это является не только
позором, но и вредностью.
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今回の出題の狙いは不定法の不適切という用法で、『和文露訳指南』6-1-8項参照。嫌気も不適切も、不完了体不定形の本質的用法である不必要につながると考えてよいわけです。出題が「知らないことを知っている」とあるのに、お答えにзналと過去形がなぜ出てくるのか理解できません。私の答えは、Стыдно и вредно притворяться, что знаешь, чего не знаешь.
この例文はトルストイのКруг чтения(読書の範囲)から採った。続和文解釈第139回にて作家オレーシャОлешаが、大文豪レフ・トルストイの文は文法的におかしいところがあると述べており、接続詞чтоの中にまたчтоを使ったり、関係代名詞которыйのある文の中にまたкоторыйを使うのは文章の規範外だというのだが、この文はчтоが接続詞で、чего = то, чегоという関係代名詞だから問題ないのかもしれない。
Если ты сделаешь вид, знаешь о чём-то, о котором действительно не знаешь, это стыдно и к тому же вредно.
最初は例示でсв、後の二つの動詞は状態で нвとしました。よろしくお願いします。
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主文が現在の時制で性質を表しているのに、従属文が完了体未来形というのはおかしいと思います。「知らないこと」という不定の事柄なのにчём-тоと特定に何かとすることも非論理的です。例示的用法は、完了体の用法ですから、具体的なことに対して、起こるかもしれないし、起こらないかもしれないという用法です。主文をэто будет とすれば可能かもしれません。
酢豆腐、ちりとてちん
にならないよう、練習と検証の機会をいただけるのはありがたい限りです。
(お題)
知らないことを知っているふりをすることは恥だし、有害である
(コーシカ訳)
Бесстыдством и вредом является притворяться сведущим в том,
о чем на самом деле не знает.
является 性質、状態の不完了体現在
притворяться 行為そのもの、習慣や性質の不完了体不定形
знает 状態、性質の不完了体現在
とそれぞれ考えます。
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体の用法はいいのですが、притворяться, чтоとした方が自然です。
Делать вид, будто знаешь то, что на самом деле не знаешь - не только стыдно, а и вредно.
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正解です。
Делать вид знающим несмотря на незнание, стыдно и вредно.
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体の用法はいいのですが、делать вид, чтоと複文にした方が自然です。
1) Стыдно и плохо что ты делаешь вид, что знаешь то, чего не знаешь.
2) Стыдно и плохо что ты притворяешься, будто знаешь то, что не знаешь.
状態(不完了体動詞現在形)
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чтоとは接続しないので、不定法にすべきです。