2014年09月13日

●和文露訳指南第36回

ロシア語を学ぶのは、ロシア人と会話したいとか、ロシアに行ってみたい、ロシアについていろいろ知りたいというためなのだろうが、そういうある意味直接的、実利的なことではなく、茶道、日本舞踊、生け花、空手道(スポーツや格闘技ではない)、座禅のように、お稽古事(習いごと)感覚で、ロシアやロシア人を知ること、特に庶民の文化を知ることを趣味や生きがいにしてはどうだろう?私の上の世代である団塊の世代は、退職の時期を迎え、生活の方はそこそこなんとかなるが、毎日することがない、趣味や生きがいがないのが悩みだという声も聞く。若いころにロシアやロシア語と関わりがあったとか、今までロシアとは何のか関わりもなかったが、ボケ防止や余生の一つの生き方としてロシア語を学んでみたいという人がいれば、お手伝いできると思うのでこのコーナーか私のサイト「ランポポー」のメール欄に希望を寄せていただければありがたい。ロシアの庶民文化を知るためにアネクドートを通じてロシア語を教えてみたいと考えている。言葉と文化は切り離せないわけで、ロシア人を真に理解するために、一番分かりやすいのがアネクドートであると確信しているからである。年配の人でなくても、若者向けのロシア語の雑誌を、チェーホフやドストエフスキー、トルストイを原語で読みたいとか、会話における生きたロシア語を勉強してみたいという方でも大歓迎である。体面授業が望ましいが、やったことはないがスカイプを使って遠方の方と授業をトライしてもよい。

出題)「きっと、うちのペーチャが学校で何かしでかしたのよ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年09月13日 07:39
コメント

Я полагаю, что наверняка наш Петя
сделал чего-то плохого
в школе.
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-тоを使っておられるのはおかしいと思います。この出題のヒントはнаверное(きっと)である。これはほぼ間違いないという意味だが、100%確かではないという事を意味する。つまり明らかになるのはこれからだというニュアンスがあるため、что-тоは使えないと思う。что-тоというのは窓ガラスを割るとか、悪戯をするとかという、詳細はともかく何かということが話し手にとって、具体的ではっきりしている場合である。この場合話し手は、その何かが発話の時点ではっきりとは分かっていない。
что-тоは「何か詳しいことは分からない(言いたくない)が、具体的で明らかな事」であり、что-нибудьは「抽象的で、これから明らかになること、明らかにする(なる)可能性があること」という違いがある。私の答えは、Наверное, наш Петя что-нибудь в школе натворил.

Posted by ブーチャン at 2014年09月13日 08:42

Наверняка,наш Петя сделал что-то неправильно в школе!
よろしくお願いします。
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что-тоではおかしいと思います。

Posted by ぶんち at 2014年09月13日 11:01

Наверняка, Петя наш совершил что-то шалость в школе!
完遂とみてСВにしました。よろしくお願いします。
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что-тоは使えないと思います。

Posted by やま at 2014年09月13日 11:48

Наверное, наш Петя в школе что-то наделал.
よろしくお願いします。
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что-тоはおかしいと思います。

Posted by 智 at 2014年09月13日 17:48

Наверное, мой Петя что-то наделал в школе.
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что-тоはおかしいと思います。

Posted by じぇーにゃ at 2014年09月13日 19:34

Боюсь, наш петя сделал что-то плохое в школе.

気にするは状態で不完了体、しでかすは危惧で完了体を選びました。
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что-то, что-нибудьの使い分けができていないようです。『和文露訳指南』10-13項参照。что-тоはうまく説明できないが(詳細がよく分からないか、あるいはしたくないかはともかく)、話し手にとってはっきりとしていることであり、что-либоは発話の時点ではよく分からない(あるかどうかも含めて、よく説明できない)こと、漠然としたことを指します。

Таня, что-нибудь случилось?(ターニャ、何かあったのかい?)
Он обладал одной особенностью: с ним постоянно что-нибудь случалось.(彼にある特徴があった。常に何かが彼の身に起こるのだった)

Posted by はりねずみ at 2014年09月13日 21:41

Я уверена в том, что наш Петя в школе сделал что-то плохое. (создал какую-то проблему)
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お答えのようにуверен(確信している)を使えば、曖昧さがまったくなくなるのでчто-тоが使えるかもしれません。что-тоというのは口には出さないが、話し手にとってイメージ的に明確である(悪戯をする、いじめる、窓ガラスを割る)ということで、何か良くないことという抽象的な、ぼんやりした、曖昧なニュアンスではないのです。

Posted by ゴ at 2014年09月13日 23:17

拙ブログへのコメントありがとうございました。
おかげさまで手抜きしておりました分をきちんと調べて書き直すことができました。

(お題)
きっと、うちのペーチャが学校で何かしでかしたのよ
(コーシカ訳)
Наша Петя, скорее всего, должен был допустить что-то (ужасное) в школе.

アオリストの完了体不定形です。
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что-тоではまずいと思います。

Posted by コーシカ at 2014年09月14日 00:07

このブログおよびロシアンぴろしき本家(はマズいかな…)に
バナーを貼られて、常に上なり横に表示というのも分かりやすくて良いかも知れませんよ。

NHKのラジオ講座のテキストのおたよりコーナーもシニア世代からのものが目立ちます。
さとうさん方での教室も需要は必ずあると感じます。

NHKのおたよりといえば
不思議と20~40代のコメントが無いのです。
不精なのか、ラジオなど使わず勉強しておるのか、おたより出す暇も元気もないのか…

60の手習いでロシア語に入られた方は既習者が絶句するようなことをなさるはずです。
でもそこをどう繋いでゆくかは乗り越え甲斐のある問題だと、自分の体験からも思います
(この1月から60~80代のご婦人がタブレットを操作されるお手伝いをしておりますもので)。
同年代以上の生徒さんが見つかると良いですね!

Posted by コーシカ at 2014年09月14日 00:34

Наверняка, наш Петя в школе натворил что-нибудь.
アオリスト的用法(完了体動詞過去形)
節単位(натворил что-нибудь)でもレーマになりえますか?
что-тоの可能性も考えましたが、МАСの例文を比較してчто-нибудьにしました。
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正解です。節というのは主語と述部から成っているので、おっしゃるのは述部という意味だろうと思います。述部でもレーマになると思いますし、この場合は動詞に文の焦点が来ています。なにかというのは新規の情報とは思えません。ところでМАСというのはアカデミー版4巻本の露露のことですか?

Posted by チジクピジク at 2014年09月14日 02:07

что-нибудьでしたか!設問には息子達の小学校からの電話ヒンピンを思い出した次第です。
ところで「何か違うな」は"Что-то не так."しか知りませんが、これは「話し手にとってはっきりしたこと」という解釈なのでしょうか。「何だか違うような気がするんだがなぁ」といったニュアンスであれば "Что-нибудь не так."となりますか。あるいはそんな発想自体ロシア的ではないでしょうか。お教えくだされば幸いです。
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Что-то не так.(何かが違う)のчто-тоはすでに確定されている(起こっている)何かです。一方、
Боюсь сделать что-нибудь не так.(何か変なことをしなければいいのだが)のчто-нибудьはこれからのことで、未定の何かです。一般的に起こったことは、確定しているととらえることが多いので、-тоが出やすいということは言えますが、そういうことではなく、話し手にとってイメージの中で具体的かどうかということだと思います。抽象的、曖昧に感じれば-нибудьが来ますが、не такを使っての文では、この二つしか思いつきませんでした。語結合によると言えるのかもしれません。ただ出題のвероятно = по-видимоу(多分может бытьよりは強いとは言うものの、確信というのではなく、若干曖昧さが残る表現です)であり、上の例文のБоюсьは懸念(これから起こるかどうかは分からないがという)を示す表現であり、боюсь сказать = не знаю, не могу сказать точноでも分かるように断定を避けています。このような曖昧さが-нибудьとつながると考えてよいと思います。
 最近は管理人さんのおかげでスパムもほとんどなくなってきていますので、二度同じものを投稿される必要はないと思います。

Posted by ぶんち at 2014年09月14日 12:14

お返事を頂きましてありがとうございます。改めて言葉というものは人の認識ー意識によって語られるものだと目からウロコ(ポロリまでの厚みにはまだまだ)、です。
スパムが随分と減ったとのこと、投稿者としては全くほっとしております。正しくはほっとすることしか出来ないわけです・・・深謝。

Posted by ぶんち at 2014年09月14日 23:08

出題文において、発話者は決めつけている=はっきりしたイメージを持つと捉えました。
・ペーチャには(彼女にとっての)前科が(彼女にとっては十分)あり
・そのいづれかを思い浮かべての発言(候補は複数あるがイメージは明確)
・実際に何をやらかしたかは早晩明らかになる(=一つに絞り込める)ため、
 今は「きっと」と幅を持たせた言い方をしている
と判断し、-нибудьではなく敢えて-тоを選択しました。
-нибудьでは「何かあったのかしら」程度の弱い、推量程度にしかならない
発話者をひいき目に見ても
「うちのペーチャにも3分くらいの理はあるかもしれないけれど、十中八九ペーチャが悪い」
という意識の下での発言と考えたためです。

ところで
Наверное, наш Петя какое-нибудь в школе натворил.
ではどういう意味の違いが出るのでしょうか。あまり意味が変わらないような気がしました。
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十中八九というのは、確実に意識の上で明確ではないという曖昧さがあるために、-нибудьを使うのだというのが私の考えです。「何をやらかしのかは早晩明らかになる」というのは、その時点で「曖昧だ」というこどですから、これも-нибудьを使う理由の一つです。「よくないことの候補がいくつかある」というのは、-тоを使うほどには明確ではないということになります。明確なイメージは一つと考えた方がよいでしょう。
какой-нилудьというのは不定代名詞の形容詞的用法ですから修飾される名詞が必要です。中性形にして省略しているのだとおっしゃるのであれば、что-нибудьがあるのに、なぜ省略したものを使わなければならないのかという疑問が起きます。

Posted by コーシカ at 2014年09月15日 00:11

失礼いたしました。
ご理解の通りです。ウェブ版の方ですが。

Posted by チジクピジク at 2014年09月15日 04:42

ご説明ありがとうございました。

復習のために:
この問題に対処するためには何か新たな取り組み方が求められる。
Для того, чтобы справиться с этим делом,
требуется какие-нибудь новые подходы.
(話し手にとっても「新たな取り組み方」がはっきりしない)

机の上に1枚メモがあるのを目にしたが、それには1編の詩のようなものが書いてあった。
Я увидел на столе записку с каким-то стихом.
(何か書かれたメモがくっきり浮かんではいるものの、内容をどう表現したらよいか困っている)
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стихを単数で使うことはないと思います。

Posted by コーシカ at 2014年09月15日 22:33
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