2014年08月14日

●和文露訳指南第9回

自分は学校でロシア語を教えているわけではないので、このコーナーで唯一体の用法について他の学習者がどのようにとらえているのか、その一端を知ることができる。これは感謝しても感謝しきれない。かといって大学の先生はと言えば、第二外国語でロシア語を選択した学生のみならず、ロシア語の専攻の学生にでさえ、いかにロシア語の授業に興味を持たせるか、授業に集中させるかに心を砕き、そのほうが大変だという話である。語学は、特に入門過程では丸暗記の連続なのだからというような、学生の方にも言い分はあるだろう。確かにこれでは大学の勉強とは言えない。ロシア語は文字は読めなければいけないし、代表的な名詞の格変化や動詞の活用を丸暗記せざるをえないというのは事実である。しかし、丸暗記するのはそれらのいくつかであって、初級の段階で何十も何百も丸暗記する必要はない。いくつか覚えれば応用して芋づる式に覚えられるのである。そういうコツを教えるのが先生の役割のはずだ。一般的に大学生以降の大人の勉強というのは頭を使うことであって、一つ覚えたことをいかに応用するか、応用するための基礎を自分が納得するまで突き詰めて考えるということだと思う。最初に覚える名詞だって、学校школаよりは車машинаを、学生студентよりтелефонを覚えた方が日常生活では必要な単語である。このように現代社会で頻度の高い単語や動詞を優先的に覚えさせ、それで作文を作らせるようにすればよいと思う。それを使ってロシアのメル友とやり取りするようにすれば、ロシア語の興味はすぐ湧いてくると思う。こういうメール用の作文の指導ができる先生がいないというのが問題なのだろう。

 このコーナーに投稿するような人はモチベーションが高い人ばかりである。さもなければタダとは言っても、自分の貴重な時間を割くような投稿者はいないはずだ。腕試しか、面白いか、役に立つと考えるから投稿するのだろう。だから私は興味を持たせるとかというようなことを特にしなくてもいいし、数は少なくとも、自分のロシア語力を向上させたいというやる気のある人ばかりが相手である。そういう面ではロシア語だけに集中できるのだから、学校の先生の授業よりははるかに楽だし、得るものも多いと思う。学校の先生は給料をもらっている分雑用も多いのだろうから、ロシア語だけに集中できないということはあるのだろう。

出題)「深淵を見て、ある人は死を思い、ある人はどうやって橋を懸けるかを考える」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年08月14日 07:41
コメント

Видя бездну, одни
думают о смерти, а
другие думают, как
вешать мосты через нее.
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повесить/вешать мостという言い方があるとすれば、橋ではなく車軸axleだと思います。私の答えは、Глядя на пропасть, один человек думает о смерти, а другой - о том, как построить мост.
Мейерходьдの言葉。
навести мостは渡河の時に工兵が臨時に橋をかけるときなどに使うか、あるいは比喩的に(心の)橋をかけるなどという時に使う。

Posted by ブーチャン at 2014年08月14日 10:23

При виде бездны, один думает о смерти, а другой - "Как перебросить через нее мост?"

"-"でくくった文にしましたがこう言う訳し方=とらえ方はそもそもどうなんでしょうか。
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" "で閉じるというのは直接話法ということですが、そのためには会話体(つまり二人以上の間での会話のやり取り)で、「言った」などの述語が必要です。この場合は間接話法のまま、つまり引用符と疑問符を取った方がよいと思います。それを除けば(о томをつけて)正解です。

Posted by ぶんち at 2014年08月14日 11:32

Увидев пропасть, кто-то станет мыслить о смерти, а кто-то - о том, как перебросить мост.
よろしくお願いします。
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кто-то... кто-тоという表現は知りません。ある人は~ある人はというのは、один... другой..を使うのが普通です。完了体副動詞を使うと、動作が完了して、文脈によって、原因、条件、付帯的状況、譲歩を意味することになります。つまり「見ながら考えた」のではなく、見てから考えたということになります。стать мыслить = будет думатьですが、出題は未来の事柄ではなく、現在の時制です。それと不完了体は周りの雰囲気や文脈からそうなるということですが、ちょっと無理があるように思います。

Posted by tomm at 2014年08月14日 18:23

Глядя в бездну, одни думают о смерти, а другие соображают, как через её построить мост.
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один...другойと単数の方がよいと思います。другиеは残りの人々という意味があるので、二つの考えしかないと取られる恐れがあると思います。соображать = постигать умом; обдумывать, взвешиватьという意味であり、ただ考えるのではなく、奥義を極めるとか、考量する(正しい決定などをするために)ですから、取るべきです。глядеть в + 対格というのは一点を見つめるということで、Розенталь先生は、глядеть в небо(空間の一点に視線を向ける)とглядеть на небо(空間全体に視線を向ける)と説明なさっています。Справочник по русскому языку Практическая стилистика, ОНИКС, 2008は改訂版で、ロシア語文法の細部についてよく解説されています。ご興味あればどうぞ。

Posted by Женя at 2014年08月14日 20:23

Посмотрев омут, одни размыслят о смерти, другие задумаются, как построить мост через него.
例示かな…совにしました。私は外大とかではなく、行けたらどんなにか勉強するのになあとか思います。
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посмотретьは意識して視線を向けるであり、омут = глубокая яма на дне реки, озераなので、川や湖の深みといったところでしょうか。один..другойとしたほうがよいでしょう。理由は説明済みです。出題は仮にではなく、一般的にという意味なので不完了体現在形を使うべきです。
 私の同期でも外大でも単位だけ勉強して、銀行などに就職した人が結構いて、ロシア語関係の仕事に就いた人は1/4ぐらいだったと思いますし、ロシア語がしたくて、入った人もいましたが、半分は志望校に入れず、やむなくといった人も結構いたようです。本当にロシア語を勉強したい人が入れない可能性があるというのは、他の大学の他の学部にも言えることで、その分別は今のところ不可能です。ただ勉強というのは一生のものであり、意志あるところに道は開けるWhere there is a will there is a way. Было бы желание, а возможность найдётся; где хотение, там и умение.とか、尋ねよ、さらば見出さんИщите и обрящете.といいますから。
 それと外大でゴさんの考えているような授業が受けられるかどうかは疑問です。基本的に勉強というのは自分でするものであり、私のいた頃の外大の授業でも丸暗記中心で、外大で会話にはそれほど力を入れていないというか、入れていても学生が応えていないという感じでした。私も会話は仲間と共に自分で金を出して、1週間に1回ロシア人の先生に習っていました。今の外大で動詞の体について詳しく教えているのか知りませんが、私の頃は体の研究も進んでいなかったこともあり、完了体は完了を、不完了体は反復、過程、一般的事柄といったぐらいでした。外大に行かなくても、参考書はたくさんありますし、勉強の道筋さえ間違わなければ、一生楽しく、生きがいとしてロシア語が味わえます。参考書やロシア語の疑問についてはお手伝いができることもあるでしょう。

Posted by ゴ at 2014年08月14日 22:56

(お題)
深淵を見て、ある人は死を思い、ある人はどうやって橋を懸けるかを考える
(コーシカ訳)
1) Когда увидит глубину, один вспомнит о смерти,
другой подумает, как над ней построить мост.
2) Когда увидит глубину, у одного в голову придет смерти,
другой постарается придумать способы возведения моста над ней.
3) Когда встретит глубину, один подумает о смерти.
А другой будет искать методов постройки моста над ней.

1) 例示的用法の完了体が続くと考えます。
2) 文法事項は1) に揃え、постаратьсяで努力を開始する、の意味で使ってみました。
3) 探すの完了体が無いので2文に分けました。
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完了体が続くと順次的用法となるので、動作が次々に行われたという印象を持ちます。この出題は一般的にこうだというので不完了体現在形を使います。橋をかけるというのは、日本語では川の上でしょうが、ロシア語では川を越えてとなります。2)придёт смертьのはすですし、従属文の動作主がуで示されているのに、主文は主語となっていて、まとまりがない感じです。3)は無理に動詞を探さずに、前のを省略して使えばよいのです。

Posted by Anonymous at 2014年08月15日 00:26

Увидев глубокий омут,
один человек подумает
в смерти, другой
подумает как построиь
мост.
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построитьのタイプミスがあります。完了体未来形が続くので、順次的用法というニュアンスが出てきて、動作がぱっぱっと続く感じです。омутについてはすでに述べました。подумаетが続いていますが、こういう場合ロシア語では、次の動詞を省略します。それとдумать о + 前置格です。

Posted by チョンチン at 2014年08月15日 01:25

Посмотрев в бездну, один задумывается о смерти, другой задумывается как построить мост.
посмотрев : 結果の存続(完了体動詞過去形)
задумывается : 過程(不完了体動詞現在形)
построить : 完遂的用法(完了体動詞未来形)
「どうやって橋を懸けるか」は不完了体にすると懸ける方法が焦点になりますが、この場合は一般的に動作の達成をイメージしていると考えて完了体。例えば「設計者たちはどうやって橋を懸けるか議論した」の場合は不完了体になると考えます。
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この場合は副動詞は不完了体、完了体共に使えます。見ながらか、見たその結果かという違いはありますが。個人的には不完了体副動詞の方が、現場で深淵を見ながら考えたとなり、その方がふさわしいかなと感じます。посмотретьは意識して視線を向けたということなので、それよりも見えたвидетьを使ったほうがよいと思います。задумываетсяが繰り返されるので、くどい感じがします。二つ目のは省くべきです。ロシア語は繰り返しを嫌いますから。深淵があって、それに橋をかけるというのは、具体的な1回の動作(一般的に橋をかける方法を聞いているわけではないので)ですから完了体不定形が来ます。つまり深淵自体は英語で言う不定冠詞で来ていますが、そのあと橋をかけるとなるとその深淵に橋をかけると定冠詞となり、そこから具体性を帯びると考え、完了体不定形が来ます。

Posted by chijikpijik at 2014年08月15日 05:39

あ、無名で投稿してしもた…

なるほど、動詞を省略してしまえたんですね~

мост над чемは一応ヤンデックスで検索して
мост над бездной
мост над темными заливами
などの用例があったので使ってみました。
理由はглубинаが活動体とは思えず、через онаとなってしまうのを避けるためです。
…とここまで書いて、人称代名詞の対格に活動不活動の別はないんかも、
と文法書を確認しましたら
やっぱり!人称代名詞の対格は生格と同形やったんですね
(城田俊『現代ロシア語文法』東洋書店、年、199頁)。
ほなглубинаの置き換えもнееで良かったんやんか…
とんでもなく初歩が抜け落ちてましたが、おかげさまで1カ所埋めることができました。

Posted by コーシカ at 2014年08月15日 23:33

昨日の投稿のバックアップを失ってしまったので体についてだけ再投稿させて頂きます。
見るは先立つ行為と考えて完了体過去形を、
考える、思うは例示的用法で完了体未来系
橋を懸けるは動作の名指しと考えて不完了体不定形を選びました。


解答拝見しました。
もし〜したら〜するではなく、一般的には〜と考えるのですね。

ところで、考えるという動詞についてふと疑問が湧いたのですが

何か場違いな行為をした人を非難する時等に
「お前、何を考えているんだ!」
という様な表現をしますが、
この場合の考えるは露訳する時はどの様にすれば良いのでしょうか。

この場合、話し手の指している「考える」が起こったのは場違いな行為に至る原因となる事を考えた時で、話し手の発話時に聞き手が考えているとは思えないので時制としては過去な気がします。

一度場違いな行為に至るような考えをし、それをずっと考えている訳ではないが、撤回はしていないという事で結果の存続で完了体過去形なのかとも考えたのですが、それだと「何を考えたんだ!」になってしまいそうですし…

歴史的現在はどうなのか等考えたのですが色々考えているうちに訳が分からなくなってきました。

ご教示頂ければ幸いです。
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例示的用法というのは完了体ということですから、主観的ニュアンスが強い、つまりある意味一人よがりなわけです。ある人は~ある人は~というのは、そういう意味では色々な見解を紹介しているという意味で、その文だけ見れば、決めつけていないわけで、主観的とは言えないわけです。
 「おまえ、何を考えているんだ」はいろいろに解釈できますが、

К чему ты рассчитываешь? (どういう計算〔腹積もり〕でいるのだ?)
К чему ты гнёшь? (何を言いたい、どういう風に話を持って行きたいのか?)
Не думай глупостей. (馬鹿なことを考えるな)
= Ну дури. = Не дурачьте.
 多分人を非難しているわけですから、馬鹿なことを考えるなという動作の否定で訳すのが自然だと思います。

Posted by はりねずみ at 2014年08月16日 00:58
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