2010年11月17日
●日本の心 第14回
(65) 「明治精神史」(2巻)、色川大吉、岩波現代文庫、2008年
1968年の増補版による。民衆精神史の草分けとされ、蘇峰や北村透谷などや自由民権運動を軸にその民衆精神史を叙述している。本書の文体は、通常漢字とするような語彙(、ふかい、つくる、かれ、しめす、いみ、たいほ、とつぜん)を平仮名で示しているのは、漢字が続くと生硬な文体になるのを避けるためか。1885年の朝鮮革命計画である大阪事件は、軍用金調達のための強盗であり、ロシアのエクスに先行するものと思われる。これに北村透谷は誘われたが断ったという。読後の感想として、本書は第一部と第二部で止めておけばよかったのと思う。第三部の「歴史家の宿命について」は本書のテーマと関係ないし、「明治文化史の構想について」は本書のテーマに関係ありといえども他の著者の書評ではないか。随分チェルヌィシェフスキーを持ちあげているようだが、彼の著作は「何を為すべきか」であって、「我々が何を為すべきか」ではない。これも社会主義の美化というか理想化というか、内容の構成も薄弱で、小説と呼べるものではない。この書が決してレーニンたちに道を準備したというものではない。そう聞いたらレーニンがびっくりするだろう。本書を著者がいうほど「理解しにくいとは思わない」、ただ書名の明治思想史というのは大げさであろう。明治の一部の時代(明治20年代)を取り扱ったものであり、ほめるとすれば、富豪民権家に光を当てたという事である。題名は「豪農民権家の思想」とでもした方が読者に変な予断を持たせなくてよい。
(66) 「明治の文化」、色川大吉、岩波現代文庫、2007年
1970年初出。1884年の秩父事件の評価など民衆(文字の読み書きできるクラス)の側から見た近代史の一章。本書を「明治の文化」と題するのには違和感がある。明治の精神の一断面を描いたにすぎないからであるが、こういう視点で書いたものは他にないと思われるので挙げておく。明治時代に「農民が自分の村の村人に対しては、どんなに窮迫しても憐みを乞うたり、さげすまれたりすることを身を切られるよりも辛いとする観念」というのは、現代のワーキング・プアの心理と共通するものがあると感じた。著者の責任ではないと思うが、チェーホフの「6号室」は、「第6病棟」が正しいので念のため。
(67) *「職工事情」(3巻)、犬丸義一校訂、岩波文庫、1998年
1900年ごろの工場労働事情の実態調査報告書。1903年農商務省商工局に依る。工場調査掛長は窪田静太郎(1865~1946)で、友人の経済学者桑田熊蔵(1868~1932)が手伝った。戦前は禁書であり、初出は1947年。山川菊栄が大震災のころ知合いの役人から特別に本書を見せてもらったと自伝に書いてある。上巻中巻は職種別の労働時間、住居・食事、賃金、衛生、雇用、休日、徒弟制度、風紀など概説しており、端に調査だけではなく、その害や改善策について区々論じている。白眉は下巻で虐待の実情、女工や職工からの聞き取り調査がそのまま取られている。女工は寮が主だが逃亡を恐れてほとんど外出させないか、制限があり、タコ部屋同然であったことが分かる。7、8歳の幼児労働も雇用者としては別に望んでおらず、母親が子供を預ける先がないためだったというのは知らなかった。貧民の相長屋の者ども情誼というものは普通人民よりは一層強きが如く感ぜられるなどという印象も書かれている。当時の庶民の生活を知るには必須の書と言える。当時女性に文盲が多く、爪印を用いたとある。これは江戸時代、印判を持たない女性などが印章の代わりに押したもので、拇印と違い、爪印は指先に印肉や墨をつけて爪先を円弧の形に押したもので、拇印のように指の腹は使わない。指は親指で、男は左、女は右の親指を用いることになっていたという。幕末ポンぺが日本では眼病が多いゆえに盲目になる人が多いと書いたが、その状況は織物工場などで劣悪な労働条件のもとで一層ひどくなり、トラコーマなどは流行っていたが、それに対して雇用者側も何もしなかったことが分かる。工場で給される食事が栄養不足(南京米中心のご飯と塩汁のようなみそ汁と香のものだけという場合もあった)のため盲目になった女性も多い。女工は騙されて連れてこられるものが多く、14歳ごろから工場に出るために、料理や裁縫が出来ないものが多く、すれていて嫁の貰い手がなかったようである。また風紀も悪く、工場主としても逃亡を考えないのであればそれを歓迎する風さえあったという。風紀が悪いのは相手もあるわけで、寄る辺なき寂しさを考えれば哀れでもある。勉強の機会を与えても、少ない場合で11時間労働であり、昼夜勤が交互に来るため、眠くて勉強する気になれなかったようである。