2010年10月24日

●日本の心 第11回

(50) 「明治風物詩」、柴田宵曲、ちくま文芸文庫、2007年
 柴田宵曲(1897~1966)の明治に関する小百科。他に「明治の話題」、ちくま文芸文庫、2006年がある。

(51) 「明治のおもかげ」、鴬亭金升、岩波文庫、2000年
 金升(1868~1954)は団々新聞を振り出しに半世紀を新聞記者として過ごした。明治の東京のおもかげを淡々と語っている。左団次の自伝によれば金升の雑俳の運座で17歳ころ二世市川左団次が小山内薫と知り合ったとあり、後の自由劇場の発端である。まさに縁は異なもの乙なものである。

(52) 「明治人物夜話」、森銑三、岩波文庫、2001年
 森銑三(1895~1985)。円朝の話が特に面白い。

(53) 「明治世相百話」、山本笑月、中公文庫、1983年
 山本笑月(1873~1936)はジャーナリストで、弟は大正デモクラシー時代の論客長谷川如是閑(1875~1969)。1936年初出。文体は連体止め、連用止めが多く、きびきびというよりは舌足らずの感がある。観工場ができて正札付きの値引きなしが広まったなど朝日新聞の記者として文字通り明治の世相を我々に感じさせてくれる。

(54) 「開化異国助っ人奮戦記」、荒俣宏、小学館ライブラリー、1993年
 幕末明治のお雇い教師に焦点を当てていて、なかなか面白い。

(55) 「異国遍路旅芸人始末書」、宮岡謙二、中公文庫、1978年
 宮岡謙二(1898~1978)が維新前から海外へ渡った旅芸人たちの歴史について書いたもの。すでに1867年にパリ万博を目指して日本の芸人が海外渡航をしていたというのには驚く。キモノの語源が1877年のパリ万博で前田正名の発案で三井物産パリ支店長伊達忠七の厚意で旧幕御殿女中の衣装を外人に着せ、オデオン座で忠臣蔵を前田の舞台監督で上演した。この後有名な川上貞奴が英国王室、米仏大統領の前で芸者に絡んだ劇をし、特に流行の中心パリで奴服を京都西陣の川島甚兵衛に頼んで取り寄せて以来キモノが国際語となったというのは面黒い。ハラキリも流行らせたのは川上音二郎の芝居であろう。好評で立ちハラキリなどまでやってみせたという。芸者の海外渡航第一号はパリ万博で茶汲み女をした1867年の柳橋芸者おすみ、おかね、おさとと言われるが、踊りも紹介したとなると1900~02年までパリ万博を目的に渡航した新橋烏森の千芳亭の芸者8名(総勢15名)であろう。これには落語家の三升屋小勝が宰領として参加している。小勝の女房の姉が千芳亭の女将だった関係である。1901年にはモスクワで5週間の公演をしている。場所は不明だがヨーロッパのどこかの博物館で十字軍時代の貞操帯を見たらしく、「腰から下へはめた人間の錠」と帰国後語っているという。他に1901年ロンドンで19歳の柔術家谷幸雄は、レスラーやボクサーと他流公開試合をして100ポンドの賞金をかけられたが無敵だったという。コンデ・コマ(前田光世)の先輩か。宮岡には「娼婦海外流浪記」(三一書房、1968年)という好著もある。

(56) 「明治を駆け抜けた女たち」、中村彰彦編著(他に清野真智子、錦仁)、ダイナミックセラーズ、1984年
明治を彩った山本八重(1847~1932)、高橋お伝(1851~79)、下田歌子(1854~1936)、ラグーザお玉(1861~1939)、川上貞奴(1871~1946)、与謝野晶子(1878~1942)、松旭斎天勝(1884~1944)、平塚らいてう(1886~1971)、乃木静子(1858~1912)についてつぼを抑えた文章である。いずれも当人の写真がついており、お伝の写真は初めて見た。特に興味深いのは乃木静子で、愚将といわれた乃木大将の素顔、それに耐え、晩年になってお互いの心が通じる様子が悲しい中に美しい。

Posted by SATOH at 2010年10月24日 12:15
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