2010年10月14日

●日本の心 第10回

(41) 「醒酔笑」(2巻)、安楽庵策伝、鈴木棠三校注、岩波文庫、1986年
 戦国・安土桃山時代の笑話集。男色(寺院における)が広く行われていたことがよく分かる。解説を読めば落ちが分かるような気がするが、二つの話を除いて面白いとはいえないと思う。

(42) 「江戸怪談集」(3巻)、高田衛編・校注、岩波文庫、1989年

(43) 「嬉遊笑覧」(5巻)、喜多村筠庭、岩波文庫、2002 – 2009年
 江戸時代の百科辞典。

(44) 「近世風俗史(守貞謾稿)」(5巻)、喜田川守貞、岩波文庫、1996年
 喜田川守貞(18110~?)による江戸時代風俗の絵入り百科事典。

(45) 「耳嚢」(3巻)、根岸鎮衛、岩波文庫、1991年
 江戸時代の珍談奇談を集めた随筆集。

(46) 「江戸の夕栄」、鹿島萬兵衛、中公文庫、1977年
 鹿島萬兵衛(1849~1928)は紡績業界の先達で江戸の生まれで、維新のときに19歳だった著者の幕末小百科。江戸には犬公方のおかげで犬も、その糞もが多く、小便用のトイレはあったが立ち小便も絶えず、ドブなどで臭気はものすごいものだったという。土蔵の白壁、板塀に焼瓦、墨、白墨で書かれた落書きに相合傘があり、おまつ竹吉、お染久松などがすでにあったという。江戸気質の弱きを助け強きをくじくという勧善懲悪は講談のおかげであり、野天講釈も大いに力があずかったものという。著者は6~7歳のときに大名行列を横切ろうとし先頭の徒士に連れ戻され事なきを得たという。下手をすれば手討ちになりかねないところだった。面白い出来事としてせんべいの方職人の倅繁が強風のとき雨戸につかまり芝口から神田のお玉ヶ池まで約3キロ飛ばされたが無事だったと書いている。まるで飛行機である。

(47) 「幕末百話」、篠田鉱造、岩波文庫、1996年
 篠田鉱造(1871~1965)の幕末古老からの聞き書き。

(48) *「明治百話」(2巻)、篠田鉱造、岩波文庫、1996年
 首斬朝右衛門(高橋お伝の斬首のくだりなど)や明治の掏りの話が特に面白い。他に、「明治女百話」(2巻)、篠田鉱造、岩波文庫、1997年がある。

(49) *「江戸から東京へ」(9巻)、矢田挿雲、中公文庫、1998年
矢田挿雲(1882~1961)は作家であり、報知新聞の記者をしていた。本書は1920年から大震災のときまで同紙に連載したもので、江戸(東京)のガイドブックの草分けである。美人で有名な笠森おせん姉妹の最後など興味深い。浅草寺の秘仏は金無垢5センチほどで628年に隅田川で漁師の兄弟と僧が見つけ、小さな祠を立てて守り、942年平公雅が武蔵守に昇任したときに観音様の堂楼を建てたという。そこから浅草寺が発展してきたが、実際に秘仏を見た人はないと言われている。浅草寺はよく焼け、11世紀までに6~7回焼けていた。御本尊はというと、その都度自ら飛んで行って火炎を逃れたので失われずに済んだという。浅草寺に御本尊がおわすかどうか世間でも疑問に思っていたようで、一説には実は御本尊は長昌寺においてあり、儀式のときだけ動座する決まりになっていたが、長昌寺の住職が金に困り、あろうことか御本尊を質入れした。ただいつのまにか(川で見つかったものゆえか)流れてしまい、今は不明であるというその質屋の話がある。明治維新になって廃仏毀釈のせいもあるのか、ある役人が秘仏臨検使として、内陣に進み、須弥檀に足をかけて、お厨子の錠を開きかけたとたん、もんどりうって内陣の畳の上に転落し、うんと一声悶絶したとある。政府の方はこれであきらめたが、寺側としても秘仏の有無を確認しておきたいと住職の唯雅僧正が一念発起した。当時秘仏を見れば眼がつぶれといわれたくらいで大層な勇気である。お厨子には、初めから開帳仏と称して、御本尊の10倍の大きさの替え玉の立像(これがいわゆる身代わりの開帳仏)が安置されていた。そこで奥山の念仏堂を預かっていた片山周諦坊と、大橋亘という役人に証人として立ち会ってもらい秘仏を見ることにした。秘仏の安置場所は替え玉の胎内であり、この立像の差し込みになっている首を外し、1300年ぶりに布に巻いた日にも水にも溶けぬ閻浮檀金(えんぶだごん、白金のこと)の金仏様を見たのだという。白金の仏像をだれが作ったのかと考える輩には観音様の仏罰が当たるかもしれないと著者は書いている。類書にないものとして「いなせ」の定義があることで、粋の次にイナセやキャンが来て、その次にイサミとなるという。イナセは1855年ごろの新内の流しがもとで、こはだの鮨売りや鳥追い女に代表され、侠艶ということのようだ。辰巳芸者(後に柳橋の芸者が引き継いだという)もそうで、これは房総、常磐、仙台や松前の船頭衆が常花客だったから威勢がよいのだとある、お話としては面白いし、非常に読ませるが、いくつか誤りがある。3巻104ページの和蘭の船長とあるのはカピタンで商館長のことであるし、5巻17ページのお稲が石井某に嫁して、二男一女を儲け、シーボルトの血筋を伝えているとあるのは、間違いで、一女(お稲)のみである。それも石井(宗謙)がお稲を強姦した結果であって、当時の石井の妻女がお稲の母に謝りに来たという。石井などに比べてこの妻女の方がよほど人間が出来ている。5巻140ページのポルトガル人、オランダ人、支那人にキリストの踏み絵を強制したという事実はない。6巻229ページ「ヘナチョコ」を造語したのは仮名垣魯文ではなく、弟子の野崎左文とその友人たちである。7巻222ページのレサノット(レザーノフの誤り)がペテルブルグへの帰途非業の自殺を遂げたというのは誤りであって、病死した。同じく233ページにサガリン島が樺太とカムチャッカ半島の間にあるというのは、サガリン(サハリン)島を千島列島と間違えたものか?ちなみにロシア語のサハリーンは樺太のことである。8巻305ページの箕作阮甫が1853年筒井・川路使節に随行したというのはどうか。随行したのは荒尾土佐守や古賀謹一郎ではなかったか。私のような素人が見てもこのくらいあるから、専門家が見ればもっとあるかもしれない。しかし、誤りについて訂正するなど謙虚かつ良心的である。間違いを指摘した人の方が間違うという事や、異説というこもあるので、このぐらいにしておく。助六などの歌舞伎の題材の実話、東京各所の由来、言い伝え、特に震災直後の名所の惨状などに詳しく、東京のガイドを志す人の必読書といえる。

Posted by SATOH at 2010年10月14日 14:35
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