2009年01月28日
●ロシア語独習者のための質問箱 第3回
ガイドと通訳について両方同じような仕事だが、ロシア語の運用能力においては一般的に通訳の方が上だと考えている人も多いらしい。通訳はガイドができるが、ガイドは通訳ができるとは限らないなどと口には出さないがそう思っている人もいるようである。両方やってみて、どこがどう違うかということをそれなりに実感したので書いておく。まず第一に、ガイドに必要なものは基本的にロシア語の会話力(会話の和文露訳能力)だが、通訳はロシア語から日本語、日本語からロシア語と交互に訳すわけで、通訳には会話力は会話力でも露文和訳、和文露訳の両方の技能が必要であることが異なる。ロシア語もガイド自身が話すのは標準語(丁寧語)であっても、ツアー客はおおむね口語、人によっては俗語を多用する人が多い。そのため口語や俗語、隠語も聞き取れることが大切である。それもたんなる言葉の理解だけではなく、その背景にある大衆文化を理解していないとツアー客の言わんとすることを理解できないか、誤解する恐れも多分にある。一方、通訳は技術、金融、ビジネスなどの専門用語を使う必要はあっても、基本的にロシア側が話すのは標準語(丁寧語)であり、話題は一般的に日ロ双方に共通の利害に関わるものであり、仮に文化的な差があったとしても、双方が意志疎通のためにその差を詰めようと努めてくれるところがガイドとは違う。ツアー客は金を払っているのであり、それに見合うサービスをガイドに求めるため、分かってもらって当然であり、独善的な(一方的な)理解を求めたり、要求をすることがよくある。またガイドは国家試験に受かって各都道府県に登録しなければ有料の営業はできないということのほかに、ロシア語の能力においても、ロシア語が完璧でも話す内容がツアー客の興味をひかない(ロシア人観光客のニーズをつかめない)ガイドよりは、ロシア語がやや劣っても、ロシア人観光客の知りたい話題を提供してくれるガイドの方が好まれるのは当然である。通訳は資格の制限はないものの、通訳内容に不満であれば、次からエージェントは仕事を回さないであろう。通訳は黒子となる(実際は雇い主への配慮が大切とは言え、建前上日ロ双方に中立であること)ことが求められるが、ガイドはガイド自身が主体的にツアー客と関わることが求められる。結論から言うと、ガイドと通訳では職種が違ので、比べる方がおかしいということになり、それぞれ向き不向きがあり、両方できる人もいるということである。通訳のロシア語がガイドのロシア語より上手なのではなく、ロシア語がうまいかどうかは個人のロシア語運用能力の差によるのである。ロシア語独習者以外でもロシア語やロシア文化に関する質問は受け付けるので遠慮なくどうぞ。今回もネットで見かけた質問から。
(質問)「-Вы обедали? -Да, я обедал. “昼飯食べたんですか? はい食べました。”」
とあり、不完了体ですが、行為の完了を表すそうです。どういうことなのでしょうか?
この質問に、ある回答者は、〔「昼飯食べた」という場合、普通「食べ終えた」はずですよね。行為の終了はいわずもがなだから意識しない。だから、特に完了体は用いられないのでは。まとめるなら、
・常識として当然終了が前提とされている行為についてのやりとり → 不完了体
・動作の終了をことさら「完了したんだよ」と意識して伝達したい場合 → 完了体
素人考えに近いですが。〕と回答を寄せている。お二人とも真剣に体の用法を突き詰めようとしているのには非常に好感が持てる。ここで問題なのは、どんな動詞でも、どんな時制でも、どんな形式(命令法や不定形、否定文の用法)の完了体と不完了体は、AとBと二つの異なる用法に分かれると理解していることである。これは違う。体の用法を考える場合、完了体が主であり、新しい事項を取扱い、不完了体はそれ以外を取り扱うと考えるべきで、平叙文、疑問文(否定文)、過去と未来、不定形、命令文でも完了体と不完了体の用法(基本は新規なものが完了体、それ以外は不完了体だが、そのあらわれ方が違うという意味で)は異なるし、考え方によっては動詞のグループによってよく使われる用法は異なる。完了体は完了を示し、不完了体は継続や一般的な事柄を示すと理解すると、例外ばかり覚える羽目になる。初級参考書の文法解説で、СядьтеとСадитесьの例を挙げて、完了体が命令を表すのに対して、不完了体は勧誘を表わし、より丁寧な、やわらかい表現となると岩波の露和辞典に書いてあるようなことを繰り返しているものが多いが、これだと誤解を招く。そうであるなら、「トイレはどこにあるか教えてください」というのを、Скажите, где туалет?は命令で、丁寧に頼むなら*Говорите, где туалет? (*印は文法的に間違いであることを示す)となることになろう。話がそれたが、質問に対する私の回答は、обедатьと対応する完了体пообедатьは接頭辞по-が完了体の目印だけを意味するものであり(походитьなどでは少しの間~するという意味で別のグループ)、звонить/позвонитьと同じグループである。このグループでは、完了体と不完了体の違いはさほどない。обедатьも意味的に「昼食は食べるか、食べないか」であり、1/2食べるとか、部分的に食べるという意味は本来ない。ゆえにВы обедали?は「完了」の意味ではなく、たんに「事実の確認」である。不完了体はいつもと同じ(新しい事項以外を取り扱う)というニュアンスであり、完了体になるとВы пообедали?となると、「期待」のニュアンスが出てくる。つまり、午後1時に来客があるので、昼ごはんは早めに済ませておいてくれと言っておいて、完了体なら「当然昼は食べたよね」というニュアンスであり、不完了体ならただたんに昼食を取ったかどうか確認していることになる。一般的な会話でどちらが多いかと言われたら、обедатьの場合は不完了体過去形であろう。上記の回答者は体の用法について深く自分で考え抜いたのであろう。特に「・常識として当然終了が前提とされている行為についてのやりとり → 不完了体」というところは、非常に深いところをついていると感心する次第である。こう言う人が比較的短期間でロシア語をマスターするのだと思うし、こういう人がいるのは心強い限りである。