2007年07月13日

●帯研(第98回)

自分も小話を和訳しているので、小話の著作権については気になっていた。小話の作者は実在するはずだが、ソ連時代は小話で刑務所行きとなったので表立って作者が名乗り出た例は知らない。小話の作者だというならそれを証明する必要があるわけで、それは少数の例外を除き不可能であろう。漫談家のペトロシャンПетросянが、自分のアネクドート集の中で、この点についてこう述べている。Анекдоты не имеют конкретного автора и поэтому могут печататься в любом издании и повторяться бесконечно, пока что не надоест покупателю.(アネクドートは具体的な作者というのを持たない。それゆえにどんな出版において印刷されてよいし、際限なく繰り返されてよい。買う人がうんざりだとおもうまで)。私はこの考え方に従っている。
Стреляются Колобок с Чебурашкой. Чебурашка:
- По ушам не стрелять!
Колобок:
- И в голову тоже!
設問1)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 2007年07月13日 19:56
コメント

アネクドートはほんとにおもしろい!
おそらく今後離れてしまうことはないと思います。
せっかく100回にわたって教えていただいたのですから、自分のアネクドートに対する考え方を何かかたちあるものにしてとっておきたいと思っています。

回答です。

おだんごパンとチェブラーシュカが撃ち合いごっこをしています。
チェブラーシュカ  「耳はぼくの大切なシンボルマークなんだから撃つなよ!」
おだんごパン    「じゃ、顔もだよ」

Колобок=「おだんごパン」はすでに福音館書店から出ていて日本の子供たちにもよく知られ、読み聞かせの対象になっている人気の絵本なのでそのまま「おだんごパン」としました。おだんごパンはまん丸パンで、顔だけですから、顔を撃つなと言われるとチェブラーシュカには撃つ場所がないというオチですね。головаは直訳すると頭ですが、この場合はわかりづらいので顔と訳しました。チェブラーシュカはもちろん、ここの母体、「ロシアンぴろしき」でも販売されている耳の大きな架空のかわいいキャラです。
------------------------------------------
オチもよく理解されているようですし、訳もいいのですが、一つだけコメントします。「撃ち合いごっこ」とありますが、原文を読む限りそういう風にはとれません。「ごっこ」なら играть в войну(戦争ごっこをする)などとなるはずです。これは決闘をしているのです。子供のキャラクターだからごっこをしていると捉えると、この小話の面白さが出ません。童話や児童ものの主人公が本気で決闘をしているが、自分の都合のよいように決闘の取り決め(撃ってはいけないところをあらかじめ決める)ということに面白さがあるのだと思います。головаを顔と訳せば、後頭部は撃っていいということになりませんか?私の訳は、
丸パンとチェブラーシュカが撃ちあいをします。チェブラーシュカ、
「耳を撃つのはだめだよ」
丸パン、
「頭もな」

Posted by メイ at 2007年07月15日 11:36

かわいい子供キャラの二人(?)がそれぞれ勝手な取り決めをしているところがまたかわいいなと思ってしまいました。ちょっとはずれたようですね。
голова=顔ですが、後ろから撃たれることまでは考えませんでした(笑)。絵本のおだんごパンを意識しすぎた結果でした。あれはどうみても顔だけですから。

Posted by メイ at 2007年07月15日 23:10
コメントしてください