2007年03月07日
●カムチャッカの湯煙(1991年11月号掲載)
7月初め雨のハバーロススクを後にして2時間半、ようやく憧れのカムチャッカ半島が見えてきた。ハバーロフスクでは技術的原因(原因が分からないか発表したくないときはこういう説明を聞かれたらするというのがソ連航空の常套手段である)で9時間も搭乗が遅れた。その際いつ飛ぶのかのアナウンスはなしである。いつものことながらあきれるばかり。カムチャッカは緑が少なく、まるで石にコケがへばりついているようだ。空港に着くとさすが北の守りか、いくつもの丘が格納庫になっていて、うまくカモフラージュされている。空港から州都ペトロパーヴロフスク・カムチャツキーまで30分。木もこころなしか丈が小さい。日本との時差は3時間だが、モスクワとは9時間。如何にソ連が広大であるか実感できようというもの。人口は35万人、州全体で45万人というから、人口はほとんどこの街に集中していることになる。半年前にはロシア人ですら特別許可が要ったという。まして外国人となると、今でもビザを取るのはよほどスポンサーになってくれるところがしっかりしていないと無理だという。今回はカムチャッカ海運会社の招待という幸運に恵まれた。
ホテルにチェックインしてから街をぶらぶら歩いて見た。7月というのにコートを着ている人が多い。最高気温15度。夏は8月のみで、2、3日だけ25、26度になるという。夏が短いので水温が15度を越えたらここの人たちは泳ぐんですと。街はこぎれいだが、人通りが多いとはいえない。タバコ屋に大きな缶詰が山積みになっていた。「ペトロパーヴローフスキー・カムチャツキー250年」とラベルに書いてあった。聞いてみると、ベリョーザヴィ・ソークберёзовый сок(白樺ジュース)だという。つまり開港250年記念というわけだ。さっそく4缶買ってホテルで飲んでみた。あっさりしていて甘露、甘露。まさに白樺の露だ。ロシア人の話だと、白樺ジュースだけでは甘味が足りないので、これは砂糖を加えてあるという。モスクワやハバーロススクなどではリンゴ白樺ジュースやコケモモ白樺ジュースが売られているという。歌のベリョーザヴィ・ソークを聞いてから早20年。歌の中だけではなく本当に存在するとは感激だった。
仕事も終わり、ガリャーチエ・ヴォードゥイгорячие воды(温泉)に行こうと誘われた。招待してくれた海運会社の保養所が温泉になっているという。市から60㌔のパラトーンПаратонという名所である。途中で海水パンツを買ってもらう。日本じゃ温泉はスッポンポンだと話したら、にやにやして、アーフ、カーク・ヌヂーストゥイАх, как нудисты!(おやまあ、ヌーディストみたいだね)とぬかしおる。風呂というよりプール(バセーインбассейнと言っていた)が3つあって、それぞれ35度、40度、45度となっている。最初の2つは幅、長さとも15メートルはあり、泳いでいる人が多い。入ってすぐは深さが2メートルもあり、背が立たないが、徐々に浅くなっている。回りは板囲いで四方に白樺が見える。日向ぼっこをしている、私の3倍も胴回りのありそうなおばあさんに湯の効能を聞いてみる。傷の治りが早いらしいがよく分からないという。プールの底がヌルヌルするので見てみたら水藻が生えている。手入れが悪いなあと見ていると、子供が「この藻は体にいいんだ」という。一緒に寝そべっていろいろ話をした。日本人は珍しいからか、しつこさはない。カラスだという声に顔を上げると、おや、なつかしい日本のカラスと同じハシボソガラスだ。モスクワじゃカラスといえば首が灰色、頭と羽は黒のツートンカラーと決まっている。
日向ぼっこをした後で、保養所の一室でピクルスやイクラを肴にウオッカとモルドヴァのマデラ酒(葡萄酒の一種)で酒盛りが始まった。ホカホカのパンにバターを塗ってさらにイクラをあふれるほど盛って食べるのは最高の贅沢ではないだろうか。ただウオッカの一気飲みには正直参った。甘ったるいマデラ酒と交互に乾杯していると、海運会社のコルジェヴィーツキー氏から、「我々は日本から学びたいことがたくさんあるが、カムチャッカでは日本語のできる人がほとんどいない。講師を呼びたくとも外貨がない」と愚痴が出た。同行の日本人の人が、「外貨、外貨といわなくても、日本では定年退職した熟年でもまだ元気な人で、熱意を持った人たちが東南アジアや南米などで農業や技術指導を行っている。食住さえ保証してくれるなら、英語を話せて日本語を教えた経験のある人が、夏の半年ぐらいは手弁当で来てくれるのではないだろうか。日本政府だってこういう援助はしてくれるのではないか」といいことを言ってくれた。コルジェヴィーツキー氏も喜んでいた。こういう草の根的発想が大事であり、何とか実現してもらいたいものである。飲みすぎてフラフラして歩いたら、階段でこけて転んで手をすりむいた。この一日は忘れまい。