2007年03月07日
●アネクドートなど怖くない(未発表、1990年ごろ)
通訳しているときに何が嫌といってロシア人に「こんな小話知っていますか?」と言われて通訳させられるときくらい嫌なことはない。へたなサスペンス映画を見るよりよっぽどスリルがある。いつどのようにしてオチ(соль)の訳が頭に閃いてくれるのか、まったく仏様にでも祈る気持ちである。ロシア人がオチを言って、さあっとばかりこちらを見る。わっからない。いったいどこがおかしいんだ。冷や汗がたらっと流れ、頭の中が真っ白になることもままある。そもそもアネクドートのコレクションを始めた動機というのは、若い頃新米通訳へのいじめか思いやりか知らないが、宴会などで小話を通訳させられたときに、途中でつまってしまい、その後いかにしても分からず、しかも助っ人にきてくれたプロの通訳もオチが分からず、これは日本語に訳せないから言い訳し、他の日本人には笑ってくださいと言ったのを何度か聞いたことがあったからである。「わからないけど笑ってください」というのは、通訳としてそれこそ言ってはならない言葉であるが、あまり分からない、分からないでは通訳としての技量も疑われかねず、それで勉強することにした。つまり、初めて聞いたから分からないのであって、ロシア語が不十分である以上、予習すれば当然打率が高くなるであろうと考えたのである。今から20年前といえばゴルバチョフ以前であり、小冊子としてまとまった小話はソ連で手に入れること自体夢のまた夢であり、ニューヨークやパリで出版されたものを細々とナウカや日ソ図書で買いあさったが、薄っぺらなものが3冊程度しか手に入らなかった。これでは埒があかないので、自分で小話を聞くたびに分からないものは、仕事で知り合ったロシア人にオチを教えてもらって整理するようにした。集めてゆくうちにロシア人とその社会について広く深く学ばねばとうてい理解できないということに気づいた。ロシア語の勉強を重ねて早30年、それでもいまだにロシア人から「こんな小話知っているかい。」と言われて通訳させられるのは、嫌というのではないが進んでやろうという気はしない。
ロシア人でもアネクドートの使い手 анекдотист と人から認められる人はそんなにいない。こういう人は二番煎じとならないような、出来立て聞きたてホヤホヤの小話をしてくれるので、オチが分かれば本当に楽しい。しかし通訳していてよく分からず、恥をかくことも多いので、こういう人の通訳をするときは小話コレクターとしては複雑な気持ちである。たいていのロシア人は、特に日本人に対しては出がらしの番茶のようなのでお茶をにごす人が多いので、これには通訳も助かるし、通訳の評価を一気に高めてくれる得難い機会でもある。
小話を覚えておくというのはそれなりの利点もある。相手の小話が通訳できない場合でも、そのお返しにロシア語で古びた小話をするか歌でも歌えば、ロシア人は人がいいので外国人がロシア語で小話をしたというだけで感激してくれるし、聞いている日本人も感心してくれること疑いない。落語か外国のジョークをロシア語に翻訳可能なものを暗記して披露すれば、お義理でなく喜ばれよう。まあそんなみみっちいことを考えなくとも、小話は分量が少なく覚えやすいから、文例を暗記するのにも適している。無論口に出して暗記するなら上品なものということになろうが。カムチャッカ半島に出張したとき、そこのカムチャッカ汽船の総裁から温泉につかりながらアルメニアラジオの「極夜」の小話を聞いた。彼はこの小話を20年前まだ船長として日本に寄港したときに日本人から聞いたという。しかもこの時一緒だった一等航海士はなんとアルメニア人だったというのだ。
アネクドートの楽しみ方、ここで教えていただくようになってハマっています。時々携帯でアネクドートを送ったりしています。でも、通訳して下さい、などと言われると(言われることはまずないですが)、逃げ出してしまうでしょう。だって、ここでこれだけломаю головуなのですから…