2006年10月23日

●帯研(第2回)

黒帯研究会について、まず黒帯とは何ぞやということになるが、私は実戦に使えるロシア語を使えるレベルと考えている。ただこういう定義を人に押し付けるつもりもないし、定義が決まったからといって実力が上がるものでもない。黒帯研究会も黒帯同士の研究会という解釈でもよいし、黒帯を目指す人の研究会というのでもよい。人それぞれである。ロシア語の勉強も一生精進であることに変わりはない。母国語の他に外国語を勉強するということについて、ある中国人曰くЗнаешь один язык – проживаешь одну жизнь, знаешь два языка – проживаешь две жизни.(一つの言語を知っていれば一つの人生を生きることであり、二つの言語を知っていれば二つの人生を生きることになる)。
第1回の設問3について小話のテキストを和訳する上で私がおかしいと思ったのは、地の文のМуж приходит домой, смотрит – чемоданы стоят.の文で、「帰宅して、見た」と過去の文なのに現在形を用いていることである。これは多分、不完了体現在形の特殊用法とされるнастоящее историческое(歴史的現在)で、出来事を眼前で起きたかのようにいきいきと表現するための用法かと思う。異論のある方は是非ご一報を。ただ会話力涵養には地の文は無視して(いつか紹介する機会があると思うが、通常のロシア語と違う用法が多いので)、会話の部分のみを参考にされたらよいと思う。さて、次の出題は、詩から。

Выхожу один я на дорогу;
Сквозь туман кремнистый путь блестит;
Ночь тиха. Пустыня внемлет богу,
И звезда с звездою говорит.
設問1)作者はだれか。
設問2)詩の体裁で和訳せよ。

Posted by SATOH at 2006年10月23日 22:46
コメント

帯研(第2回)の文章を読んで、大失敗に気づきました。帯研(第1回)のコメントに同じ内容の質問を書いてしまいました。ここで設問3の解答をされていたのですね。第一回目からこんな私です。
さて、ロシア文学をロシア語で読んだ(正確には片手で数えられるほど)ことがないのでこの詩が誰の詩なのかもわかりませんでした。で、ルール違反(?)をしてネットで調べてきたのですが、とても大きな副産物がありました。あの詩を歌っているコーラスが聞けたことです。とてもきれいで一度で魅了されてしまいました。保存して流していますが何度聞いてもすばらしい曲です。さすがに和訳までは調べられませんでした。詩的な訳ということですのでもうしばらく考えてから(考えても同じだと思いますが一応)投稿させていただきます。
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メイさん。試験ではありませんから、どういう手段を使ってもいいのです。ロシア人に聞いても構いません。詩といっても七五調から自由詩まであります。散文でも構いません。出題の狙いはある単語をどう訳すかということにあります。

Posted by メイ at 2006年10月31日 00:42

う~ん難しかった!今日はたっぷり時間がとれたので、必死で取り組みました。ただ、文学的なものはどこまで意訳していいのかがそのころあいが難しいです。私はできるだけ内容を重視し、ことばや順序にとらわれずに挑戦したつもりです。といっても文法上の誤りがいっぱいあったりするんですよね… どうぞよろしくお願いします。

設問1)レールモントフ のようです。
設問2)全文訳しました


「われひとり旅立つ」

われひとり旅に立つ
霧のかなたに光る石くれの道
夜のしじま 原野をわたる神の声
星星は語らう

天上はおごそかで美しく
青ききらめきに大地は眠る
なぜわれかくも苦しみかくも悩む
なにを望み なにを悔やむや

もはや生くるに望むものなし
過ぎしときを惜しまず
求むるは自由とやすらぎ
願わくは忘れさり眠りにつかん

されど墓場の冷たき眠りにあらず
欲するはとこしえの眠り
わが胸に生の力ひそみ
胸かすかに息づく

昼となく夜となく聴こゆるは
甘くやさしき愛のうた
仰ぎみれば青き樫の木
とわにたわみささやく
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メイさん、正直言ってこれほど見事な訳を期待していませんでした。日本語は拙訳よりもはるかに上手です。特に「石くれの道、夜のしじま」はよい訳です。ただ一箇所誤訳があります(つまり出題の狙い通りということになります)。それについては後で説明しますが、取り合えず他の節(スタンザ строфа)で訳を検討したほうがよいと思うのは、第2節 чудноを「美しく」としているが、「素晴らしく」ではないか?第4節最終行 чтобыが訳されていない。第5節 вечно зеленея「常緑の」とтемныйが未訳というぐらいです。拙訳は、
一人我、道ニ出テミレバ、
霧ニ光ル石ダラケノ道。
夜静寂。森厳、神ニ耳ヲ傾ケ、
星モ星ト語リ合ウ。

つまりдорогаを「旅」と訳したのは誤訳です。なぜ言い切れるかというと、アカデミー版辞書(17巻、私のは1993年版のもの。4巻本には例がない)のдорогаの「道」という語義説明に例としてこの詩が出てくるからです。プロの翻訳家でもレールモントフのこの詩をメイさんのように誤訳しているのを見かけますから素人はやむをえないのかもしれません。えらそうに言えば詩の内容だけに流されるとこうなります。выйти на дорогуの語結合はよく見るものでвыйти к морюやвыйти к рекеと同様、森などで道に迷っていて、「道に出る、海に出る、川に出る」というニュアンスです。この場合はувидеть дорогу, увидеть море, увидеть рекуとほぼ同義と考えてよいでしょう。私はпосидеть на дорогу(この場合のна дорогу = перед поездкой)という今でもあるロシア人の習慣(旅や出張の前には無事を祈ってソファーやベッドに腰掛ける)を調べていたときに出くわしました。一般に「道」にはнаで旅にはвを使うと覚えた方がよいようです。それとпустыняですが、「原野」というのはいい訳ですが、私見ですが、この場合пустыняは「砂漠」という意味ではなく、ロシア正教の聖人が修行したような「人里はなれた場所」(日本語なら「山奥」としたいのですが、ロシアは森の国です。「森の中」ではちょっとね。そのため拙訳は「森厳」というように変な訳になってしまいました)という意味でしょう。それと1行目でВыхожуと現在形が来るのは、歴史的現在で「生き生きとした表現」だとは、思いますが、不完了体の現在形には想像の未来を示す用法があります。Вообразите(想像してみてください)などという動詞と一緒に使われます。これかどうかはレールモントフの詩の研究家の意見を聞きたいものです。詩はанапестのようで、анапестにはскорбный, щемящийという印象がありますから(子供の歌でПусть будет небоのように明るいанапестもありますが)、夜の静寂をよく表しているように思えます。私も詩の勉強は始めて2年ほどですからこれからたくさん詩を読む必要があることを痛感しているこの頃です。何といっても詩はロシア文学の華と思っていますから。
           

Posted by メイ at 2006年10月31日 22:48

さっそく問題以外の節まで詳しい説明つきのレスをつけていただいてありがとうございました。今回はたまたま自分が死生観についていろいろ考えているところでしたので、偶然の一致で、訳にもいきおい気合が入りました。でも、恐れていたとおり、やっぱり~が続々でした。「道」にはнаで旅にはвですか。дорогаの訳ですが、私はもう「彼岸への旅路」に引かれてしまい、どんな前置詞がそこについているかなどおかまいなしでした。
 чудноを「美しく」としたのも、上記の理由から、天上がすばらしい→きれいなながめとすばらしい音楽→美しい景色と美しい音色 という連鎖です。
 чтобыが訳されていないところは、やっぱり突っ込まれた!と思いました。ここは自分でも迷って、「欲するはとこしえの眠り」としたところに最初「欲するはとこしえのかくなる眠り」とか、「胸かすかに息づく」を「胸かすかに息づくごとき」などとしてみたのですが、どうもしっくりこないので結局は4節、5節とも削除してしまいました。
 第5節、вечно зеленея「常緑の」とтемныйはたしかに未訳です。ただ、ここではちょっといきさつがあります。私が入手したロシア語オリジナルでは、Надо мной чтоб вечно зеленея, がНадо мной чтоб вечно, зеленея, とвечноのうしろにзапятаяがふってあったため、これはどこにかかるんだ!と考えた末、склонялся и шумел にかけるといった苦肉の訳になりました。ご指摘のあと、他のオリジナルにあたってはじめて、запятаяのないことを確認しました。結果的には誤訳になっています。第5節は日本語での詩のひびきを重視すれば字足らずになり、すべて訳せば字余りになるので一番苦労しました。今ではもっと素直に、
「わがうえに とこしえに青き樫の木 黒く茂り
たわみ ささやく」ぐらいのほうが冷静かな、と思います…(誤訳部分の訂正を含め)

古代スラブでは白樺ではなく樫の木が聖木だったとか。今日はじめて知りました。樫の木にお供えをしていた、伐採できかった、とか言われていました。(ユーラシア協会の講演で)

じつはもう一箇所、どうしても訳ができなかったところがあります。第3節の「過ぎしときを惜しまず」としたところですが、ничутьが訳せませんでした。それにぴったりはまる訳語が見つからなかったためです。これも失格ですね。

それにしてもこの詩を出題していただいたおかげでレールモントフを読んでみたくなりました。え、まずは日本語訳でです。
ありがとうございました。

анапестとは、詩のスタイルなのでしょうか。初めて見た単語です。
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ничутьは詩の日本語でどう訳すかば別にして「少しも~でない」という強意の否定ですから、メイさんの訳を使うなら、「過ぎしときを惜しむことなし」ぐらいでしょうか。анапестは弱弱強格と呼ばれるもので、力点の来る母音(強)と来ない母音(弱)の配置による詩格で、ямб(弱強格)、хорей(強弱格)などがあり、子守唄などはхорейがよく使われるなどといわれます。例えばВыхожуで力点はуにあり、弱弱強です。弱弱強だけでは通常、詩全部を作れませんが、それが全体で多いということだと理解しています。レールモントフの詩を訳すということが課題でしたが、レールモントフの詩にインスピレーションを受けて日本語の詩を作るということもあると思うので、訳の勉強は勉強、楽しみ(作詩)は楽しみとしてもよいかと思います。
私はレールモントフの詩は大体読みましたが、好きなものはあまりありません。例外的に、
Белеет парус одинокий
В тумане моря голубом!   
Что ищет он в стране далекой?  
Что кинул он в краю родном?
この詩は好きで、訳の練習もしました。トライされては?詩ではエセーニンの Письмо матери, Клёнなど歌(メロディー)になったのは大好きです。 以上 ご参考まで。

 

Posted by メイ at 2006年11月05日 01:26
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