2020年01月31日

●第107回

ので、正に結果の評価そのものなのだが、評価解釈型動詞なので不完了体が来ていると考えられる。2-2-4項参照。

3-1-12 結果存続無効

結果存続無効аннулированность результатаという用法は、動作が現在とは関わりがないことを示し、2-2-3項のбылоはいったん開始された動作の中断、中止)だが、それとは違って、動作は行われるのだが、その結果が存続しないという用法で、完了体動詞過去形の結果の存続の用法と対立するものである。
完了体過去形が結果の存続の意味になりやすい動詞の不完了体は、2-1-3-1項の動詞群も反復や過程の用法でないことが明確な場合、その対比として結果存続無効の意味を表す事が多い。不完了体動詞過去形は仮定法を除けば過去の時制でしか用いられないという特性を持つが、動作事実の有無の確認の用法、対義語がある体のペアの不完了体過去形、歴史的現在、過去完了(過去の過去を示す)、過去進行形、3-1-7項の経験の用法のように現在の時制の文脈で回顧的にも用いられるなど使用される用法の種類が多いために、結果存続無効の意味で用いられるかどうかは文脈次第である。また不完了体を用いる場合、この用法は経験の用法と重なり、回数や具体的にいつということを表現できないという憾みがある。
結果存続無効を表現するためには発話の時点(それが現在なら現在)と動作が関わりなかったという事を言えばよい。つまり発話(現在)の時点と全く関わりのない過去の時制であることを明らかにすればよいことになる。結果の存続ではないことが明確な点過去(2-2-1-2項)、2-1-2-2項や2-2-3項も参照。結果存続の否定版(3-2-1-2項)、志向の動詞の不完了体過去形(動作の未達、7-1-1項参照)、7-2項に示すように、完了体過去形で期待外れを示すことができる。

(彼は田舎育ちだ)Он рос в деревне. <育ったのは田舎だが、大人になるまでいたかは分からないし、もう田舎にはいないというニュアンスである。ちなみに日本語の「育った」は点過去、結果の存続、過去完了を意味する>
(彼は田舎で大人になった)Он вырос в деревне. <вырасти = стать взрослымであり、点過去か結果の存続(まだ田舎にいる)かは文脈で判断せざるを得ず、結果の存続であれば、まだ田舎にいるとなり、日本語の「田舎育ちだ」というニュアンス(田舎にはもういない)と食い違ってくる。このロシア語文は動作が時間軸の一点であるような状況語か文脈がない限り、点過去ではなく、結果の存続と理解するのが普通であり、その曖昧さを避けるには結果存続無効の用法を用いるべきである>

(そういうつもりで言ったのでは全くないのです)Я совсем на это не имел в виду.
(何で来たんだ。呼んだとでもいうのか?呼んでないぞ)Ты чего пришла? Я тебя звал? Не звал.
(ところでこの件を彼女はリョーシュカに聞こうと思っていたが、すっかり忘れていた。ことのついでに思い出したというわけだ)А кстати... была же у неё мысль спросить у Лёшки, а она всё забывала. Вот и вспомнилось к слову.
(番組の司会はプローでした)Вёл передачу Про.
(僕の申請書はまだ見てもらえなかった)Моё заявление ещё не рассматривалось. <申請書は受け付けてもらえたが、諾否の検討がまだ始まっていないということ>
(それらの痕跡は残っていない)Следов их не сохранилось.
(下着は病院開設以来、つまり前世紀から洗っていない)Бельё не мыто с открытия больницы, т. е. с прошлого столетия. <1990年代末から>
(ダニーラが勝手な真似をしようと決めたのかと一瞬思ったぜ)Я было

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●第106回

いという事がお分かりだろう。真理というのは立場によって変わる場合もある。アメリカでは聖書を文字通り信じている人がいるわけで、そういう人にとって地動説は真理ではないという事になる。真理は不完了体と覚えるのではなく、もっと時制や態の用法に着目して理解するようにしないと、混同することになる。日本人の常識が通じないことは世の中にいくらもあるし、日本人の中ですら、細かく見ていけば考え方にいろいろ差があることは、日常よく経験することでもある。ゆえに、真理および話し手の考える真理とは、話し手が(客観的に)事実(当然である事柄)と考えるゆえに、過程の意味(その時点でその動作が行われている)と、常に反復される(真理とは反復されるものである)ということで、不完了体現在が使われるという事になる。これは一見例示的用法に似ていると思われるかもしれないが、例示的用法は、話し手が主観的であることを意識して、主観的に「何か~あったら」ということで、不完了体にはそのような主観性・仮定性(条件性)はなく、ある意味、絶対的ということでもある。

3-1-11 動作の様態 → 不完了体動詞

 規則的反復や状態などと共に用いられる不完了体の属性である動作事実の有無の確認の用法の一つであり、文の焦点に来るのは動詞ではなく、<どのように>に相当する状況語である場合は、現在の時制では不完了体動詞現在形、過去の時制であれば不完了体動詞過去形、未来の時制であれば不完了体動詞未来形が来る。この用法は文法的には過程を示しており、ラスードヴァ先生曰く、過程というのは現象の内容を示すわけで、動作や事実の有無の確認とは対立する。様態に文の焦点があるということはすでに動作が行われているという前提ゆえ、5-1-3項同様、2-1-6-1項のみなし反復という考え方ができる。

(休暇はどのように過ごしましたか?)Как вы проводили отпуск? <答えはスキー場でとか家族と一緒にとかであって、いい悪いの結果を聞いているわけではない。2-2-4項の結果の評価との対比>
(コンピューターへのインプットはどうやるのですか?)Как осуществляется ввод данных в машину?

 この用法は、その時点の状態で、どのように物事がなされているか、その状態や方法、順調にいっているかどうかなど経過を示すものである。特に後者は完了体動詞過去形の結果の評価と紛らわしいが、完了体動詞過去形の方は動作が終了しているが、上記では反復、ないしは動作が終了していないという違いがある。上記の文のмашинаは自転車、車、バイクや機械という意味の他に、コンピューターという意味でよく使う。

(首都は如何ですか?)Как вам нравится столица? <首都に滞在中という感じで、動作が終わっていない>
(劇はどうでしたか?)Как понравился спектакль? <劇が終わってからその感想(よかったか、悪かったかという結果の評価)が求められている>

(いかがお過ごしですか?)Как вы живёте? <Как вы поживаете? はやや古めかしい表現>
(貴国の加速器の調子はどうですか?)Как работает ваш ускоритель?
(本船の水先案内と係留をどう評価しますか?)Как вы оцениваете проводку судна и швартовку?

 жить, работатьは状態動詞であり、今現在のことを聞いているわけで、動作が終了していないし、これらの動詞には対応の完了体がないから、結果の評価では完了体が使えないという事情もある。оцениватьの文は水先案内と係留が終わってからで、その評価を求めており、返事はХорошо.な

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●第105回

含まれるのは、бывать(よく出かける)、видывать(しばしば見る)、говаривать(しばしば話す)、едать(頻繁に食べる)、знавать(しばしば知る)、пивать(よく飲む)、сиживать(頻繁に座る)、слыхивать(よく聞く)、хаживать(よく歩き回る)、читывать(よく読む)である。
видать(よく見る)、слыхать(よく聞く)も多回動詞だが、видатьには現在形もあるし、不定形でも使われ、слыхатьは不定形でも使われる。

(彼は昔もよく飲んだものだったが、今でも2週間酔いつぶれたりした)Он и прежде пивал, но теперь пьянствовал без просыпу две недели.

 多回動詞の動作の過去の時制における否定は、具体的な1回の行為の否定ではなく、多回動詞の語義にある動作が何度も行われることへの全否定なので、感情的、強調的ニュアンスをもつ。

(そんなことはこれまでの人生でまったく知らなかった)И такого никогда не знавал при жизни.
(フョードル・イワーノヴィチは何日も家に帰らなかった)Фёдор Иванович не бывал дома целыми днями.
(この無線機を聞いても君は怖くなることはないんだね)Тебе не бывает страшно, когда слушаешь этот ящик.

3-1-10 真理の提示 → 不完了体動詞現在形

 真理というのは過去から現在への規則的反復や継続であるとも言える。「地球が太陽の周りを回る」といっても、遠い未来には太陽も地球も、この宇宙も消滅すると言われているから、未来のことは分からないが、少なくとも今現在は真理と見なす事ができるということと、真理は永遠性と慣用、無条件性を強調した概念というよりは、真理やものの本質の時制には、現在のこの一瞬も含まれるから、過去、現在、未来の時制でも不完了体動詞現在形が用いられる。

(地球は太陽の周りを回っている)Земля вращается вокруг Солнца.

こういうのは公式として覚えるのではなく、なぜ不完了体なのかを考えた方がよい。日本語教育でも、真理や習慣は時制を超えているので現在で表すとあるだけであり、それ以上の説明はない。私見を述べると、今現在である2012年10月21日午前6時ちょうどでも「地球は太陽の周りを回っている」わけで、これは過程を示していることは明らかである。完了体は過程を示せないので、不完了体動詞現在形を使う事になる。また現在というのは刻々と未来に移行しているわけで、1分後には午前6時1分が現在となる。このようにして、24時間後には、22日の午前6時が現在となるわけであり、その時点でも、過程として地球は回っているわけである。イェスペルセンは「文法の原理」(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)において、「現在というのは厳密に言えば現在の一瞬であり、点としてとらえることができる。ただ現在の一点が言及された期間内に入っていれば現在の時制であり、反復についても慣用ということで、現在の一点が含まれているから現在の時制になるのだ」と指摘している。つまり、22日の午前6時現在にも地球は回っているわけで、これが反復において不完了体が使われる理由でもある。つまり「地球が太陽の周りを回っている」に不完了体動詞現在形が用いられるのは、過程の意味と、それによって生じる規則的反復の意味があるからだと考えた方がよいことになる。
天動説の人にとっては、Солнце вращается вокруг Земли.(地球の周りを太陽が回る)が真理であり、その証拠はと聞かれたら、日は東から昇り、西に沈むと言うだろう。我々にとって、それは真理でないから完了体を使わねばならないのだろうか?真理は不完了体動詞現在形で表すと教条的に考えるよりも、なぜ不完了体動詞現在形を用いるのかを考えた方がよ

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●第104回

(ナースチャは手を抜かずに、映画会館や、メモにある劇場に電話をかけまくった)Настя не поленилась, обзвонила и Дом кино, и указанные в записях театры.

過去から現在に至る動作の否定には、不完了体過去形の動作事実の無の確認を用いるべきである。動作事実の無の確認においては大過去(過去のさらに過去、過去完了)、つまりある過去の一点から別の過去の一点まで動作がなかったことを示す他に、過去から現在に至るまでの動作がなかったことを示す事ができるからである。つまり過去から現在に至る動作の否定は、3-1-7-2項の経験の否定と同じである。

(彼は火曜から電話して来ないのかい?)Он не звонил со вторника? <現在に至るまで動作がない、なかったことを示す>
(家賃をもう2カ月溜めている。そこに行くのが怖い)А за квартиру я уже два месяца не платил. Боюсь туда идти.
(お探しになったが、それでも彼は返事をよこさなかったのですか?)Вы искали, и он не отвечал? <動作事実の有の確認と動作事実の無の確認>

 забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)の不完了体は過程を示す事ができないが、このような動詞を除き、過程や状態を示す不完了体動詞現在形の否定で、過去から現在に至るまでの動作の否定を示す事ができる。この場合今現在その動作がないことに話し手の関心が向いている。

(コンピューターが昨日から動かない)Компьютер не работает со вчерашнего дня.

3-1-9 多回動詞の用法 → 多回動詞の不完了体動詞

 多回動詞は不完了体動詞から派生した不完了体動詞であり、完了する動作の規則的反復や多くの回数行われる動作の表現に特化し、主に過去の時制で使われ、多くは-ыватьや-иватьの接尾辞を持つ。この動詞を使った例を過去と現在の時制をまとめて紹介する。完了体動詞から派生した不完了体動詞で-ыватьや-иватьの接尾辞を持つものもあるが、多回動詞と違い、動詞により、規則的反復のみならず、過程、動作事実の有無の確認(過去の時制)の意味をもつが、規則的反復の用法が多い。

(奴はいい奴だ。ただ時々飲むんだよ)Он человек хороший, правда, иногда выпивает.
(私は毎朝その新聞を全部読む)Каждое утро я прочитываю газету. <читаюを使うと、用法的には規則的反復・習慣だが、新聞の第1面だけとか、テレビ欄だけとか、必ずしも全部読み通す(読了する)と言う意味にはならない>

 「~したものだった(である)」を露訳するときに、まず頭に浮かぶのは過去の例示的反復である、完了体動詞未来形を使った例示的用法である。しかも例示的用法であっても、過去の時制では動作が起こらなかったという可能性はない。また動作が頻繁であれば(規則的反復も含まれるので)、不完了体動詞過去形が用いられるが、過去形で多回動詞を使うという手もある。
多回動詞は不完了体から規則的反復のために派生した動詞で、過去の時制でよく使われ、口語的俗語的ニュアンスがある。ただбыватьは例外で、すべての時制および不定法でも等しく使われる。命令形のБывай(те).は俗語的な別れの挨拶で、「じゃあな、あばよ」に相当する。多回動詞に

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●第103回

(彼らが一緒のところを我々が見るのはこれが初めてだ)Это первый раз, когда мы видим их вместе.
(寿司を食べるのは初めてですか?)Вы впервые едите суши?
(ここは初めてです)Я здесь впервые.
(飛行機〔に乗るのは〕は初めてですか?)Вы в первый раз летите самолётом?

経験との継続の用法との組み合わせは下記の通りである。

(30年代の中ごろ以来私はナチに対しのぼせあがったことはない)Начиная с середины тридцатых годов я не обольщался в отношении к нацистам.

3-1-8 動作の否定 → 不完了体動詞現在形の否定

 不完了体動詞現在形の否定は現在の時点で、単に動作が行われていないという事であり、その動作には主観的ニュアンスがない事を示している。ここからある一定の期間(文脈によっては今後)動作が行われない、動作が起きないという非現実性を示すことにもなる。неなどの否定詞が話し手の主観を示す叙想語модальные словаとして、生(き)のままの動詞の語義(動作)そのものを否定しているため、また動作の焦点は否定詞に来て、動詞には来ないので、不完了体動詞現在形が来るとも考えられる。同様に過去の時制や未来の時制であれば、不完了体動詞過去形や未来形の否定が来る。不可能の場合は可能性という主観的ニュアンスを示すので、完了体動詞未来形の否定形を用いる。
 不完了体は過去・現在・未来の時制において動作の全否定を示し、完了体は過去や未来の時制において限定否定(具体的な1回の動作の否定)を示す。

(話を単純にするためこれについて今は述べない)Я не говорю сейчас об этом простоты ради.
(誉めもけなしもしない)Я не хвалю и не хулю.

 不完了体は無色の、付加的なニュアンスのない動作や状態そのものであるために、無色である不完了体は与えられた状況に応じていろいろな色に染まりやすい。切迫感、焦燥感などの感情的なニュアンスや、継続や反復を示す副詞(句)と共に、経過や反復といった役割を帯びることもあるが、それらが不完了体の本質ではない。それゆえ不完了体を否定すれば、動作の未着手や状態の否定を示すことになるのもうなずける。また動作遂行の意味は完了体が担うため、未着手の動作や嫌気、禁止、不必要も含めて一般的に動作を否定するのには、不完了体の否定形が使われるという磯谷孝先生のご説明もある。しかし、上の最後の文のように、否定文ではあるが、反復や慣用の意味が文脈によって派生するという例もある。多回動詞の動作の否定については3-1-9項参照のこと。

(冬はまだ終わっていない)Зима ещё не кончается.

 上の文だと、終わるという動作が始まっていないという事(未着手の動作)を意味する。一方、完了体動詞過去形を使って、Зима ещё не кончилась. だと終わる動作は始まったが、終了していないということになる。2-1-2-2項や8-2-4項も参照願う。
 語義に動作の否定的ニュアンスのある動詞を否定すれば、動作を肯定的にとらえるというような主観的なニュアンスに変わるということで、完了体が用いられる。これは動詞にもよるが、過去、未来の時制、命令法、不定法での完了体に共通する否定の用法と言える。

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●第102回


(よくないね!だって君は今まで注意されたことはなかったのだから)Как нехорошо! Ведь ты никогда раньше не получал замечаний.
(こんな巨大な蚊は一度も見たことがない)Таких огромных комаров я вообще никогда не видел.
(これまで一度も見たことがない)Никогда не видел прежде.

「そんなことはない」はНет ничего такого.だが、経験の用法を使って、Ничуть не бывало! とも言える。<相手が期待したことへの否定。ничего не бывалоは廃語>
Никогда не было у меня несчастья.(僕は不幸という事を経験したことがない)<必ず補語がつく>

形動詞は動詞由来故、能動形動詞過去も経験を示す事がある。

(中南米のピラミッドの内部ではこれまでお目かかったことがない墳墓)Захоронение, не встречавшееся прежде внутри американских пирамид

3-1-7-3 事実の有無の確認

動詞бытьの過去形による経験の用法で、動作というよりは起こった事実の有無の確認といった方がよいかもしれない。同様に動名詞(ないしは動作を示す名詞、または被動形動詞過去形短語尾)との組み合わせでもこの意味は出せる。10-3-2項の「ありますか」構文も参照されたい。

(負傷したり、挫傷〔打ち身〕をしたことがありますか?)Вы были ранены или контужены?
(似たような皮膚の発疹は、もうすでに出ましたか?)У вас были уже подобные высыпания на коже?
(腎疝痛の発作を経験したことはありますか?)У вас был приступ почечной колики?
(面倒なつながりは認められていない)В связях, порочащих его, замечен не был. <人事考課の決まり文句で、3-1-7-1項の最初の例文と同義。В порочащих связях не замечен.でも可だが、結果の存続の用法となり、今のところというニュアンスが出る>

3-1-7-4 現在を含む経験

経験という用法は基本的に現在から過去を振り返っての用法だが、経験が現在にも関係している場合には、遂行動詞や反復の意味の不完了体動詞現在形、быватьなどの多回動詞現在形を使い、経験と継続の組み合わせでは不完了体の過去形のままでよい。

(俺に任せろ。絶対に酔わないから〔酔ったことなんかないんだ〕)Положись на меня, я никогда не пьянею.
(間違うことなんてあるの?)А ты когда-нибудь бываешь не прав?

初めてというのは良否、好悪に関わる評価という一面もあり、そのため評価解釈型動詞と共に用いる事もできる。また動詞бытьは現在の時制では普通は明示されないが、初めてを示す時の状況語と共に状態動詞の結果の存続を示す事もある。動作が終わっていれば2-2-1-1項の点過去である。

(初耳です)Первый раз слышу.
(気でも違ったのですか。お会いするのは初めてです)Вы с ума сошли! Я вас вижу первый раз.

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●第101回

югославских отношений с первых шагов.
(その小説は1862年最初に活字となった)Роман впервые появился в печати в 1862 г.
(私はこの公園で初めてスケートを滑った)Я впервые покатался на коньках в этом парке.

動作事実の有無の確認(動作があったかどうかが不定)には多回動詞、ないしは不完了体が用いられる。経験は規則的反復と同じ用法と考えてよい。特に疑問文の場合は、多回動詞を使えば、1度ないしはそれ以上というニュアンスが出せ、より不定の意味が明確になる。

(モスクワに行かれたことはありますか?)Вы раньше бывали в Москве?
(モスクワに行くことはありますか?)Вы бываете в Москве? <現在の時制の経験・規則的反復Вы летаете в Москву? Вы ездите в Москву?というのも同義である>
(戸外に出るようになればなるほど、〔それは〕結構なことです)Чем больше вы будете бывать на свежем воздухе, тем лучше. <未来の時制の経験・規則的反復>
(この都市にはよき時代というものがあったのか?)Этот город знавал лучшие времена? <多回動詞>
(輸血をしたことがありますか?)Вам когда-нибудь делали переливание крови?
(負傷したり、挫傷したことがありますか?)Вы были ранены или контужены?

「通う」という意味では、語結合的に都市でなければ、ходитьが使える。必ずしも歩いて行くということではない。

(その劇場に行くことはありますか?)Вы ходите в театр?  <一つの劇場だけに>
(芝居に行くことはありますか?)Вы ходите по театрам? <複数の劇場に>

 これに対して、下記の文は全て1回の動作に関してである。

(モスクワに〔一度〕いましたか? → モスクワに行って来ましたか?)Вы были в Москве?  <(モスクワに一度行ったことはありますか?)という意味にも取れなくもない>
(〔今〕モスクワですか?)Вы в Москве?
(モスクワに行きますか?)Вы будете в Москве? 
(血便が出たことがありますか?)У вас был когда-нибудь стул с кровью? <一度でも経験があるかという事で、былが来ている>
(前に大けがをしたりしたことがありますか?)Раньше у вас были серьёзные травмы? <同上>

3-1-7-2 経験の否定

 なお経験の否定、つまり「~を一度もしたことがない」という用法は動作の否定だから、不完了体の領域となる。この用法を磯谷孝先生は、否定的一括化と呼んでいる。不完了体動詞過去形の否定を用いると過去の時制でそのような動作はなかったということを示すだけで、文脈によって、それが現在に及んでいる場合と、大過去(過去のさらに過去、過去完了)のように過去のある地点からある地点までの継続のどちらかを示す事になる。また完了体動詞過去形を用いると、「一度すらも」という特定な一点を意識することになって、過去や未来の時制の否定の強調(2-2-1-6項、3-2-3項)となる。3-1-8項も参照のこと。

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●第100回

られないものだからであろう。

(今日散歩しましたか?)Вы гуляли сегодня?

しかし、一度だけの経験であれば、過去の特定の時点をイメージしているなら完了体動詞過去形が、イメージしていないなら不完了体動詞過去形が来る。経験だから、何でも不完了体というわけでは必ずしもない。一度というのは、それをイメージする限り、具体的な過去の状況語を思い出せなくとも、過去の一点であることは間違いないので、完了体動詞過去形が出やすいという事は言える。

(その時俺は疲れていた。一度など、なんとか生きているという体たらくで帰宅したものだ)Тогда я уставал, в один раз вообще приехал домой еле живой.
(キエフ出身の僧のルーファが一度彼女のところに来たことがある)Приехал раз к ней монах Руфа из Киева.
(帝は一度酔っ払いの一団と来たことがある)Приехал раз царь с пьяной компанией.
(彼は俺のところにすでに一度来たことがある)Он ко мне уже один раз приезжал. <ужеがあるので、反復のニュアンスで代動詞の不完了体が来ている>

無人称動詞であるприходитьсяやслучаться, доводитьсяという不完了体の過去形にも経験の用法がある。行くという意味ではбытьと共には使わず、быватьという多回動詞を用いるのは1回と断定しないためであろう。

(前に彼と会ったことはない)Раньше мне не приходилось встречаться с ним. <= Раньше я не встречался с ним.>
(そこに行ったことはありますか?)Приходилось вам там бывать?
(私は日本に行ったことがある)Мне случалось бывать в Японии.
(そのような豊かさを彼らはこれまで見たことはなかった)Такого богатства им ещё не доводилось видеть.

上記の動詞を完了体動詞過去形にすれば、1度そういう羽目になったという点過去になる。時間を示す状況語が動作の過去の一点を示すならば、動詞には完了体動詞過去形を用いると述べたが、そのような状況語がなくても、動作が過去の一点に行われたという意識があれば、完了体動詞過去形が来る。自転車に乗れたり、スケートが滑れるということは、過去のある一点において初めて乗れるようになったり、滑れるようになり、ふつうは現在もできる(結果の存続)ということでもある。はっきり小学二年生のいつと覚えている人もいるかもしれないが、覚えていない人も多いだろう。しかし、このようにいつかは知らないが動作が過去の一点で行われたということが、明らかであれば完了体動詞過去形が来る。このように明示するどうかは別にして、「初めて」という意識があれば、過去の一点を示しているという意味から完了体動詞過去形との結びつきが多くなるのはこのためである。動作が過去の一点で起こったというのは、一度(1回)だけ起こったということなので、「一度~した)」、「一度も~しなかった」〔否定の強調〕という動詞句にも、過去の一点すら否定している以上、主観的ニュアンスがあると見なされ、完了体が出やすいという事になる。現在の時制での「一度も~しない」という場合は、例示的用法の派生で、潜在的可能性をも否定するわけだから完全な否定、つまり否定の強調になる。2-2-1-6項参照。

(私はソ連・ユーゴ関係正常化のプロセスにたまたま最初から加わるはめになった)Мне довелось участвовать в процессе нормализации советско-

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●第99回

 経験には明確に一度だけという経験と、回数は一度ないしはそれ以上の経験と、いつかという事も分からないという経験があるが、明確に一度だけという経験は点過去であり、2-2-1項を参照願う。この項で扱うのは、後者の回数ははっきりしないが、一度ないしはそれ以上であり、いつかという事を覚えていないか、特にイメージしない場合である。

3-1-7-1 経験の用法と不完了体動詞過去形

(不名誉な〔彼の名誉を棄損するような〕係累なし)Связей, порочивший его, не имел. <人事考課の決まり文句>

 上の例文でも分かるように、経験(~したことがある)の用法は〔過去の時制〕の項の動作事実の有無の確認の用法の一つであり、不完了体動詞過去形を使う。これは経験では過去の動作はあるが、現在や未来の動作はなく、過去の時制以外では使われることがない不完了体過去形が用いられているためである。過去において少なくとも1度そのような動作があったことを示すが、いつかとか、回数については言及しない。同じ経験という用法でも、ただ1度の経験に言及し、かつ動作の起きた時点がいつかということを明示するかどうかは別にして、念頭に置く場合は、完了体動詞過去形の点過去の用法が使われるので、違いを明確に理解することが必要である。不完了体動詞過去形は、具体的な過去を示す時の状況語(3日前とか、1965年とか、昨日など)を話し手が特にイメージしないため、相性が悪く一緒に使えないと考えてよい。使えるとしたら、例えば昨日のような状況語が時間の軸の一点ではなく、期間を示す場合である。この用法であることをより明確にするために、прежде, раньше(以前に)、хоть раз(一度でも)、когда-нибудь(かつて)、уже(すでに)という状況語と一緒に使われることもある。また否定文では不完了体動詞現在形も使える。3-1-9項の多回動詞の用法も参照願う。

(淋病、梅毒の治療を受けたことがおありになりますか?)Вы лечились когда-нибудь по поводу гонорея, сифилиса?
(以前尿に血が混じっているのに気がついたことがありますか?)Вы замечали прежде кровь в моче?
(胃の切除のとき1度アシストしたことがある)Один раз ассистировал при резекции желудка. <1回の経験だが、具体的にいつの時点かを意識していないのと、動詞に継続の意味があるので不完了体動詞過去形が来ている>

この用法は日本語の「~したことがある」と訳の上でかなりうまく対応するが、いつもというわけではない。日本語では「一度~したことがある」や「一度も~したことがない」は普通の日本語だが、ロシア語にする場合、肯定文である前者でも過去の特定のいつかをイメージしている場合は、完了体動詞過去形を使うし、否定文である後者でも完了体・不完了体両方の過去形(2-2-1-6項参照)が使われる。100%言葉だけに頼らずに場面をイメージすることが大切である。

(肉を食べましたか?)Вы ели мясо?

 上の文を「肉を食べたことがありますか?」とするのは、菜食主義者への質問などを除き、よほど特殊な文脈であろう。これは食あたりのときに肉を食べたかどうかを医者が聞いているにすぎず、動作事実の有無の確認という用法である。日本語の「~したことがある」という経験の用法も、露訳すれば動作事実の有無の確認の有無の一つではあるが、обедатьなど日常動作の規則的反復を意味する動詞は経験の意味に用いられない。これは経験という用法が日常的で当たり前に行われるような動作には用い

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●第98回

исключением того , что запрещено.
(室内のたき火厳禁)Разведение открытого огня в помещении строго запрещается.

この二つの違いは、被動形動詞過去の現在の時制の用法が動作の終了したのが、過去、ないしはたった今ということだが、不完了体動詞現在形には状態の意味であり、たった今終了したという意味はない。この動詞には遂行動詞の意味もある。
 状態動詞がуже(すでに)との組み合わせで結果の存続を意味することがある。

(この瞬間から私たち赤の他人よ)С этой минуты мы абсолютно чужие люди! <狭い意味の現在(この瞬間)と広い意味の現在(今後という今から未来を含む日本語の文字通りの意味)を同時に示す用法>
(このような装置が何台御社ですでに稼働しているのですか?)Сколько таких установок вами уже эксплуатируется?
(「ママ、もう起きてるよ、起きてるってば、ママ」と言って、また寝入ってしまった)И говорил "Мам, я уже встаю, встаю, мам!" и засыпал опять.
(息子はもう独り立ちしている)Сын уже на ногах. <「息子はすでに歩けるようになっている」とも訳せる>
(女中は私がもう寝ていると言った)Горничная сказала, что я уже сплю.

ужеがなくとも、それが含意されていれば、знатьのような状態や反復の動詞にも、быть осведомлённым(知らされている)という意味の、次のような動作の起点が明確な結果存続の用法がある。

(当直の報告からどうなったかは知っている)Из донесения дежурного я знаю, как обернулось дело.
(彼の話をするとすぐに彼は現れたものだ)Только что о нём говорили, а он тут как тут. <тут как тутは慣用句で、全体的に規則的反復の用法であり、例示的反復も示す事ができる>
(夏は暗くなるとすぐ蚊が現れ、やりきれなかったものだ)Летом, как только стемнеет, комары тут как тут и просто житья от них нет. <完了体未来形の過去への時制転用で例示的反復。2-2-5項参照>

完了体は完了体過去形や被動形動詞過去短語尾の結果の存続の用法を除き、状態を示す事はない。ただ状態動詞の中のбыть動詞のみは4-1-2-5項に示すように、現在の時制で近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)を示す事ができる場合もある。また状態動詞が不完了体未来形を取る時は、新規の事柄も示す事ができる。これは未来の時制で動作の継続の意味を示す対応の完了体がないことに起因すると思われる。

(無線交信はどの周波数を使えるようにしますか?)На каких частотах будет поддерживаться радиосвязь?
(老後は何をして働くつもりですか?)Кем вы будете работать в старости?

 形容詞の短語尾にもこの用法があるものもある。動作よりその結果の存続に文の焦点があるからとも言えるし、動詞бытьが動作の意味に用いられ、その結果の存続の用法であるとも言える。8-1-1項も参照願う。

(ロックンロールは死んだ)Рокк-н-ролл мёртв.
(彼は亡くなったが、彼の事業は生き続ける)Он мёртв, но дело его живо.

3-1-7 経験(~したことがある)

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●第97回

держатьが使える。по-прежнемуは「以前のように、相変わらず」という意味で、調子を整え、強調のために置いたので、なくても意味は通じる。主語を末尾におくことで(レーマ〔新しい情報〕は末尾に来るのが普通なので)強調になっている。

(現代日本の思想研究は、かなりの弱点を抱えたままである)Изучение идеалогии современной Японии продолжает оставаться довольно слабым местом.
(お前だって自分の携帯を何日もほぼ丸々1日オフのままにしてるじゃないか)Ты ж свой мобильник теперь почти круглые сутки отключённым держишь!
(問題は未解決のままである)По-прежнему нерешённой остаётся проблема.
(この問題は未解決のままである)Этот вопрос остаётся открытым.
(押し込み事件は未解決となったろうに)Разгромы и ходили бы в темноте.
(その犯罪は今に至るまで未解決である)Преступление до сих пор не раскрыто. <被動形過去の現在の時制не раскрытоはこの状態が今も続いている事を示す。не было раскрытоとなれば、解決された可能性が高い>
(その殺人は未解決のままだった)Убийство оставалось нераскрытым. <оставалосьと不完了体動詞過去形をつかっているものは、解決されなかったかもしれないか、あるいは解決されたかどうかについて、話し手が興味を持っていないことを示している>

副動詞やその否定、否定命令文を使っても、「~(の)ままである」を表現できる。

(灯りをつけたまま寝た)Заснул, не выключив свет. <= Заснул, оставив свет включённым.>

「そのままお待ちください」でも、Останьтесь. と完了体であれば、新しい事態や情報が出てくる場合ということなので、相手が帰るそぶりを見せたときなどに使う。

(〔会議の後で〕そのままお待ちください)Не расходитесь. <= Оставайтесь.>

 ちなみに状態動詞にпо-やпро-という接頭辞をつけて完了体を作れば、それは動作の終了を含意した継続の用法となる。

(暑さは丸1カ月続いた)Жара простояла целый месяц.

3-1-6-2 状態動詞と結果の存続

 (分かった)Понял. は完了体過去形の結果の存続用法であり、これは(分かります)Понимаю.という遂行動詞に意味的に非常に近いことが分かる。これを否定文にしても意味は変わらない。ちなみにне понимаюは遂行動詞ではなく、状態動詞の否定である。

(私はこれが分からない)Я этого не понял. = Я этого не понимаю.

さらに、この用法は被動形動詞過去の現在の時制における結果の存続の用法に意味的に非常に近い。それは次の二つの文のзапрещеноとзапрещаетсяが同義であることからも分かる。

(禁止されているもの以外はすべて許可される)Всё разрешено, за

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●第96回

る行為、動作などを示す。状態動詞を便宜上現在の時制で扱っているが、過去、現在、未来の時制を問わず状態動詞は用いられる。3-1-3-1項の過去から過去、現在及び未来に至るまで示したような例もあるが、基本的に状態動詞は動作の開始や終了を問題にしない。そのまま同じ動作が続くという意味では、過程の用法と同様、無意識な動作であり、話し手にとって主観的な動作ではないゆえに不完了体が用いられる。過程と違うのは、質的な変化がない静的な動きстатикаということにある。過去の時制においては、特定の不動の一点ではない、つまり前後から孤立していない時間軸の一点、ないしはそれを含む期間を示す状況語と共に用いられるし、現在の時制、未来の時制においても同様である。
完了体動詞過去形や被動形動詞過去形の現在の時制で用いられる結果の存続(現存)は、動作が終了してその状態が続いている事を示す点では状態動詞に似ているが、状態動詞は動作の状態が継続している。また結果の存続の用法が示す今動作が終了したという動作終了の強調という意味を、状態動詞では示せないという違いもある。しかし、完了体動詞過去形では点過去と結果の存続を区別するのは文脈に依るのであり、状態動詞はその動作の状態にあることを明確に示す事ができるという違いもある。評価解釈型動詞との違いについては、状態動詞は動作の評価をしないという点が挙げられる。
また、окружать(ся)〔囲む、囲んでいる〕、омывать(ся)〔川や海で囲む、囲んでいる〕のように対応の完了体もあり、完了体・不完了体は動作の意味を、不完了体だけで状態の意味を示す動詞もあるので、状態動詞と遂行動詞を区別するために、露露辞典でチェックの必要がある。語義にнаходитьсяやбытьが含まれていれば状態動詞である。状態動詞としては他にвключать(ся)(含まれている)、вмещать(ся)(入っている)、входить(入っている)、лидировать(リードしている)、помещать(ся)(入っている)、содержать(含まれている)などがある。後述の7-3項казаться/показатьсяは体のペアとならない例であるが、これも参照願う。状態動詞には過去から過去、現在及び未来に至る、およびないしは (and/or) 規則的反復の意味もあるので、3-1-3項も参照乞う。また状態動詞と評価解釈型動詞の違いについては3-1-5項および3-1-5-1項を参照願う。状態動詞が現在の時制で近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)を示す事ができることについては3-1-3-5項参照。また状態動詞と未来の時制での反復については4-1-4項参照のこと。

(城は堀で囲まれている)Замок окружается рвом с водой.
(その島はあらゆる方角から水に囲まれている)Остров со всех сторон окружён водой
(この記事は何面に出ていますか?)На какой полосе помещена (помещается) эта статья?
(まさかゲシュタポがわれらのコードをかぎつけたわけがない。それはない)Вряд ли гестапо могло засветить наш код, это исключается. <「ない」というのも状態である。意味的にはисключеноと同じである>

 上の文では、状態動詞であるокружается, помещаетсяと、被動形動詞過去短語尾окружён, помещена と実質的な意味の差はないことになる。違いは、現在時制では被動形動詞過去短語尾は結果の存続から、たった今動作が終了したというニュアンスがあるが、状態動詞では、それ以前からずっとこのような状態であるという意味である。
 3-1-3-1項にあるように、状態動詞は過去から現在までの経過を表すことができる。

(彼は5年くらい車を保有している)Он имеет машину лет пять.

「ままである」という意味ではоставатьсяやпродолжать оставаться,

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●第95回

に、明らかに評価解釈型である。

(彼は見かけほど単純ではないという気がする)Я начинаю думать (считать), что он не так прост, как кажется.
(あなたたちがどんなに良い人たちかという事が、今になって分かる気がする)Только теперь я начинаю понимать, какие вы хорошие люди.
(また〔いつものやつが〕始まった)Ну, опять начинается. <同じ意味でОпять началось.や、口語で(ほら始まった)Ну, поехал.〔主語によって、поехала, -о, -иになる〕も使われることから、明らかに意味は結果の存続という事であり、動作(愚痴、自慢話など)がたった今始まったということが分かる。ついでにいうと、この「始まった」という日本語は過去形ではなく、確述という用法である>
(今になってようやく生きているという実感がわいてきた)Я теперь только жить начинаю.
(おっしゃることが分かりかけています)Я начинаю вас понимать.
(あなたたちがどんなに良い人たちかという事が今になって分かる気がします)Только теперь я начинаю понимать, какие вы хорошие люди. <「今になってようやく分かってきた気がする」>
(内乱や国内のあつれきがひどく気になりかけている)Я начинаю сильно опасаться междуусобий и внутренних раздоров.

3-1-6 状態動詞

状態動詞は恒常的事実(いつものこと)や、また3-1-3-3項や3-1-3-5項から分かるように、現在の時制では過去から現在へと動作の状態の継続を示す。つまり動作の一点がないか、あるとしても直線などの連続する点で示されるという事を意味する。過程процессностьの用法には3-1-1項記載の動作動詞による二次元や三次元における移動を示す動的過程用法(進行形)と、そのような移動のない状態動詞による静的過程用法がある。
状態動詞は現在の時制で予定の意味では使えないが、8-1-1項で示すように動詞бытьの場合、「いる、ある」という意味の他に、4-1-2-5項のように「到着する」、また主語が3人称のみで「起こる、現れる」という動作を示す完了体的な用法があり、それらは現在の時制で完遂的用法として使える場合もある。2-1-7項のように過去のある時点からある時点までの継続も過去の時制で示す事ができる。また4-1-2-6項の予想を意味する動詞群も、未来の時を示す状況語と共に用いることができる。

(5分後に開始だ)Через пять минут начало. <このначалоは開始という意味の名詞>

3-1-6-1 状態動詞とは

 状態動詞は「ある、いるбыть(存在の動詞、8-1項参照)やнаходиться(位置や所在の動詞)」の意味を語義に持つ不完了体で、そのままの動作の状態の維持を意味しており、場依存型の動詞であると言える。状態動詞は語義的に、時間軸において動作の特定かつ不動の一点(到達点)を示す事ができないゆえに対応の完了体をもたないと言える。対応する完了体がない不完了体のработать(働く)やспать(眠る)などは、動作の意味で過程や反復の意味も示せるが、継続の意味を示す時には、поработать(ちょっと働く)、проработать(働きとおす)、поспать(ちょっと眠る)、проспать(眠りとおす)など体のペアではないにせよ、継続期間の区切りを示す派生した完了体がある。このように状態動詞には、входитьのように語義に動作と状態の二つの意味を持つものもあるので、露露辞典にて用法を確認されたい。
 この状態動詞は、その時点より過去において発生、ないし開始した動作がそのまま存在していることを示し、現在も含めてある期間行われてい

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●第94回

работать(作用する)、разыгрывать(いたずらする)、ронять достоинтсво(面子を失う)、самоутверждаться(自我を確立する)、слышать(耳にする)、совершать преступление(罪を犯す)、соблазнять(誘惑する)、содействовать(協力する)、терять лицо(顔をつぶす)、угрожать(脅かす)、шутить(冗談を言う)などである。これらの動詞はこの用法で否定文でも使われるが、挿入句として使われることはない。ただютиться(ちんまりと暮らす)などの否定文における使用は大いに疑問である。

(本年8月14日総会を流会させたかどで告訴されています)Вы обвиняетесь в том, что 14 августа сего года сорвали общее собрание.
(粥はこんなにおいしいけど嫌いだ。もちろん冗談だけど)А я не люблю, хотя каша такая вкусная!!!” Это я шучу, конечно. <шучу の代わりに пошутил.と完了体動詞過去形を使っても意味は変わらない>
(永の旅路で足がすれて血が出たという事を忘れさえしている)Я даже забываю, что в дальней дороге стёр ноги до крови. <забывать = переставать помнитьなので、状態動詞でもあり、動作の動詞という面もある>
(私に子供がいるという事をお忘れですね)Вы забываете, что у меня есть дети. <Вы забыли, что...としても意味は変わらない>
(僕自身、自分の著作なんかもう忘れているよ)Я уже сам забываю свои сочинения. <забыватьもまだらにものごとを忘れるということはありうるが、規則正しく徐々に忘れるという概念とはなじまない。この文は作家ゾーシシェンコЗощенкоの言葉>

опростоволоситься(へまをする)、сплоховать(しくじる)は完了体であり、対応する不完了体がなく、評価解釈動詞の対応する完了体のような働きを持ち、過去と未来の時制でのみ使われる。

3-1-5-3 начинать の現在形の特殊用法

「リンゴやバナナ、牛乳などをジューサーで混ぜている」では、撹拌という過程を経て、結果としてミックスジュースが出来るのだが、「~という気がしてきている」では、ある考えがすでに頭の中に存在するということを意味する。不完了体のначинатьがдумать, считать, пониматьと結びついて、一人称ないしは意見の主体が主語に立つ時は、たんなる心の状態の始まり(意見の形成)を示すのではなく、前の意見の変更に関わる意志的な行為を示すとシノニムの辞典にはある。つまりначинаю думатьも、начинатьの後の不定形が過程(~と考え始めつつある)を示すというよりは、「もうすでにそういう考えに変わった」という結果の存続のニュアンスであり、そういう考えの確信が高まって行く過程を不完了体動詞現在形で示しているにすぎない。断片的な(部分から成る)意見というものは、それだけでは意味が不明であり、それを意見とは呼ばない。意見というのは一つのまとまりであって、ある意見が部分的に分かるというのはまさに一知半解ということになる。例えば、「シンプルなものはごまかせない」という化粧品のCMがあり、「シンプルなものはごまかせないと考え始める」と一見言えそうだが、考えるときに、「シンプルな」、「ものは」、「ごまかせない」と、歩いていて景色が変わるように我々の頭でとらえているわけではない。ロシア語のначинаю думать, что ...というのは「シンプルなものはごまかせない」で一つの考えであって、細切れの「シンプルな」とか「ものは」とか「ごまかせない」では考えとしての意味を成さない。考えというものは、あるいはある考えを考えるという事は、全一的であり、1/2の考えとか、1/3の考えというものはあり得ず、全てということになる。せいぜいのところ、その考えに対して確信を持ち始めるということだと思う。イメージと思考は別物であり、厳密な意味で、思考には過程というものはないと言えるのではないか。そういう意味で、この動詞のこの用法は、「~であると考える」という評価の意味も含まれているため

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●第93回

の説明というよりは、何かより具体的な事柄に対して、しかも唐突な感じ(新規の事柄として)で使われ、不完了体は場依存型であり、文脈や状況に合わせての、応答であることを意識した補語がないような文脈などで使われる。このように厳密に言えば、評価解釈型動詞には不完了体のみならず、それとペアを成す完了体も含まれるが、完了体動詞過去形は点過去(の結果の存続)の延長であるため、ここでは和文露訳をする上で理解が難しいと思われる不完了体動詞現在形に絞って説明する。

(番号〔ドア〕をお間違えです)Вы ошиблись номером (дверью).

「(この薬)効くね」をロシア語にすると、普通に考えれば、完了体動詞過去形の結果の存続を使って、(薬はすぐ効いた)Лекарство подействовало немедленно.と考える。無論、これはこれで正しいのだが、Действует.と言う方が多い。これには動作の評価と結果の存続が含まれていて、いわゆる評価解釈型動詞の用法である。栄養ドリンクの宣伝だと思うが、「効くぅー」というのがある。この日本語自体は遂行動詞であろうが、このコマーシャルは、「効いた」と同じかというと、少し違うように思う。подействовалは完了体動詞過去形だから、基本的な意味はアオリスト的なものであって、結果の存続というものは文脈に依存する。時制に関していえば、現在と関係があるのかどうかが分かりにくい。一方、Действует.の方は不完了体動詞現在形で現在そのものであり、現在の時制と結びついていることを強くアピールできるから、ロシア語でも、日本語でもこちらの方が会話でよく使われると思われる。同じことは、バレー、柔道などの技の練習をしているときに、その技ができたときは、(万歳、やったー〔技が使えた〕)Ура, работает!というが、このработаетも結果の評価と結果の存続の意味があり、この意味では評価解釈型動詞である。
 遂行動詞もуже(すでに)と共に結果の存続を、さらにхорошо(よく)などの評価を示す状況語と組み合わせることで、評価解釈型動詞となることがある。また3-1-6-2項も参照乞う。

(もうロシア語がうまく話せますね)Вы уже хорошо говорите по-русски.

3-1-5-2 評価解釈型動詞群

 この動詞に含まれるのは、下記の動詞群であるが、この用法だけで使われるという意味ではない。文脈によっては過程や反復、状態の用法でも使われるものもある。

брать на понт(はったりをかける)、видеть(目にする)、врать(法螺を吹く)、выигрывать(勝つ)、выручать(救い出す)、говорить неправду(嘘をつく)、грешить(〔道徳的〕罪を犯す)、действовать(効いている)、догадываться(推測する)、заблуждаться(誤解する)、забывать(忘れる)、забываться(言葉が過ぎる)、издеваться(馬鹿にする)、изменять(浮気する)、искупать(罪滅ぼしをする)、карать(懲らしめる)、каркать(不吉なことを言う)、клеветать(中傷する)、кривить душой(嘘をつく)、лететь(飛行機に乗る)、лгать(嘘をつく)、лишать(なくす)、мешать(邪魔をする)、наказывать(罰する)、нарушать правила(規則を破る)、обвинять(告訴する)、обвиняться(告訴されている)、обманывать(ごまかす)、оплошать(へまをする)、оценивать(評価する)、оцениваться(評価される)、ошибаться(間違える)、переоценивать(過大評価する)、подозревать(~ではないかと疑う)、попустительствовать(見て見ぬふりをする)、поступать правильно (неправильно)(正しく〔間違って〕行動する)、потворствовать(大目に見る)、преступать закон(法を犯す)、преувеличивать(過大評価する)、преуменьшать(過小評価する)、придумывать(思いつく)、принимать(誤認する)、проигрывать(負ける)、происходить(出自が~である)、прыгать(話が飛ぶ)、путать(間違える)、

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●第92回

相対時制(9-2-1項)のところでも説明したように、что以下は発話の時点での動作だから、что以下に遂行動詞を持ってくることは可能である。

(ばかなことを言っているのがお分かりなのですか?)Вы соображаете, что несёте? <соображать = пониматьで、今相手が言った馬鹿なこと(具体的な1回の行為)に対して遂行動詞が使われている例である。しかもчто以下のнесётеも遂行動詞である>
(変な事ことを言ったことに気づいた)」Я почувствовал, что говорю не то. <говорюは遂行動詞だが、何かを言いかけて気付いたという過程の意味にも解釈できる>
(お話の途中失礼ですが)Простите, что прерываю вас. <直訳すると「お話の腰を折って、申し訳ありません>

3-1-5 評価解釈型動詞 → 不完了体動詞現在形

3-1-5-1 評価解釈型動詞とは何か

 評価解釈型動詞интерпретационные глаголыというのは、動詞自体には具体的な動作の意味はないが、発話において具体的な動作の評価を示し、動作の解釈は発話と共に始まり、発話の終了と共にその解釈(判定)は終わるので不完了体動詞現在形が用いられる。遂行動詞の中に判定宣告型というのがあり、これに具体的な評価(マイナス評価が多い)を併せたものに近い。またこの動詞群はこの用法では過程(進行形)の意味では用いないので、所与の状況や文脈に沿った動作ということで、不完了体現在形を用いて現在の時制でのみ用いられる。そのためこの動詞は過去や未来の時制で用いられた場合、評価解釈型動詞ではなく、動作事実の有無の確認か反復の用法である。動作の評価を示すので二人称で使われることが多い。完了体動詞過去形の結果の存続という用法は、文脈によっては点過去との区別がつかないし、たった今動作が行われたのか、それとも今より前に動作が終わったのかが分からないという欠点があるが、この用法はたった今動作が行われたという意味であり、そのような誤解はない。評価解釈型動詞という日本語の用語は確立したものではなく、もっと適切な用語があれば、それに替えることに吝かではない。

(騙されていらっしゃるんですよ)Вы обманываетесь.
(誤解です)Вы заблуждаетесь.

上の文は過程を示しているのではなく、具体的なマイナス評価を示している。3-1-7-4項に示すように初めてを意味するときの状況語と共にも使える。

(勘違いなさっていますよ、お間違えです)Вы ошибаетесь.
(行動は間違っていらっしゃいます)Вы поступаете неправильно
(私の事を中傷していらっしゃいます)Вы клевещете на меня.
(そうなるとまるっきり話は別だ)Это совсем меняет дело!

これらの動詞群は発話終了と同時に、〔すでに考えの間違いは犯された、間違った行動はなされている、すでに中傷という事実はある〕という(ほぼマイナスの)評価が示され、これは完了体動詞過去形のもつ結果の存続と結果の評価を併せた機能に近い。そのような文脈において、この用法の体のペアである完了体動詞過去形と不完了体動詞現在形は互換性があると言える。その点が遂行動詞(3-1-4参照)との違いである。それゆえ、Вы ошибаетесь.もВы ошиблись.も意味的には同じということになり、ошибиться/ошибатьсяが不定形で用いられた場合も同じである。完了体動詞過去形の方は、完了体自体が話し手にとって場独立型ということで、本質的に具体的な1回行為に使われる面を持っているという事から、行為

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●第91回

点から動作が始まり、発話終了と同時にメッセージが聞き手に伝わる動詞であるため、否定では動作が始まらない以上、定義的に成り立たないことになる。
遂行動詞の否定(専門的に言えば発語内的否定)は、元の発語内行為の否定ではなくて、保留であり、「ない」は遂行動詞ではないということが入江幸雄先生の『発語内的否定と質問』という論文に書かれている。つまり遂行動詞を否定すると、否定された動詞は遂行動詞とは言えず、遂行する動作自体が存在しなくなるのだから、「~しないことになっている」というような、動作自体を否定し、一般的にこうだという意味にしかならない。またパードゥチェヴァ先生も遂行動詞は否定を許容しないと述べておられる。遂行動詞の用法を否定文で用いたければ、否定の強調(3-2-2項)を参照願う。

(申し上げる決心がつかないのです)Я не решаюсь вам сказать.

上の文で「決心がつかない」というのは心の内、ないしは独り言であり、これだけであれば、言わんとするところは聞き手には伝わらない。しかし、対話の文章とすると、「決心がつかないのです」と言われた瞬間、その内容を聞き手は了解するから遂行動詞ではないかと思われるかもしれない。しかし、厳密に言えば、上記の文は、「決心がつかないと言う」となって、はじめて聞き手に了解されるわけで、「言う(伝える)」が省略されていることが分かる。言うговорюも伝えるсообщаюも遂行動詞であることは言うまでもない。つまり「決心がつかない」は遂行動詞 + что以下の従属節の文ということになる。
賛成か反対かを問われて、Против.(反対です)といえば、遂行動詞的用法だが、これをНе согласен.(賛成しない)と返事すれば、遂行動詞的な、具体的な事柄の否定の意思表示である。ただ会話の用例を見ても、叙想語を使って、Не могу согласиться.(同意できません)とするか、仮定法過去Охотно бы, но не могу.(そうしたいのは山々ですが)などを使うわけで、遂行動詞の不完了体動詞を否定して、かつ否定的ニュアンスのまま使う例はないと思われる。これは遂行動詞が定義的に否定文では使えないので、それを避ける工夫がなされているとからだと思われる。どうしても遂行動詞を否定で使わざるを得ない場合には、動詞自体に否定的ニュアンスがあるものを否定する、つまり二重否定にして肯定文として用いられることになるというのが私の考えである。
遂行動詞が否定で用いられないのは、肯定的なことは一人称で述べるが、相手に悪印象を与えるような否定的なことは不定人称文や受け身(受動態)にして動作主をぼかすという人間心理が働いているのかもしれない。否定であっても動作が肯定的内容であれば遂行動詞が使えるということがその例証である。

(断固反対する)Решительно отказываюсь!
(そのような意見には反対しない)Я не возражаю такого же мнения. <意味的に肯定なので遂行動詞として使われているのであろう>
(万事順調)Я не жалуюсь. <= Всё в норме.ということで、Как дела?〔調子はどう?〕の答え。文字通りの訳では「文句はない」だが、そこから派生して、形式は否定文だが、意味的には肯定であり、遂行動詞的用法となったもの>
(戻ると僕は約束する)Я обещаю вернуться. <遂行動詞>
(戻るとは約束しない)Я не обещаю вернуться. <パードゥチェヴァ先生は保留というよりは拒否のニュアンスがあると述べている>
(弊社は他の方々にお客様の個人データを知らせることは一切ありません)Мы никогда не сообщаем ваши личные данные другим сторонам.

3-1-4-9 従属節中の遂行動詞

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●第90回

体現在形一人称でも言える。ただこの場合、прошу(お願いする)と、попросить = позвать, пригласить(呼ぶ、招く)とは意味が異なる。
一人称のЯ прошу (Мы просим) は遂行動詞だが、不完了体ゆえに回りの雰囲気に合わせての動作という意味合い(任意性)がある。ところが同じ一人称のЯ попрошу (Мы попросим) は完了体未来形(完遂的用法)であり、回りの雰囲気には頓着せず、具体的な新規の動作を行うことから、聞き手の事情を斟酌しないという強制のニュアンスが出てくる。

(試験の準備をするので助けて下さい)Я прошу вас помочь мне подготовиться к экзаменам.
(指示通りきちんと行動するようお願いします)Я попрошу вас действовать строго по инструкции.

上の文のうち始めの文はお願いベースであり、2番目の文は丁寧であっても命令である。日常でпопроситьをよく使うのは次のような文である。

(身分証を拝見)Попрошу документы. <警察官がよく使う>
(切符を拝見いたします)Попрошу билеты. <駅員がよく使う>

これらの場合はпоказать, предъявитьが省略されているとはいえ、お願いではなく、見せなかった場合は署や、駅の事務所に任意かどうかは別にして、同行を求められるという意味での命令である。一方Прошу! は部屋などに案内される場合に使われるが、あくまで任意のお願いベースであり、行かなくてもかまわない。
предложитьにも文脈によっては同様な命令の用法がある。Пассажирам предлагается покинуть самолёт.というのは「乗客に提案している」わけではなく、「乗客に飛行機から離れるよう指示が出ています」という意味で命令である。

3-1-4-7 動詞以外の遂行動詞的用法

идтиは遂行動詞としては普通使わないが、согласен(いいだろう、OKだ)という意味で、Идёт.と言えば、それは遂行動詞であり、8-1-2項のЕстьも遂行動詞である。動詞以外にも遂行動詞的用法がある。例えば、「同意します(賛成です、OKです)」というときの、Согласен. (Хорошо. О'кэй. Годится)や、述語としての、За.(賛成)とか、Против.(反対)やБлагодарен.(感謝します)、Понятно.(分かりました)、просьба + 完了体動詞不定形(~お願いします)などもそうである。これらのように述語用法があるものには、発話して動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるという意味なら遂行動詞的用法であるということになる。

(シシェルコーフスカヤ駅、終点です。これから先へは参りません。どなたさまも、こちらでお降りください)Станция "Щелковская" конечная. Поезд дальше не пойдёт, просьба освободить вагоны.

叙想語にも遂行動詞的用法がある。船舶用語で、「エンジン停止(エンジンを停止せよ)!」)というときに、Машина больше не нужна! <= Остановите машину.>というが、これなどもそうであろう。

3-1-4-8 遂行動詞と否定

具体的な1回の動作の否定には完了体が用いられ、動作が一切ない(1回の動作の否定か反復動作の否定かは文脈による)ことを示すのが不完了体の否定である。そのため不完了体である遂行動詞を否定すると、この動作が一切ないという風に理解されるため、遂行動詞的用法で、遂行動詞の否定はあり得ないと思われる。遂行動詞というのは、今現在の発話の時

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●第89回

5の評価解釈型動詞の完了体の過去形に出やすいので、その違いについて参照願う。

3-1-4-5 語義による区別の仕方

 「報告する」という動詞もそうだが、完了体動詞未来形というのは一瞬後の未来でも、明日でも、1年後でも動作を遂行するという意味で使う。ここで問題なのは遂行動詞との違いをどう区別するかである。遂行動詞は発話の瞬間から動作の終了を目指す動詞群であり、完了体動詞未来形が一瞬後に動作が開始される場合は、実質的に区別がつきにくい。例えば、同じ「報告する」でも上司に対して報告するという意味のдокладыватьで見てみよう。

(すべて順調であり、もうすぐ目標に到達すると無線にて報告申し上げます)Я по радио докладываю, что всё в порядке, скоро выходим на цель.

上の文は発話の一瞬後ではなく、発話の瞬間から報告という動作の内容を伝え初めて、それから終わるわけで、これが遂行動詞の特徴であり、日本語にも対応する。意識の中で動作の開始が、一瞬後か発話と同時かをイメージすることが非常に重要であり、動作の内容はо + 前置格、ないしはчто以下で示されることが多い。遂行動詞は不完了体動詞現在形で用いられるが、これにдоложуと完了体動詞未来形を使えば、一瞬後か、1時間後かは別にして、とにかく発話の時点ではなく、後で報告するということになる。
 これとは反対に日本語では未来の意志を示すのに、ロシア語では過去で示される例がある。検事の論告の最後とか、演説や公的な意見の陳述の最後に「これで終わります」、「以上です」というのをロシア語では、Я кончил(а). と完了体動詞過去形の結果の存続の用法を使う。遂行動詞とは対照的に、伝える内容はこの発話の前に語られていて、終わりだと言う動作のみを伝えていることになる。同じ「終える」でも、次のような例は終える内容を示しているので遂行動詞である。

(了解しました。交信終了します)Вас понял хорошо. Связь кончаю. <船舶同士の交信で>

現在の時制で丁寧表現に仮定法を用いることは会話でもよくあり、遂行動詞と互換性のある場合もあるが、体の出現の仕方に違いのある場合もある。

a) (日曜に映画にご招待申しあげます)Мы предлагаем вам в воскресенье пойти в кино.
b) (お静かに願います)Я прошу соблюдать тишину.
c) (夏に南に行って来るようお勧めします)Я советую вам летом съездить на юг.

 これら三つの文に仮定法を使っても、やや丁寧な感じがするというニュアンスはあれど、意味に変わりはないが、その場合a) предложили бы 、b) просил (а) бы 、c) советовал (а) быとそれぞれ違う体になる事に気がつく。これはb)とc)の動詞が体のペアとしては不完全な、後述の7-2項の動詞群であり、不完了体優位(不完了体から完了体が発生したと考えられる)の動詞群だからであろう。

3-1-4-6 проситьとпопроситьの一人称での使い分け

電話で「レーナをお願いします」は、Попросите, пожалуйста, Лену.と命令形で言うのが普通だが、Я прошу вас позвать к телефону Лену.と不完了

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●第88回

3-1-4-3-1 呼応的用法

идтиとбежатьという定動詞現在形一人称に代表的に見られ、「呼ばれたから行く、来る」という用法だが、日常会話ではよく耳にし、遂行動詞の告知型の変形と思われる。つまり、「行く」という動作そのものというよりは、動作内容を伝えていると考えるべきである。また定動詞は不完了体動詞であり、不完了体動詞には本来主観的な要素が欠如しているわけで、これらの動詞を用いるためには何かサイン(合図)が必要である。「助けて」という呼び声でも、宅配の人がドアのベルが鳴らすのでも、会社で、「~さん、電話ですよ」でもいいが、それを合図に「今行きます」Иду.(急ぐ時はБегу.)と告知することになる。気持ちの上では、この発話の終了直後には電話や、ドアなどにたどり着いているというニュアンスがある。ゆえに、この用法は予定の意味ではなく、不完了体の基本的な用法である場依存型である。Пошёл (Пошла)と完了体過去形の時制の転用を使うと、出発したというニュアンスのみで、場所を示す補語がない以上、電話やドアに辿り着いたというニュアンスは出せないことになる。

「だれか助けて」- Помогите, кто-нибудь!
「今行くぞぉー」- Иду-у-у!

 この他にも次の文の動詞にも遂行動詞としての告知のニュアンスがある。

(俺は手を引く)Я выхожу из игры. <不完了体を使っているので、主語である俺は状況から判断して手を引くのが当然と思っていることが分かる>

3-1-4-4 結果の存続の用法との違い

 結果の存続には、「たった今~した」という意味と、動作はとっくの昔に終わっていて、その結果である状態が現在まで続いているという二つの解釈が可能である。ところが遂行動詞は、動作は発話で始まり、その発話と共に終わるわけだから、とっくの昔にというニュアンスはないという違いがある。しかし、会話などにおいて実際上は、例えば「了解しました(了解です)」という意味では、次の二つの文は同義であるが、不完了体現在形の方は場の雰囲気に沿ってというニュアンスがある。

(分かりました)Понял. <完了体過去形の結果の存続>
(分かります)Понимаю. <遂行動詞>

「いいですか」という相手の注意を促したり、強調したりするときの挿入句понимаете, понимаешьや、(そうこなくっちゃ)Вот это я понимаю!も遂行動詞由来である。

(どうしてあなたをお呼び立てしたのかお分かりですか?)Догадываетесь, зачем я вас вызвал?

遂行動詞で始まる上の文を仮にдогадалисьと完了体動詞過去形にすれば、「たった今察した」という意味と、「とっくの昔に察していた」という二つの意味から文脈によって選ぶことになる。それに完了体というのは場独立型だから、独自の考え方で理解したということになり、不完了体のように、話し手がその場の流れに沿って理解したというニュアンスはない。
遂行動詞のペアの完了体動詞過去形は、結果の存続というよりは点過去で使う方が多いように思われる。一方、結果の存続の意味は3-1-

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●第87回

あり、Сато = яだから三人称の一人称への人称転用であり、不完了体動詞現在形が来ている。これは発話が終了すると同時に動作が終わる(動作の内容が伝わる)わけで遂行動詞なのだが、その他にも、「もしもし」と電話をした後の、あるいはそれを想定したり、省略したりしての発話なので、代動詞ということで不完了体が来ているとも言える。

(もしもし、佐藤ですが)Алло, говорит Сато.
(佐藤と申しますが)Вас беспокоит Сато. <= Говорит Сато.>
(私ですが)Слушаю.
(ごきげんよう)Целую. <= Обнимаю. 電話や手紙での別れの挨拶>

上記に挙げた複合動詞приноситьの他にも、8-3項のвыражатьにも遂行動詞としての用法がある。

(〔今〕起きている事態について我々は重ねて遺憾の意を表します)Мы ещё раз выражаем сожаление в связи с происходящими событиями. <ещё разとあるから代動詞という意味で不完了体が来ているとも言える>

 「ごめんなさい(許して下さい)」はИзвините.で、言われた相手が、冗談っぽく(許す)Извиняю.という場合がある。Извините.は相手がこの動作を予想しているかどうかに関わらず発する主観的な言葉だから、完了体動詞命令形が用いられている。この答えにИзвиняю.と不完了体動詞現在形が来ているのは、後述の遂行動詞でもあるからである。Извинил(а, и) と完了体動詞過去形すると、動作はすでに終わっており、お詫びという結果が現在に及んでいるかもしれないということである。現在に及んでいれば結果の存続であり、そうでなければ点過去となる。一方、遂行動詞は発話と同時にお詫びが始まり、発話の終了と共に、お詫びするという動作が終わるという違いがある。
またИзвините.の代わりに同義でИзвиняюсь.やПриношу свои извинения.も使えるが、このИзвиняюсь. やПриношуも遂行動詞である。

(これまで誰にも返事を出さなかった事をお詫びします)Извиняюсь, что не ответил никому до сих пор.
(おめでとうございます)Шлю вам поздравления. <= Примите мои поздравления.>

このように具体的な1回の動作でも完了体動詞命令形の代わりに、一人称の遂行動詞(不完了体動詞現在形)が同義で使われる場合があり、
こういう互換性と言うのは、遂行動詞に動作の遂行という完了体的要素があるからだと言える。現在の時制では結果の存続(これも動作が終了した後の状態と言える)を除き、完了体は使えないので、発話の開始から終了までの過程の動作をも示すという遂行動詞が、完了体と不完了体の中間的というか、互いの要素を部分的に担った役割を果たしていると言える。
遂行動詞は本来動作を示す動詞が多いが、中にはвидеть, говорить, думать, желать запрещать(ся), испытывать, понимать, чувствовать, хотетьのように状態動詞を兼ねているものもある。ほとんどは判定宣告型であり、一部言明解説(告知)型もある。оцениватьは評価解釈型動詞と言えよう。
 過程の動詞と遂行動詞は重ならないが、говорить, рассказыватьなどは例外であろう。これらの動詞は語義に遂行動詞、状態動詞、過程の用法が含まれるが、状態動詞でもあるために、予定の用法では使われない。открывать, пить, слушать, сниматьはそれぞれ、開ける、飲む、聞こえる、取り外すという意味では過程の意味で使うが、開会する、乾杯する、もしもし、写真を撮るという意味では遂行動詞である。予定の用法で使える遂行動詞はあまりなく、запрещать, начинать, сдаватьсяぐらいであろう。

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●第86回

(黙って言われたことをしてくれませんこと!)Потрудитесь замолчать и делать, что вам приказывают! <従属文は3人称複数形を使った遂行動詞で、意味上の主語はя>

以下は裁決のときの裁判官の言であり、有罪か無罪かというような判決の内容や量刑は一人称である裁判官の恣意的な決定ではなく、刑法によるものであるため三人称の受け身が用いられている。

(異議の申し立てを認める)Возражение принимается.
(異議の申し立てを却下する)Возражение отклоняется.

上記以外に、遂行動詞でよく使われるものは、複数も含めて一人称で使われる会話やメール・手紙などの決まり文句などで、次に挙げるようなものである。これを三人称にすると、文脈により、遂行型の用法の他に、状態、反復などが出てくる場合もある。

〔ありがとうございます。(感謝申し上げます)〕Благодарю. (Приносим благодарность)
〔ご健康を祈って乾杯〕Предлагаю тост за Ваше здоровье! (= Пью за Ваше здоровье! = Поднимаю бокал за Ваше здоровье!)
(ご幸運をお祈り申し上げます)Желаю вам успехов!
(深く哀悼の意を表します)Выражаем глубокое соболезнование.
〔申し訳ありません、お詫び申し上げます〕Приносим извинения. (= Прошу прощения. = Прошу извинения.)
(劇場にご招待申しあげます)Я приглашаю вас в театр.
(お立ち寄りになるようお願いします)Прошу зайти к нам.
〔お祝い申し上げます〕Шлю вам поздравления. (= Посылаю вам пожелания.)
(彼がみなさんを劇場に招待いたします)Он приглашает вас в театр. <この文の内容を伝えているのは一人称と考えるのが自然>
(この結論は発話やその意味の言語的内容構造の不一致から導かれる)
Этот же вывод следует так же из несовпадения структур языкового содержания высказывания и его смысла, <意味上の主語は一人称>

 上の文の動詞がすべて遂行動詞だと言うのは、発話の瞬間から動作が始まり、発話の終了で動作が終わる(動作の内容が伝わる)からであり、状態、過程、予定、反復を示していないことは明白である。
 態度表明型の遂行動詞には、意味的に完了体命令形と同じようなものがあるが、下記に示すように、動詞の形式上の意味は完了体の完遂の用法であることが分かる。動作の終了を示すと言えるのは、例えば、(お詫び申し上げます)のПриносим извинения.をИзвините. <直訳は「許して下さい」>と言い換えることができるからである。Извините.と完了体動詞命令形が来ているので、動作(お詫びすること)の遂行を示していることが分かる。同様に、Шлю Ване привет.(ワーニャによろしく)を命令法にすると、Передай Ване привет.<直訳は「ワーニャに挨拶を伝えて」>と完了体動詞命令形が出てくる。(僕から彼によろしく)は、Кланяйтесь ему от меня. でもПоклонитесь ему от меня でも同義である。
(劇場にご招待申しあげます)のЯ приглашаю вас в театр.はЯ хочу пригласить вас в театр.とほぼ同義だが、ここでも同義の文に完了体動詞不定形を使えることで、動作(招待する)という動作が遂行していることが分かる。また上の文に意味の重なる、желать, просить以外の文に、хочу, хотим をつけても意味は変わらないが、遂行する動詞は全て完了体動詞不定形になって、遂行の意味を示すことになる。動作の終了は遂行動詞の特徴でもある。
この他、電話で使う表現にも遂行動詞が出てくる。次の上から二つの文は、見かけは三人称だが、名を名乗っているだけで、実際は一人称で

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●第85回

(ぞっとする)、узнавать(見覚えがある)、улавливать(理解する)、умиляться(感動する)、умолять(懇願する)、уполномочивать(権限を与える)、упрекать(非難する)、упрощать(簡単にする)、устраивать(都合がいい)、утверждать(承認する、主張する、断言する)、уточнять(細かい点を確認する)、хвалить(誉める)、хотеть(期待する)、целовать(よろしく)цитировать(引用する)、чувствовать(気がする)、чуять(分かる)、штрафовать(罰金を課す)などである。

(再度の問い合わせに対するご返事もいただけないことに遺憾の意と戸惑いの念を表すとともに、交渉を打ち切らざるを得ないことをお伝え申し上げます)Выражаем сожаление и недоумение по поводу отсутствия ответа на наш второй запрос и сообщаем, что будем вынуждены прервать переговоры.
(女性の皆さんのために乾杯)Я пью за вас, женщин!
(ここに開会を宣言します)Объявляю собрание открытым.(= Я открываю заседание.) <この発話をしたとたん、会議が正式に始まることになるわけで、これなどは遂行動詞の典型的用法と言える>
(余は彼をつかまえた者に3000ルーブルの褒賞の公布を命じる)Приказываем объявить награду поймавшему его в три тысячи рублей. <人称の転用。9-6-2項参照。能動形動詞過去形を使って、未来において先に終了する動作を示している)
(余は彼を大臣に任命する)Мы назначаем его миинстром. <人称の転用。9-6-2項参照>
(願いをかなえてあげよう)Исполняю просьбу.
(我に対して悪だくみをなしたことを認めるか、どうしようもない倅よ)Признаёшь ли ты, недостойный сын мой, что злоумышлял против меня?
(ホッジャ・ナスレジーンが捕まるまでここにいる者の給与支給を停止する)Присутствующих здесь, мы лишаем жалованья до тех пор, пока не будет пойман Ходжа Насреддин.
(全てが非常にたわいのないということだということには私自身同意する)Я сам соглашаюсь, что всё очень невинно. <что以下の補語がなければсоглашаться は使えず、形容詞短語尾のсогласенを使う事になる>
(御提案〔貴社オファー〕をお受けする旨お伝えすることを嬉しく存じます)Мы рады сообщить, что мы принимаем ваше предложение.

遂行動詞も既知の状況を踏まえての、みなし反復の用法であり、それゆえ不完了体が用いられるのだと言える。次の文も着陸の許可を求めてきて、それに対する応答である。

(着陸を許可します)Разрешаю посадку.

不完了体ся動詞の受け身用法を使えば、この用法で主語が三人称でも使える場合がある。これは動作主が明示されていなくても、一人称を暗示しており、一人称の恣意的動作ではなく、法令や規則に準じた動作などを示す。8-9-1項の否定文以外に使われている動詞は遂行動詞の例もある。医療関係などでは客観的立場(医療機器での計測結果)ということを強調して、本来なら一人称で言うべきところを三人称が多用されるのではないかと思われる。

(エストロゲンとアンドロゲンの薬剤を同時に服用することを勧める)Рекомедуется одновременное применение эстрогенных и андрогенных препаратов.
(脈拍欠損と診断される)Определяется дефицит пульса. <診断するのは計器>
(病歴には毒物服用が認められる)В анамнезе отмечается приём ядовитых веществ.

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●第84回

огрублять(大雑把に示す)、одобрять(承認する)、оправдывать(正当化する)、определяться(明確になる)、опровергать(反駁する)、освобождать(解放する)、осенять(考えが浮かぶ)、осмеивать(あざ笑う)、осмеливаться(敢えて~する)、осуждать(非難する)、отвечать(答える)、отгадывать(推測して当てる)、отдавать приказание(命令する)、отказываться(お断りする)、отклонять(退ける)、отклоняться(却下する)、отключаться(通信終わり)、открывать(開会する)、отменять(命令などを取り消す)、отмечать(存在を認める、指摘する)、отмечаться(認められる)、отпадать(案が使えない)、отрицать(否定する)、отрывать(仕事の手を止めさせる)、отсылать(参照を勧める)、перебивать(話の腰を折る)、передавать(マイクなどを渡す、連絡する)、пересматривать(再検討する)、пить(乾杯する)、планировать(~する予定である)、предоставлять(на ваше усмотрени任せる)、повторять(繰り返して言う〔挿入語が多い〕)、повергать (+ 対格на обусуждение 審議に委ねる (на рассмотрение 検討に, на суд 判断に)、повышать голос на кого(声を荒げる)、поднимать бокал (тост)(乾杯する)、подтверждать(確認する)、поздравлять(お祝いする)、показывать(やって見せる)、покидать(後にする、去る)、поклоняться(敬服する)、покоряться(降参する<冗談めかして>)、покупать(買います〔広告で〕)、полагаться(あてにする)、помниться (помнитсяたしか)、понимать(分かる)、порицать(非難する)、поручать(任せる)、предвещать(予兆がある)、предлагать(提案する)、предоставлять(まかせる) 、предоставляться (слово предоставляется кому「お言葉を賜ります」という形で)、предписывать(指示する)、предсказывать(予言する)、представлять интерес(興味がある)、предупреждать(警告する)、преклоняться(敬服する)、прекращать(中止する)、прерывать(中断する)、прибегать(すがる)、приглашать(招待する)、приговаривать(刑に処す)、придерживаться такого (того) же мнения(同意見)、призывать(呼びかける)、признавать(認める)、признаваться(告白する、「正直言って」)、приказывать(命令する)、прилагать(添付する)、прилагаться(添付される)、принимать(受け入れる、賭けに乗る)、приносить(извиненияお詫び申し上げる、соболезнованиеお悔やみ申し上げる)、припоминать(思い出す)、присоединяться(同意見である)、приходить к выводу(結論となる)、провозглашать(宣言する)、продавать(売ります〔広告で〕)、продолжать(続ける)、проигрывать(負ける)、проклинать(呪う)、просить(お願いする)、протестовать(抗議する)、прощать(許す)、радоваться(喜ぶ)、разделять(〔感情を〕分かち合う)、разжёвывать(噛んで含める)、разрешать(許す)、разыгрывать(イタズラをしかける)、рассказывать(話す)、рекомендовать(勧める)、решать(決める)、рукоплескать(拍手する)、ручаться(保証する)、свидетельствовать(証明する)、сдаваться(降伏する)、скорбеть(哀悼の意を証する)、слагать(全権を放棄する)、следовать (вывод)(〔結論〕が導かれる)、слушать(電話などで、〔私ですが〕Слушаю!)、слышать(聞こえる)、смущать (Меня смущает, что「~で当惑する」、смущаться(当惑する)、снимать(写真を撮る、заказとともに、キャンセルする、засаду張り込みを解除する)、собираться(~するつもりである)、соболезновать(ご愁傷様です)、советовать(勧める)、соглашаться(同意する)、сожалеть(恐縮する、反省する、残念ながら)、сознавать(十分理解する)、сознаваться(白状する)、соображать(分かる)、сообщать(連絡する)、сообщаться(報じられる〔無人動詞〕)、сострадать(同情する)、сочувствовать(同情する)、спешить(とりあえず~する)、спрашивать(尋ねる)、сравнивать(比較する)、ставить(人を~に据える、賭ける)、стрелять(撃つ)、считать(みなす)、требовать(要求する)、тянуть(引き延ばす)、уведомлять(知らせる)、уверять(主張する、断言する〔убеждатьは一人称の現在の時制で二人称を補語に取れないので遂行動詞ではない〕)、увольняться(辞める)、угадывать(推測する)、угощать(おごる)、удивлять(驚かせる、меня удивляетの形で)、удивляться(驚く)、удостоверять(証明する)、ужасаться

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●第83回

同じでもロシア語の遂行動詞と一致するとは限らない。下記に遂行動詞を挙げるが、достигать(達する)、замечать(気づく)、касаться(触れる)、клевать(餌にかかる)、лишать(奪う)、мигать(またたく)、радоваться(喜ぶ)、разыгрывать(イタズラをしかける)、спрашивать(尋ねる)などはロシア語では遂行動詞だが、和訳すれば形式上はテイル形である。つまり日本語のテイル形にも遂行動詞としての用法があるとするか、結果の存続の用法を援用しているということになる。和文露訳する際に、日本語のテイル形でもロシア語では遂行動詞になりうるということを理解しておいてほしい。しかし、テイル形でも「間違っている」などは評価解釈型動詞である。露訳する際に、テイル形は状態動詞、遂行動詞、評価解釈型動詞に分ける必要があり、不完了体を使う場合が多いが、被動形動詞過去短語尾(点過去および結果の存続)や形容詞となる場合もあるので要注意である。本書の遂行動詞、状態動詞、評価解釈型動詞の種類をチェックし、どのような動詞がそれに当てはまるのか会得するのが肝要である。

аннулировать(予約や注文などを取り消す)、аплодироваь(拍手する)、арестовывать(逮捕する)、бегать(急いで行きます〔呼応的用法〕)、бить об заклад(賭けてもいい)、благодарить(感謝する)、благословлять(祝福する)、бояться(怖い、残念ながら боюсь, что)、брать(例を挙げる)、бросать(〔コインを上に〕放り投げる、やめる)、будить(起こそうとする)、видать(見る)、видеть(分かる、見える)、винить(とがめる)、виниться(罪を認める)、включать(スイッチを入れる)、возникать (вопрос)(〔疑問が〕起こる)、возражать(反対する)、воображать(想像する)、воспринимать(〔感じを〕受ける)、вспоминать(思い出す)、выносить приговор(判決を下す)вынуждать(強いる)、выигрывать(勝つ)、выражать(〔感情を〕示す)、вытекать (вывод)(〔結論〕が導かれる)、выходить из игры(手を引く)、говорить(言う)、годиться (годится〔いいよ〕という同意を与える無人称動詞)、голосовать за(賛成投票をする)、голосовать против(反対投票をする)、давать(抽象的な意味で与える)、давать слово(約束する、言質を与える)、дарить(贈る)、декларировать(宣言する)、декларироваться(宣言される)、делать + 造格(人を~にする)、держать пари(賭ける、賭けてもいい)、докладывать(報告する)、доносить(知らせる)、допускать(許可する)、достигать(達する)、думать(~するつもりである、考える)、жать(Жму руку.〔敬具〕の形で)、желать(願う)、заверять(請けあう)、загибать палец(一つ一つ数えて指を折る)、заговариваться(メチャメチャなことを言う)、задавать(〔質問を〕出す)、заклинать(聖なるものに誓って懇願する)、заключать(結論を下す)、закрывать(閉会する)、замечать(気づく)、замечаться(認められる)、записывать(メモする)、запрещать(禁止する)、затрудняться(難しい)、заявлять(表明する、届け出を出す)、идти(行きます〔呼応的用法〕)、избирать(選ぶ)、извинять(許す)、извиняться(お詫びする)、извещать(知らせる)、иметь в виду(~を意味している)、интересовать(興味を引くМеня интересуетの形で)、интересоваться(興味がある)、информировать(知らせる)、исключать(排除する)、исполнять(遂行する)、испытывать(味わう、感じる)、касаться(触れる)、каяться(каюсьという挿入語で、「正直に言うと」)、кланяться(よろしく)、клевать(餌にかかる)、клясться(誓う)、кокетничать(粋がる)、кончать(終わる)、лишать(奪う)、менять(交換します〔広告で〕)、мигать(またたく)、молить(懇願する)、молчать(黙る)、наблюдаться(認められる)、назначать(任命する)、называть(名を挙げる、伝える)、намереваться(するつもりである)、намечаться(予定される)、напоминать(思い起こさせる、言っておく)、настаивать(力説する)、находить(思う)、начинать(始める)、недооценивать(過小評価する)、обвинять(非難する)、обещать(約束する)、обижать(馬鹿にする)、объявлять(宣言する)、объявляться(宣言される)、объяснять(説明する)、обязываться(誓う〔обязуюсьの形で誓約書において〕)、оговариваться(前以てお断りをする)、огорчать(がっかりさせる)、

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●第82回

(1カ月の猶予を与えます。その間に万事を軌道に乗せるようにしなければなりません)Мы даём вам сроку месяц. За это время вы обязаны наладить все дела. <даватьが抽象的に与えるを意味する場合は遂行動詞として使える。срокуは部分生格。二つの文が続いており、二つ目の文で動作は終了していなければならないために、完了体未来形の完遂的用法は使えないことになる>

(『命と自由は保証する』と彼は約束した)Мы гарантируем вам жизнь и свободу - пообещал он.
(命と自由は保証すると約束した)Я обещал гарантировать жизнь и свободу. <гарантироватьとобещатьは共に完了体・不完了体同形の動詞だが、この場合は共に完了体としての用法である>

 二つ目の文は命と自由を保証するのは未来の動作ということになる。つまり、間接話法や不定形を使った文、つまり従属文や動詞の不定形では遂行動詞の意味を出せないので、そのニュアンスを出すためには最初の文のように直接話法を使う必要がある。

3-1-4-2 過程や状態を示す動詞との違い

 過程の動詞は動作が遂行途中である事を示すが、遂行動詞における動作は全一的なもので、1/2の動作や1/3の動作という観念はなく、動作全てを発話の始まりから終わりまでを過程のニュアンスをもって示す、いわば時間的に非常に短い志向の動詞に近いと言える。過程のニュアンスがあるので、動作の全一性を示すが不完了体現在形が用いられることになる。過程の動詞は補語をつければ別だが、状態動詞と同様動作の始まりと終わりを示さない。遂行の動詞は動作の終了後、その結果が存続していることを示している。

(彼は今階段を上っているところだ)Он сейчас поднимается по леснице. <過程の動詞>
(仲間のことは保証する)За ребят ручаюсь. <遂行動詞>
(彼は草の上に横になっている)Он лежит на траве. <状態動詞>

3-1-4-3 遂行動詞の種類

 オースティンによる英語の遂行動詞の種類は、言明解説型〔告知型〕(сообщатьなど)、行為拘束型(обещать〔約束する〕、ручаться〔保証する〕など)、権限行使型(объявлять〔宣言する〕、открывать〔開会する〕など)、判定宣告型(оценивать〔評価する〕など)、態度表明型(благодарить〔感謝する〕、поздарвлять〔祝う〕など)の5つであり、一言で言えば意思伝達型の動詞である。それぞれロシア語にも対応すると思われるが、英語の遂行動詞は一人称、現在時制、平叙文のみで用いられるという。ロシア語でも概ねそうではあろうが、一人称以外でも、話し手の意向を反映しているような文については、下記に例を挙げるように、三人称の平叙文でも使われ、二人称の疑問文でも用いられることがある。
「お願いする」、「命令する」、「禁止する」、「約束する」、「連絡する(伝える、知らせる)」、「勧める」という指示に関係する語義の動詞は遂行動詞であり、これらは動詞の末尾がル形やマス形(日本語文法の時制でいう非過去<現在・未来>)なら、ロシア語では完了体動詞未来形ではなく、不完了体動詞現在形となることに注意する必要がある。下記に遂行動詞としての用法がある動詞の例を挙げるが、反復や、кончать(終える)のように過程や予定で使えるもの、лишать(奪う)のように評価解釈型動詞を兼ねるものもある。ただ、和文露訳では同じ不完了体動詞現在形であり、実用上は特に区別する必要もない。日本語にも遂行動詞はあるが、語義が

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●第81回

(弊社一行が2012年9月27日車納入取引締結の事前交渉のため、貴社を訪問することをお伝え申し上げます)Сообщаем Вам, что наша делегация прибудет к Вам 27 сентября 2012 г. на предварительные переговоры по заключению сделки на поставку машин.

 上記の文はまさに、この言葉によって連絡する行為を遂行することを意味する。この他にも「連絡する」という意味のシノニム(同義語を含む類義語)の内、оповещать, осведомлятьを除く、информировать, извещать, уведомлять, докладывать, доносить, заявлять, объявлять, предупеждатьにも遂行動詞としての用法がある。
 次の会話の初めの文は新しい事態や情報が出てくる場合だからПопроситеと完了体が来ており、その答えであるその後の文には遂行動詞のспрашиватьが来ていることが分かる。

「佐藤さんをお願いします」Попросите, пожалуйста, к телефону, господина Сато. <電話で、電話でなければ日本語の「頼もう」という案内を乞う用法に似ている>
「〔上の文の電話の相手に対して〕どちら様ですか?」Кто его спрашивает?

多くの遂行動詞は動作が始まって終了することを意味するから、純粋な意味の過程の用法ではない。ゆえに遂行動詞は過程の用法から発達した不完了体動詞現在形にある予定の意味はもたないのが普通である。そのため「(未来において)~する」という予定の意味では、対応の完了体動詞未来形を使わざるを得ないと思われる。例外はзапрещатьぐらいであろう。

(2012年1月1日よりロシアでは、間接税支払済印紙の〔貼って〕ないアルコール度数9%未満のアルコール製品の生産および輸入は禁止される)С 1 января 2012 года в России запрещается производство и импорт алкогольной продукции крепостью менее 9 градусов без нанесения акцизных марок. <2011年12月23日付の記事>

 上の文から、запрещатьが予定の意味でも使えることが分かる。また現在の時点でも、過去から過去、現在及び未来に至るという用法でまったく同じ文が使えることが分かる。遂行動詞と言われるものでもзапрещатьは、伝達というよりは動作の未遂行の用法(3-1-3-2項参照)が多いと、アプレシャーンАпресян Ю.Д. 先生が述べている所以でもある。
完了体未来形の完遂的用法で時の状況語がついているものは動作がいつか分かるが、ついていないものは一瞬後かそれ以降のどのくらい先の未来なのかが分からない。時の状況語がなければ文脈にもよるが、一瞬後と考えるのが普通である。時の状況語のない完了体未来形の完遂的用法と遂行動詞を、会話における和文露訳においてはどのように使い分けたらよいのだろう?遂行動詞は発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、完遂的用法では動作が始まるのは早くて一瞬後である。だから、下記の(投票にかけます。反対の人?)の場合は、「投票にかけます」の後に「反対の人?」と続いているので、投票にかけるという動作は、「反対の人?」という文の前には終わっている(聞き手に伝わっている)ことになり、そのため完了体未来形の完遂的用法は使えず、次のように「投票にかけます」と言い終った瞬間に動作の終わる遂行動詞を使うことになる。完遂的用法では、「反対の人?」の前で動作に終わっていないことになる。

Ставлю на голосование! Кто против? <会話でПоставлюと完了体未来形にするためには、голосованиеとКто против!の間をやや長めにとるか、такなどを入れる工夫が必要かと思われる>

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●第80回

在から未来への移行を示すような意味合いの動詞である。例えばビジネスレターで多用される「~をご案内〔連絡〕申し上げます、~を連絡します」をロシア語にするときに、レターなどに慣れていない人はСообщим (Сообщу) Вам, чтоと完了体の未来形を用いがちであるが、これは動作の出発点が未来となるため間違いであり、「連絡する」は遂行動詞なので、Сообщаем (Сообщаю) Вам, чтоと一人称現在形を使うべきである。
このように日本語の動詞には「知らせる」のように、遂行動詞の一面を持つものがあり、同じ文の中に動作を説明するような内容が含まれているか、暗示されていれば遂行動詞なので、露訳する場合不完了体動詞現在形で表現されるが、それが含まれていなければ、動作の出発点が未来であり、遂行動詞ではないという事になる。具体的な動作の内容を文の中に含まないか、未来を示す状況語を含むのであれば、それは遂行動詞ではない。その場合は、次の文のように、この動詞の完了体動詞未来形を、未来の反復や具体的でない内容を未来の時制で伝える場合には不完了体動詞未来形を用いることになり、それは今ではなく、後で連絡する(未来に動作を行う)という意味になる。

<遂行動詞と完了体未来形の近接未来完了の用法の違い>
(それゆえクリスマスと新年をつつがなく迎えられ、お過ごしになられることをお祈りいたしまして閉会とさせていただきます)А потому закрываю заседание с пожеланием встретить и провести праздник Рождества и Новый год в полном здоровье и довольстве. <遂行動詞>
(他に何かコメントがなければ、閉会しますが、その前にご出席されたことに感謝申し上げます)Если у нас нет каких-то дополнительных замечаний, я закрою это заседание, но прежде позвольте мне поблагодарить вас за присутствие. <近接未来完了のзакроюと発話した時点では閉会していないことが分かる。ちなみに(ご出席賜ったことに感謝申し上げます)Разрешите (Позвольте) выразить Вам благодарность за присутствие. = Благодарю Вас за присутствие. だがРазрешите (Позвольте) ...は公的な表現と言える>
(これについては追って連絡申し上げます)Об этом сообщим дополнительно. <内容を伝える時期が同時ではなく、後になるので完了体動詞未来形となる>
(我がエコファームで起こることはすべてお知らせいたします)Мы будем сообщать вам обо всём, что происходит у нас на экоферме! <内容が不定、未来の反復なので不完了体動詞未来形を用いる。従属文の時制は主文と同時。9-2項参照>

日本語では文末に述語が来るために、文章が長くなるのを避けるために、本来は遂行動詞を含む文を、二つに分けることがある。例えば、デパートのアナウンスで、「ただ今8階ではバーゲンセールを開催中であることを、御来場のお客様にご案内申し上げます」とはならずに、聞き手に理解しやすいよう、「御来場のお客様にご案内申し上げます。ただ今8階でバーゲンセールを開催中でございます」と二つの文に分けるのが普通である。だからこのような和文を露訳するときには、直訳して二つの文にすると、最初の文は完了体動詞未来形をつかうことになり、また接続詞もなく、ロシア語として非常におかしな文となる。そのため、Дорогие покупатели! Мы сообщаем Вам, что сейчас идёт распродажа на восьмом этаже. のように元の遂行動詞を含む文に復元して訳さないと、ロシア語としては正しい文とは言えなくなる。
遂行動詞は後に続く補語や節の示す行為を遂行する動詞であり、「~ということを遂行する」という意味である。つまりこの動詞の現在形一人称は「約束しつつある」とか、「知らせつつある」という経過(過程)を示しているわけではなく、続く内容について約束する(約束を破ればそれなりの罰を受ける)とか「~という内容をお知らせする」という意味である。

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●第79回


日本語の時制は過去と非過去(現在、未来)が対立する。時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動作動詞に分けると、状態動詞は、テイル形を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動作動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来の動作や現在の習慣的な事実を示し、現在の一時的動作はテイル形を用いて示す。
 一方アスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)で、日本語の動詞を分類すると、動作動詞(継続動詞とも言う)、変化動詞(瞬間動作動詞・結果動詞とも言う)に分かれる。動作動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、変化動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。和文露訳の際には、これらをロシア語の時制やアスペクトなどに振り分ける必要が出て来る。
 しかし、こういう分け方だけでは、和文露訳には十分とは言えない。「(これから)~します」という文を露訳する場合、遂行動詞とそれ以外の動詞を区別しないと、どちらの体を、どの時制で使うのかが決められないのである。それは日本語文法のマス形が、非過去という現在か未来を示すからである。そのため遂行動詞には不完了体動詞現在形を用い、そうでない動詞は完了体動詞未来形を用いることになり、この二つを区別することが会話での和文露訳をする上で非常に重要である。遂行動詞というのは、「(これから)~をお知らせします」のように、今現在の発話の時点から動作が始まり、発話終了と同時にメッセージが聞き手に伝わる動詞である。その際、具体的な動作の内容を示す補語や状況語が文の構成要素(чтоを含む従属節も含めて)として存在するのが普通である。

(キャッチフレーズから分かるのは、これらのカップルは惚れあっていること、まだ結婚していないということである)По рекламным слоганам понимаем, что эти пары влюблены и ещё не женаты.
〔お前にも分かるように尋ねているんだ(尋ねている意味は分かるだろ、聞いてやるのはこれで最後だぞ)〕Я тебя русским языком (по-хорошему, последний раз) спрашиваю.

上述のように遂行動詞には新しい情報が含まれる。しかし、未来の時制の完了体の用法(4-2項)ところで詳述するが、新しい情報というのは完了体の管轄のはずである。ところが、遂行動詞はその動詞構文の中に、<~について、~ということ>というふうに、新しい情報(正確に言えば伝えるべき情報)を同時に従えているために、不完了体動詞現在形のままで用いられるという、体の用法から考えると、一見矛盾するような感じを受ける。しかし、動作の起点が現在であることと、従属する、その新しい情報(о + 名詞前置格かчто以下の節)に文の焦点があると考えれば、立派な不完了体の用法と言える。一方、遂行動詞ではない「(これから)食べます」という完了体動詞未来形は、一瞬後ないしは未来のいつかの時点が動作の起点になる。
遂行動詞というのは、例えば、(喫煙を禁止します)Я вам запрещаю курить.と医者が患者に言ったとすると、この発話の前は、喫煙は禁止されておらず、この発話をしたとたん、話し手(この場合は医者)にとって禁止命令が有効になるということである。日本語の辞書形(終止形)で、「命令する」、「気づく」のような動詞は遂行型であり、これらは言動一致型と呼んでもよいような動詞群であり、一人称で使われることが多く、現

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●第78回

что - я на связи.

3-1-4遂行動詞 → 不完了体動詞現在形

遂行動詞(перформативные глаголы)というのは、語用論の創始者の一人であるオースティンによれば、発話そのものが行為の遂行である動詞である。また日本語語用論では主張、謝罪、感謝、誓約、宣言、命令、依頼、質問、警告、助言、提案などの発話行為を意味する動詞である。遂行動詞は発話が開始して発話が終了するまで、動作の瞬間瞬間が発話時である現在の時間軸上を動いてゆくため、この用法は現在の時制でのみ使われ、否定文では使われない(3-1-4-8項参照)。そのため過去や未来の時制では遂行動詞の用法ではなく、動作事実の有無の確認か反復の用法となる。また文脈によっては現在の時制でも反復の意味のときもある。ロシア語にも遂行動詞はあるが、ロシア語や英語に比べると日本語における使用頻度は少ないとされる。英語や日本語、ロシア語の動詞が語義的に同じなら遂行動詞になるかというと必ずしもそうは言えず、「分かった、了解した」、「賭けに応じる」という下記の例を挙げておく。

I understand. = I see. = I got it. <最初の二つは遂行動詞で、I got it.は口語的表現>
Я понял (поняла). <結果の存続>
Ага, понимаю! У вас были романы.(なるほど、〔そのときは〕恋愛中だったのですね) <前の文脈に沿っての意味なので、遂行動詞>
По глазам вижу, что ты говоришь неправду.(お前が嘘をついていることは目で分かる) <遂行動詞>
(これが1週間以上伸びる方に賭ける)Иду на пари, что это протянется не меньше недели. <遂行動詞だが、「~する方に乗った」とも言える>

遂行動詞というのは発話 = 動作であるが、動作に初めと終わりがある発話時点の1回の動作と言える。発話と共に動作が始まり、発話の終了が動作の遂行であり、動作の即時発効であるとも言える。遂行動詞は動作が始まって終わるという、ある意味過程と完遂的用法が一つになった用法で、過程を完了体では示す事ができないことから不完了体が用いられていると思われる。また遂行動詞は不完了体である以上、話し手にとっての場依存型であり、その場の話の流れに沿って、回りの雰囲気を読んで動作が行われることを意味する。そういう動作があるということを話し手が確信を持って言えるのは、主語が一人称で、聞き手が二人称のときである。主語が二人称や三人称というのは、基本的に他人であり、人は何を考えているのか分からないということもある。日本語でも小説などの感情移入は別にして、感情・感覚を示す「悲しい、痛い、感じる」、意志や欲求を示す「するつもりだ、~したい、~しよう」、精神作用を示す「思う、考える」は主語が一人称の時だけであり、二人称の時は「~か(問いかけ)」、「ね」などの終助詞を添え、三人称の時は「~かもしれない、~に違いない、~のだ、~らしい、~のようだ、~だろう」というような推測や判断の表現形式を添えるか、引用形式にするのが普通なのと似ている。
ロシア語でも動作を完全に把握できるのは一人称が主語の時であるという考え方から、遂行動詞が使われるのは圧倒的に一人称が多いと考えられる。二人称や三人称が主語の時に遂行動詞が使われるのは、話し手が聞き手や第三者の動作をよく把握している場合か、意味上の主語として一人称が暗示されている時であり、これらについては3-1-4-3項を参照願う。ゆえに遂行動詞の使用については、どんな動詞でも、どんな人称でも常に使えるということにはならないということを念頭におく必要がある。遂行動詞には挿入句としての用法もあるが、それについては4-2-5-2項を参照願う。

3-1-4-1 遂行動詞を分別する理由

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●第77回

 不完了体現在形を否定すると動作の否定だから、未遂行ではなくて、もともと動作がないことを示す事になる。

(今朝からキエフへの列車は運休している)С сегодняшнего утра поезда не ходят в Киев.

3-1-3-3 動詞を使わない用法

 動詞を使わなくとも現在の時制でこの用法を示すことができる。これは動詞бытьが状態動詞であり、現在の時制では普通は省略されるということと関係がある。

(船員になって長いのですか)Вы давно моряк?
(私たちは引っ越ししてたった3ヶ月だ)Мы только три месяца как переехали.
(斜視は子供のころからですか?)У вас косоглазие с детства?
(どのくらい長く患っているのですか?)Как давно вы больны?
(昨年から恩給です)С прошлого года я на пенсии.
(この腫瘍はどのくらい前からありますか?)Как давно у вас эта опухоль?
(もう何年ナショナルチーム〔国内選抜チーム〕にいらっしゃるのですか?)Сколько лет вы уже в сборной команде страны?
(僕はなぜか今に至るまでこれらの教科の出来がよくない)В этих науках что-то слабоват я и до сих пор.
(彼の脱走者としての性は生まれつきだ)Жилка беглеца у него от рождения.

3-1-3-4 про-の接頭辞を持つ完了体動詞過去形

この動詞群を用いて、結果の存続による現在に至るまでの継続を示すことができる。文脈によって結果の存続でない場合は、点過去であり、過去完了の継続(過去のある時点からある期間動作の継続)を示すということになる。

(ザハーロフは彼の頭の上の方でじっと数分立ちつくした)Захаров неподвижно простоял несколько минут над его головой.
(彼はそこで2年間働いた)Он проработал там два года.

3-1-3-5現在から未来への動作 → 完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形

現在から未来への動作には予定を示す状況語を用いる。

(どのくらいの予定で来られたのですか?)На какой срок (Надолго) вы приехали? <完了体動詞過去形の結果の存続>
(6月17日で満100歳になる)17 июня исполняется 100 лет со дня рождения. <不完了体動詞現在形の予定の用法>
(この粉薬をどのくらいの期間服用する必要がありますか?)Как долго мне нужно принимать этот порошок? <未来への規則的反復・継続>

また状態(の動詞)は現在の時制で今現在も含めての現在から未来への継続や規則的反復も示す事ができる。

(取れよ。誰も分かりはしない。黙して語らず、一言だって洩らすものか)Бери, никто и не узнает, я, как могила, немой, я слово не пророню.
(何かあったら、俺はいつでも連絡が取れるようになっているから)Если

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●第76回


 過去完了の継続とも言える大過去(過去の過去)から過去への継続をも示す事ができる。

(1982年からライキンの劇場はモスクワに移転し、1987年からはサチリコーンという名になり、1991年からはライキンの名を冠している)С 1982 г. театр Райкина переехал в Москву, с 1987 г. называется «Сатирикон», с 1991 г. носит имя А.И. Райкина. <過去の過去(大過去)から過去および現在への継続を示している>
(30年代半ば以来私はナチに対し幻想を抱いたことはない)Начиная с середины тридцатых годов я не обольщался в отношении к нацистов. <経験との用法との組み合わせ>

 現在から未来へ続く反復や継続の動作の否定でも、仮定であれば動詞によっては不完了体現在形で示す事が可能な場合がある。これはбытьの未来形の否定は4-1-1-6項にあるように動作事実の無の確認を示すため、それと誤解されるのを防ぐためかもしれない。

(そうでなければ出ておゆき。お前なんか知らないよ)Иначе ступай от меня: я не знаю тебя! <знать = считать кого-либо родным, близким, знакомым; признавать(身内と認める)であり、この「知らないよ」は状態動詞ではない。その条件に反対なら、面倒を見ない、その条件に同意するなら面倒をみるという具体的な1回の仮定の動作を言っている。>

3-1-3-2 過去から現在に至る動作の未遂行 → 不完了体動詞現在形

 過去から現在まで継続して動作をしているのだが、終了できないという動作も、動詞によっては不完了体現在形で示す事ができる。

(丸1時間真剣に治療する必要性をあなたに訴えているが、納得してもらえない)Я целый час убеждаю вас в необходимости серьёзно полечиться и никак не могу убедить. <убеждатьは遂行動詞ではないので、1人称現在形のときに補語に二人称を取れないが、経過のニュアンスがあれば取れる>

 後述の遂行動詞は一人称ならすべて動作遂行の意味になるかというとそういうわけでもない。проситьは遂行動詞のはずだが、

(丸々1時間席につけと頼んでいるんだ)Битый час прошу тебя садиться за стол.

という上の文では座れという動作は終了していないことが分かる。このような用法を動作の未遂行дескриптивные употребленияと言い、過去から現在に至る動作の反復を示している。不完了体一人称現在形でこの意味がよく現れる動詞は、бурчать(つぶやく)、лгать(嘘をつく)、велеть(命じる)である。どうしてこのような違いが出るのだろうか?それは結びつく不定形によるものだと思われる。上の文のように不完了体動詞不定形がつくと、不完了体の持つ動作の反復という意味が動作の達成をいわば阻害するのである。
完了体動詞不定形や同じ不完了体でも状態を示す動詞であれば、下記の文のように遂行動詞として機能する。

(紛争解決のために現況〔そうなった状況〕をご検討願います)Я прошу Вас рассмотреть сложившуюся ситуацию с целью разрешения конфликта.
(全てを愛するようお願いします)Я прошу вас любить всё.

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●第75回

нашем положении резкая перемена.
(この船を指揮して(船長として)長いのですか?)Давно вы командуете этим судном? <давно = с давних пор вплоть до настоящего времениということで、「現在まで長い間」という意味である>
(いつから歩くときに足(の裏)を上げることが出来なくなった〔できない〕のですか?)С каких пор вы не можете поднять стопу при ходьбе?
(彼は10ヶ月のときからアンヨをしている)Он пошёл с десяти месяцев. <= Он ходит с десяти месяцев.(不定動詞の能力との組み合わせ)>
(ミーシャは今年学校に行き出した)Миша в этом году пошёл в школу.
(電話はずっと前から使えない)Телефон давно не действует. <否定文の継続の例>

この用法では過程を示せる動詞ばかりではなく、状態動詞や被動形動詞過去短語尾、形容詞も使える。

(一緒に暮らして17年になる)Мы вместе семнадцать лет.
(子供の頃から人気のチョコ菓子とチョコ)Конфеты и шоколад, любимые с детства. <形容詞が過去から現在までの過程と反復を示している>
(それ以来私は哀れで不幸な立場にある)С тех пор я пребываю в жалком и несчастном положении.
(私はそれを今に至るまで奇跡だと思っている)Я до сих пор считаю это чудом.
(彼はもうずいぶん前から車を持っている)Он уже давно имеет машину.
(病院に(もう)どのくらいいらっしゃるのか教えていただけますか?)Вы можете сказать, сколько времени находитесь в больнице?
(ラジオがコク・テレクで使えなくなって3日目だ)Третий день радио в Кок-Тереке бездействует.
(革命以来ソ連で為された全てについての情報を得ることができる)Можно получить информацию обо всём, что сделано в Советском Союзе со времени революции.
(アンナのところには学生時代から彼の電話番号が残されている)У Анны со студенческих времён сохранился номер его телефона. <сохранить, сохранитьсяには対応の不完了体сохранять, сохранятьсяがあるが、この不完了体は規則的反復や状態以外はあまり使われないし、期間内の反復という意味では使わない。そのため、例外的にсと共に、このように完了体動詞過去形の結果の存続の用法で過去から過去、現在及び未来に至る継続を示すことになる。не сохранитьсяの過去形は結果存続無効となる。3-1-12項参照。>
(いなくなって三日目だ)Третий день нет. <否定文でも使える。丸二日いないということ>

過去から現在に至る動作の規則的反復にも、語義に規則的反復の意味が有る不完了動詞現在形が用いられる。

(この歌は今も〔今に至るまで〕歌われている)Эту песню исполняют до сих пор.
(1992年から5月1日は春と勤労の祝日として祝っている)С 1992 г. 1 мая отмечается как Праздник весны и труда. <過去から現在に至る反復>
(1873年からこの日付を紀元節という名で祝うようになった)С 1873 г. эта дата стала отмечаться как государственный праздник по названием День основания империи. <отмечаетсяと不完了体動詞現在形にしても文意は変わらない>
(6月1日から現在に至るまで墓地では個人的な埋葬のみが行われている)С 1 июня и по настоящее время на кладбищах производится только индивидуальное захоронение.

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●第74回

で扱われるからである。原求作先生は御著書の『ロシア文法の要点』(水声社)の中で、(この大学で私が働き出してから8年経った)Прошло восемь лет с тех пор, как я начал работать в этом университете.のначалも、しばしば脱落してработаюとなると書かれており、そうであれば経過を示す用法に不完了体動詞現在形を用いるのは、начатьの過去形という、一種の結果の存続(現存)の用法から発展したというふうにも考えられる。ただ不完了体動詞現在形の場合は、現在までの期間やいつからその期間が始まったかを示す状況語がないと、期間を限定しない規則的反復や、動作の一般化と区別ができなくなる可能性がある。期間を含意することから、この用法で使われるのは継続を意味する状態動詞であり、規則的反復の意味をも兼ねる動詞でもあるとも言える。

(劇作家として彼は1930年から働きだした)Как драматург он начал работать с 1930 г. <1930年が不動の始点となるため、完了体が用いられている>

一方、同じように過去から現在までの継続を示すことができる被動形動詞過去短語尾や完了体動詞過去形では、動作がいつから始まって現在に至るかを明示しようとする場合、с + 生格(例えば、с 1895 г.〔1895年から〕)のように起点を使う方法や、в + 前置格のように過去のある一点を示す状況語(в 1895 г.〔1895年に〕とか、два дня назад〔2日前〕など)を使う方法がある。起点がある以上、期間を示せないこともないが、結果の存続以外では、その期間を一つの点としてイメージすることが前提となり、心理的な負担になると考えられる。過去から現在までの期間を示す時には、不完了体動詞現在形の用法を用いる方が、不完了体が期間を扱うことから、その心理的負担が少ないという事なのだろう。この用法では過去から現在に至る規則的反復も示す事ができる。

(俺はもう30分も電話しているんだぞ)Я уже полчаса звоню. <ようやく電話に出た相手に対して、過去から現在に至る反復>
(僕はもう彼女と口をきいているよ。仲直りしたんだ)Я уже с ней разговариваю, мы помирились. <過去から現在に至る反復>
(私がモスクワ市民になったのは1848年からです)Я принадлежу Москве с 1848 года.
(当社はもう10年以上その市場でがんばっている)Наша компания уже более десяти лет работает на рынке.
(真夜中から工兵たちと一緒に働いている)С ночи работают вместе с сапёрами.
(その海は昔から貴重な魚種の漁場として有名である)Море издавна славится как район добычи ценных сортов рыбы.
(石油とガスの生産は1924年来そこで行われている)Добыча нефти и газа ведётся там с 1924 г.
(史書には赤の広場は15世紀から市の立つ広場として記載されている)В исторических документах Красная площадь как торговая упоминается с 15 в. <歴史的現在の2-8-8-7項にもупоминаетсяを使った文がある>(ルーシという民族の起源についての論争は、18世紀にミーレルとロマノーソフの間で始まり、現在に至るまで続いている)Дискуссия о происхождении народа «русь» началась в 18 в. между Г.Ф. Миллером и М.В. Ломоносовым и продолжается до сих пор.

 上の文の最初のначаласьは結果の存続ではなく、点過去であろう。しかし、下記の文は明らかに結果の存続で、過去から現在まで(あるいは発話の時点まで)の継続を示す珍しい例であり、この項の用法の起源とも言える表現方法である。

(10月から我々の状況に急激な変化が現れた)С октября наступила в

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●第73回

表現的には完了体動詞未来形の例示的用法(例示的反復)と違い、いつもと同じというような平板な感じを受ける。本項の規則的反復は肯定文においては動作が必ず起こる動作の有の規則的反復であり、否定文では無の反復(ゼロの反復)であり、疑問では動作の規則的反復の有無を問うていることになる。

(時々は家に仕事を持ち帰るのです)Иногда я беру работу на дом.
(不規則な食生活が、結局のところ、さまざまな疾患の原因となる)Неправильное питание в конце концов приводит к различным заболеваниям.
(帰宅すると、コンピューターのスイッチを入れる)Прихожу домой и включаю компьютер.
(弊社は他の方々にお客様の個人データを知らせることは一切ありません)Мы никогда не сообщаем ваши личные данные другим сторонам.

3-1-2-2 過程を示せず、規則的反復を示す動詞

過程を示せず、規則的反復を示す動詞として、一回体(1回の動作の身を示す完了体)に対応する不完了体*や、偶然的な動作(うっかり)を示す動詞の不完了体#などがある。

вздыхать*(ため息をつく)、возникать*(起こる)、дёргать(引っ張る)、забывать(忘れる)、заглядывать*(覗き見る)、замечать(気づく)、заставать(居合わせる)、зачёркивать(抹消する)、мелькать*(ちらつく)、кричать*(叫ぶ)、мигать*(またたく)、поступать(入る)、приводить#(導入する)、привозить(車で運んでくる)、приезжать(車で到着する)、признаваться(告白する)、прилетать(飛行機で到着する)、приносить(もたらす)、припоминать(思い出す)、приходить(歩いて到着する)、пробалтывать#(口を滑らす)、проговариваться#(口を滑らす)、прозёвывать#(見落とす)、пропускать#(チャンスを逃す)、прощать(許す)、толкать*(押す)、являться(現れるという意味で)

慣用(一般的〔普遍的〕事実・動作や動作の一般化)というのは、具体的な対象や個人とはなじまない概念であり、そのような対象や個人に対しては規則的反復・習慣という意味になる。「いつも、毎日」というような規則的反復を示す状況語が文の焦点に来るから、不完了体が来ていると考えてもよい。

(毎日地下鉄で通勤します)Каждый день я езжу на работу на метро.
(いつもこんなふうに女の子たちとドライブするの?)Ты всегда вот так катаешься с девочками?

3-1-2-3 完了体過去形との併用

 反復であっても個々の動作の確認の場合には、不完了体現在形は完了体過去形と併用される。

(家を出る時は戸締りをしたか、窓を閉めたか、ガスを切ったかがいつも気になる)Когда я ухожу из дома, я всегда беспокоюсь о том, закрыл ли я дверь и окна, выключил ли газ.

3-1-3 過去から過去、現在及び未来に至る継続 and/or 規則的反復

3-1-3-1 過去から過去、現在及び未来に至る and/or 規則的反復

 過去から現在に至る継続に不完了体現在形が用いられるのは、第3章冒頭に述べたように、動作に現在のこの瞬間が含まれるため現在の時制

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●第72回

(エレベーター修理中)Лифт на ремонте. <в ремонтеでも同義。ремонтируемыйは「修理中の」という修飾語>
(会議中)Идёт совещание.
(彼は今会議中ですが、後10分ほどで終わります)Он сейчас на совещании, но оно окончится минут через десять,

3-1-2 規則的反復・習慣・慣用・性質 → 不完了体動詞現在形

 過程(進行形)は進行する動作の平面が開放的であるが、円とか四角や不規則な形でも、ループのように始点と終点が一致する閉道を動けば、動作は反復することになる。定動詞のようにこれは池の回りをぐるりと何度も一方向に歩いたり、走ったりすることをイメージするとよい。この動作自体は過程であり、不完了体は過程も示せるのだから、ここから2-1-6項で説明した規則的(偶発的ではない)反復も示す事ができるという理屈になる。
反復にも動作の一括化(連続する反復、2-2-1-5項)や例示的反復(2-2-5項)、規則的(定期的)反復、多くの回数の繰り返しがある。「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」ことから派生して、反復という用法の中の、動作の一括化(連続する反復、2-2-1-5項)や例示的反復(2-2-5項)は完了体の受け持ちとなり、「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージしない」、つまり規則的反復や多くの回数の繰り返しは動作の特定かつ不動の一点にないことは明らかなので、不完了体で表現することになったのだと考えられる。継続や反復という用法は不完了体の本質ではなく、文脈や状況語によるとフォーサイス先生も述べておられるが、これは規則的反復であろう。つまり不完了体は動作や状態の素材そのものであり、多回動詞のように語義に反復が含まれるものは除いて、動作が1回で終わるという限定もないゆえに、文脈やその他の状況語によって規則的反復、習慣、慣用、性質などに色づけされることになると言える。

3-1-2-1 規則的反復・習慣・慣用・性質と不完了体

規則的反復повторяемостьや、性質、慣用を含む習慣的動作обычное действиеというのは、毎朝というような同一主体の反復である習慣(定期的な反復)のほかに、不定期でも何回も起きることを前提とするような動作や出来事、および「(一般的には)~することになっている」という起きるという事を前提とした日常の動作(習慣や慣用)を指す。文法的には一定、ないし時間的感覚によって分割された同一動作の多回的再現ということになり、現在の時制では不完了体動詞現在形で示すことになる。規則的反復には途中で止めて、それを繰り返すという動作もある。
一方、本書で言う例示的反復(2-2-5項)というのは、ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないという出来事や動作に関連するもので、主観的判断が関係した完了体動詞未来形の例示的用法(4-2-3項参照)で扱う。体の使い分けを学ぶ際には、この違いを明確に理解することが必要である。2-1-6項や3-1-2項も参照願う。
この項で扱う規則的反復・習慣の用法は恒常的反復、慣用、動作の一般化とも呼ばれる。現在におけるの規則的反復・習慣では、その動作に必ず現在の一点が含まれるために現在時制であり、過去の規則的反復(2-1-6項参照)や慣用(2-1-5項参照)では過去時制である。動作そのものを示しているために動作事実の有無の確認(動作の名指し)として不完了体が用いられるという事も言える。また場に新しい要素を持ち込まない、つまり場独立型ではないということであり、場依存型の典型であるために不完了体が用いられるとも言える。不完了体の本質である動作事実の有無の確認というのは、動詞の基本的(一般的)な意味であり、1回の動作、時間や場所という具体性を特に想定していないために、また文脈によっては、1回であることを規定しないために規則的反復の意味を持つことができる。

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●第71回


3-1-1-4 ся動詞による非情の受け身と過程の用法

 不完了体ся動詞で受動態(受け身)を示すことができるものがあるが、主語に立つのは不活動体であり、人は一般的に主語にはならず、動作の主体は造格となる。このような受け身を日本語の文法では非情の受け身と呼ぶ。ただ動作の主体が明確であれば活動体が主語でも反復や過程の意味で用いられることがある。受け身の意味で使われる不定人称文は動作主が明確な場合には使えないからである。そのため非情の受け身は使い勝手が悪いが、被動形動詞過去短語尾の用法と違い、過程を示すことができる。9-4項も参照のこと。

(家が建てられている、家は建設中である)Дом строится.
(英雄たちは国家により表彰される)Герои награждаются государством. <主語は活動体だが、動作の主体が明確であるために不定人称文が使えない例である>
(大統領は1994年と1999年に再選された)Президент переизбирался дважды в 1994 и 1999 гг. <同上だが、この場合は動作主の国民が暗示されている>
(郡の医者は医療自治会によって追加料金で呼ばれた)Уездный врач приглашался земством медицины за дополнительную плату. <同上>

 この能動形動詞現在形や不完了体能動形動詞過去も、過程(それぞれ現在進行形と過去進行形)を示すものとして、形容詞的に用いることができる。

(建設中の都市で)в строящемся городе
Он спросил меня, кинув головою в сторону удалявшегося Милютина.(遠ざかってゆくミリューチンを頭で指し示して、彼は私に尋ねた)

 сяのついた動詞で不完了体が受動態で使われるものは、動詞によって反復・習慣、経過を示すから、被動形動詞過去短語尾との使い分けは簡単である。しかし自動詞としてсяのついた完了体の動詞と被動形動詞過去短語尾との語法の違いは、前者が動作主をイメージしない自発的用法(自然に~する)であり、後者は表面に出なくとも、動作主の存在が意識されるという点にある。

(心から重しが取れた)Тяжесть с души свалилась.
(ポプラが風で倒された)Тополь свалена ветром.

過程は同じく不定人称文でも表現できる。

(市では新しい学校〔が1校〕建てられているところだ)В городе строят новую школу.
(ドアにノックの音がする)В дверь стучат. <だれがノックしているか分からないという不定の意味で、動詞が複数形となっていると言える。10-3項の単数と複数参照>

3-1-1-5 その他の過程の用法

 過程の意味で「~中」はидтиを用いるが、на + 前置格でも同じ意味を出すことができる名詞もある。

(搭乗中)Идёт посадка.
(チェックイン中)Идёт регистрация.
(エレベーター修理中)Идёт ремонт лифта.

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2020年01月29日

●第70回


(彼は意識が戻り始めた)Он начал приходить в себя.

これは語義の体の用法に対する影響の問題であって、体そのものとは関係ないとも書いてあるから、この場合とは違うとも考えられる。ただ似たような文例で、3-1-5-3項にも書いたように、Я начинаю думать ...は意向の過程(~と考え始めつつある)というよりは、「もうそういう考えになった」というニュアンスであるから、これを過程と考えるのはどうかなという気もする。
意識が戻るというのは、一直線で戻るのだろうか?つまり過程として捉えられるのだろうか?気がつくというのは、意識が戻ったり、戻らなかったり、そういう意味で意識と無意識の境を往復しながらという風に理解して、ロシア語ではприходитьが用いられているのではなかろうか。

(北の短い夏の様々な喜びは終わりに近づき、終わりのないような秋がおぞましき姿で前に迫ってきたのであった)Радости короткого северного лета приходили к концу, впереди грозно надвигалась бесконечная осень. <радостиと複数なので、いろいろな喜びがそれぞれ終わりに近づくということで、多くの場合(例えばчасто)に起こる事柄には反復の用法として不完了体が用いられる>
(彼の人生の三度目の冬が終わりに近づいた)Третья зима его жизни приходила к концу. <季節は巡ってくるものであり、既に冬は2回巡ってきている>
(深く考えれば考えるほど、ある結論にたどり着く)Чем больще я обдумываю, тем больше я прихожу к выводу. <何度も深く考えれば考えるほど、何度もある一つの結論にたどりつく>

原先生が挙げられている、これらの例文にしても、一見過程のようだが、意識は反復しているように見える。それゆえ私見だが、приходитьは完全な意味での過程は示さないという従来の考え方を支持する。

(しかし、その後徐々にまともになり、愛らしい、無力なフージーになるのだった)Но потом мало-помальски приходил в норму и вновь становился милым и беспомощным Фудзием. <すぐ前の文脈で週に2、3度フージーに立ち寄ったという記述があり、過程のニュアンスはあるものの反復であろう>

ただОн приходит в себя.と見かけは現在形でも、実はアネクドートでの用法のように歴史的現在ということもあり得るので、その点を注意することと、運動の動詞以外でпри-という接頭辞のつく動詞群、例えばприближатьсяは過程で使えるということを覚えておく必要がある。

3-1-1-3 過程の意味における日本語との表記の違い

 日本語では完了で示す文が、ロシア語では過程の意味の不完了体動詞現在形で示されることがある。

(日が短く〔長く〕なってきています〔なってきました〕)Сейчас дни становятся короче (длиннее).

上の文を「日が短く(長く)なりつつあります」とするのは説明的な、ある意味人工的な日本語であり、ロシア語では過程をしめす不完了体動詞現在形で示す。同じような例を挙げる。

(夜が明けてきている、きた)Сверкает.
(日が暮れてきている、きた)Смеркается.

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●第69回

(天気はよくなる一方だ)Погода всё лучше и лучше.
(昔のペテルブルグというものはなくなってゆく一方だ)
Старый Петербург всё уничтожаются и уничтожаются.
(心筋梗塞は起こりつつあったが、まだ起こってはいなかった)Разгрывается инфаркт, он ещё не разыгрался. <進行形と完了体過去形の違い>

 状態と動態の中間のような、次のように形式的には状態でも、意味的には動態を示す用法もある。

(彼は常に探求している)Он постоянно находится в поиске.

3-1-1-2 過程を示すことができない動詞群

 ほとんどの動作を示す動詞は過程を示すことが出来るが、過程を示せない動詞群というのが存在する。語義的に過程の概念を許さない動詞として、多回動詞*(3-1-9項参照)、при-という接頭辞がつく運動の動詞の不完了体#、遂行動詞(正確に言えば、その動詞が遂行動詞としての用法の時で3-1-4項参照)、思わずやうっかりといった動作を示す動詞の不完了体+がある。**は瞬間動作動詞や好ましくない動作を示す動詞群で、経過を示す事はあまりない。

бросать**(投げる)、вздыхать**(ため息をつく)、взрывать(爆破する)、видать(見る)、винить(罪を負わせる)、включать(オンする)、выключать(オフする)、вопрошать(尋ねる)、вспоминать(思い出す)、вспыхивать(怒らせる)、вынуждать(強いる)、выпивать*(何度も飲む)、давать*(与える)、дёргать**(引っ張る)、достигать(達する、過程の意味はдобиватьсяで代用する)、забывать**(忘れる)、задумываться*(何度も考え込む)、замечать(気づく)、запрашивать(照会する)、заставать(居合わせる)、знать(知る)、избирать(選ぶ)、интересоваться(興味がある)、исписывать*(書きつくす)、касаться(触れる)、лишать(なくす)、любопытствать(好奇心を持つ)、мелькать**(ちらつく)、мигать**(瞬く)、нападать(攻撃する)、находить(見つける)、озарять(照らし出す)、опазыдвать**(遅れる)、осведомляться(尋ねる)、осенять(ひらめかせる)、осмеивать(あざ笑う)、отгадывать(謎を解く)、ошибаться**(間違う)、падать**(落ちる)、поступать(行動する)、похлопывать*(何度か叩く)、приводить#(導入する)、привозить#(車で運んでくる)、приезжать#(車で到着する)、признаваться(告白する)、прилетать#(飛行機で到着する)、приносить#(もたらす)、припоминать(思い出す)、приходить#(歩いて到着する)、пробалтывать+(口を滑らす)、проговариваться+(口を滑らす)、прозёвывать+(見落とす)、пропускать+(チャンスを逃す)、просиживать*(何度か座る)、простаивать*(何度か立つ)、прочитывать*(何度か読む)、прощать(許す)、прыгать**(跳ぶ、話が飛ぶ)、пускать**(放つ)、расходиться(行き違う)、случаться*(起こる)、сознаваться(打ち明ける)、справляться(尋ねる)、спрашивать(尋ねる)、стрелять(撃つ)、считать(みなす)、терять(なくす)、угадывать(推測する)、ушибаться**(打撲する)、являться(出席する)がある。

(今御社に向かっているところです)Мы едем к вам. <= Мы подъезжаем к вам.>
(汽車は遅れを取り戻してきている)Поезд нагоняет опоздание.
(何が起こっているのか知りたいのです)Я хочу знать, что происходит.

приходитьについては『ロシア語動詞の体の用法』(原求作、水声社、1996年)の137ページに、抽象的な意味を示す時には過程の意味で使えると書かれている。

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●第68回

が有ることには間違いないし、主観的ニュアンスもないので不完了体が来ていると考えられる。不完了体動詞現在形の予定の用法も、未来において予定通り動作が起こる(有る)わけだし、また主観的ニュアンスもないので不完了体が来るということになる。過程というのは現象の内容を示すわけで、動作や事実の有無の確認とは対立する。そういう意味では3-1-11項の様態の用法も過程の用法から派生したものである。

3-1-1-1 過程の意味

 動作の過程процесс действияというのは、ある時点での行為・動作が行われていて、終了していないという、いわゆる現在進行形「~する途中である、~しているところである」のことであり、不完了体動詞現在形で示す。過程の動詞は時間の経過のみならず、物理的ないしは心理的位置の移動を有限軌道ないしは無限軌道(円や楕円)で示す点が、時間の経過のみで位置の移動を含意しない状態動詞とは異なる。動作の起点ないしは終点を含意しており、終点が含意されていれば志向の動詞(7-1-1項参照)と重なる場合もあり、その点が起点も終点も含意しない状態動詞とは異なるとも言える。この用法は動作の有を含意するが、動作現象の内容を示すという点で、動作の有無の用法と対立する。その場での行為を示しており、不完了体が示す場依存型の用法の典型である。

(彼は駅へ歩いている)Он идёт на станцию. <有限軌道、志向>
(彼は池の周りを走っている)Он бежит вокруг пруда. <無限軌道>
(彼は死にかけている)Он умирает. <志向>

 この用法には7-1項の不完了体動詞の用法でもある志向(~を目指す)という、動作遂行には至らない用法も含まれるが、志向の用法は動作の目的を目指しての反復も含まれるものもあるという点が過程の用法とは異なる。

(食べ物のストックは尽きかけている)Запасы еды кончаются.
(何が起こっているのですか?)Что происходит?

ここでいう過程というのは上下などの動的なものであり、状態動詞(後述)の静的な用法とは異なる。目的志向的動作を示す動詞が過程の意味になりやすく、упорно(たゆまず)、настойчиво(粘り強く)というような副詞と結びつく動詞もそうである。動詞だけでなく時を示す状況語にも状態と動態の使い分けがあるので紹介しておく。

(毎日毎日暖かくなってゆく)С каждым днём становится теплее.

上の文でс каждым днёмとкаждый деньは日本語では同じく「毎日」だが、増減など動態的な変化があるときにはкаждый деньでなく、с каждым днёмを使う。露文解釈では「毎日」と訳せばそれで終わりだが、和文解釈の場合は状況語の語義だけではなく、用法をよく理解していないとロシア語には訳せない。同じような例文を挙げる。

(年を追うごとに彼は鼻もちならなくなっていく)С годами он становится невыносим!
(彼らの数は年を追うごとに減った)Их число с годами уменьшилось. <完了体が来ているのは動作をひとまとめと見なしているからで、一括化(2-2-1-5項参照)の用法と見なせる>

このほかに「ますます」всё + 形容詞や副詞の比較級・不完了体現在形の繰り返しも逓増・逓減の意味で使える。

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●第67回

であり、主観的な動作ではないゆえに、不完了体が用いられるという事も考えられる。つまり過程も、反復も、継続も不完了体が本質的に持っている用法ではなく、文脈によるのだということが言える。そのため過程、継続、反復の用法は、すべてその場における動作を、場と切り離しては行い得ないという点で場依存型である。
動作動詞の不完了体現在形は現在の一時的事実(そのときのこと)や習慣的な事実(ふつうのこと)を示し、状態動詞のそれは恒常的事実(いつものこと)を示す。ここで言う事実というのは客観的事実に加え、話し手が事実と考えているものも含む。
日本語の「~している」をロシア語にするときに、自動的に不完了体動詞現在形になるというのではなく、現在完了なら完了体動詞過去形、被動形動詞過去形短語尾を、過程や反復なら不完了体動詞現在形とし、「棒の先がとがっている」には形容詞などを、また「その話は一度聞いている」というような経験・経歴については、ロシア語では歴史的現在か、点過去で訳すように使い分けることが必要である。3-1-7項参照。
 不完了体現在形を用いた肯定文では動作が現に起きており、否定文では起きていないことは明らかなので、動作の有無のどちらかであることは明白である。動作の有無は不完了体の現在の時制における全ての用法に共通しているため、過去や未来の時制とは異なり、現在の時制では動作事実の有無の確認だけの用法はあり得ないと言える。

3-1-1 過程 → 不完了体動詞現在形

完了体は話し手がその動詞の語義にある動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージし、それが体の本質であると述べた。そうであれば不完了体は特定かつ不動の一点での動作をイメージしないということになるから、反復や慣用(一般的に~である)については御理解いただけよう。しかし、過程(いわゆる進行形)となると、まさに今のこの一瞬に動作が行われているわけだから、この定義と矛盾すると感じる人がいるかもしれない。しかし過程の今のこの一瞬というのは、特定ではあるが、不動ではない、動いている一点であり、曲線や直線などの連続する点からなる点ではない。動いている動作をビデオに撮れば、特定の時間の一瞬を一コマという形で切り取れるのは誰しもが知っていることであるが、その一コマは、その一瞬が残像の形で固定化されたものであって、結果の存続(厳密に言うと点過去)であり、それは一コマの隅に撮影時間が印字されることでも分かる。一方、過程(進行形)における一瞬というものは、刻々と動いている一瞬であるという違いがある。
 ビデオや写真を撮ると、その一瞬が保存されるわけだが、写真は削除もできるし、印画したものをなくすという事もありえ、そうなると発話の時点まで残らないわけだから、結果の現存にはならず、そういう意味で、点過去と言うのが正しく、現在まで残っていれば結果の存続となるという事なのである。
 過程にはこの項で述べる動作動詞による動的過程(進行形)と3-1-6項(状態動詞)で述べる静的過程があり、静的過程には二次元や三次元方向の動きがないとは言え、時間的な経過があるわけで、過程の重要な要素である。
動作事実の有無の確認というのは、動詞の語義そのものであり、「動作があったか、なかったか」というだけのことであり、不完了体が使われ、過去の時制が一番分かりやすい。これは不完了体動詞未来形を使って未来の時制でも使われる。しかし、現在の時制では動作が進行中のため、なかなか分かりにくい。過程の用法というのは過去、現在、未来における進行形だが、話を分かりやすくするために現在進行形で考えてみる。現在の過程というのは、今正に動作が進行中であり、動作が起こっている(有る)ことは間違いないし、主観的ニュアンスがないために、不完了体が来ているとも言える。状態動詞、遂行動詞、評価解釈型動詞も同様に、現在動作

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●第66回

第3章 現在の時制

イェスペルセンは『文法の原理』(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)において、「現在というのは厳密に言えば現在の一瞬であり、点としてとらえることができる。ただ現在の一点が言及された期間内に入っていれば現在の時制であり、反復についても慣用ということで、現在の一点が含まれているから現在の時制になるのだ」と指摘している。過去から過去、現在及び未来に至る(3-1-3-1項)や真理(3-1-10項)の用法は言うに及ばず、状態(3-1-6項)や過程(3-1-1項)の用法において不完了体現在形が用いられるのも、刻々と動く時間軸のこの一点(この一瞬)が動作に言及されているからだし、遂行動詞は過程の要素が、評価解釈型動詞は状態の要素に現在のこの一瞬が含まれるために不完了体現在形という形式を用いるのだと言える。
毎朝通勤するというような反復の動作は、ある行為が現在から未来へと一定の時間間隔で、あるいは間隔を無視できるぐらい頻繁に繰り返されることを意味する。現在のこの一瞬というのは常に動いており、その動作が一定の時間後に現在のこの一瞬となって繰り返されると言及されていることになる。反復の用法では現在のこの一瞬が動作に組み込まれているので、不完了体現在形という形式を用いるということになる。同じように、予定の用法では、過程の用法の延長として、未来に起こるこの一瞬の動作が言及されていると見なすことで、不完了体現在形という形式が使われるのだと考える。
 歴史的現在では臨場感を出すために、現在の時制から過去を覗くように、過去の動作をあたかも現在のこの一瞬を介して追体験させるために、不完了体現在形という形式が用いられているが、動作自体は過去ですでに完了しているため、表しているのは点過去の過去の時制となる。
 完了体が現在の時制で用いられないのは、現在の時制におけるこの一点が常に未来へと動いているため、ビデオや映画のフィルムの一コマ、一コマの静止画面のように、結果の存続という形式か、ないしは一瞬後の未来のような広い意味での今しか完了体が表せないからである。つまり、私の指摘した「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」というのは、今という一瞬(一点)は静止していないのだから、完了体はこれを表現できないということを意味する。しかし、一瞬後という広い意味での現在の時制では完了体も使える。3-2-2項、3-2-3項、3-2-4項を第3章に含めたのもそのためであり、例示的用法の4-2-3項は第4章の未来の時制に含まれているが、現在の時制と深いかかわりがあるし、過去の時制でも使われるから、時制の制約を受けないとも言えるが、一応関連が深いと思われる第4章に記載した。
一方不完了体は反復以外の用法においても、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)での動作をイメージしないのだから、現在のこの一瞬においても、その前後においても終了していない(継続している)動作を表現するということになる。そのため動いている現在のこの一瞬を含む動作の場合、それを示す事ができない完了体の代わりに、過程(進行形)、状態動詞、遂行動詞、評価解釈型動詞において、不完了体動詞現在形が具体的な動作を示すことになる。しかし、この動作は発話の時点で終始を問題にしない動作であることに注意する必要がある。

3-1 現在の時制における不完了体の用法

完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないため、過程、反復や継続を示すことができない。そのため不完了体がその役割を担わざるを得なくなったと考えられることは前に述べた。過程の意味の「歩いているところである」というのは、右足と左足を交互に間断なく反復するわけで、これに「駅へ」という状況語がつけば、一つの動作の途中を示すことになる。それゆえ過程というのは、動作の反復から発展したものだとも言える。状態動詞と同様、そのまま同じ動作が続くという意味では、無意識な動作

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●第65回

動作および結果の存続を示し、それに続く不完了体動詞過去形は動作事実の有無の確認であり、文の焦点が疑問詞にあることは明確である。2-1-1-1項も参照のこと>
(この長編小説を書いたのは誰ですか?)Кто написал этот роман? <過去の時制の創作者としての資格(2-2-1-3項参照)→ 完了体動詞過去形>

 この創作者としての資格との関連で、発見に関わる動詞изобрести(発明する)、найти(見つける)、открыть(発見する)も同様完了体動詞過去形が来る。

(だれがラジオを発明したの?)Кто изобрёл радио?
(アメリカを発見したのはだれですか?)Кто открыл Америку?
(鍵を見つけたのは誰ですか?)Кто нашёл ключи?

при-という接頭辞を持つ運動の動詞は不完了体でも過程を示すことができず、到達の反復、ないしはприходил = пришё и ушёлという「来て、去った」、つまりその場にはいないという意味になるので、疑問詞との場合でも完了体動詞過去形が用いられる。結果の存続の項3-2-1-1参照。

(3位で来たのは誰ですか?)Кто пришёл третьим?

 刺身のつまのような動詞自体に文の焦点が来ない文、つまり補語、状況語、疑問詞に意味の焦点があるような文には、不完了体が来ると説明したが、それを短絡的に疑問詞があれば不完了体が来ると誤解してはいけない。疑問詞があっても、例えば過去の時制で動詞に意味上の焦点があれば、つまり点過去(2-2-1項参照)や結果の存続(3-2-1項参照)のニュアンスがあれば、完了体が来るというのは上の文例でも分かるだろう。
 疑問詞 + 不定形という組み合わせでは、この組み合わせ自体が叙想語модальные словаなので完了体動詞不定形が来るのが普通である。詳しくは6-1-4項参照のこと。

2-2-7 期間の区切り

 期間の具体的に限定された継続はпо-(必要な、あるいは望む期間より短い、「ちょっと、少しのというニュアンス」)やпро-(十分な期間、必要な、又は望むより長い期間)という接続詞のついた完了体で示す。これは未来の時制においても同様である。

(祖母は私たちのところに半年暮らして、再び帰って行った)Бабушка пожила у нас полгода и снова уехала.
(何時間も日向ぼっこをして。それはとても体に悪いよ)Ты пролежала несколько часов на солнце, это очень вредно.

 厳密に言えば、不完了体の継続(3-1-3-1項)が動作の完遂されていない経過報告のようなものであるのに対し、この種の完了体は期間の区切りを示しており、その区切りまでで継続するという動作が終了しており、この区切りが時間軸の一点момент времениを示す事で、1回の具体的動作を表現していることになる。

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●第64回

にすると、

Он то замолкал, то снова продолжал свой рассказ.
Он то замолкает, то снова продолжает свой рассказ.
Он то замолчит, то снова продолжит свой рассказ.

 上記の3つの文が考えられるが、不完了体動詞過去形には「いつも」という規則性が感じられ、完了体動詞未来形には「~したものだ」という偶発性が感じられる。不完了体動詞現在形は歴史的現在の用法であり、実質的には完了体動詞過去形の動詞が二つ続いている (замолчил и продолжил) ものと同じなので、いわゆる典型的な順次的用法(2-2-1-4項参照)であり、動作がほぼ連続して行われたというニュアンスになる。
ちなみに不完了体のпродолжатьは動詞の不定形も取れるが、完了体のпродолжитьは取れないということを覚えておこう。この二つは厳密に言えば意味は違う。продолжатьは動作の連続を意味するが、продолжитьは完了体であり、完了体が継続を含めた現在のその瞬間の経過を示すことができないため、一旦休止して後、再開するという意味を持つ。例えば会議のときに昼休みで中断したとして、午後1時に会議を再開する場合は、日本語なら「始めましょう」でも、「続けましょう」でもいいが、ロシア語では、普通はПродолжим!となる。これにНачинаем!を使うと、別な会議が始まるのかと思うし、Продолжаем! なら短い休憩の後なら使えるかもしれないが、普通は議論が議題から外れたりしたときに、続けましょうという感じで使う。
 歴史的現在を用いて、例示的反復と不完了体の反復が一つの文脈で出てくる例文があるので紹介する。

(本当のところ古書保管部での仕事は多くないし、給料もこれっぽっちよ。でも私いつもアルバイトしていたの。出社するときは、すべての書類を整理したり、ファイルにとじたりしたり、じっと座って編物をしていたわ)В архиве работы немного, правда, и зарплата крошечная, но я всегда подрабатывала. Приду, все бумажки в порядок приведу, журналы заполню, папки подшью – и сижу себе, вяжу. <座って編物をするのは常にしていた動作だが、それ以外の動作は偶発的であることが分かる>

2-2-6 疑問詞 + 主語 + 完了体動詞過去形

 疑問詞との組み合わせでは、疑問詞に文の焦点が来ることが多いために、不完了体が来ることが多いが、забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞は、文脈から結果の存続を意識しやすいということと、文の焦点が動詞に向かいやすいということもあって、疑問詞との組み合わせでも、完了体動詞過去形が来る場合が多い。新規の情報のため、動詞も含めて文の各成分すべてに焦点が来るのだと考えてもよい。
これらの動詞が普通の文脈で、そういう動作をするのが当然という文脈は一般的にあり得ないはずだ。部屋に人を招いて、ソファーがあれば、おかけ下さいСадитесь.<不完了体動詞命令形>というのは普通だが、部屋に花瓶があっても、「花瓶を割りなさい」というのは普通の文脈ではありえない展開であろう。そのためもし敢えて露訳するならРазбейте вазу.と完了体が来るはずだ。そういう意味で、これらの動詞は語義的に場独立型であり、完了体が出やすいという事が言える。

(病人に注射をしたのはだれですか?)Кто делал укол больному?
(いつ茶碗を割ったの?)Когда ты разбил чашку?
(お前が彼女を殺したのか?どうやって、何のために殺したんだ?)Ты её убил? Как убивал, за что убивал? <最初の完了体動詞過去形は新規の

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●第63回

われるが、какやчтоとは使わない>

一方、次のような文は上記の結果の評価という用法から見ると違和感を覚える。結果の評価(いいか悪いか)というのは完了体動詞過去形の用法だからだ。

(よくお休みになれましたか?)Как вам спалось?

спать, спатьсяは対応の完了体がないために代用として、様態の用法が結果の評価に代わって使われるのだと思われる。だからКак спали? とも言うし、使用例はやや少ないが、Кав вы выспали? やХорошо выспались? とも、敬語としてКак почивали? とも言う。спать, спаться のほかにもработать, питьなどは対応する完了体がないとされる。これらの動詞が本来持っている語義の中にある継続の動作(眠る、働く、飲む)という事を想定しているために、この動作を完全にカバーするような完了体はありえないことが分かる。しかし、結果の評価も様態の用法も会話では混同して使われる場合も多い。

(休暇はどのように過ごされましたか?)Как проводили отпуск? <この質問には、「旅行に行きました」というような答えを予想しているのにもかかわらず、Как вы провели отпуск? に対してのような、「Хорошо よかった」という返事が返ってくる場合が、日常の会話においては多々見られる>

2-2-5 回想・過去の例示的反復(〔昔は〕~したものだ) → 小詞бывало + 完了体動詞未来形(不完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形〔歴史的現在〕)

 本書で言う偶発的(散発的)反復потенциально возможная повторяемостьの動作というのは主観的なものであり、ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないというという動作や、過去の時制においてしたり、しなかったり(起こったり、起こらなかったり)という予測不可能な動作を示し、過去の時制における例示的用法(4-2-3項参照)である。

(彼はよくここに来て、面白いエピソードを話し始めたものだ)Он придёт, бывало, и начнёт рассказывать интересные истории.

 上記の文はчасто + 不完了体動詞過去形でも一見よさそうに見えるが、それでは「しばしば~した」という過去の客観的な事実を述べるだけで、日本語の「~したものだ」という回想の意味が出せないことになる。過去の偶発(散発)的習慣を示す小詞бывалоは、不完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形(歴史的現在)、完了体動詞未来形(時制の転用)と共に用いることができるし、бывалоを伴わずに完了体動詞未来形(時制の転用)だけでも使える。そうなると例示的用法(何かあれば~する、~した)の一つである。例示的用法は完了体動詞未来形にしかない用法なので、時制が過去でも完了体動詞未来形の形のままで使う。それゆえ外見的には時制の転用と見なされる。

(我々は冬森の中を動き回ったものだ)Бывало, по лесу зимой едем. <歴史的現在>
(クレープを焼いたものだ)Бывало, пекли блины.
(まあね、1945年から46年にはこんな出来事ぐらいじゃ驚かなかったさ)Ну, да таким случаям в 1945 – 46 годах не удивишь. <例示的用法、この場合はне + 完了体動詞未来形なので不可能という意味もある>

「彼は黙り込んだり、再び自分の話を続けたりした」という文をロシア語

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●第62回

ソした動きに目を覚ました)На рассвете часа в три задремавшего было Дудорова разбудила копотня Гордона.

тщетно пытаться (стараться) という句動詞を用いても、一旦開始された行為の中止と同じ意味を表す事ができる。

(彼は戦争を避けようとしたがダメだった)Он тщетно пытался предотвратить войну.

 「~しようとする」という意味のпопробовать, попытатьсяの過去形 + 不定形を使っても、同義である。この動詞は7-2項の動詞群に属し、完了体は1回の動作を強調する特徴がある。

(彼女は非難に対して反論しようとはした)Попробовала она отбиваться.

2-2-4 結果の評価 → 完了体動詞過去形

 動作の結果の評価оценка результата действияというのは完了体の特徴である、話し手の主観が表に出てくる用法であり、3-1-11項の様態〔どのように、つまり声が大きいとか小さいとか〕の強調ではなく、結果がいいか、悪いかという時に使う。つまり動作が終了したという事が前提となるために、結果の評価は動詞が文の焦点にならざるを得ないので完了体動詞過去形が用いられる。不完了体動詞現在形を用いる動作の様態の強調という用法では、動詞は文の焦点とはならないが、結果の評価の用法では動作の結果という事で文の焦点になるという違いがある。

(彼は全ての単語をよく暗記した)Он хорошо выучил все слова.
(空の旅はいかがでしたか?)Как вы долетели?

 汽車の旅なら、Как вы доехали? となる。прилетели/приехалиなどのпри-という接頭辞のついた運動の動詞が上の文で使えないのは、途中で飛行機が揺れたとか、飛行機が遅れたという過程の意味につながる結果の存続がこれらの動詞では表現できず、反復を含めた到着のみを意味するからであると思われる。似たような表現を挙げる。

「飛行機はどうでしたか?」- Как прошёл ваш самолёт?
「快適でした」- Прекрасно.

(反応の断面の計測はどうだったのですか?)Как вы измерили сечение реакции? <完了体動詞過去形が来ているのは、答えとして「いい(悪い)хорошо (плохо)」というような評価を尋ねているからである>

 ところが、乗り物酔いについて尋ねている下記の文は不完了体の現在形が使われている。

(飛行機は大丈夫ですか〔飛行機にはお強いですか〕)?)Вы хорошо переносите полёт? <この場合評価は評価でも、体質という反復における評価を聞いているわけで、具体的なたった1回の結果の評価とは違う事はお分かりだろう>

(この映画どうでした?)Как вам понравился этот фильм? <映画の上映は終了している>
(東京の感想はいかがですか?)Как вам нравится Токио? <聞かれた人はまだ東京にいるというニュアンスがある。нравитьсяとлюбитьは意味が近いが、「こういう良い印象を与える」とか「第一印象が~である」という意味はлюбитьにはないし、любитьは接続詞когда, чтобыと共に使

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●第61回


(またご飯の前に手を洗わなかったわね)Опять руки не помыл перед едой.

2-2-3 動作の取りやめ(いったん開始された行為の中断、中止) → 小詞было + 完了体動詞過去形

なされた動作の中止や、動作が実現されなかったことを示すには、仮定法過去や過去の時制における不可能の用法を用いるのが普通である。

(もうちょっとのところで、ブルガリア大公におなりになれたのに)Немного ещё, и вы были бы болгарским князем.
(こんなに成功するとは夢にも思わなかったろう)О таком успехе он не мог и мечтать. <日本語では仮定法過去のような感じなのだが、ロシア語では過去の時制の不可能で処理している例>
(「パケレッタ」のリハーサルはプリマバレリーナのカモーリナ・レザーチにとって悲劇に終わった可能性もあったのである)Репетиция «Пакеретты» могла закончиться для болерины Камолины Резати трагически.

 しかし、助詞のбылоは「~しかけたが、(結局)しなかった」、「~しかけて~するのを止めた」という意味で、いったん開始された行為の中断、無効を示すことができる。述語に文の焦点が来ているため、過去形の動詞と共に用いるが、完了体動詞過去形が普通で、不完了体動詞過去形で用いられるのは主観的(叙想的)な要素を持つхотеть, думать, собиратьсяぐらいであろう。この用法は7-7項の動作の無効の一つである。

(車は動きかけたが、彼は車を止めた)Машина было тронулась; но он остановил её.
(彼はコースチャに何かを尋ねようとしたが、折よく思い直した)Он хотел было попытаться что-то спросить у Кости, но вовремя опомнился.
(気流に乗りかけたが、凧はなぜか断崖の斜面を下にすべっていった)Подхваченный было потоком воздуха, змей почему-то скользнул вниз по склону обрыва.
(ソーニャは出かけるつもりだったが、読書大会が父の誕生日と重なったので止めた)Соня собирался было пойти, но читательская конференция совпала с днём рождения отца.

反復を意味するときには不完了体を使うことができる。

(彼が座ろうとするたびに、すぐにまた立ちあがった)Каждый раз он садился было, но сразу же вставал снова.

 またчуть было неやедва неを使っても、同じ意味を示す事ができる。

(もう少しで死ぬところだった)Чуть было не умер.
(危うく汽車に遅れるところだった)Чуть было не опоздал на поезд.
(あるときある湿地で我々は危うく溺れるところだった)Однажды мы едва не утонул в какой-то трясине.

ちなみにбылоは一旦開始された行為の中止だけではなく、被動形動詞過去ないしは能動形動詞過去との組み合わせで、動作や状態が一定の時間続いたという意味をも示すことができる。

(撃破されそうになった東ローマ軍は彼の指揮下で敵との戦闘に突入した)Под его предводительством разбитые было ромеи вступили в бой с врагами.
(明け方3時頃少しウトウトしていたドゥードロフはゴルドンのモソモ

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●第60回

ことが多い。未来の時制では例示的な用法で使われることが多く、完了体動詞未来形と共に使われることが多い。ни разуは過去の時制では完了体動詞過去形が一般的(ниが使われているということと関係があるのかもしれない)で、不完了体動詞過去形は経験の用法(3-1-7-1項)で使われることがある。ただ現在の時制では用いられず、完了体動詞未来形とは可能であるとは言え、一般的に未来の時制では用いられないと考えた方がよい。これは文字通り一度も~ないということで、時間軸の特定の一点を意識しているから否定の強調として完了体が出やすいのであろう。

(彼は一度も助けてくれたことがない)Он ни разу не помог.
(だいたい彼は前に一度もオレンジなんか食べたことがないと思う)Подозреваю, что он вообще ни разу раньше не пробовал апельсинчиков. <不完了体動詞過去形を使った経験の否定で、そういう動作の事実がなかったことを淡々と述べているにすぎない>
(彼はそのことを考えさえしなかった)Он даже не подумал об этом.
(近所の人たちでさえすり替えに気がつかなかった)Даже соседи подмены не заметили.
(私は彼の言葉を一言も聞き漏らさなかった)Я не проронил из него ни одного слова.
(芸術関係の問題では彼は一度も嘘をついたことがない)В вопросах искусства он не лгал никогда. <不完了体動詞過去形>
(1頭の馬に賭けることは決してない)Никогда не поставит на одну лошадь. <例示的用法>

しかしтак и не(結局~しない)の強調であるтак и никогда неは完了体動詞過去形を取る。

(イリヤーは結局決定しなかった)Илья так и никогда не принял решения.
(結局私は蓮が咲いているところを見なかった)Так я и не увидел, как цветёт лотос.

 文末に新しい情報(レーマ)が来ることを利用して、過去における否定の強調には、完了体から派生した被動形動詞過去短語尾 + не был (не была, не было, не были) を文末にもってくる方法もある。

(しかし夜までにボブルイスクは、まだ占領されてなどいなかった)Но к вечеру Бобруйск занят не был.

 過去の時制で完了体動詞過去形が否定形で不可能の意味にならないのは、過去が動作の確定を扱うために、動詞自体に潜在的な可能性の意味を担う余地がないからだと思われる。

2-2-2 結果の達成への期待 → 完了体動詞過去形(疑問文・否定文)

 完了体動詞過去形を否定文に使うと、期待していたのに~しなかったという主観的ニュアンスが出る。これは疑問文でも同じである。このように主観的ニュアンスがあるというのは、文の焦点に動詞が来ているということなので完了体が用いられる。不完了体動詞過去形の否定文なら単なる動作事実の無の確認となる。2-1-2-2項参照。

(お邪魔じゃなかったですか?)Я вам не помешал?

 上の文はお邪魔じゃないことを願うという期待の主観的ニュアンスがあり、そのために完了体動詞過去形が用いられている。Надеюсь, не помешал? でも、(お邪魔じゃないですか)Я вам не помешаю? <例示的用法>でも同義と考えてよい。

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●第59回

(何回かゴクゴクとコーヒーを飲んだ)Он сделал несколько глотков кофе.
(膝関節をほぐしながら素早く何度か屈伸した)Несколько раз быстро присел, разминая коленные суставы.

 каждый, любой, всякийのような代名詞は語義的に規則的反復で用いられる場合が多いが、稀に完了体と共に、動作の一括化で用いられる場合もある。
(あるとき彼ら各々に全く同じ質問が出された)Как-то каждому из них задали один и тот же вопрос:

 過去や現在の時制で動作の一括化を示す事ができるのは、被動形動詞過去短語尾ぐらいであろう。

(この資本から私の父はたった三千から四千を異なる時期に受け取った)Из этого капитала разновременно получено было отцом моим только от трёх до четырёх тысяч. <разновременно = в разное время>
(ラッカーを10回塗り重ねてある)Лак положен в десять слоёв.
(私の兄は3度逮捕されたが、毎回私はたゆまず彼のために奔走した。だからこそ結局うまくいったんだ)Мой старший брат был арестован трижды, каждый раз я неустанно хлопотал за него - и ведь удалось же в конце концов добиться успеха!

 不定法でも、命令法でも動作の一括化はあり、あまり例がないとはいえ、未来の時制でも完了体動詞未来形を用いて動作の一括化を示す事ができる。

(その音を正しく発音するために、何度か聴き通す必要があります)Чтобы правильно произнести звук, надо несколько раз прослушать.
(船体を緑の塗料で2度塗りして下さい)Покрасьте корпус судна зелёной краской в два слоя.
(それらを何度か読み通すよ)Я их несколько раз прочту.
(最初は何度か本文を聴いて見る)Я сначала несколько раз прослушаю текст.
(自分が間違ったことをしてしまうより何度か人に尋ねた方がよい)Лучше несколько раз переспрошу, чем неправильно сделаю.

 否定文でも使える場合がある。

(幾晩もよく眠れない)Несколько ночей не доспал.

2-2-1-6 否定の強調

 点過去というのは、過去の不動の一点において1回具体的な動作が行われたことを示すのだが、これを否定文に使えば、具体的な一度の動作の否定ということになる。「一度も~ない」というのは、過去の一点にすら注目しないという主観的ニュアンスを帯びるわけで、これは否定の強調であり、そういう意味で、否定の強調も点過去と理解される。それゆえ、「一度も~しなかった」ни один (одна, одно), ни разуやещё не(まだ~でない)、даже(さえも)を伴うときに、単一的動作の否定を通して、完了体の否定の意味が強められるため完了体動詞過去形が用いられる。また否定の強調には、強調という主観的ニュアンスがあり、動詞に焦点が来ているから完了体が用いられていると考えることもできる。この用法は磯谷孝先生の言う否定的一括化である。現在の時制の経験(3-1-7項、3-2-3項)も参照願う。
ちなみにникогдаは過去、現在、未来の時制で使われるが、過去の時制では完了体と使われることはあまりなく、不完了体とともに用いられる

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●第58回

程度の期間をおいてという場合には不完了体が来る。

(異説は次々と消えていった)Версии отпадали одна за другой.
(次から次へと罵詈雑言を彼は浴びせた)Сыпались из него слова одно другого грязнее.
(俺は次から次と授業をさぼった)Я пропускал одну лекцию за другой.
(次々と叫び出した)Закричали один за другим. <動作の一括化>

 完了体動詞過去形が具体的な動作の順次性を表すのに対して、不完了体は具体的な動作の同時性を表す。2-1-12項参照。

(ナージャは試験を受けてから、マーシャのところに行った)Надя уехала к Маше, когда сдала экзамены. <когда = после того как(~の後で)、как только(~するやいなや)、едва(~するとすぐ)、едва лишь(~するとすぐ)ということで、従属節の動作の後主節の動作がすぐ行われたことを示している。このсдалаは合格したという意味ではなく、受験したという意味の点過去>

2-2-1-5 動作の一括化 → 完了体動詞過去形

 数回とか何度か、幾度かという反復には2-1-6項で述べたように、不完了体を使うのだが、動作の個々の場面を一つにまとめる(立て続けに、一度に数回繰り返された)動作や、反復された動作の終了を強調することを動作の一括化と言い、その一括的意味суммарное значениеには完了体を使う。動作の一括化も完了体であるから、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)での動作をイメージする。
これはほぼ連続して行われた動作が、細かい点のように理解され、それが主観的に大きな一つの点に見立てられるわけで、それは点過去そのものであるため、完了体動詞過去形が用いられる。これは点が数学的には面積を持たないということに似ている。また動作を一つにまとめるということが文の焦点なので、完了体が用いられていると考えられる。語義がほぼ連続した動作と見なせるような語義の動詞の数が限られているので、より一般的な完了体の用法とはならなかったのだろう。

(我々は全部でこの実験を25回行った)Всего мы проделали этот опыт двадцать пять раз.

 これはпо-, про-やпере-という接頭辞のついた動詞などや-ну-という接辞のついた一回体の動詞に主に見られる用法であり、不定法にも見られるが、два, три раза(2、3度)、дважды(二度)、каждый раз(毎回)、не раз(一度ならず)、несколько раз(数回)、подряд(立て続けに)триждыなど回数などを示す限られた文脈だけでしか発生しない。

(彼は何度か自分の耳をふさごうと試みた)Он несколько раз попытался заткнуть себе уши.
(彼女は幾度か〔立て続けに〕キスをした)Она несколько раз поцеловала.
(3度〔立て続けに〕フクロウの真似をして叫んだ)Трижды крикнул совой.
(私は二度とも失敗を喫した)И оба раза я потерпел неудачу.

 それ以外の動詞でも文脈によっては、動作の一括化の例がある。

(ちょうどニコラーエフスカヤ通りの互いにあまり離れていない2か所に立ち寄らねばならなかった)Как раз в Николаевской улице надо было зайти в два места, одно от другого недалеко.
(何度か〔立て続けに〕彼に目配せした)Несколько раз подмигнул ему.
(酒をコップ何杯か一気飲みした)Залпом выпил несколько стаканов вина.

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●第57回


2-2-1-4 順次的用法 → 完了体動詞過去形

 点過去の一つであり、過去の時制において継時的にあまり間をおかずに、次々と動作が起こるときに用いられる。動作が順々に起こるためには、前の動作が終了しないと、次の動作が始まることができないというのは自明の理である。これを動作の順次性секвентность (последовательность действий) と呼ぶ。二つないしはそれ以上の動詞を用いることにより、動作の焦点が次々と移動して行くことになる。前の動作も次の動作も過去の時制では点過去か結果の存続になる。不完了体であれば、動作が遂行したかどうかは不明であり、確実に次の動作へ移れる保証はないことになるので、順次的動作すべてに、完遂の意味をもつ完了体動詞が使われることは理解されよう。そのため過去の時制では点過去から派生した用法ではあるが、現在の時制では被動形動詞過去短語尾を使って、未来の時制では完了体未来形を使っての順次的用法(4-2-2項)がある。動作の順次性は、主節と従属節でも表すことができる。

(すてんと滑って転んでしまったの)Я совсем соскользнула и упала.
(よそ見していて、〔降りる駅を〕乗り過ごしてしまいました)Я засмотрелся и проехал свою остановку.
(自動販売機にコインを入れ、ボタンを押し、券を受け取った)Я опустил в щель автомата монетки, нажал нужную клавишу и получил билетик.
(家に帰ると、すぐに寝た)Когда я пришёл домой, я сразу лёг спать.

 この順次性は感覚的なもので、場合によっては、ほぼ同時と考えてもよいような動作を示すこともできる。次のような文もそうである。

(彼は出かけ、鍵を残さなかった)Он уехал и не оставил ключ.

 被動形動詞過去短語尾も順次的意味も表わせる。

(言われたことは即実行)Сказано – сделано. <諺>
(航海士に網のカバーの違反を指摘した(ところ)、我々のいる前で違反は是正された)Указал штурману на нарушение в сетном покрытии. Нарушение было устранено в нашем присутствии.

 同じく動作が順々に起こっていても、過去の反復ならば、不完了体動詞過去形を使う。不完了体は時間的に共存する過程を示し、時間における過程と過程の前後関係を指示しないとラスードヴァ先生も述べておられるので、不完了体は具体的な1回ずつの動作の順次性を示さないと考えるべきである。

(この頃彼は帰宅して、夕食をとって、仕事に取り掛かるのがいつもの日課だった)В это время он всегда приходил домой, ужинал и принимался за работу. <夕食を取るのと仕事に取り掛かるのが同時という可能性もある>
(炎はすでに室内で激しさを増し、かまちも窓も燃えており、炎の先端は壁の上にのびていた)Пламя уже бушевал внутри комнаты, горели рамы и окна, и языки огня высовывались вверх по стене. <動作の同時性を示す>
(彼は机についていて、何かを考え、黙っていた)Он сидел за столом, о чём-то думал и молчал. <動作の同時性、ないしは時間的につながりのない動作を示している>

 次々といっても、動作がまとまってと感じられる場合は次項の動作の一括化だが、動作自体が二つの動作とは限らない(不定数の動作)、ある

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●第56回

僕は彼女を避けた)Лидия Михайловна вдруг засмеялась и попыталась меня обнять, но я отстанился от неё. <попробовать, попытатьсяもпонадеятьсяと同様な結果存続無効のニュアンスがある>

 点過去(アオリスト的表現)を過去の継続でも示せるという例を挙げる。

(ソフィア・フョードロヴナは1816年にある大佐と最初の結婚を挙げた)
В первом браке с 1816 года Софья Фёдоровна была замужем за полковником.

2-2-1-3 創作者としての資格 → 完了体動詞過去形

 「作品を書いた(書き上げた)、描いた、創った」という場合は唯一性の強調、つまり述語に文の焦点であるということで、完了体動詞過去形を用いる。過去の一点において動作がなされたということで、点過去的用法の一つであるが、作品が現在まで残れば、そういう文脈では結果の存続と理解してもよいが、何百年か前に書いた本が今に伝わっていないとしても、その本を書いたというのには完了体動詞過去形を使う。結果の存続にこだわると、体の用法の本質を見失うことにもなる。

(「アンナ・カレーニナ」を書いたのはトルストイだ)«Анну Каренину» написал Л.Н. Толстой.
(この劇を演出したのは誰ですか?)Кто поставил эту пьесу?

 上記の文で疑問詞が来ているのにもかかわらず、完了体動詞過去形が来ているのは、поставилが結果の存続(作品が現在まで残っている)というニュアンスがあるためと、文の焦点が動詞に来ているからである。
 動作の完成よりも過程や、動作の有無だけに話し手の関心があれば不完了体動詞過去形が来る。自分が書いた論文などにも完了体動詞過去形を使うのが普通だが、文脈によっては、下記のように反復の意味で不完了体が来る可能性がある。

(その頃は月に4編の論文を書いていた)Тогда я писал 4 статьи в месяц.

下記はすべて正しい露文だが、ニュアンスが異なる。完了体動詞過去形の方は、点過去で、過去の明確なある時点で動作がなされたという事を示し、作品が現在に残れば結果の存続という解釈も可能である。これは文の焦点が動詞にあるということを意味する。一方不完了体は疑問詞に文の焦点があり、動作事実の有無の確認ということで不完了体動詞過去形が来ている。『カラマーゾフの兄弟』にしろ、『戦争と平和』にしろ、有名な文学作品と知っている人は、何らかの思い入れがあり、主観的ニュアンスを帯びて完了体動詞過去形を用いるが、これらの書名を聞いたこともなく、これらが書名であるかどうかすら怪しい人にとっては、これらは名作ではなく、単なる「もの(ないしは、記号)」に過ぎない。そうであれば、主観的ニュアンスがない不完了体動詞過去形の動作事実の有無の確認を選ぶことになる。つまりこのように話し手の文の見方によって体の用法が決まる場合も多い。

(長編小説『カラマーゾフの兄弟』を書いたのはだれですか?)Кто написал роман «Братья Карамазовы»? <話し手が名作と理解している場合>
(『戦争と平和』を書いたのは誰ですか?)Кто писал «Войну и мир»? <話し手が名作かどうか知らないか、関心がない場合>
(『戦争と平和』を書いたのはトルストイです)Толстой писал «Войну и мир». <同上>
(この映画の監督は誰ですか?)Кто снимал этот фильм? <同上>

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2020年01月28日

●第55回

はならないから、完了体動詞過去形にしかならないとも言える。そのため和文露訳では、二つの用法の違いを特にイメージする必要もない。区別しなければならないのは露文解釈のときである。
 過去の時制において点過去と結果の存続を区別するのは文脈によるが、他動詞のように受け身で被動形動詞過去短語尾を用いることができるときは、過去の時制なら点過去、現在の時制なら結果の存続と区別できる。しかし、次のように点過去と区別できるものもある。

(頭を打ったときに気を失ったのですか?)Вы потеряли сознание при ударе головой?

 上の文は過去の明確な一点を指しており、典型的な点過去である。結果の存続なら気絶している人と会話しているという奇怪な話になってしまうからだ。これは瞬間動作動詞であり、2-2-6項を参照願う。
明確な過去の一点が示されていても、次の文のように不完了体動詞過去形が使われる場合がある。

(1961年4月に東京大阪間の自動車レースが行われたときに、女性読者は参加料3千円を払えば、自分の車でレースに参加でき、勝てば優勝賞金10万円を手に入れることもできた)Когда в апреле 1961 г. проводился автопробег Токио - Осака, читательницы, заплатив взнос (3 тысячи иен), могли принять в нём участие на своих машинах и в случае победы выиграть приз в 100 тысяч иен. <一見過去の一点を示すかのように見えるが、レースが何日間かにわたってというように期間を暗示しているということと、文の焦点がпроводитьсяという動詞ではないということから不完了体が用いられている>

 ラスードヴァ先生は、具体的事実の意味(単一動作の事実を全一的に伝達すること)が完了体の主要な意味であり、一括化の意味と例示的意味は、この具体的事実の意味を基に発達すると述べておられる。私も完了体の用法としては、点過去が最も重要で、基本的な用法であると考えている。
 日本語のテイル形の用法には、状態動詞で、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)、「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語では歴史的現在か、点過去で訳す。3-1-7項参照)を示す用法があり、その中の経験・経歴を示す用法には露訳する際に点過去が使える。

(被疑者は1年前ここに来ている)Подозреваемый приехал сюда год назад.

完了体過去形の点過去というのは、過去の時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)で行われた唯一の動作や出来事を指し、それが発話の時点と関係がないか、発話の時点との関わりを問題にしないという意味である。発話の時点と関わりがあれば近接未来ということで、結果の存続の用法となる。動詞によっては7-2項の動詞群のように、点過去で動作が行われたが、発話の時点とは無関係どころか、その動作が完遂されなかったという結果存続無効(3-1-12項)のニュアンスがはっきりと出る動詞群がある。2-2-3項のбылоはいったん開始された動作の中断、中止だが、それとは違って、動作は行われるのだが、期待された結果が出ないという動詞群である。

(彼のことはあてにしたのだが、このざまだ)Я на него понадеялся, а вот что вышло. <シノニムのположитьсяにもこのニュアンスが若干ある>
(一瞬来ないのかと思ったよ)На секунду я было подумал, что ты не придёшь. <いったん開始された動作の中断、中止>
(リーヂヤ・ミハーイロヴナは突然笑い出して、僕に抱きつこうとしたが、

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●第54回

また、点過去を否定文で用いれば、2-2-1-6項の否定の強調となる。2-1-2-2項や2-1-3項も参照のこと。

2-2-1-2 点過去と結果の存続の用法の違い

 完了体過去形を用いる結果の存続(3-2-1項)は点過去の派生だが、それは完了体過去形をтолько что(たった今)と結びつけて考えると、動作の不動の一点が示されており、点過去であることは一目瞭然である。動作の完遂した瞬間と発話の時点があまりに近いので、その動作の結果は発話の時点にも残っていると想定され、それが結果の存続につながって行ったと考えられる。ちなみに不完了体過去形なら動作事実の有無の確認となる。この違いは「たった今」を現在のこの一瞬と全く関わりのない過去の時制と捉えるか、点過去から派生した結果の存続と捉えるかによる。

(私はたった今戻った〔戻ってきたばかりだ〕)Я только что вернулся.
(たった今僕にアンドレイが電話してきた)Мне только что звонил Андрей.

そのため完了体動詞過去形を使う結果の存続の用法と、この点過去を区別するのは文脈だけである。完了体過去形という一つの形式に過去完了の完了と現在完了の完了という二つの用法があって、それを文脈により使い分けているということになる。それは人の実際の動きにも関係するからである。例えば、(彼は来た)Он приехал.という文は、動作が一度起こったということを意味する。もしこの発話が、たった今なら、彼はほぼ100%、そこにいる可能性が高い、つまり(彼は来ている)ということで結果の存続という用法である。昨日でもいる可能性は高いだろうが、3日前、1週間前となると、人はそれこそホモモーベンス(移動民)だから、そういう人間の習性から見て同じ場所にずっといるかどうかというと、いない可能性が高いだろう。1年前となるとまずいないと考えるのが普通である。いない場合は点過去である。このように文脈によって、結果の存続になる可能性があるが、本質的に変わらないのは、動作が一度起こったという事を示すアオリスト的な意味だけである。
 一方、不完了体動詞過去形を用いた(彼は来ていた)Он приезжал.では、動作が1度、ないしそれ以上起こったということだけ示している。一度かどうかはっきりしないために、動作の反復の可能性が出てくる。不完了体は動作事実の有無の確認だけを行うために、動詞には動作以外のよけいなニュアンスがない。ここに特定の過去を示す状況語(なくても意識の中で1度だけ起こったということだけでもよいが)があれば、これは具体化(特定化)といって、完了体の領域である。приезжалのように反対語(対義語)がある動詞は、完了体動詞過去形のприехалとの対比で、100%ではないにせよ、приезжал = приехал и уехал〔来て、去った〕と理解される場合が多い。100%と言えないのは、語学が人間という、その行動が予測不可能な存在を相手にしているからである。
同様に、(彼は生まれた)Он родился.は、その人が生きていれば結果の存続であり、文脈で生死を特に問題にしないか、生死が不明か、死んだ場合は点過去となる。しかし、

(彼は1985年9月25日に生まれた)Он родился 25 сентября 1985 года.

と生年月日が入ると、今現在の時点から見て、彼の生年月日では生きている可能性が高いから結果の存続という解釈も成り立つが、過去のある一点を示す以上、点過去と考えた方が無難である。結果の存続では「~の時点から」という時の状況語は許容されるが、過去のある一点を示す句が入れば、それは過去の時制であるから、当然点過去である。いずれにせよ「彼が生まれた」は、動詞の語義上、何回も繰り返して生まれたという意味にはなりえない以上、反復という意味はあり得ない。つまり不完了体と

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●第53回

動作に意識が集中する以上、動詞が文の焦点となっているので完了体が用いられる。逆に言えば、時間を示す状況語というのは、場独立型の場合が多く、つまり、新規の事柄として出てくる場合が多いので、場依存型の不完了体とは相性が悪いと言える。不完了体の場合は、動作を示す不動の一点の有無を問題にしないということになる。ただ状態動詞(3-1-6項)や過去の過程を示す動詞(2-1-4項)は、過去の一点、またはそれを含む動作を示す事ができるが、その過去の一点というのは、不動の一点ではなく、連続する動作の通過点であり、それが点過去との違いである。

「去年おばあちゃんに年賀状を出したかい?」- Ты посылал в прошлом году новогоднее поздравление бабушке?
「うん出した。今年も出したよ」- Да. посылал. И в этом году тоже послал.

 最初の文には時の状況語である「去年」があるのに、不完了体動詞過去形が来ていることに違和感を感じる人もいるだろう。最初の不完了体過去形посылалは動作の有の確認であり、動作が行われたかどうか分からない。このような不定の動作は時間軸の不動の一点が決められないので完了体は使えないということになる。しかも動作が1回とは限らないし、昨年1年間のいつかという風にも理解できるからなおさらである。二つ目の文の完了体動詞過去形послалは1回特定の時期に発送したという意味であり、点過去か、文脈によって結果の存続ということになる。
 もし和文露訳する際に時間を示す状況語がなければ、点過去は、不完了体動詞過去形の動作事実の有無の確認の用法との区別が非常に難しい。それは話し手の意識の問題だからだ。逆に言えば、意味が形式を決定するのだから、露訳するときに、意識の中に過去の明確な不動の一点において動作が行われたという認識があれば完了体動詞過去形を、そうでなければ、例えば期間などなら、不完了体動詞過去形を選ぶことにすればよい。不完了体の過去形の動作事実の有無の確認という用法では、過去に動作が行われたかどうかだけで、動作が行われた具体的な過去の不動の一点ということを問題にしない場合である。点過去の用法は動作事実の有無の確認の用例とともに十分比較検討して、用法の違いをマスターしてほしい。次のように動作の起点、ないしは起点から終わりまでも点過去で示すことができる。

(ローセフが来て以来状況が変わった)С приходом Лосева ситуация изменилась.
(東京において1875年からロシア宣教団付属の神学校が7年のプログラムで活動を開始した〔1919年まで存続〕)В Токио с 1875 г. при Руссской миссии начала действовать духовная семинария (просуществовала до 1919 г.) с программой, рассчитанной на семь лет.
(1817年からイェルモーロフは計画的にチェチニヤの奥地やダゲスタンに進軍を開始した)С 1817 г. Ермолов начал планомерное продвижение в глубь Чечни и Дагестан.
(1926年9月1日から1927年まで55,000円集めた)С 1 сентября 1926 г. по 1927 г. собрали 55 тысяч иен.
(1717年から1722年まで彫像をローマからペテルブルグに届ける船便が6回あった)С 1717 по 1722 год состоялось шесть корабельный рейсов, доставивших из Рима в Петербург статуи.
(1884年から1888年まで彼はおよそ350の作品を生みだした)С 1884 г. по 1888 г. он создал около 350 произведений.

 上の文は1817年から、1926年9月1日から、1717年から、1884年からという起点が明確であり、起点を過去のある一点ととらえることで点過去の使用を可能にしている。これは過去完了の継続の用法であり、見方を変えると、一種の動作の一括化(2-2-1-5項)と言えないこともない。

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●第52回

しており、過去の時制においては、過去における具体的動作の唯一性、一回性の強調ということにもつながる。一般的には、いつということを明示しての、ないしは明示せずとも、心の中でイメージしての、初めての動作や出来事を示す時に使われる。そのため「初めて~した」というような特定の1回の動作や、「完全に」などという動作遂行を示す副詞вконец(まったく)、вполне(まったく)、вовсе(まったく)、окончательно(最終的に)、полностью(完全に)、почти(ほとんど)、слишком(あまりに)、совершенно(完全に)、совсем(完全に)には完了体動詞過去形が来ることが多い。

(まさにその瞬間、僕は階段を上って来るエスマンを見た)В этот же миг я увидел поднимающего по лестнице Эсмана.
(コンサートは完全に成功した)Концерт вполне удался.
(反乱は1825年12月14日ペテルブルグで起こった)Восстание произошло в Петербурге 14 декабря 1825 г.
(その小説は1862年最初に出版された)Роман впервые появился в печати в 1862 г.
(あるとき彼の身にきわめて興味深い出来事が起こった)С ним однажды случилось прелюбопытная история.
(彼らが初めてこの計器を設計〔開発〕した)Они впервые спроектировали (разработали) этот прибор. <впервыеがなければ、文脈によって、意識の中で過去の具体的なある時点をイメージしていれば点過去の用法だが、現在と関係づければ、できたばかりということで結果の存続になる>

 この用法はとっつきにくいが、点過去である特徴の一つが、時間軸の不動の一点をイメージすることなので、状況の変化、出来事の場面転換を示すということがあり、この用法の完了体動詞過去形は「突然、すぐに、ついに」を意味するвдруг(突如)、неожиданно(不意に)、внезапно(突然)、сразу(すぐ)、сразу же(すぐに)、мгновенно(瞬間的に)、вмиг(一瞬)、немедленно(ただちに)、и вот(その結果ほら)、и тогда(そのときに)、и тут(その瞬間)、наконец(ついに)という状況語と共起する。しかし、これらの副詞は2-1-6項の動作の反復でも使われるので要注意である。また「すぐに」という状況語は命令法では、新規の動作ではない、回りの状況に合わせるような動作の場合、切迫感という用法で不完了体命令法と共に使われることもある。

(突然ドアが開いた。ドアのところに立っていたのはヂーマ・モーエフだった)Вдруг открылась дверь: в дверях стоял Дима Моев.

被動形動詞過去短語尾でも点過去を表現できる。
(1939年ド-マクはノーベル賞を受賞した)В 1939 году Домагку была присуждена Нобелевская премия.

 具体的な過去の不動の一点を示す時の状況語(昨日、1980年、1週間前など)があれば、完了体動詞過去形を使えばよいし、そういう状況語がなくとも、動作や出来事が過去のはっきりとしたある一点で、遂行されたとかあったと話し手が意識すれば完了体動詞過去形を使う。不動の一点というのは昨日を例に取ると、昨日の3時とか4時とか、あるいは時間は忘れたが特定の瞬間であり、昨日中ということではない。昨日中であれば期間なので不完了体動詞過去形を使うことになる。

(彼はモルモットの犬から膵臓を切除した。これは1899年の暑い夏のことだった)Он удалил у подопытной собаки поджелудочную железу. Это происходило жарким летом 1899 года. <происходилоと不完了体過去形が来ているのは、みなし反復(2-1-6-1項参照)のため>

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●第51回

перед большой аудиторией.

2-1-11 過去の経験 → 不完了体動詞過去形

 「~したことがない」ではなくて、「~したことがなかった」と過去の経験にしたいならば、具体的な過去を示す時の状況語か、до того времени(それまでは)というような文言を入れるしかない。

(わたしはそれまでこのような大河を見たことはなかった)Я до того времени не видел таких мощных рек.
(2年前まで〔2年前以前には〕カラマーゾフの兄弟を読んだことはなかった)Я не читал «Братья Карамазовы» раньше, чем два года назад.

2-1-12 動作の同時性

 ある時間枠で動作が同時に行われたときには、不完了体動詞過去形が用いられる。動作が次々と起こるときは完了体動詞過去形の順次的用法であり、2-2-1-4項参照。

(セルゲイ・イワーノヴィチはテーブルについていて、静かな落ちついた声で話していた)Сергей Иванович сидел за столом и говорил тихим, спокойным голосом.
(私が手紙を書いていた時に、彼女は夕食の用意をしていた)Когда я писал письмо, она готовила ужин. 
2-2 過去の時制における完了体の用法

2-2-1 点過去 → 完了体動詞過去形

2-2-1-1 点過去とは何か?

 アオリストとは、古代ギリシャ語やサンスクリット語などの動詞のアスペクトの一つで、完了・継続・反復といった様相とは対照的に,単に一つの出来事として動作・現象を示すものである。多くのインド・ヨーロッパ語は独立した区分としてのアオリストを失い、ラテン語ではアオリストは完了形と同化した。古代教会スラブ語にもアオリストはあったが、現代ロシア語には形式としてはなく、完了相は完了体で表現される。
 ラテン語系統のスペイン語の文法には、点過去と線過去というものがある。点過去は過去の事実を「一時点において終わったこと」としてとらえ、過去の完結した出来事、過去における事実を具体的な過去の時間を伴って表現する際に使用し、線過去は継続している出来事、または具体的な過去の時間を伴わないで出来事を表現する際に用いるという。
本書で使われている点過去(アオリスト的用法аористическое употребление)という用語は、スペイン語の文法用語から借用したものであり、ソ連アカデミー版『ロシア語文法』Русская грамматика(2巻), Академия наук СССР, Наука, 1980にあるように、過去の時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)で行われた唯一の動作や出来事を指し、それが発話の時点と関係がないか、発話の時点との関わりを問題にしないという意味であり、現在完了や過去完了と考えてもよい。これは過去の特定かつ不動の一点(到達点)での動作をイメージするということであり、主観的と言い換えることができる。完遂的用法の過去の時制における一つの側面であり、広い意味での現在の時制では結果の存続(現在完了)として現れ、未来の時制では完遂的用法となる。これらはともに完了体の本質を示

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●第50回

がある。

(ブロップ: お前の手は震えている。気をつけろ。コップを落とすぞ)Бропп. .....Руки у тебя дрожат – смотри, стакан выронишь!

(コップが落ちて、割れる音)Звук падающего и разбивающегося стакана.

(ミルス: 嘘だ!コップを割ったのはお前だ!)Миллс. Неправда! Это ты разбил стакан!

 動作は順次的で点過去であることが分かる。

2-1-9 意志の欠如 → не стал(а,о, и) + 不完了体動詞

 「~するつもりなどなかったし、今もない」という意味で、結果の存続の否定版(3-2-1項参照)であることが分かる。неなどの否定詞が動詞の語義である動作そのものを否定しているので、また動作の促しへの否定なので不完了体動詞不定形が来る。4-1-1-6項も参照願う。

(私も話すつもりなどなかったわ)Я и не стала говорить.
(彼は説明するつもりなどなかった)Он не стал объяснять.
(警察は犯罪者を探そうとさえしなかった)Милиция даже не стала искать преступников.
(彼はこれ以上将軍と話をするつもりはなかった)Он не стал больше разговаривать с генералом.

 上の文をне начал(а, о, и) + 不完了体とすると、行為の中止ではなく、延期であり、後で~するという意味になる。ちなみにнеのつかない肯定のстал + 不完了体 = начал + 不完了体は「~し始めた」という意味であり、完了体動詞未来形стану, станетなどと違い、意志を示すものではない。意向の意味を示すсобиратьсяのグループを過去形にして否定にしてみると、次の文のように、たんに「その時は~するつもりがなかった」という意味であることが分かる。

(すみません。お手紙を読むつもりはなかったのです。うっかり開けてしまいました)О, простите, я не собирался читать ваше письмо, я открыл его чисто автоматически.

2-1-10 過去の予定 → 不完了体動詞過去形

 過去の予定という用法は、4-1-2項の予定の用法と同じで、過去の動作の過程を示す用法の延長であり、使える動詞は4-1-2-2項に示してある。должен(+ был + 完了体不定形)もсобираться同様、過去の過程の意味で使える。при-という接頭辞のついた運動の動詞は過程を表すことができないが、現在形で予定の意味を示すことができるということは現在の時制の項で指摘してあり、過去でも使える。7-1の動詞群の不完了体動詞過去形(志向)が使えるが、даватьの過去形は使えないだろう。

(彼は来週来ることになっていた)Он приезжал на следующей неделе. (= Он должен был приехать)
(汽車は2時間後に出発することになっていた)Поезд отходил через два часа.
(次の一番早いバスは15分後に出ることになっていた)Ближайший автобус отправлялся через 15 минут.
(彼はたくさん働いた。なぜなら日曜に大観衆の前で演説することになっていたからだ)Он много работал, потому что в воскресенье выступал

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●第49回

 歴史的現在はнеожиданно(思いがけなく)、внезапно(突然)、моментально(瞬時に)、вдруг(突然)とも、完了体のように結びつくが、不完了体の動詞には歴史的現在以外の用法では結びつかない。

※2-1-6項にもあるように、これらの副詞は不完了体の動詞とも結びつくことがあるから、必ずしもそうとは断言できないはずである。

ホ)対義語の対のある動詞における解釈

(〔過去の観察の時点で〕私は友人のところにいる)Захожу я к приятелю.

上の文はЯ зашёл к приятелю.とすれば、(「〔過去の観察の時点で〕私は友人のところにいた」という点過去的な解釈も可能だし、「私は友人のところに寄って、今(発話の時点)そこにいる」という結果の存続としての解釈も可能である)

(私は友人のところに寄って、それから帰った)я заходил к приятелю (и ушёл.)

※不完了体動詞過去形の動作事実の有無の確認の用法であれば(今私は友人のところにはいない)となる。
 歴史的現在で過去に転移するのは発話の時点ではなく、観察の時点であるという事が分かる。

ヘ)過去を示す時の状況語と歴史的現在の共存

(昨日クズニェーツキー通りを歩いているとね、急に後ろから笛が鳴ったんだよ)Иду вчера по Кузнецкому, вдруг сзади раздаётся свисток.
(つい先日クラースナヤホテルの階段を上るとね)Поднимаюсь недавно по лестнице в гостинице «Красное».
(昨日事務所に証明書を取りに行くとね、門番がドアを開けてくれたってわけさ)Прихожу вчера в контору за справкой. Швейцар отворяет дверь.

※このように歴史的現在はナレーション的に用いられるので、一人称での使用が多いが、三人称の場合もある。

(昨日大統領は首相と会談)Встречается вчера президент с премьер-министром.  <新聞記事などの見出し>

ト)歴史的現在が使えないか、使いにくい文脈

(昨年私はニューヨークへ行った)Приезжаю я в прошлом году в Нью-Йорк.
*Иду я в прошлом году по Кузнецкому.

※無論私はモスクワの住人という設定であり、昨日とか、つい最近なら歴史的現在は使えるが、モスクワ市内のクズニェーツキー(通り)という手近な、いつでも行ける場所に昨年というのは心理的にどうかという事と、遠く離れたニューヨークならそう行けるところではないし、これなら昨年と考えてもおかしくないという心理的距離によるものだろう。

2-1-8-10 歴史的現在と能動形動詞現在

能動形動詞現在にも歴史的現在の用法がある。ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムСтанислав Лемの『月夜Лунная ночь』というラジオ用戯曲のト書き(ポーランド語からロシア語への翻訳)に、次のような一節

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●第48回

本語の歴史的現在では、語調を整えるという大義名分があれば(確述の表現を歴史的現在と見なすならば)、このような用法の制限はない。
 さらに、歴史的現在というのは、見かけが不完了体動詞現在形による現在の時制の過程や状態と似ている。だから、私の考えでは、文脈的にどちらか分からないときは、歴史的現在ではなく、現在の時制の過程や状態と理解される可能性が高いので、使えないか、使いにくいはずだ。ボンダールコ先生は歴史的現在に転換できない例として、(ついに彼の意識が戻った)Наконец он опомнился.を挙げている。これを歴史的現在の意味で不完了体動詞現在形の*Наконец он опоминается.にはできず、どうしても歴史的現在を使いたいというのなら、Наконец он приходит в себя. というように別の動詞句を使う必要があると言う。私が思うには、Наконец(ついに)という副詞は肯定的な、望ましい文脈で使われ、完了体過去形との結びつきが強く、完遂的用法とならざるを得ないからであろう。опоминатьсяは、(彼は徐々に意識を取り戻している)Он постепенно опоминается.のように過程でも使うので、Наконец とは結びつかないが、приходитьはпри-という接頭辞のついた運動の動詞であり、過程では使われない(3-1-1-2項参照)のが明らかだから、誤解の起こる余地がないからだろう。
歴史的現在の文体の特徴について、パードゥチェヴァ.先生の説を基に下記に書いて見る。*印がついたものはロシア語として正しくない文(非文)を意味し、※は私見である。

イ)歴史的現在はвотと結びつくが、過去形はвотと結びつかない。

 これは遠いものと近いものという遠近関係で説明できるという。歴史的現在は過去を心理的に近いものとするが、過去形で書くと、状況と話し手の間に距離が生まれる。

(ほら豪傑オリェークが宮廷から出立する〔出立した〕)Вот едет могучий Олег со двора.

ロ)歴史的現在はтолько чтоと共には使えない。

(たった今数学の大会が終わった)Только что кончился математический съезд.
(数学の大会が終わった)Кончается математический съезд.

※これは歴史的現在が点過去のように現在から切り離した過去を、あたかも現在であるかのように観察するという事から理解できる。

ハ)完了体動詞過去形の動作に続く動作を歴史的現在で表現できるが、不完了体動詞過去形ではできない。

(彼は私の手をつかんで引っ張った)Он схватил меня за руку и тянет.
*Он схватил меня за руку и тянул.
Он схватил меня за руку и потянул (стал тянуть)

※続いて起こる動作には完了体動詞過去形の順次的用法を使うべきであり、これに不完了体動詞過去形は用いられないということと、歴史的現在にもこの用法があるという事で説明できる。

ニ)歴史的現在には始発の意味があるが、不完了体動詞過去形にはない。

(いきなり遠く離れた茂みの向こうから月が這い出てきた)Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползает луна.
Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползла луна.
*Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползала луна.

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●第47回

 ここでも不完了体は歴史的現在という用法では、本来の体の用法である過程の意味を一部残していると言えるという。ボンダールコ先生は体の違いの中立化と呼んでいる。

iii) 完了体動詞過去形で示された文がすべて歴史的現在で表せるわけではない場合

 ボンダールコ先生は、意味の同じ例として、(突然汽車が停車した)Вдруг поезд остановился.と(突然汽車が停車する)Вдруг поезд останавливается.の二つの文を挙げ、過去を眼前にありありとというニュアンスを取ってしまえば、意味的には同じであるという。果たしてそうか?最初の文は、文脈によって、結果の存続(現存)ないしは点過去と二つの解釈が可能である。もっと言えば、特に何も文脈が示されていなければ、結果の存続と取るのが普通であろう。二番目の文を完了体動詞過去形に直せば、1番目と同じ文にはなるが、歴史的現在というのは過去の出来事を述べるのであり、それは現在とは何の関係もないのだから意味は点過去しかありえない。つまり部分的に意味が重なるところがあるというだけである。用法から考えて歴史的現在には、結果の存続という用法はまじまないはずだ。
 ボンダールコ先生は、上記の二つの文と対照的な、意味が異なる例として、(突然電話が鳴りだした)Вдруг зазвонил телефон.と(突然電話が鳴る)Вдруг звонит телефон.を挙げ、前者の動詞には始発の意味があるが、後者にはないゆえに、意味的に置き換えることはできないと述べている。зазвонитьに対応する不完了体は、露和辞典にもあるようにзвонить(ただзвонитьから見れば、対応の完了体はпозвонитьと考えるのが一般的だろうけれど)だから、一般的に体として対応していても、歴史的現在では使えないという解釈が成り立つわけである。

2-1-8-9 歴史的現在が使えない動詞や場合

 歴史的(劇的)現在という用法は、不完了体の動詞であればすべて可能だと考えるのは間違いである。знать, ведатьにはこの用法はない。またこれらの動詞は現在形で経過や予定を示すこともできない。*Когда я вошёл, он знал (ведал), что дома его никто не ждёт. や*Завтра он знае (ведает), что дома его никто не ждёт.、また*Он сидит и знает (ведает), что дома его никто не ждёт. という文も文法的に間違いである。こういう風にзнать (ведать)で歴史的現在が使えないという事は、日常会話に多く使われる歴史的現在が、あるエピソードを語るために使われるのが多いので、動詞は1回の動作を行うものが多くなるという事であろう。それ以外では、不完了体の動詞の用法そのものといえる一定の時間の継続を示す動詞ぐらいであろう。また会話では使われないような、時事ロシア語で使われるような形式ばった動詞も歴史的現在では使われない。それは歴史的(演劇的)現在は書記言語に現れるのが比較的遅い、つまり庶民の日常表現として現れるものだからだとイェスペルセンも『文法の原理』で述べている。ただロシア語ではアネクドートのみならず、日常会話でも多用されるので、この用法は一応心得ておいた方がよい。
 過去を示すのであればどんな文脈でも歴史的現在が使えるのかというと、完了体動詞過去形の結果の存続は現在や発話の時点と直接つながる故、使えないことが分かる。同じ完了体動詞過去形の点過去ならどうだろう。一見すべて使えそうだが、歴史的現在というのは、「過去の出来事を眼前にあたかも今現在あるかのようにありありと再現する」という用法のため、パードゥチェヴァПадучева Е.А.先生が指摘しているように、心理的距離のあるものは使えないとしている。歴史的現在とは、フォークロア的なものから発達したものであり、民衆的な用法、ナレーション的用法であり、私の考えではこの用法の上記のような定義と矛盾するような用法、例えば、統計的データを羅列するような文章では使えないと思う。日

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●第46回

や「この年、夏目漱石は籍を北海道に移している」は、過去の出来事だが、今調べて分かったとか、今その痕跡が残っているというように、何らかの点で発話の時点とのつながりがあると意識した時に使う経験・経歴の用法である。こういう用法はロシア語に訳す場合は、歴史的現在(ないしは過去の時制の完了体動詞過去形〔点過去や結果の存続〕)で処理できるのではないかと考える。

2-1-8-7 記録の現在

(1925年彼は上京する)В 1925 году он приезжает в Токио.
(その劇場の歴史は1783年から始まる)История театра начинается с 1783 г.

 上記の文は記録の現在と呼ばれ、歴史的現在の一種であり、文学作品によく出てくる用法である。過去にタイムスリップしたかのような、感情移入させるような場合に使われ、統計データの羅列のような無機質的なニュアンスはない。初めの文を普通の文にすると、В 1925 году он приехал в Токио.(1925年彼は上京した)となり、典型的な完了体動詞過去形の点過去である。このように歴史的現在の不完了体動詞現在形は、臨場感をもつような口語的ニュアンスがなくなり、淡々と記述するという意味での普通の文に直すと、完了体動詞過去形の点過去の用法になることが多い。完全に対応する完了体がない動詞идти, спать, работатьなどは直す時に、そのまま過去形にすればよい。идтиの完了体はпойтиではないかと思われる向きがあるかもしれないが、пойтиは補語をつけて動作の全一性を示す場合もあるとはいえ、始発の意味が主体であり、またидтиには始発の意味はなく、ある程度の時間や距離歩いているという経過や継続、慣用の意味であり、それをпойтиでは表現できないからである。

(昨日通りを歩いているとね、エリツィンが立っていて、橋の下の距離を測っているのが見えたんだ)Вчера иду по улице и вижу: стоит Ельцин и рулеткой мерит расстояние под мостом.

2-1-8-8 歴史的現在と点過去の違い

 歴史的現在と点過去(2-2-1項参照)の違いについて、ボンダールコ先生の説に従って書いて見る。

i) 多回動詞を一回体動詞のように使う。

(彼は森を走って来て、大変だ、大変だと叫んだ)Бежит он по лесу и кричит: «Кризис! Кризис!»»

 上の文のкричитはкрикнулという一回体のように、過去の一回の具体的動作を示している。мигать/мигнуть, толкать/толкнуть, махать/махнуть, трогать/тронуть, мелькать/мелькнутьなどにもそのような用法がある。この用法では完了体動詞過去形との意味の差は、不完了体には不完了体の意識が残っているために、1回の瞬間的という意味が完了体動詞過去形ほど明瞭ではなく、過程としてのニュアンスは出るため、部分的とはいえ完了体動詞過去形のような働きをしているという。

ii) 動作の到来

(不意に遠く離れた茂みの向こうから、大きな、でかい顔のような月が這い出た)Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползает большая широколицая луна.

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●第45回

 歴史的現在のときは、動詞だけでなく、名詞(句)、被動形動詞過去短語尾や形容詞も現在の時制となる。

(1891年1月1日(13日)火曜日、皇太子は新年をラホールへの車中で迎えた)
Вторник, 1 (13) января 1891 г.
Новый год встречен наследником цасаревичем в вагоне на пути в Лахор 
(ぺチョーリンは人生に失望し、不幸であり、他人に不幸をもたらす)Печорин разочарован в жизни, несчастлив и приносит несчастье другим.
(簡潔な祝辞、インターナショナルの歌、テープカット。それからオーケストラを乗せた車両は、新たに建設された路線を動き出した)Краткое слово. Интернационал. Лента перерезана, и вагоны с оркестрами музыки двинулись по вновь выстроенной линии.
(ずっと待っていたのに、なかなか来ないんだから)Я-то жду, жду, и тебя нет и нет. <ようやく来た待ち人に対しての愚痴>
(彼は初日不在、2日間来ない。3日目になって現れた)День его нет, два нет, на третий день появляется....
(カザケーヴィチと私はパステルナークさんのところに『文学モスクワ』のために何か(書いてくれるよう)頼みに来たがだめだった)Мы с Казакевичем пришли к Борису Леонидовичу просить что-нибудь для "Литературной Москвы" - и неудача.

2-1-8-6 日本語の歴史的現在との違い

 日本語にも歴史的現在があるが、用法が似ているとはいえ、違いはある。例えば、「4年間の授業料は2008年は平均で2万4千ドルです(でした)」という日本語文のあたかも歴史的現在のような「です」で終わる文をロシア語にすれば、Обучение в 2008 г. стоило в среднем 24 000 ам. долл. за 4 года.のように、歴史的現在ではなく、過去の時制になるはずである。それはこういう統計を扱うような文は、ロシア語ではまざまざと目の前で情景が展開されるという歴史的現在の対象にはなじまないからである。『日本語と日本語論』(池上嘉彦、ちくま文芸文庫、2007年)によれば、ヨーロッパの言語の歴史的現在の使用頻度が文章全体の30%ぐらいだとしたら、日本語の場合はその倍ぐらいにのぼる場合もあるという。私見だが、日本語では文末が「~た」、「~た」と続くのを避けるため、つまり、変化に乏しい単調な文体や一本調子を避けるために、「である」、「だ」、「です」、「であろう」と、語調の関係だけで歴史的現在もどきが使われる。だからヨーロッパの言語に比べて、歴史手現在もどきも含めれば、一見したところ使用頻度が多く感じられるのではなかろうか。ロシア語にもこの文体を変えるために歴史的現在を用いているのではないかと思えるようなもの(例えば記録の現在)もあるが、日本語に比べれば少ないようである。
その関連で述べると、文末の「た」には「ありがとうございました」のような時制とは関係のない確定表現の「た」があると森田良行が『日本語の発想』(冬樹社、1981)で述べているので、こういう点も露訳の際に考慮しなければならない。日本語における歴史的現在については、金田一春彦の『日本語』、北原白秋の『フレップ・トリップ』、三島由紀夫の『文章読本』、丸谷才一の『文章読本』、松浦静山の『甲子夜話』、山本夏彦の『米川正夫論』、本多勝一の『日本語の作文技術』を参考にした。またロシアソ連文学ではオレーシャОлешаの作品に歴史的現在が頻繁に使われているようである。

(後に死体で発見される若者は、殺人をしたことを1年半前に自白している)Некий парень, которого потом находят убитым, признаётся в совершении убийства полтора года назад.

日本語のテイル体の中で、「犯人は犯行後ここでラーメンを食べている」

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●第44回

я вчера по улице, и вдруг кто-то как схватит меня за руку. <идуは経過を示す歴史的現在>
(風が遠くへ、その叫び声を運んでゆく。そして夜中静寂の中では知らずに奏でられた低音の弦のように、長い間悲しげに草原の上に響いてゆく)Ветром далеко пронесёт его крик, и долго и грустно будет звучать он над степью, как ночью в тишине нечаянно тронутая басовая струна. <過去の時制における例示的用法だが、継続を示すために不完了体動詞未来形будет звучатьが用いられている>

次に挙げる諺や格言は、一つの事例を取り上げて全体を代表させるという例示的用法(4-2-3項参照)の完了体動詞未来形と見るか、歴史的現在の古い用法の名残と見るかだが、この歴史的現在の用法が発展して、例示的意味を持つことにより、完了体動詞未来形に生き生きした表現という生産性を与えたと言えなくもない。

(播かぬ種は生えぬ)Что посеешь, то и пожнёшь.  <тыを主語に見立てた「文中の述語が任意の人によって行われる行為を意味する」普遍人称文>
(その時はその時)Поживём – увидим.
(片方の肩に載せるなら仕事はきついが、両肩なら楽なもの〔みんなでやればなんでもできる〕)В полплеча работа тяжела, а оба подставишь – легче справишь.
(真実は常に勝つ)Правда всегда перетянет.
(尋ねよ、さらば見出さん)Кто ищет, тот всегда найдёт.
(虎穴に入らずんば虎子を得ず)Смелость города берёт <諺に反復・慣用という意味で不完了体を使う例>

2-1-8-4 演劇的現在

 演劇的現在настоящее сценическоеは劇的な現在という意味ではなく、歴史的現在の用法の一つであり、アカデミー文法ではнастоящее комментирующее(注釈的現在とでも訳すのか)と、歴史的現在とは別の項目を立てている。劇(戯曲)や脚本のト書き(登場人物の動き、場面の状況、照明・音響効果などの指定をセリフの間に書き入れたもの)で、その劇の中の1回の行為、つまり点過去(2-2-1項参照)と考えればよい。これから起こる出来事を不完了体動詞現在形で記述するもので、物語をかいつまんで紹介したり、その絵画が何を表したりしているのかの説明であるとか、文学作品の中で出来事を時間の流れに沿って描写するときなどに使われる。この用法には歴史的現在と違い、過去の出来事をあたかも目前にあるかのようにするというような状況設定は必要ない。作者が全てを見通していて、ある種の筋書きという線路の上を走るようなものだから、不完了体動詞現在形が使われるのだろう。例えば「モスクワは涙を信じないМосква слезам не верит(原題は「泣き言は言わずにさっさとやれ」Москва слезам не верит, ей дело подавай.という諺から来ていると思われる)」という有名な映画の粗筋紹介では、次の文でも分かるように、別段目の前にシーンが浮かんでくるという感じではないが、立派な演劇的現在の用法である。

(映画の舞台は1950年~70年代。女友達3人が田舎からモスクワにやってくる)Действие фильма происходит в 50 – 70–е гг. ХХ в. Три подруги приезжают в Москву из провинции.
(舞台は1899年、『復活』が出版されてすぐだ)Действие происходит в 1899 году, вскоре после публикация романа «Воскресение».

2-1-8-5 動詞以外の歴史的現在

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●第43回

(夜彼女のところにたどりついて、中に入って、十字を切った)Прибрёл я к ней ввечеру, вхожу, перекрестился. <歴史的現在をはさむことで、文体にリズムと臨場感が出ている>

完了体動詞未来形を例示的用法の時制の転用として歴史的現在でも使えるが、それについては次項参照願う。

2-1-8-3 歴史的現在と完了体動詞未来形

 ボンダールコА. В. Бондарко先生の『形態的範疇理論および体の研究』によれば、歴史的現在という用法は、昔も不完了体動詞現在形が主体であることには変わりはないものの、15~18世紀末までは、例示的反復を示す歴史的現在には完了体動詞未来形が広く用いられたという。諺や金言などにその名残が散見される。現代ロシア語においても歴史的現在として完了体未来形が全く使われないわけではない。次のように動作の完遂を強調する意味で使われることがある。

(フォレッゲルの運命において浮き沈みは死ぬ間際まで続く。1939年結核をこじらせ、それと肝硬変のため急逝する)Череда взлётов и падений продолжится в судьбе Николая Форрегера до самого конца, когда в 1939 году он сгорит от запущенного туберкулёза и цирроза печени.

このような完了体動詞未来形は、動作が続けて行われる、今でいう順次的用法のときに顕著だったというから、完了体動詞未来形の例示的用法にもその名残があるのかもしれない。私などは完了体動詞未来形が過去で使われるのは時制の転用(転移)と簡単に片づけていたが、実際は昔の用法の名残だったということになる。А.А. ポテブニャーПотебня先生の用いた有名な例文、「足で蹴って、壊した」という文は、普通に考えればПнул ногой – изломал.と完了体動詞過去形の順次的用法(2-2-1-4項参照)である。ところが完了体動詞未来形を用いて、Пнёт ногой – изломал.とすれば、より生き生きとした表現になるという。これは歴史的現在があたかも眼前で行為が行われているかのように表現するの謂いで、生き生きととらえられると考えれば納得がゆく。このように先行する動作には完了体動詞未来形が使われるというのが時制の転用での説明であり、現在の時制の反復・習慣の用法でも、完了体動詞未来形が先行する動作を示し、かつ平板な文章を生き生きしたものに変えると言われている。
ロシア語には日本語同様、未来完了という形式はないが、完了体動詞未来形(完了体動詞過去形も)には、日本語の「ハワイに行ったら、お土産買って来てね」と同様、時制の転用ではなく、確定(確述)表現であると考えてもよいのかもしれない。
 現代でもその名残として、完了体動詞未来形が歴史的現在で使われる場合がある。それはкакと共によく使われるものであり、突然とか暴力的な動作を示す。

(ドイツ軍司令部が置かれていたある村に突入すると、ドイツ兵たちは股引一丁で外に飛び出してきた)Как ворвутся в одну деревню, где стоял немецкий штаб, а немцы как выскочат на улицу в одних подштанниках!
(彼のか細い声が消え、それとともに一瞬で全てが死に絶えたようだった。その代わり、その後すぐに、その全てが急に現れ、気違いのように〔人々が〕手を鳴らしたり、叫び出したりした)Замер его голосок, и с ним в одно мгновение точно всё умерло... Зато через минуту всё как вскочет, словно бешеные, и ладошами плещут и кричат. <вскочетは単数の完了体動詞未来形で例示的用法(4-2-3項参照)、その後の動詞は歴史的現在の用法で三人称複数の不完了体の現在形>
(昨日通りを歩いていると、突然誰かがぐいっと僕の手をつかんだ)Иду

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●第42回

頭辞単純動詞(本源動詞)の不完了体はその傾向が強い。
 なぜ歴史的現在を普通の文にすると、完了体の過去形(用法的には点過去)に変わる場合が多いかというと、アネクドートの例でも分かるが、不完了体動詞過去形の特徴である事実(動作)の有無の確認ではなく、完了体の特徴である、過去の時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)において新しい事態や情報が表れる事を物語っているからである。和文露訳では点過去であろうと、結果の存続であろうと、完了体動詞過去形には違いないからどちらでもいいが、露文解釈(和訳)では文脈によってこの違いをはっきりさせることが重要な場合も多い。
 直接話法でも過去を生き生きと想像するために、つまりは臨場感を出すために、saidの代わりにsay(s)を使うなど歴史的現在を使う事があるのは、同じ心理状態の所産だというようなことをイェスペルセン先生も『文法の原理』(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)の中で書いている。この用法は形が似ている不完了体動詞現在形の予定の用法と共に、新聞の見出しにもよく使われる。日本語では体言止め(名詞止め)が多用されるのと対照的である。

(プーチン、オバマと会談)Путин встречается с Обамой. (= Путин встретился с Обамой.)

2-1-8-2 動作の順次性

(昨日は家に帰ってからね、夕食をとってね、仕事にとりかかったという具合さ)Прихожу я вчера домой, ужинаю и принимаюсь за работу.

 上の文を普通の文にすれば、下記のような完了体動詞過去形の点過去の順次的用法(2-2-1-4項参照)になる。

(昨日帰宅して、夕食を取り、仕事に取り掛かった)Вчера я пришёл домой, поужинал и принялся за работу.

歴史的現在では完了体動詞過去形が使えないので、不完了体がやむを得ず順次的用法という完了体の用法を担う事になったと考えられる。歴史的現在は過去の出来事を眼前に起こっているかのように生き生きと表現する用法なので、アネクドートで多用される。

(地下鉄の電車の機関士のところにテロリストが乱入し、手榴弾を取り出して、こう叫んだ。「すぐにコペンハーゲンに行け、さもないと吹っ飛ばすぞ」)
 機関士はこうアナウンスをしました。「ご注意ください。ドアが閉まります。次の停車駅はコペンハーゲンです」)
К машинисту поезда метро врывается террорист, достаёт гранат и кричит: «Срочно в Копенгаген! Иначе взорву!
Машинист объявляет:
- Осторожно! Дверь закрывается . Следующая станция Копенгаген!

 このアネクドートにおける、眼前にあるような生き生きとしたという歴史的現在の一番重要な特徴を取り去って、意味だけにするなら、これらの不完了体動詞現在形はзакрывается(予定の用法)を除き、すべて完了体動詞過去形ворвался, достал, крикнул, объявилで置き換えることができる。文脈によっては、歴史的現在が規則的な反復や状態、継続、経過を示す場合があり、置き換えるとすれば不完了体動詞過去形となる。

(冬。吹雪が通りを吹き抜け、凍てつく寒さが農家をミシミシさせたものだ)Зима, метель метёт по улице, мороз избы жмёт. <= Была зима, метель мела по улице, мороз избы жала.>

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●第41回

尾などの過去の時制を用いても可能である。долгоを使う例もある。

(その長編小説は1848年から1859年にかけて書かれた)Роман был написан в период с 1848 по 1859 г. <点過去>
(相手は長電話だった〔電話がつながらなかった〕)Там долго было занято.
(彼女は10年間結婚していた)Она была замужем 10 лет.

 2-2-1項の点過去を用いて過去のある時点から動作が始まったことを示す事ができる。ただ文脈によっては結果の存続にもなり得る。

(その瞬間から若きツァーリと陰気な人物との友情が始まった)С этого момента началась дружба молодого царя и угрюмого человека.
(1911年秋から学校に通うことができるようになって、1913年春に卒業しました)С осени 1911 года он смог ходить в школу и окончил ее весною 1913 года. <過去完了の継続>

 状態動詞(3-1-7項)も過去の時制における過去のある点から過去のある点までの継続を示す事ができる。ただпродолжатьの過去形に状態動詞の不定形をつけた方が意味はよりはっきりとする。

(しかし1960年以来党員だったソ連共産党から彼は間もなく除名された)Однако его вскоре исключили из КПСС, членом которой он был с 1960 года.
(古代の戦略のいくつかは19世紀直前まで存在していた)Некоторые из дренвних стратегий продолжали существовать вплоть до 19 века.

2-1-8 歴史的現在 → 不完了体動詞現在形

 歴史的現在というのは、過去の出来事を本来点過去で表現するはずの動作を、あたかも今眼前で起こっているかのようなヴィヴィットに臨場感をもって描写するもので、刻々と動く今この一瞬が含まれているかのように表現するため、不完了体現在形が使われるということになる。
歴史的現在は口語体であり、日常会話では頻発する。面と向かっての会話で使われる場合が多いので、その過去の出来事に現在の時制を使っても、話が今現在この場で起こっているというような誤解は起こり得ない。マースロフМаслов Ю. С.先生の提唱されたように、一つの文で完了体動詞過去形が歴史的現在の不完了体動詞現在形と置き換えられるならば、体のペアであるという考え方が一般的であり、体のペアかどうかを決める際にも使える。ロシア語では英語より歴史的現在が多用される。

(母はビーツを買って、ボルシチを作ってくれた)Мать купила свёкла и сварила борщ. = Мать покупает свёкла и варит борщ. <このためкупитьとпокупатьは体のペアとして認められる>

 歴史的現在は点過去のみならず、過去の規則的反復を示す事ができる。

(レニングラードへの爆弾投下は5千から7千メートルの高度から行われた)Бомбометание на Ленинград производится с высот от 5000 до 7000 метров.

2-1-8-1 歴史的現在と点過去の関係

 歴史的現在は意味の上では点過去(2-2-1項参照)であることが多く、それゆえ不完了体動詞現在形でも(完了体動詞過去形でなくとも)順次的用法(2-2-1-4項参照)が使える。だから歴史的現在は完了体動詞過去形の点過去に似た用法であると言える。ただ不完了体動詞には歴史的現在において動作の継続や反復を示す事があるし、対応の完了体のない無接

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●第40回

態そのものであるゆえに、ある程度の長さの期間や過程は不完了体の本質ではないが、完了体の代わりとして、過去のある時点から過去のある時点までの継続や過程(大過去〔過去のさらに過去、過去完了の継続〕)は不完了体動詞過去形によって示される。3-1-3-4項や9-2-2項も参照。

(ギターは丸々40年歌ってきて、今も歌い続けている)Гитара пела целых четыре десятка лет, продолжает петь и сейчас. <ギターの擬人化>
(きっと我々は二時間ほどこんなふうに話しあったのだろう)Мы разговаривали таким образом, должно быть, часа два.
(彼は夜中に変装して、眠っている宮殿から出てからの自分の冒険について話した)Он рассказывал о своих приключениях с того момента, когда он ночью, переодетый, вышел из сонного дворца.
(1946年から1991年まで赤軍は公式にはソビエト軍と称していた)С 1946 по 1991 г. Красная Армия официально именовалась Советской Армией.
(ダンスは夜中の11時過ぎまで続いた)Танцы продолжались до двенадцатого часа ночи.
(この時から生涯喜劇を書いた)С этого времени и до конца жизни писал комедии.
(一カ月にわたって委員会は事故の原因を調べた)В течение месяца комиссия выясняла причину катастрофы.
(2時間で7ページを翻訳していた)Семь страниц я переводил два часа. <訳し終えたということではなく、訳し続けたという意味>
(それ以来魔法の石のかけらを利用する機会を彼はうかがっていた)С тех пор он искал случая воспользоваться заколдованными обломками.
(俺はまだ若いときから警察ともめ事を起こしていた)Я имел ещё с ранних лет столкновения с полицией.
(昨日は船の揺れが激しくてなかなか眠れませんでした)Вчера я долго не мог заснуть из-за сильной качки судна.

исподволь, мало-помалу, медленно, постепенноは過程なら不完了体が来るが、動作完遂を意味する場合には完了体が来る。3-1-1-1項の最後の例文もそうである。

(古代の自然神は徐々に、国家の守護者である国家の神に変わった)Древние боги природы постепенно превратились в государственных богов – покровителей государства.
(ゆっくりと、苦しげに彼はベッドから起きた)Медленно, мучительно он встал с постели.
(どれにも触っちゃいけないし、ものや人は見るだけはいいということがだんだん分かってきたИ мало-помалу он понял, что ничего нельзя трогать, можно только смотреть на вещи и людей.
(時と共に有線放送は過去のものとなる)Со временем проводное вещение отойдёт в прошлое. <未来の時制でも同様である>

 次のように否定文においても表現可能である。

(8年も筆を取っていなかったわ)Восемь лет совсем не бралась за кисть.

 про-という接頭辞を持つ完了体動詞過去形の点過去(2-2-1項参照)でも可能である。

(彼は1851年まで働いた)Он проработал до 1851 г.
(25 kmを7時間で歩いた)Двадцать пять километров я прошёл за семь часов.

 期間の明示はпериодを用いれば、被動形動詞過去短語尾や形容詞短語

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●第39回

был приговорён за разные мелкие воровства, шантажи и тому подобные преступления. <Приговаривали егоというように不完了体動詞過去形の不定人称文で示す事も可能である>
(タターロフはしょっちゅう嘘を見破られた)Татаров был постоянно уличён во лжи.

2-1-6-1 みなし反復(見立て反復)

 一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台(踏み段)のように、場がすでにこしらえられていることが分かる。つまり意識下において、使われる動詞は新規に使われるのではなく、反復であるという認識から不完了体が用いられることになる。これをみなし反復、見立て反復と呼ぶことにする。

(だって彼はもうここに来ていたよ。私と一緒に地震の後に来たんだよ)Он ведь уже был здесь – приезжал со мной после землетрясения.

「この前はいつサラートフに来たのですか?」- Когда в последний раз были в Саратове?
「昨年の選手権の決勝戦のときです〔のときに来ました〕」- Приезжал в прошлом году на финал чемпионата.

上の文は来たというのは分かっているわけで、いわば、刺身のつまのような用法であり、приезжалがなくても意味が通じると言える。動詞бытьの反復を避けて、運動の動詞を使うという意味もあり、そのような動詞に焦点が来ない場合には、不完了体動詞過去形が来ると言える。来たことはあるが、それがいつなのか、あるいは何回なのかも分からないというのが、一番自然な不完了体動詞過去形の使い方である。
不完了体は本質的に回りの状況に沿って行われる動作を示すが、これは予め状況が設定されている、つまりすでに心理的な踏み台が存在しているということでみなし反復を意味する。それゆえ6-1-1項の不定法の切迫感や5-1-1項の命令法の促し(着手)、3-1-11項や5-1-3項の様態も、また不完了体未来形(4-1-1-3項参照)もこれと同じ発想にあると言える。

(みなさん準備オーケーですか?みなさんチーズしてますか?(それでは)撮ってよろしいですか?)Все подготовились? Все улыбаются? Можно снимать? <最初の二つの文で話し手が写真撮影をしようとしていることが分かる。これが「踏み台」であり、そのために、最後の文で切迫感(もうそろそろ)や促し(着手)の不完了体不定形が来ることになる>

(ちょっとといっても量はいろいろだ。目でどのくらいか教えてください)Чуть-чуть имеет разные объёмы. Показывайте глазами – сколько. <酒を注ぐときなど>

 前の文は状況設定という意味合いがあり、「だから~しなさい」ということで、動作をしてもらうことが話し手にとっては当然ということになり、着手とか促しという意味での不完了体命令形を使うことになる。

2-1-7 過去の継続 → 不完了体動詞過去形

 日本語にもロシア語にも英語のような過去完了という形式はないため、過去完了の完了は点過去として完了体過去形が、過去完了の継続は不完了体過去形が受け持つ。これは完了体が刻々と動く動作のその瞬間を表現できないために、期限はともかく、基本的に経過を示す事ができないからである。一方、不完了体は無色の、付加的なニュアンスのない動作や状

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●第38回

(通す)、прыгать(跳ねる)、ушибаться(打撲する)などがある。

(「禁煙は難しくない。私自身20回くらいやめたよ」とマーク・トウェインは語った)«Бросить курить не трудно, — говорил Марк Твен, — я сам раз двадцать бросал».

上の文でброситьと完了体動詞不定形が来ているのは、不定法のところでも説明するが、трудноという語が不可能に近いというニュアンスのため(6-2-5項参照)完了体動詞不定形が来ている。раз двадцатьは語順を反転させて<およそ20回>という意味を出している。

(彼は何度死にかけたことか)А сколько раз он помирал.

「反復の利かない単一的、無意識的な動作、目的志向的な動作」では、погибатьやумиратьは死ぬのは1回なので使えないが、否定的なニュアンスのある文ではこの限りではない。上の文は「何度死にかけたことか」という反語文であり、死んではいないという意味なので使える。両方の動詞も目的志向(死ぬつもり)という意味では使えないが、志向(死に向かいつつある動作、死にかけている7-1項参照)では使える。

過去のある時点から反復が始まり、それが過去のある時点まで反復動作があった、ないしは現在まで反復動作があるということも示す事ができる。

(1459年からウスペンスキー大寺院で府主教叙任の儀式が行われた)С 1459 года в Успенском соборе совершался обряд поставления в сан митрополита. <過去のある時点からある時点までの反復>
(1703年から現在までその川は300回以上氾濫した)С 1703 г. по настоящее время река выходила из берегов более 300 раз. <過去のある時点から現在までの反復であり、また現在までであっても、過去の出来事の有無について述べており、いわば3-1-7項の経験の用法である>

(朝一番に新聞に目を通し、その後朝ごはんを食べるのこそ彼の日課だった)Утром он первым делом просматривал газеты, а потом уже завтракал.

 上の文では二つの動作が連続しているが、毎日という反復なので不完了体動詞過去形を用いている。ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないという、例示的反復の場合は、完了体動詞未来形の例示的用法(4-2-3項参照)である。

(彼は幾度となく彼女に愛の告白をしたが、結局彼女から返事はもらえなかった)Он не раз признавался ей в любви, но ответа от неё так и не добился. <признавалсяは多回動詞の用法である>

(トマス・ムーアの「夕べの鐘」(という詩)は何度も曲がつけられた)Вечерний звон Томаса Мура неоднократно было положено на музыку.

 上の文のように過去の時制であれば被動形動詞過去短語尾も使えるが、これは完了体の動作の一括化(2-2-1-5項参照)と同じ用法であろうし、完了体の過去の用法「創作者としての資格」(2-2-1-3項参照)と抵触して、不完了体が使えない場合であると考える。しかし、動作の一括化とは考えられないような次のような例もあるので、被動家動詞過去短語尾は反復の用法でも使えることが分かる。

(彼はすでに数え切れない回数、いろいろなコソ泥、ちょっとした脅迫、その他の犯罪で有罪判決を受けていた)Он уже бесчисленное число раз

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●第37回

(1929年のソ連の失業者の公式数字は200万人の大台に近づいていた)Официальное число безработных в СССР в 1929 г. приближалось к отметке 2 млн. человек. <1929年とあるが、これは1929年中でという意味であり、点過去ではない>

2-1-5 慣用 → 不完体動詞過去形

 вообще(概して)などを伴い、一般的にこうだったというような静的な描写をする場合には不完了体が用いられる。習慣や慣用は規則的反復の一種である。

(概してその頃私は全く違うヘヤースタイルをしていた)Вообще я в то время носила совсем другую причёску.

2-1-6 規則的反復 → 不完了体動詞過去形

 動作が1回ないしはそれ以上の(多数回の)、ないしは回数を特定しない反復を意味する場合の反復は、動作の予想がつくため場依存型であるため不完了体が用いられるといえる。多数回(しばしば)の動作というのは、反復動作の数が多くて規則的に繰り返される動作に近いという認識から規則的反復に含まれる。完了体の例示的反復の用法(偶発的〔散発的〕反復потенциально возможная повторяемость)では動作が起こったり、起こらなかったりする、つまり、動作の有無が不明・不定だが、不完了体の反復は動作が起こる(否定では起こらない)という、動作の有か無であることを前提にしているという違いがある。これを規則的反復постоянная, регулярная повторяемостьと言い、動作が起こらなければ(動作が無である以上)、反復ではないという見方もできようが、ここでは有と無の二つの対立におけるゼロ(無)の反復と考えておく。また何度か続けざまに、または一度に数回など立て続けに繰り返された動作は、完了体動詞過去形の動作の一括化(2-2-1-5項)で扱う。反復と不完了体の関わりについては3-1-2項を参照願う。
共によく使われる状況語は、всегда(いつも)、всякий раз, когда(~するときはいつも)、ежедневно(毎日)、изредка(時たま)、иногда(時折)、каждый раз(毎回)、много раз(何度も)、неоднократно(一度ならず)、не раз(何度も)、обычно(いつも)、опять и опять(再々、再三)、редко(稀に)、часто(しばしば)などがある。<всегдаは完了体動詞未来形と共に例示的用法でも使われる。これはвсегдаにはв любое времяとкаждый разの二つの意味があり、例示的反復は前者、規則的反復は後者の意味の時に発現するからだと思われる>
この他に通常は完了体動詞過去形と共に使われる状況語вдруг(突如)、неожиданно(不意に)、внезапно(突然)、сразу(すぐ)、сразу же(すぐに)、мгновенно(瞬間的に)、вмиг(一瞬)、немедленно(ただちに)、и вот(その結果ほら)、и тогда(そのときに)、и тут(その瞬間)、наконец(ついに)もこの用法で使われることがある。

(ユーモラスな短編用に題辞が必要になった時は、クルィローフの小冊子からすぐに見つけたものだ)Когда мне нужен был эпиграф для юмористического рассказа, я сразу же находил его в томике И. А. Крылова.

 反復の用法には、次のような過程の意味であまり使われない瞬間動作動詞や偶発的、好ましくない動作を示す不完了体も用いられる。

бросать(投げる)、вздыхать(ため息をつく)、дёргать(引っ張る)、забывать(忘れる)、мелькать(ちらつく)、мигать(またたく)、опазыдвать(遅れる)、ошибаться(間違う)、падать(落ちる)、пропукаться(通る)、пускать

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●第36回

れは完了体の順次的用法から外れるからである。всталとした方が、文の上では自然なものになるとはいえ、上の文は文法的に正しいと言える。これはвстать/вставатьがоткрыть/открыватьのような動詞群と共に、過去形はニ方向の動作をもっているからである。всталは「起きた(発話の時点でも起きている)」だが、вставалは「起きていた(発話の時点では起きていない可能性が高い)」というニュアンスがあるからである。この文の最後にлёгがあるので、なおさら不完了体動詞過去形が適切であることが分かる。3-1-12項も参照のこと。

(あなたが席を外していらっしゃったときに、〔どこかにいらしゃっていたときに〕我々は両替しました)Когда вы отходили, мы поменяли деньги.

 このотходилиはотошли и подошли(その場を離れてから、またやって来た)という意味で、接続詞のついた運動の動詞の往復の用法である。つまり「あなたがトイレかどこかに行って、その後戻ってきた」という意味である。尚このподойтиは口語では<近づく>という意味ではなく、<прийти到着する>という意味である。これがотошлиと完了体動詞過去形なら、行ったきりで、例えば電話でなら上の会話は可能だが、<あなた自身は、声はともかく、まだ不在のまま>ということになる。отошли и подошлиというのは、後述の完了体の順次的用法(2-2-1-4項参照)である。逆の動作が、ポンポンと順を追って行われたことを示している。
 ただ対義語のある動詞群の不完了体過去形には、3-1-12項の結果存続無効の意味が出る場合が多いが、全ての文脈においてというわけではない。不完了体には文脈によって反復、過程という意味の場合もあるからである。

2-1-4 過去の過程(進行形) → 不完了体動詞過去形

 完了体がその時点でのその一瞬を表現できないために、過去における過程は不完了体動詞過去形が担う事になる。この用法は、「そのとき~していた」という過去進行形の意味を示す。過去を示す状況語とともに、過去の一点を示す事ができるが、これは通過点のようなものであり、そこが不動の特定の一点(前後から孤立した一点)を扱う点過去との違いである。志向の用法(7-1-1項参照)では過程のみか、反復が加わる場合がある。

この用法で共によく使われる状況語は、безвылазно(ひきこもって)、всё больше(ますます多く)、всё быстрее(ますます速く)、всё выше(ますます高く)、всё ещё(さらに)、всё сильнее(ますます強く)、всё тише(ますます静かに)、из года в год(年々)、настойчиво(しつこく)、настоятельно(切に)、неизменно(変わることなく)、нескончаемо(果てしなく)、постоянно(常に)、упорно(たゆまず)である。3-1-1項も参照願う。

(廊下からミハイロフが飛び出してきたときに、我々はもう出口のところまで来ていた)Мы подходили уже к выходу, когда из коридора вылетел Михайлов.
(彼が入って来たときに私は手紙を書いていた)Я писал письмо, когда он вошёл.
(父は息子を後継にと考えていた)Отец прочил сына на своё место.
(嵐が近づいてきた。船は港へと急いだ)Приближался шторм, корабли спешили в порт. <приближатьсяはпри-がついているが、運動の動詞ではないので過程でも用いられる>
(灯油ストーブはゆっくりと過去のものになっていった)Керосинки медленно уходили в прошлое.

点過去と紛らわしい用法があるので下記に挙げておく。

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●第35回

が結びつくことになるので、これと混同しないよう注意すべきである。

(昨日僕のところに友人たちが来ていた)Вчера ко мне приходили друзья.
(1992年カザンに議員としてタタール議会に来ていた)В 1992 году приезжал в г. Казань на Татарский Конгресс в качестве делегата. <приезжал = приехал и уехалであり、1992年の内に来て帰ったという意味>

 動作の往復の用法で使える完了体には、4-2-4項で挙げるс-という接頭辞のついた動詞群があるが、これらを過去の時制で用いると往復は往復でも、動作が二つの動作ではなく、一挙動になる。意味的には点過去もあり得るが、結果の存続の可能性が高い。

(ボリショイ劇場へ行ってきました)Я сходил в Большой театр. <結果の存続で、戻ってきて、今ここにいるというニュアンス>

一般的には連辞(繋辞)としての助動詞か状態動詞(不完了体)である動詞бытьにもこの用法がある。本項の動詞群は完了体・不完了体のペアで用いられることから、パードゥチェヴァПадучева Е. В. 先生は動作動詞として同形の完了体бытьの存在を示唆しておられる。

(私は友人のところにいた)Я был у приятеля. <был = приходил = пришёл и ушёлで動作動詞としての不完了体の用法。побывать = прибыть и отбыть>
(医師はきっかり6時に来た〔来る〕)Врач был (будет) ровно в шесть. <был = прибыл; будет = прибудетで動作動詞としての完了体の用法(過去は点過去で、未来は完遂的用法。ただбылの結果の存続としての解釈は、былは明らかに過去を示す助動詞としての用法もあるので無理があり、結果の存続はбыть動詞の現在の時制(形式上現れない)が行う。8-1-1項参照>

2-1-3-1 動作の往復の動詞群

この動詞群の完了体の過去形は、文脈に依るが、結果の存続<来て、今そこにいる>の意味となる可能性が高い。このようなペアは下記の通りである。

брать/возвращать(取る・戻す)、включать/выключать(スイッチをONにする・OFFにする)、вставать/ложиться(起きる・横になる)、входить/ выходить(入る・出る)、давать/забирать(与える・取り上げる)、надевать/снимать(着る・脱ぐ)、опускать/поднимать(下ろす・挙げる)、открывать/закрывать(開ける・閉める)、подниматься/спускаться(上る・降りる)、подходить/отходить(近づく・離れる)、приезжать/уезжать(車で来る・去る)、приносить/уносить(持って来る・持ち去る)、приходить/уходить(歩いて来る・去る)、просыпаться/засыпаться(目覚める・眠る)、терять/находить(なくす・見つける)

(テープレコーダーが壊れている。だれがスイッチを入れたか知らないか?)Магнитофон сломан. Ты не знаешь, кто его включал? <壊れているのだから、発話の時点でスイッチは入らない>
(今日起きたが、後で具合が悪くなり、また寝た)Я вставал сегодня, но потом почувствовал себя плохо и снова лёг.

上の文を見ると、完了体動詞過去形почувствовалの後に完了体動詞過去形лёгが続いており、不完了体動詞過去形вставалは何か浮いた感じがすると思えば、体の用法に関してかなり語感ができてきたことになる。そ

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●第34回

нас не менялся и не хотел.
(彼は頑固で、変わっていない)Он упрям и не изменился. <否定の強調、結果の存続の否定版>
(アガニョーク誌が変わることはない)«Огонёк» не будет меняться. <動作事実の無の確認。4-1-1-6項参照>
(世界は変わらない)Мир не изменится. <否定の強調、未来における完遂の否定>

 運動の動詞においては、不定動詞ходитьの否定は過去の時制では、初めからそういう動作はなかったことを、定動詞ではそれ以上の動作がないことを示し、完了体пойтиの過去形は結果の未達成、つまり途中で気が変わったこと(新規の動作)を示している。

(昨日はどこにも行かなかったわ)Вчера я никуда не ходила.
(タンスはドアのところにはさまれて、それ以上行かなかった)Шкаф застрял в дверях и дальше не шёл.
(〔気持ちが変わって〕どこにも行かなかったの)Вчера я никуда не пошла.
(空港へはその汽車は運行していない)В аэропорт поезд не ходит.
(この列車はここが終点です)Поезд дальше не идёт.
(その列車はターミナル駅まで行かないのか?)Поезд не пойдёт до вокзала? <まさかと思うけどというニュアンス>

2-1-3 動作の往復

不完了体過去形の用法には反復と、過程(при-という接頭辞のついた運動の動詞群以外)の用法があるが、本項で取り上げる動作の往復の用法двунаправленное значениеというのは、完了体過去形に見られる結果の存続(3-2-1項)の用法と対立する結果存続無効(3-1-12項)の一つである。動作やその結果が反対方向に向けられた動作や出来事によって容易に取り消されるような動詞の用法を意味する。この用法には、運動の動詞の不定動詞ходить, ездитьの過去形、および接頭辞のついた運動の動詞の不完了体動詞過去形、および対義語のある動詞群の不完了体過去形を用い、動詞の体のペアがある動詞である。これらの動詞群は完了体過去形において結果の存続のニュアンスが強いもので、不完了体過去形ではその対比として、結果存続無効の用法になりやすいと言える。例を挙げると、приходил = пришёл и ушёлは、<来ていた(来たが立ち去ってしまって、今はそこにいない)>を意味し、対義語である二つの動詞の完了体過去形の順次的用法を意味する。同様に、входил = вошёл и вышел(そこに入って出て、もうそこにはいない)、заходил = зашёл и ушёл(立ち寄って、去った)、отходил = отошёл и подошёл(その場を離れて、又戻ってきた)、уводил = увёл и привёл(連れ去って、又連れ戻った)、уходил = выходил и вернулся(その場を出てから戻ってきた)などである。
この用法では時の状況語と併せて用いられることができる。解釈は二つあり、一つは完了体の順次的用法の代用であるから、とんぼ返りを示す折り返し地点のような時の状況語と併せて用いられても問題ないはずだという考え方であり、もう一つは、このような動作の往復では、とんぼ返りのような動作には実際上ならないので、時間の状況語は無限小の時間軸の不動の一点ではなく、「期間内に」を意味するという考え方である。
この用法では動作が往と復の二つあり、復の動作は往の動作と同じ内容だが方向のみが逆、つまり等価で符号のみ(+)が(-)に変わっただけの反復動作と考えられるので、2-1-6-1項のみなし反復として不完了体が使われると考えてもよい。
ちなみに、この用法は反復、過去進行形(при-のついた運動の動詞群を除く)、動作事実の有無の確認と解釈される場合も文脈によってはありうるので、何でもこの用法だと決めつけてはならない。また歴史的現在の用法は実質的に順次的用法なので、時間軸の不動の一点と不完了体現在形

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●第33回

了体が必須である。もう一つは、否定的結果をもたらす動作を示す動詞群でзабыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)であり、これらは状態ではなく、否定の場合でも具体的な1回の動作を示し、生死(生命)や損得(金銭)に関わる強い主観的な動作を示すので、過去の時制の平叙文や否定文では、点過去(その派生の結果の存続)として完了体で使われることが多い。不完了体動詞過去形の例としては2-2-6項参照。しかし、これらの動詞も疑問文では過去の時制の動作事実の有無の確認としてなら不完了体動詞過去形が来る。このほかに、4-1-1-4項の状態の変化を示す動作、瞬間的に成立する動作、反復のきかない単一的、無意識的、非目的志向的動作を示す動詞にもこれに当てはまる。
「ズヴャーギンツェフさん電話くれた?」を和訳するとГ-н (Господин) Звягинцев позвонил? <期待(電話くれるって約束したのに)というニュアンス>があり、Г-н Звягинцев звонил? では電話があったかどうかを単に聞いているにすぎない。
動作の否定において、未来の時制ではまだ起こっていない事柄、つまり確定されていない事柄が対象のために容易に可能性と結びつくが、過去の時制では、不可能という用法はあり得ない。これは完了体動詞過去形が時制はともかくとして、確定(確述)した動作(9-2項の相対時制参照)を示し、可能性の現れる余地がないからである。そのため完了体動詞過去形では点過去(過去の時制)や結果の存続(現在の時制)が否定文に現れるにすぎない。
 日本語の文法で言う非過去(現在と未来)は完了体動詞未来形でも表現できるが、完了体動詞未来形は動作が行われている現在のこの瞬間を表現できない。そのため現在と言っても、一瞬後以降の広い意味での今である。広い意味での今にはロシア語でも日本語でも「今電話がありましたよСейчас вам звонили.」というような過去も含まれる。そういう意味での現在と未来の時制において完了体動詞未来形を否定すれば、不可能と否定の強調、ないしは未来の時制においてその動詞の語義にある動作が遂行されないことを示す。
 「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」ということから、否定文においても完了体は具体的で現実的、直近の事柄を表現することになる。一方、不完了体は不動の一点にとらわれないわけで、そこから抽象的な、非現実的な、ある意味一般的なニュアンスを帯びることになる。

(私はその手紙を受け取っていない)Я не получил письмо.
(私はいかなる手紙を受け取らなかった)Я никакого письма не получал.

 不完了体動詞過去形の否定は動作が全くなかったということから、思いがけない行為の断固たる否定を示す場合がある。その場合никакойのような否定の強調する状況語か、否定の動詞を強いイントネーションで発話することになる。

(あなたのものを取ってなんかいませんよ)Я не брал ваших вещей.
(私たちは電報を受け取ってなんかいません)Мы никакой телеграммы не получали.

 不完了体動詞未来形の否定は、これから起こる未来のいつの時点の動作をも全て否定するゆえに、回りの雰囲気を読まずとも、「~するつもりはない」という否定の意図が明確に現れる。これは預言者ではない以上、未来について確信を持って言えるのは、予言ではなく、意志(意図)だけだという事も関係している。4-1-1-6項参照。

(ミハイルは変わっていない)Михаил не меняется.
(我々のだれも変わっていなかったし、それを望まなかった)И никто из

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●第32回

Я не выключила плиту. <結果の存続の否定版とも、うっかり忘れたとも受け取れる>
Я не выключала плиту. <おそらくは意識的動作>
Я не взяла ключи. <結果の存続の否定版とも、うっかり忘れたとも受け取れる>
Я не брала ключи. <おそらくは意識的動作>

否定文というのは動作自体を否定するのだから不完了体が使われるのが普通である。つまり動作事実の有無の確認に不完了体が使われるということから、一般的に否定文こそ動作事実の無の確認(ゼロの反復)に他ならず、慣用的(一般的にこうであろうという)動作の否定には不完了体が用いられる。一方否定文に完了体を用いるというのは、具体的な1回の動作が否定される場合であり、結果の存続、否定の強調なども含め、何らかの主観的なニュアンスを付加することになる。簡単に言えば、動作自体がない(不完了体の否定)のか、この動作がないのか(完了体の否定)ということである。本項では過去の時制における否定を主に扱う。
不完了体過去形が扱う過去の時制における動作事実の無の確認の他に、動作が始まったが遂行していないか、成果の未達成(結果存続無効)は完了体過去形でも示せるし、否定の強調(一度も~ない)や不可能は完了体過去形で示す。つまり過去のある一点において動作が行われなかったという事をイメージすることにより、期待外れ、失望、予想が外れたことの驚き、不可能などの主観的ニュアンスが生まれる。そのため動作の主体を強調する(主体的意味を担う)場合、完了体動詞過去形が来る。これは否定文における点過去で、文脈によっては結果の存続の否定版である結果存続無効ということになる。また完了体が具体的1回の動作を扱うことから、具体的動作の否定も完了体の領域である。多回動詞の動作の否定については3-1-9項参照願う。また完了体動詞過去形の否定については2-2-2項を参照願う。

(どうしてスイカを売らなかったのですか?)Почему вы не продавали арбузы? <動作事実の無の確認で、その答えとしては、スイカをもって来なかったからなど>
(どうしてスイカを売り切らなかったのですか?)Почему вы не продали арбузы? <動作の未遂行で、その答えとしては熟れていないスイカが売れ残ったからなど>
(とうとうズィミナーさんはいらっしゃいませんでしたね)В конце концов г-жа (госпожа) Зимина не приехала. <成果の未達成、ずっと待っていたのに来なかったという期待外れという主観的ニュアンスがあり、これを不完了体動詞過去形に変えれば、Г-жа Зимина не приезжала. となり、動作事実の無の確認だから、来なかったという事実を単に表しているにすぎない。2-2-2項参照>
(ドゥヂーンツェフの慎重な演説は僕の記憶に残っていない)Осторожная речь Дудинцева не запомнилась мне. <結果の存続の否定版>
(私は何も言わなかったことにして下さい)Считайте, что я ничего не сказал. <具体的なその件については何も言わなかったということであり、ничего не говорилとすると「黙秘した」という感じで文脈上おかしい>

否定的ニュアンスのある動作には不完了体が使われることが多いと書くと、誤解の元かもしれない。否定的ニュアンスというのには二通りあり、一つは不必要や禁止を示すもので、動作自体が行われない、動作が存在しないという状態を示すものである。この場合の叙想語модальные слова(話し手の主観を示す)はне, нельзяなどの否定詞であるが、続く動詞は動作の開始も終了も意味しない動作そのもの(動作の内容)であるために不完

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●第31回

г. на киностудии "Мосфильм".
(お勘定はお済ですか?)Вы рассчитались? <お金や命に関係する語義の動詞は、その重要性から動詞に焦点が行くと考えられ、そのため有無の確認であっても完了体動詞過去形が来る。結果の存続(3-2-1項参照)>

(警告はしましたよ。あとはお好きなように)Я вас предупредил, а там, как вам будет угодно! <たった今、警告したという結果の存続の用法>
(彼が雷を落としたとしても、俺は警告したからな)И если он тебя взгреет - я тебя предупреждал. <以前に警告したということで、動作事実の有無の確認の用法であり、たった今警告したというニュアンスはない>

主語に文の焦点(動作の焦点)が来る場合も、不完了体が来る。самが主語につく場合などが分かりやすい。

(まだ起きてなかったのですか?)Вы ещё не вставали!
(彼自身が僕に言ったんだ)Он мне сам сказывал.
(ほらね、言ったじゃないの!)Вот видишь! Я же говорил.

上の文では、話し手は「言った」という動作が過去にあったことだけをいっているだけで、この動作には何のニュアンスがない(少なくとも話し手はそういうつもりか、そういうふりをしている)。しかも、聞き手がこの発言を聞いてどんなニュアンスを感じ取るかは、話し手の体の選択には関係しない。

2-1-2-2 動作の否定(否定文一般)

具体的な1回の動作の否定には完了体が用いられ、動作が一切ない(任意の1回の動作の否定か反復動作の否定かは文脈による)ことを示すのが不完了体の否定である。否定の用法についてまとめてみると、完了体過去形は点過去(派生としての結果の存続の否定<3-2-1-2項>、否定の強調<2-2-1-6項>)、期待外れ<2-2-2項>)であるが、動作がすでに起こっているため仮定法過去を除けば、可能性(不可能)ということはない。完了体未来形は不可能<3-2-3項>という用法の他に、否定の強調<3-2-2項>も含めて具体的な一つの動作がないことを示す。不完了体過去形は動作事実の無の確認<本項、3-1-7-2項、3-1-8項>で、不完了体現在形は動作が一切ない(任意の1回の動作の否定か反復動作の否定かは文脈による)を示し、不完了体未来形は文脈依存型の動作事実の無の確認<4-1-1-6項>は、動作が未来における動作事実の無の確認であると同時に、いかなる状況においても動作がないという、動作事実の無の確認を意味する。完了体未来形の否定は具体的な一つの動作が未来において行われないという事を示すが、不完了体未来形の否定は具体的かどうかにかかわらず、一切の動作を否定するという違いがある。
禁止は不完了体命令形<5-1-4項>、不完了体不定形<6-1-5項>で、具体的な1回の動作や反復動作の禁止があるが、どちらかは文脈による。不可能は完了体不定形<6-2-5項>で、警告・危惧は不完了体命令形<5-2-4項>で扱う。なお遂行動詞<3-1-4-8項>や挿入句では否定文は用いられない。
 「うっかり~する」という動作は無意識的であり、例示的反復だから例示的用法という事で完了体の領域である。ところがその反対の意識的動作というものは、動作の有無という点から見ると不完了体が、動作の全一性という観点から見ると完了体が来る。否定文では意識的という観点から見ると、動作がないので全一性というニュアンスはない。そのため、不完了体の動作事実の有無の確認に意識的な動作の否定のニュアンスが出てくることになる。これは4-1-16項にも関係する。「レンジのスイッチを切らなかったわ」や「鍵を取らなかったわ」という文はつぎのように二通りに露訳できる。

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●第30回

日本語文法では、メッセージの中で話し手が一番伝えたい要素であり、音声的に実現したものをプロミネンスと呼ぶ。現実の会話では力点の強調やイントネーションによって、意識的に文の焦点を分かりやすくすることもできる。文の焦点が述語ではなく、特定の補語、状況語、疑問詞、主語にある場合は不完了体が使われる。このようにどこに文に焦点が来るのかは、主語、述語、補語と大まかに分けてのことである。つまりнужноのような叙想語модальные словаだけで考えるのではなく、例えばнужно + 不定形を一体の述語と考え、そこに来るかどうか、つまり、個々の単語に分けて考えるのではなく、刺身のつまのような用法であり、極端に言えば動詞がなくとも文意は伝わるような文で、時制の関係で動詞бытьの過去形 + 名詞だけでもいいような文では不完了体動詞過去形が使われる。これも動作事実の有無の確認の用法の一つである。
 同じ動詞を繰り返す場合には、最初に完了体、次に不完了体が出てくる可能性が高い。これは最初に出てくる動詞は新しい情報を提示するという意味での完了体の用法であり、2度目の動詞の語義は既知であり、文にとって必要とされるのは、動詞の語義ではなく、動作の開始も終了も意味しない動作そのものであり、そのため反復のニュアンスがある代動詞として不完了体が用いられるのである。疑問詞との組み合わせでは疑問詞に文の焦点が来るので不完了体動詞過去形が使われることが多い。完了体動詞過去形が使われる例については2-2-6項を参照のこと。

(部屋を掃除したのは誰?)Кто убирал комнату?
(部屋の中はこんなに整頓されている。誰が掃除したか興味あるわ)В комнате так чисто. Интересно, кто убрал её? <結果の評価2-2-4項参照>

「彼に図面を見せたよ」- Я показал ему чертёж.
「いつ見せたんだ?」- Когда ты показывал?
「このバッグ買ったの」- Я купила эту сумочку.
「どこで買ったの?」 - Где ты её покупала?

 上記の二つの会話における最初の文は、いずれも完了体動詞過去形の結果の存続(3-2-1項参照)の用法で、図面を見せているので彼は知っている、ないしはバッグが今手元にあることを示し、二つ目はКогдаやГдеに文の焦点があるため、不完了体動詞過去形が来ている。極端に言えば、このпоказывалやпокупалаがなくとも文意は通じる。このような動詞があってもなくともよいような場合、意味というよりは述語(代動詞)としての機能のみを動詞が担っている場合、不完了体動詞過去形が用いられる。

(その映画の出演者はニコライ・チェルカーソフ、アンドレイ・アブリコーソフ、ニコライ・オフロープコフ他だった)В фильме снимались: Николай Черкасов, Андрей Абрикосов, Николай Охлопков и другие.

 上記の文の場合、重要なのは出演者の名前であって、動詞は刺身のつまのようなものだからで不完了体が来ている。映画というものは出演者が変わって何回か撮られることもあるからである。「映画(テレビ番組)の出演は~です」という場合は、このようにсниматься の過去形が用いられると覚えておこう。しかし、下記の文では舞台俳優であり、歌手であるヴィソーツキーが映画に出演したという事で、それを強調するために動詞自体に焦点があると考えられ、点過去(2-2-1項参照)の用法で完了体動詞過去形が来ている。

(ヴィソーツキーは26本の映画に出演した)Высоцкий снялся в 26 фильмах.

(〔映画は〕1968年モスフィルム社スタジオで撮影)(Фильм) Снят в 1968

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●第29回

(壁の右側にはかつて絵がかかっていた)На стене справа когда-то висела картина. <発話の時点では絵はかかっていない>
(壁の右側に絵がかかっていた)На стене справа висела картина. <発話の時点では絵はかかっていたかも知れないし、かかっていなかったかもしれない>

3つ目は、対義語のある動詞群で、これについては、2-1-3項にて詳しく説明するが、完了体動詞過去形では結果の存続で、発話の時点で「行為の結果が残っている」が、不完了体動詞過去形では「行為の結果が残っていない」という意味の対立が起こる。次の最初の文が不完了体動詞過去形で、二つ目の文は完了体動詞過去形である。

(だれが窓を開けたの?)Кто открывал окно? <発話の時点では窓は閉まっている>
(だれが窓を開けたの?)Кто открыл окно? <発話の時点では窓は開いている>

 動詞бытьの過去形にも動作事実の有無の確認の用法があるが、現在の時制では状態の有無の確認となる。

(麻酔の後に余病を併発しましたか?)Были ли осложнения после наркоза?
(伝染病の事例はありましたか?)Были ли случаи инфекционных заболеваний?
(本船には病人はいらっしゃいますか?)Есть ли больные на судне?

また被動形動詞過去短語尾の過去の時制や現在の時制を使っても、動作事実の有無の確認ができることが分かる。

(この事件で証人として呼ばれませんでしたか?)Вы не были спрошены по этому делу в качесте свидетеля?
(搭乗のアナウンス(案内)はありましたか?)Объявлена ли посадка?

上の文のように、同じ動作事実の有無の確認でも、アナウンスというのはたった今そういうアナウンスがあったかを尋ねているわけである。動作事実の有無の確認というのは、本来不完了体動詞過去形を用い、過去のいつでもよく、そういう動作があったか、なかったかが問題であり、現在との結びつきはない。極端に言えば、昨日のいつかでも、1か月前のいつかでも、1年前のいつかでもいいわけである。一方、完了体動詞過去形を用いると、点過去(2-2-1項参照)か結果の存続(3-2-1項参照)ということで、結果の存続だけが現在と結びつけることができる。どちらの用法かは文脈によるため、動作の有無だけを聞きたい場合には使いにくいし、完了体は期待などの主観的ニュアンスを伴う。つまり完了体動詞過去形を使ってのОбъявили посадку? とすれば、意味は同じでも、乗客が搭乗アナウンスをいつかいつかとじりじり待っているようなニュアンスが出ることになる。アナウンスというものは、いわば声はすれども姿は見えずである。そこで、被動形動詞過去短語尾を現在の時制で使えば、受け身なので動作主が表に出て来ない。つまり、動作主に関するニュアンスも表に出て来ないから、結果の存続の用法と動作事実の有無の確認の両方に使えるということになる。

2-1-2 述語に文の焦点が来ない場合 → 不完了体動詞過去形

2-1-2-1 述語に文の焦点が来ない場合とは何か?

 文の焦点というのは、文の中においての意味上、一番重要な部分を指す。

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●第28回

 上の文は、タクシーを頼んだかどうかだけを尋ねているから不完了体動詞過去形が来ている。つまり、分かりやすく言えば、頭の中で、или нет?(したのか、それともそうしなかったのか?)と続けられるならこの用法である。なぜなら、動作事実の有無の確認、つまり情報源や経験の共有だけで、他のニュアンスは何もないからである。

(熱は下がりましたか、下がりませんでしたか?)Снижалась или не снижалась температура?
(前はうまくいきましたか?)Раньше вам это удавалось?
(その将軍は賄賂を渡したのか?)Давал ли взятки генерал?
(お前、学校のガラスを割ったのか?)Разбивал ли ты окна в школе?
(イワン雷帝は自分の息子を殺したのか?)Убивал ли Иван Грозный своего сына?

(「調べようか?」と俺はヴィーチカに尋ねた)Проверим? – спросил я у Витьки.
(「俺がもう調べた」とサーシカが言った)Я уже проверял – сказал Сашка. 

上記の会話文の二つ目の文は既知の動作(動作の有無)の確認であり、動詞の語義については最初の文で明示されている以上、二つ目の文では動作がなされたことだけを述べている。みなし反復とか代動詞と考えてもよい。

(「その時に申請すべきだった」と彼は言った)Надо было заявить тогда же, – сказал он.
(「申請したさ」)Я заявлял.

フォーサイス先生は不完了体が上の会話文において論理的強調性を強く帯びていると述べておられるが、語義そのものではなく、動作があったことを強調しているということになる。

(私は新聞を読んだ〔目を通した〕)Я читал газету. <Я прочитал газету.にすると、自分が読んだ記事を理解したという意味になる>

Посылку получил (получал) Миша.(小包を受け取ったのはミーシャです)

 上の文で完了体動詞過去形получилなら、具体的な1回の動作ということで動作主(つまり小包の名宛人)がミーシャだという事を示し、不完了体動詞過去形получалなら、動作事実の有無の確認ということで、取りに行った(名宛人かどうか別にして受け取った)のはミーシャだという事を示していることになる。

この用法はкогда-нибудь(いつか<疑問文で>)、когда-то(いつか)、как-то(あるとき)、как-то раз(あるとき)、никогда не(決して~ない)、однажды(ある時)、уже(とっくに)などと共に使われることが多い。

2-1-1-2 動作事実の有無の確認の用法の種類

 不完了体の本質的意味は、過去の時制の動作や事実の有無の確認にあると考えると、それは競技場にラインを引くように、引いた後に動詞の意味だけが(他に余計なものは何も残さずに)ラインの形で残るのだと考えてもよい。
 動作事実の有無の確認という用法は全部で三つあり、その二つは、それこそ「過去の出来事の有無」を示す次のような用法である。

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●第27回

2-1 過去の時制における不完了体の用法

不完了体動詞過去形は仮定法を除き、過去の時制だけで用いられ、過去の事実を示す。これは不完了体動詞現在形が全部の動詞ではないにせよ、現在の時制以外にも、予定の用法では未来の時制に使われたり、また歴史的現在では過去の時制で使われたり、完了体動詞過去形が相対時制では未来の時制で用いられたり、完了体動詞未来形が例示的用法で過去の時制で使われるなどとは対照的である。そのため、結果存続無効などのように、現在とのつながりがないことを強調したい場合にも使われることになる。
また体の本質から言えば、不完了体は場依存型であり、完了体は場独立型であるというのは、当然、過去の時制にも当てはまる。それは動詞がその語義によって、場依存型になりやすいものと、場独立型になりやすいものがあるということを意味する。

2-1-1 過去の出来事や動作事実の有無の確認 → 不完了体動詞過去形

2-1-1-1 過去の時制における動作事実の有無の確認とは何か?

 動作や事実の有無の確認は、過去の出来事や動作をしたか、しなかったか、その動作があったか、なかったかだけを虚心坦懐に示す用法で、いかなる主観的(叙想的ともいう)ニュアンスもない。主語と動詞だけの文を除けば、文の焦点(意味上最も重要な部分)に来るのは動詞ではなく、ふつうは動作の主体、ないしは補語であり、そのため純粋に動作や状態のみを示すことになる不完了体動詞過去形が来るのである。
 動作事実の有無Было действие или не было.の確認というのは、動作自体を純粋に描写したものであり、理解しやすいのは、疑問文においてその動作事実の有無を確認するものである。

(「レーニンに関する報告はあったか?」「ありました」)Доклад о Ленине был? - Был.

ただ動詞の語義に内在する動作を強調する場合、例えば、後述のように結果の存続の意味であれば完了体動詞過去形が来ることになる。完了体動詞過去形を疑問や否定で用いれば結果の達成への期待(否定なら失望)という主観的ニュアンスが出る。この動作事実の有無の確認というのは、過去の動作や出来事が起こったのが、1回、ないしはそれ以上ではあるが、回数や、いつの時点で起こったという事をはっきりとイメージしないときであり、そのため不完了体動詞過去形が用いられる。動作が人の生命や損得(金銭)に関わるものなどは、場依存型では用いられず、動詞にも動作の焦点が来やすいため、場独立型として完了体動詞過去形を使う事になり、結果の存続で使われる場合も多い。

(だれも怪我していないか?)Никто не пострадал? <結果の存続>

厳密に言えば〔現在の時制〕の3-1-7項の経験「~したことがある、~したことがあった」の用法もこれに含まれる。この用法の不完了体動詞過去形は、過去を具体的に示す状況語(昨日、2001年、1年前など)とは相性が悪く、期間を示す場合のような、一見例外と思えるようなものはあるものの、共に使えないと考えてよい。それは具体的な時間を示す状況語は、動作に直結するゆえ、完了体との関係が深いと考えられ、動作に焦点が移るように感じられるからである。

(タクシーをお頼みになりましたか?)Вы заказывали такси?

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●第26回

る人がそばにいれば理想的だが、なかなかそうもいかないのが現実であり、本書が少しでもそのお役に立てればよいと願っている。
体の本質を理解したからと言って、実際のロシア語会話において、正しい体を使ってロシア語が話せるわけではない。反射的にロシア語が口をついて出るような練習が不可欠である。体の用法でも相性の悪いというか、不得意なものが当然あるはずである。本書の中のそういう不得手な用法の項目にある短文をできるだけ多く暗記して、いつでも口をついて出るようにすることが必要である。体の用法を理解した上での暗記は、反射神経を鍛えることにもなる。そのために用例は、ロシア語の文学などのみならず、ソ連、ロシアなどで出版された会話集も参考にして、できるだけ短く、応用的なものを配した。例文は日常会話、政治経済、医療、観光、技術、スポーツ、ビジネスなどのロシア語から広く渉猟し、実戦でも十分役に立つものばかり選んであると自負している。なお本書に収めた例文は現代ロシア語会話を対象にしており、19世紀や20世紀初め以前の文学などの例文については原則として含まれていない。
 構成は未来、現在、過去の三つの時制と命令法と不定法を柱とし、体の用法としては160ほど、和文露訳の構文の内容全体としては240ほどである。ただこれにはA = Bというような初歩的な構文は含まれていない。そういう構文に関しては拙著の『ビジネスロシア語実戦会話・応用編』(東洋書店、2007年)や『実戦ロシア語文法』(東洋書店、2008年)を、語彙に関しては『るいごプラス!』(DLmarket、2012年)、『女性のための技術ロシア語』(電子書籍 DLmarket、2012年9月刊)、『観光ロシア語』(電子書籍 DLmarket、2012年9月刊)を、熟語については、『ロシア語基本熟語500』(東洋書店、2009年)、慣用句は、『ロシア語慣用句辞典』(キム・ミネ、浅沼寛司編、東洋書店、2001年)、会話集は『そのまま使える!ロシア語会話』(東洋書店、2009年)を勧める。諺はСловарь русских пословиц и поговорок, В. П. Жуков, Русский язык, 1991がよいが、『諺で読み解くロシア人の人と社会』(栗原成朗、ユーラシアブックレット、東洋書店、2007年)でもよい。本書の対象とする学習者は、初級文法を終えた人以上であり、半年ロシア語を勉強した人なら読んで内容が分かるよう工夫してある。体の用法の説明には、できるだけ不完了体と完了体の例を交互に配置して、その違いについて具体的に説明するようにした。本書を読んで何か疑問があれば、遠慮せずろしあんピロシキ内のブログサイト:「閑話傍題(アネクドートの小部屋)」http://rosianotomo.com/blog-anekdot/ にメール願う。

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●第25回

対する自分の反応を表そうとするような主観的ニュアンスがあり、一方不完了体には事実に密着して,それを客観的に描こうとする叙実的(事実に密着して,それを客観的に描こうとする)ニュアンスがあるとも言える。完了体動詞未来形で新しい事態や情報が出てくる場合ということで意志を示せる場合があるが、それなどは車を使うようなものだろう。車は道路がなければ走れないという制約はあるというものの、自宅から目的地まで基本的に自由に行けるという点が電車などとは大いに違うから、体の用法もこれに似ていると言える。
歴史的現在(2-1-8項参照)の場合は、ふと振り返ると目の前に線路の蜃気楼が現れると考えるのである。蜃気楼は遠くにある実体を反映したものであり、どこかにある一点(点過去の考え)を示している。目には見えるが実体が遠く離れて存在するというようなものだ。だから用法は一見不完了体現在ではあるが、中身は完了体動詞過去形の点過去の用法と同じだという事である。これが今の段階での私の「不完了体線路説」であり、今後これをもっと発展させることができるかもしれない。ともかく実践的な体の使い分けを考える上で一つのアプローチではないかと考える次第である。『存在と時間』という著書もある哲学者ハイデガーの研究家で自身も哲学者である木田元先生は、「存在とは何か」という問いが、西洋哲学の根本の問いであると述べている。それゆえ時制やアスペクト(動詞の体)を考えるということは、哲学すると同義であると言っても間違いではないように思われる。そうであれば、体の使い分けに関心のある人は、毎日哲学していることになる。
ロシア語の初学者で完了体・不完了体という名称に惑わされて、体の用法は完了とそうでないものと単純に割り切って考えている人たちに、そうではないと警鐘(信号)を鳴らし、本書がロシア語会話をする上で実戦的な体の用法における一つのアプローチであると伝えたい。ここで問題にしている完了体・不完了体という体のペアは、語彙的意味の同一性の観点から述べているものである。本書では3つの時制、不定法、命令法に分けて、体の説明をしているが、その本質は同じであるが、動詞のもつ語義によりその現れ方に強弱が出る場合もある。一つの時制で体の用法を学べば、それが他の時制や法に応用できるということを実感されると思う。体の本質についてのお題目だけ唱えても、会話の和文露訳で体の使い分けができるようになるわけではない。第2章以下の個々の用法と照らし合わせることを続ければ、必ず体の本質の奥義を極められる。
どんな動詞も完全な体のペアになるわけではない。完全な体のペアになるのは動作動詞である。それは動作動詞のсесть/садиться(座る)と状態動詞сидеть(座っている)を比べてみれば分かる。понять/понимать(理解する)という動作動詞でも、不完了体が「分かっている」という状態の意味の時は、露露辞典でも別項を立てるのが普通である。状態の意味が完了体の語義にはないからである。これは完了体が動作結果の存続を除けば現在の時制を示す事ができないことに起因する。7-3項の動詞も不完了体が状態動詞であるために、不完全なペアである完了体の方は動作の結果の存続ではなく、動作の記憶の存続しか示す事ができない。
会話での和文露訳のときには、実際に使える活用語彙と文法の知識がものを言う。語彙というのは単語、熟語、慣用句、諺にせよ基本は丸暗記だが、単語だけを並べても意味やニュアンスが伝わるとは言えない。そこで必要なのが、ロシア語文法の丸暗記ではなく、その理解に重点を置いた勉強法であり、それに役立つのが語用論である。語用論というのは動詞の体の用法、単数複数の使い分けなど、実際にロシア語を話す上で必須となる実用知識であり、手段かつ武器でもある。露文解釈では必要がないということで、ほとんど無視されてきたが、本書はその武器を和文露訳の実戦用として分かりやすく整備したものである。
体の用法を覚えるには参考書などを読んでなるほどと思うだけではだめで、やはり短文でよいから、自分で和文をロシア語の文に直す練習をしないと自分の血肉にならないし、会話での和文露訳をしようにも役に立たず、身にもつかない。直した文が正しいかどうか、具体的に教えてくれ

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●第24回

来)における確実な予定という意味も生まれてくる。不完了体動詞現在形の予定の用法は、足元から視線を移さずとも、そのまま前方にはっきりと線路が見えるのである。見えるところまでは確実に行けるという確信が、未来に起こることの確実性を際立たせている。
予定があればそれを守ろうとするわけで、時間厳守という観念から切迫感が生まれ、線路から外れてはいけないということで義務の観念も派生してくることになる。義務の観念があれば、不完了体を否定するときに、義務の否定で、禁止という観念が出てくるのは論理的必然である。線路があるという考えを否定するわけだから、不必要という考え方も出てくるだろう。線路だけ(あるいは線路の上の電車だけ)を考えに入れるので、つまり駅などを考えに入れないので、過去の動作は通過した線路のどこか後の方にある、つまり後方で行われたわけであり、その場所が具体的にどこか分からないか、気にしないわけだから、それが動作事実の有無の確認(動作の名指し)ということになる。線路の上での立ち往生は事故のときであり、電車は駅で普通止まる。そのため線路のどこかを通過したとは言えるが、普通は線路で場所を示さないというのも、動作事実の有無の確認に似ていると考えてよい。
遂行動詞はレールに乗ったギッコンバッタン式の人力トロッコを考えるとよい。一押しだけすると、押した分だけ進んで止るが、それと同じである。評価解釈型動詞は状態動詞と同じだが、状態動詞が前からレールの上に電車が立っていたとすれば、評価解釈型動詞は、ちょっと前に電車が駅に着き、そこに止っているという感じである。
 不完了体がその動詞の語義だけが際立つ一つの線路だと考えると、その動詞の動作を否定するということは、線路が存在しないということになる。その動作の持つ叙想的ニュアンスのつかない線路、つまりその動詞の持つ基本的語義だけというような単なる動作の否定となれば、不完了体を取らざるを得なくなるわけである。ここで言う叙想的というのは、事実を話し手が、主観的に期待、懸念、新しい事態や情報が出てくる場合、動作の完了など、回りの状況をある特別な心理状態で見、話し手の思い、個人的で主観的な事柄を表現しようとする場合に用いられことを意味しており、これは完了体が場独立型であることを示している。
不完了体動詞未来形(бытьの未来形 + 不完了体動詞不定形)で「~するつもりである」かの意味に見えるの用法は、自主的な意向ではなく、回りの雰囲気を読んでの未来の時制における促しと考えればよい。線路を例に取れば、動作の対象を足元の線路から、いったん視線を外して遠くにかすむ線路に視線を移すと考えるのである。遠くに線路がかすんで見えるのだから、途中にも線路があるはずだということである。この他にも駅からある線路(ライン、路線)の電車に乗り、あとは身を任せて目的駅まで行くとしてもよい。この用法は口語的用法でどの不完了体動詞でも使えるというわけではない。つまり駅というのはどこにあるわけではないが、駅に行きさえすれば線路(ライン、路線)は、最低一つはあるということでもある。
完了体というのは、どこでも行ける車道や歩道、田舎道のようなもので、線路があるとすれば、新たに線路を敷設するとか、線路から脱線するとか、既存の線路を抜きにして動作を考えるということになり、線路自体がないのだから動作の可能性は広がるわけで、そこからTPOを選ばない可能性が出てくるし、完了体の動詞を否定すれば、不可能という意味が出てくることになる。TPOを選ばない可能性というのは「何かあったら~する」ということだから例示的用法となる。線路がないのなら(あるいは駅を想定に入れてよいのなら)、具体的に動作の起こった場所を特定できるわけで、それが点過去(2-2-1項参照)となる。線路があってもなくても、そこで立ち止まって状況確認するならそれが結果の存続(3-2-1項)につながる。高村光太郎の詩に「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」というのがあるが、新たに線路を敷設するというならそれは完了体の考えで、不完了体においては、線路は線路でもあくまで既存のものということになる。完了体には、事実を話し手がある特別な心理状態で見,その事実に

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●第23回

先生が「不完了動詞の主要な本質は、動作の名指しという非体的意味(体とは無関係の意味)の伝達であり、延長、未完、反復といった体の意味は不完了体の動詞そのものの中には与えられていないので、不完了体は文脈によってそれらの意味を表す」にあるのと同じである。それゆえ、『和文露訳入門』を出版するまでは、ラスードヴァ先生などの著作から「不完了体の本質は動作の名指し(動作事実の有無の確認)である」としたかったのであるが、動作の名指しは過去の時制が分かりやすく、現在の時制(動作の様態)、未来の時制、不定法、命令法(動作の様態)では分かりにくい。また動作の名指しには動作の遂行も含まれており、完了体の動作の完遂と紛らわしく、和文露訳の際にどう使い分けをすればばいいか学習者には理解しにくいだろうということであきらめた。
そこで『和文露訳入門』の初版を出した時に、体の本質を「不完了体は客観的な動作や状態を、完了体は主観的なそれを示す」としたわけである。よく考えると、客観的、主観的というのも不適切な言葉遣いであり、新訂版を出す時に、完了体を中心に体の本質を説明できるのではないかと考えた。それが「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」である。ラスードヴァ先生の『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)の過去の時制における体の用法という章の中に、「話し手の注意が、場所、時間、動作の主体に向けられている時には不完了体が必須となる」とあり、これは不完了体が文の焦点にならないことを意味している。これと完了体は過程を示さない(示せない)ということを出発点に、過去の時制における点過去の時間のとらえ方を現在や未来の時制にあてはめ、体の本質の説明に時間軸という概念を導入したわけである。また個々の用法からこの体の本質の定義が検証できるようその項目に体に関する解説を加えた。しかし、新訂版を出してから、この定義では完了体未来形の完遂的用法での説明が心もとない事に気がついた。それと検証にあたる各章の解説部分もより分かりやすく納得がいくものにして、新版を出す事とし、「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」と若干手を入れた。これまで時間軸の面から体の本質を説明した本はないと思う。本書では体の本質や用法を二つの視座、つまり完了体を体の本質に据えることによる会話での和文露訳における体の使い分けにおける利便性、および不完了体の動作事実の有無の確認が体の本質であるという視点に分けているが、和文露訳の実用上の観点から完了体を体の使い分けの目印にしているということになる。
体の本質を大所高所から見れば、不完了体が動作の自然の現れ(自然体)で使われていることが分かる。人間は社会的動物だから周囲に同調すべきだという圧力があると感じたり、回りの空気を読んで、こうあるのが自然だというような場合には不完了体を使うことになる。これは行雲流水そのものであって、状況に左右されるというのとは同じではなく、自然を大事にし、何事にも動じないというロシア人気質に通じるものがあると考える。
不完了体は伝統、慣わし、真理という名の線路(路線、ライン、レールであり、ロシア語ではлинияではなく、путьとしたい)を走る電車だというふうにも考えられる。電車は一応線路から外れないことになっているから、真理について不完了体動詞現在形を使うというのも、真理というまっすぐな一本の線路の上を走るからだし、反復は、線路の上を往復するからであり、過程(進行形)は今まさに線路の上を走っていることを意味しているということになる。目的地に向かっているところなら志向ということになる。そこから、線路を外れずに行動するのが当たり前だという空気を読む、いわば回りの雰囲気に合わせて動作するという促し(着手)の意味も出てくるわけである。状態動詞は、停車中の電車や列車ということになる。
また線路がある以上、これから先にも線路があると想定できるわけだから、そのままその線路の上を走り続けると言う意味で、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未

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●第22回

ある以上、当然美しいはずである。そうであれば、これをロシア語の体に当てはめて検証することが可能ではないかと考えた。マースロフМасло Ю. С. 先生が提唱されたように、完了体と不完了体が体のペアかどうかを決める際に、一つの文で完了体動詞過去形が歴史的現在の不完了体動詞現在形と置き換えられれば、体のペアであるという考え方が一般的である。体のペアであるということは、意味が完全に重なる(同義である)ということに他ならない。つまり不完了体現在形の歴史的現在と完了体過去形の点過去において、完了体と不完了体は時間軸に対して対称性があると言うことができる。
和文露訳から考えた体の本質は、「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」と私は考えるが、不完了体は不動の一点をイメージしない、つまり不動の一点を意識しないのだから、意識せずとも動作が時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)を通過する(関係する)場合がある。例えば、「本を今日読みます」という文は、ニュアンスの差はあるとはいえ、次のように両方の体を使って露訳可能である。

Сегодня я прочитаю книгу. <その本を読了する>
Сегодня я буду читать книгу. <その本を全部読むかどうかは不明>

これを両体の同義的使用というが、このように二つの体が時間軸において交差する場合には時間軸の対称性が成立するということになる。この場合の同義性というのは、意味が完全に重なるということではない。もしそうであれば二つの体が存在する意味がない。この場合は不完了体の動詞が持つ語義自体(動作)の意味を完了体は包括しているが、完了体にはその他に文脈(状況)に依存しない、つまり新規の何か(プラスアルファ)というニュアンスが付加されているということに他ならない。図式で示せば、下記のようになる。

完了体 = 動作事実の有無の確認(不完了体) + α(文脈に依存しない)

上の公式から分かるように、完了体にも動作そのものを示す要素が含まれており、会話における和文露訳をする上で区別が難しいわけである。そこで完了体中心に体の使い分けを考えてみたわけである。
磯谷孝先生は『演習ロシア語動詞の体』(吾妻書房、1977年)で、「完了体は完成(全一性、一体性)をはっきり打ち出すのに対し、不完了体は、この完成という特徴があるともないともいわない、ということによって完了体、不完了体は対立する、というのが、現在、最も有力な体の理論となっている」と述べている。磯谷先生の説を私なりに噛み砕くと、「完了体は動作の曖昧さの排除、つまり今ここでの具体的な1回の動作を表現するものであり、なじみの動作を表現する不完了体と対立する」となる。これは完了体のもつ具象化(意識化)と不完了体のもつ抽象化(一般化、自動的処理、機械的処理、無意識化)の対立と言い換えてもよい。ここで言う意識化というのは時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージすることに他ならず、そのような動作に完了体が用いられるのである。こうすれば私の提唱する考えと、磯谷先生の説につながりを見いだせることになる。
ラスードヴァ先生は著書『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房)の結論において、「完了体の主要機能は情報伝達的機能であり、不完了体の主要機能は、信号報知的機能と呼ぶことができよう。不完了体命令法によって名指される動作は、シチュエーションによって示唆される場合が一番多い」と書かれている。そのあと「実質的な情報をもたらす完了体と異なり、(不完了体)は独特な信号の役割を果たしているということができる」と一種の不完了体信号説を唱えている。それゆえ、不完了体の根源的意味は過去の時制の動作の名指し(動作事実の有無の確認)にあると示唆されていることはよく理解できる。『演習ロシア語動詞の体』(磯谷孝編著、吾妻書房)にスパーギス Спагис А. А.

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●第21回

了)「~してしまう」を要求していることに変わりはないからである。(明日キエフに飛行機で発ちます)Я улетаю в Киев завтра.にしろ、動作は未来の完了(終了)なのに不完了体動詞現在形を用いている。これらはいずれも不完了体なのに動作の完了(終了)を示しているが、用法の例外ということにして丸暗記してしまえということになってしまう。動詞の体を完了・不完了ということで括ってしまうと、このようないわゆる例外とやらが非常に多いことにすぐ気がつくだろう。ロシア語の会話をしようとすれば、いやでもなんらかの動詞を使わねばならず、使う以上は完了体か不完了体かどちらかを選ばなければならない。エイヤといい加減に決めてしまっても正解の確率は50%ではあるが、毎回毎回この調子ではロシア語で話をするという気力も失せるだろう。
そこで正しい体の用法を理解する必要があるのだが、これまで一般向けの体の参考書では、ヤコブソーンЯкобсон Р. О.先生の提示した有標性(有徴маркированность)説、つまり体の用法では完了体が明示的な機能をもっており、不完了体は従であるという考え方のように、完了体を中心にした説明であり、完了体は新しい事態や情報が出てくる場合や具体的な事柄について用い、不完了体はそうではない事柄(無徴、無標性немаркированность)に用いられると書かれている。つまり不完了体は特徴がないことが特徴で、目立たないことで目立つということになり、一般的な事柄や、そこから発生する反復(習慣)に用いるということになるわけである。しかしそれは露文解釈にはそれでいいのかもしれないが、通訳やガイドをするときなど実際に会話で和文露訳をする場面では、時制によって、法(命令法や不定法)によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくいと感じるのも事実である。
完了体と不完了体については、ヤコプソーンЯкобсон先生の完了体有標性説から出発して、完了体の本質は動作や出来事の全一性を表す事だとフォーサイスForsyth先生も述べており、機能として、変化、新規の出来事、遂行(動作の達成)、順次的用法を挙げておられる。体の用法は多面的であり、文脈や状況によってそれぞれの体の現れ方が違うように思われることもあるが、それは言葉を操るのも、受けとめるのも人間であり、一筋縄ではいかないからなのだが、いずれにせよ体の本質に変わりはない。しかし、個別の動詞毎とは言わないまでも、動詞群によって時制や法(命令法や不定法)により機能が整理できることも事実である。これはこれで正しいと思うが、会話における和文露訳をする際に、体を使い分けるのには、動詞群の中の動詞の使用頻度、もっというと多義語の動詞の中の頻度の高い語義などを考えに入れる必要があり、実際では使えない。
動詞の体についてはロシア語の文法書で必ず取り上げられているし、体専門の参考書まである。しかし、体の本質に関して触れているものでも、完了体と不完了体別々に特徴を挙げるのがせいぜいで、体全体の本質について扱っているものはなく、ラスードヴァРассудова О. П.先生ですら、体全体の特質について完了体と不完了体を別個に述べているにすぎない。和文露訳でも、英文露訳でもよいが、露文を作る際に体の選択をどうするかという観点から、体の本質を述べたものは皆無と言える。オッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という点を踏まえて、動詞の体の本質というのはもっと単純化できるのではないかという思いから、不完了体に共通する特質を持たないものが完了体であり、あるいはその逆であるというふうに動詞の体を全一的なものとしてとらえることができると考えた。物理学で美しいというのは対称性があることを意味すると聞いたが、対称性というのは、ある変換に対して不変である性質であり、よく知られている線対称の他に、ある図形をある回転角で開店したときに、元の図形に重なる場合、その図形は回転対称性を持っているという。他にゲージ対称性、非可換ゲージ対称性、カイラル対称性がある。ロシア語の体も自然に出来上がったもので

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●第20回

それが現在の時制なら不完了体を用いる。

というものであり、それ以外なら不完了体を用いると覚えておけばよい。体の用法の使い分けというのは、1回の具体的動作の終了(完了体)なのか、それ以外(不完了体)かということに尽きると思う。それ以外というのは状態、過程、性質、規則的反復である。問題なのはこの二つが複合したような用法があることであり、結果の存続のように、先に動作が起こり、それから状態が続くのであれば、動作は過去の時点で起こったわけであり完了体過去形を、評価解釈型動詞のように、動作の評価を伝えるものは不完了体現在形を、遂行動詞のように過程に初めと終わりがあれば不完了体現在形をという具合である。その場合は動作がいつの時点で起こるのかによって体の使い分けが決まる。例示的用法の場合は、これから(未来)の1回の具体的動作に例えて用いられると考えればよい。ただ問題は一つの動詞、例えば状態動詞(бытьも含めて)、動作のニュアンスがある場合もあることであり、形式上動作の意味であっても、状態で表現されるから始末が悪い。

(もういらしたのですね)Вы уже здесь. <結果の存続>

一つの動詞でも文脈によって語義が動作や状態(過程)となる場合があり、それは使われる動詞のイメージを頭の中におくことで、ある程度体の使い分けの問題は解決できると思う。
動詞によってそれぞれ語義が違うというのは当然のことながら、体の用法によりいくつかの動詞群(例えば本書の第7章)にも分けられるという事が言える。しかし、ここで問題なのは、日常よく使われる動詞について言えば、語義が一つではなくいくつかあり、それぞれ体の用法も違う場合もあり得るし、またいくつかのシノニム(同義語や類義語)の動詞は語義が同じでも体の用法が異なる可能性もあるということである。Я говорю...という一見現在の時制の文を例にとっても、文脈によっては、反復(反復)、過程、状態(能力)、遂行動詞、評価解釈型動詞、歴史的現在(過去の時制)という用法が考えられる。体の用法を本書では160ほど紹介しているが、体の使い分けというのは、一つの動詞にいくつかあるという意味では重層的であり、それが時制や法でも用法が分かれ、さらにいくつかの動詞群に分けられるという意味では平面的であり、これらが錯綜していると言えよう。それゆえ用法をそれぞれ切り離して、あたかも体の用法の原則が160とは言わないまでも、いくつかあるとして、それらを個別に覚えるよりは、なぜそのような個別の用法が生まれたのかその本質を会得し、それをこの160ほどの個別の用法に当てはめて、学習者が自分なりに検証した方が、有機的に体の使い分けをマスターできるようになると思う。
武道の稽古には自由組手と形組手がある。自由組手(フリー、乱取)というのは、実戦を想定した試合形式の稽古であり、形組手というのは、技の粋を形にまとめ、それを練習することによって実戦的な技を習得する手がかりにしようというものである。ロシア語の会話においては、実際にロシア人と会話をするのは自由組手であり、形組手は本書の目次にあるような各種の用法に相当する。これらの用法の説明を理解し、多くの用例に当たることで体の本質が必ず見えてくる。本書では、過去・現在・未来の三つの時制と命令法と不定法に分けて、またそれぞれを不完了体と完了体に分けて、多くの用例を体系的に方向づけ、配置することで、その手がかりとなるように工夫されている。これらの具体的な160ほどの用法を会得することにより、体の真髄がだんだんと自得できるようになってくる。
完了体の動詞は動作の完了を示し、不完了体はそれ以外という風に理解しているロシア語の学習者は非常に多い。「おかけください」をロシア語にすると、Садитесь!と不完了体動詞命令形が来ることに戸惑いを覚える人も多いはずである。なぜなら「おかけください」だって動作の完了(終了)

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●第19回

不完了体は話し手にとって、場依存型であり、
完了体は場独立型である

ということにもなる。ここでいう場というのは、特定の具体的な場ではなく、世間の常識と同じかどうかは別にして、この状況ではこうするのが自然だと(聞き手ではなく)話し手が感じられるような雰囲気を指す。「その場の空気が読めない」の「その場の空気」と考えてもよい。このような場には聞き手は含まれるが、話し手は含まれない。話し手が関係するのは主観的ニュアンスの方である。それゆえ聞き手にとってTPOに合うような動作だと話し手が思う動作に不完了体が使われ、それは文脈依存性があるということになる。これは実際に聞き手がどう感じるかは問題ではなく、あくまで話し手主体である。不完了体動詞は主観を排した動作や状態そのものであるという事も言える。体の使い分けは、話し手自身がどう考えるかではなく、聞き手がどう考えるかを話し手が忖度(推察)するということにある。それは、専門的に言えば、「不完了体動詞は動作事実の有無の確認(動作の名指し)である」ということと同じである。不完了体が用いられるのは、動作や状態が聞き手の想定内であり、意識の上では、慣習的であり、惰性的に続いていると考えてもよい。そういう意味で不完了体は聞き手にとって恣意的動作であり、完了体は話し手にとって恣意的な動作であると言えるし、完了体は可能性を、不完了体は蓋然性を扱うとも言える。過程やその延長上の予定の用法も、反復や遂行動詞も、聞き手にとって動作の予想がつくという事になる。また体の本質を理解することにより、体の使い分けは個々の文ではなく、文脈によるということが分かるだろう。この体の本質に関する結論の検証は例文を添えて、それぞれの時制や命令法、不定法の項で述べる。会話でロシア語を使うのであれば、体の用法の本質とは何かを明確に理解しなければ、いろいろな状況において体を使いこなせないという事になる。これが体の用法の使い分けの基本だが、2-1-3項や4-1-2項のように不完了体が完了体の代用をする場合もある。また10-13項の-нибульの用法に似て、自己主張しない(相手の意識に負担をかけない)用法とも言える。通訳で瞬間的に動詞の体を決めなければならない時には、指し示す動作がこれまでの会話の全体の流れに乗るか(不完了体)、それ以外、つまり流れに棹をさすか(完了体)、流れを無視するか(完了体)で判断することを考えてもよい。不完了体は動作自体が文脈に依存するので、具体的な動作だったり、抽象的、非現実的、曖昧な動作を示したりする。不完了体が具体的な動作を示す用法としては、完了体が使えない、刻々動くこの一瞬を含む動作を示す現在の時制の、過程(進行形)、遂行動詞、評価解釈型動詞、状態動詞などがある。
不完了体と完了体を白と黒のように対立的(対蹠的)なものと考えるのは誤りである。不完了体は動詞の用法のすべてをカバーしているのだが、完了体はその中の動作の完遂とその動作の結果を意味する。つまり不完了体という大きな円の中に完了体という小さな円が含まれているのだと考えると分かりやすい。ただこの完了体は強力で、過去と未来においては、動作の完遂であれば、不完了体よりも優先的に使われ、表に出て、強く自己主張をしたがる。完了体は現在でも動作の存続や被動形動詞過去短語尾の現在の時制で使われるが、これとて過去の動作の結果が現在に持ち込まれていて、その状態を示しているにすぎず、動作としては現在の時制で完了体が使われることはない。不完了体はと言えば、完了体の使えない現在の時制で、過程(進行形)、遂行動詞、評価解釈型動詞の用法のように動作の遂行や具体性を示すのである。
通訳をしているときは時間がないので、のんびりと体の使い分けを考えている余裕はない。そこで瞬間的に体の使い分けのできる基準を考えてみた。

過去や未来の時制で1回の具体的動作を示すなら完了体を用い、

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●第18回

特定かつ不動の一点の有無を問題にしない、つまりあってもなくても気にしないということであり、これはある期間の動作、ある期間内の任意の一点での動作、動作の反復を許容するということになり、動作自体が文脈によっては具体的であったり、抽象的、非現実的、曖昧であることを意味する。不完了体が具体的な動作を示す用法としては、過程(進行形)、遂行動詞、評価解釈型動詞、状態動詞などがある。そのため不完了体は主観的な要素が少ない動作に用いられることになり、つきつめて考えれば、不完了体は話し手にとって、動作や状態という素材そのものであるということになる。不完了体は無色の、付加的なニュアンスのない動作や状態そのものであるために、過去や未来の時制では、動作事実の有無の確認(動作の名指し)という形で現れやすいが、これは過去、現在、未来の時制で成り立つ。肯定文では動作が有であることを確認し、否定文では動作が無であることを確認し、疑問文では動作の有無を確認していることになる。完了体は動作の有か無かのどちらかを前提にして、過去と未来の時制でのある具体的な状況における具体的な1回の動作(a specific action on a specific occasion)を扱う。文脈によってはその動作が結果の存続(3-2-1項)のように現在の時制や発話の時点に関わることもできる。不完了体というのはその動詞の語義における本質的動作(本質性)を示し、完了体はこれを具体的な動作(現実性)を示しているとも言える。完了体は語義にある動作の始めから終わりという全一性を示す。それは動作が終われば何らかの結果(論理的帰結)があるということで、それは具体性を帯びやすい。翻って、不完了体は動作事実の有無の確認がその本質だから、始まった動作が終わるかには関知せず、それゆえ一般性を帯びると言える。こういう観点から体の使い分けを考えてもよいかもしれない。完了体は動作に焦点を置くわけで、それは動作にピントを合わせるゆえに、具体的な動作を示すのに完了体は使われるということになる。ここから完了体は動作のミクロ化(縮小化)を示し、不完了体は俯瞰的な、いわばマクロ的な動作を示すということも言える。
時の状況語と不完了体は相性が悪いと述べたが、不完了体が時の状況語が結びつく場合もある。これを詳しく説明すると、時の状況語を時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)を数学的に大きさのないもの(無限小)と捉えれば、完了体的アプローチであるが、理論上はともかく、現実には大きさのない点は存在しないわけで、その点に大きさがあると感じられれば、「期間内に」ということになり、不完了体的アプローチということになる。完了体は点時制(点過去、点未来)を示し、不完了体は面時制(面過去、面現在、面未来)を示すと考えてもよい。
不完了体的アプローチでは、この時間的枠内であれば、動作は1回でもよく、またそれ以上でもよい。またある程度継続してもよいし、その時間内のいつということを明示しないということになる。明日завтраという時の状況語を動作が起こるという点だけに注目して、大きさのない点ととらえれば、完了体的アプローチであり、明日中(のいつかとか、何回とは意識しない)という期間内にと捉えれば、不完了体的アプローチとなる。体の用法は伝えようとする事柄への話し手の意識に関わってくるというのはそういう意味である。
無色である不完了体は与えられた状況に応じていろいろな色に染まりやすい。切迫感、焦燥感、意識的などの感情的なニュアンスや、継続や反復を示す副詞(句)と共に、志向、経過や反復といった役割を帯びることもあり、それらも不完了体の本質に関わる。また所与の状況や文脈に沿った動作や、習慣的に期待されている動作、みなし反復(2-1-6-1項)のように心理的な踏み台が設定されているという意識が、新規のものではない、既知のものとしての代動詞としての役割をも果たさせることになる。これは動詞の語義を伝えるというよりは、文の中で述語としての役割を果たしているだけであるということを意味する。命令法でも、その場の雰囲気(TPO)に合わせた動作(特にイメージしない動作)という事なら、無色である不完了体が使われることになる。それらを勘案すれば、

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●第17回

完了体過去形や被動形動詞過去短語尾の結果の存続の用法、また評価解釈型動詞では、動作は既に終わり、動作の結果だけが示されているに過ぎないので、上の定義と矛盾しない。体の本質は同じであるが、動詞群によってその現れ方に強弱が出る場合もある。そういう意味もあって、本書ではかなり細かく動詞群に分けて具体的に説明している。体の本質についてのお題目だけ唱えても、会話の和文露訳で体の使い分けができるようになるわけではない。第2章以下の個別の具体的な用法により動詞の体の用法を検証し続ければ、必ず体の本質の奥義を極められる。
動作の遂行は完了体でも不完了体でも表現できるが、完了体は動作の過程を示さず、動作の結果を重視する。過程というのは常に動作が一瞬一瞬動いているわけで、完了体の動作は過去か未来であり、その時点での動作の一瞬や過程(進行形)を示す事はない。過程を示せないことから、完了体は未来でも過去でも時間軸の一点の動作を示すと私は考えた。この一点で動作が完了するということは、動作自体に焦点があり、動作に焦点を結ぶというのはより具体的な動作を意味することになり、それは主観的な動作にもつながる。それゆえ主観的な事柄には完了体を用いるのだというのが私の考え方である。簡単にまとめれば、

完了体は時間軸の点で
語義の動作が完結することを示し、
不完了体は時間軸の広がりで
語義の動作や状態が起こることを示す

ということになる。もっと詳しく説明すると、完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定、かつ無限小の不動の一点をイメージするとも言えるわけで、この不動の一点と言うのは曲線や直線などの連続する点からなる点ではなく、前後から孤立した無限小の一点を意味する。同様に継続の結果を示す完了体(про-という接頭辞のついた動詞群)はあっても、継続中の動作を完了体は示せない。規則的反復も完了体は表現できない。完了体は話し手が動作完遂の結果として、時間軸の特定、かつ無限小の不動の一点をイメージするというのは、焦点を当てるということであり、それが動作に具体性を帯びさせるという事を意味する。それゆえ完了体には具体的、主観的(叙想的)ニュアンスが出て来る。これは、懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態の出現、新規の(追加的、より詳細な)動作の可能性や、否定文では不可能、否定の強調などという、話し手の考える主観的なものを指し、具体的な1回の行為などもそうである。現在の時制では、完了体は結果の存続(現在完了)や広い意味での今(一瞬後の未来)という形でしか現在と関係を持てない。回りの状況に左右されないために、感情的には超然とした感じを受けることもある。回りの雰囲気には頓着せず、具体的な新規の動作を行うということから、聞き手の事情を考慮しないという強制のニュアンスが出てくる場合もある。禅語で言えば、「即今当処自己」が完了体の本質を表していることになる。これは偶然にせよ完了体の持つ時間的限定性временное определённостьという考え方を発展させたものと言える。
一方、不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ無限小の不動の一点をイメージせず、時間軸の広がりでの動作や状態をイメージする。つまり不完了体は動作遂行の結果ということを特に考慮しないということであり、そのような一点を示すような時の状況語と不完了体は相性が悪いと言っているわけである。しかし、動作遂行の結果をイメージしないのなら、4-1-2項の予定の用法(動作事実の有無の確認)や、5-1-2項の勧誘の用法(動作が任意である)のように時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)を示す状況語と共に用いてもよいということになる。完了体の本質は具体性であるように、不完了体の本質は任意性であるとも言えるが、それは心中どう思うかではなく、あくまでも発話に関するものであるという事を頭に入れておいてほしい。不完了体は動作において

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●第16回

第1章 動詞の体(アスペクト)の本質と規範

 ある人曰く、「過去はすでに過ぎ去って記憶の中に残っているだけであり、未来に至っては存在するどころかそれが起こるかどうか確定していない。現実と言えるのはたった今この瞬間に起こったことだけだ。」このような時間に対する考え方は考え方として、ロシア語の文法はロシア人の根底にある本質的な世界観を反映しており、動詞の体(アスペクト)の用法も動作の言語的表現においてそれと深く結びついている。体の本質とは何かを追求していくうちに、ロシア人が無意識とは言え、どのように体の使い分けをしているのかに興味をもつようになり、自分なりに会話での和文露訳をする上でのいくつかの作業仮説を立ててきた。それらを著者自らが収集したおよそ9万4千項目に及ぶ語彙集の例文に基づき、時制、法により体の本質について検証を続けてゆくうちに、話し手の動作というイメージに着目したのである。動作の一瞬をイメージするのであれば、イメージした瞬間、動作のイメージが固着する。動作がその一瞬に止まるのなら、その一瞬を時間軸の不動の一点でイメージすることになるが、過程のようにその一瞬にイメージが止まらないのであれば、時間軸の不動の一点にはなり得ないことになる。ここから話し手の動作のイメージにより完了体と不完了体との使い分けができるのではと考えた。
『ロシア語百科 Русский язык Энциклопедия』(Советская энциклопедия, 1979)には「完了体は動作の不可分の全一性の意義значение неделимой целостности действияを持つ〔マースロフ教授やボンダールコ教授の見解〕と動詞の完了体の定義について述べられている。これは完了体が明示的な機能を持つという有徴性からのものであり、不完了体については「不完了体は動作の完遂завершённость действияの意味を持たないかもしれないし、持つかもしれない」というあいまいな記述をせざるを得なかったことからもそれは理解できる。これについてボンダールコ教授は不完了体は動作の全一性に対し中立的な関係нейтральное отношение к целостности (компактности, комплексности)/нецелостностиを持つと述べておられる。ここでいう全一性とはその動詞の語義にある動作が初めから終わりまでという事を示していると考えられる。しかし、いずれにせよ、これだけでは会話で和文露訳をする際にどちらの体を使うかを決めるには、まったく役に立たないことは明らかである。
会話における和文露訳での体の使い分けを可及的速やかに、実用的に行うには、やはり完了体のもつ有徴性から考えて、完了体のもつ動作の不可分の全一性の意義という定義から出発するのがよさそうである。完了体が動作の不可分の全一性を意味するのであれば、中途の動作である過程を完了体は示せないことになる。しかし、動作の不可分の全一性だけでは、不完了体の遂行動詞、状態動詞、予定の用法も動作の不可分の全一性を示すわけで、これだけでは不十分である。そこでもう一つの説「完了体は自らの抽象的な、質的な限界(そこに達すると動作が尽きるか、止むはずの臨界点)に達した動作という意味を持つ〔ヴィノグラードフ教授の見解〕」を考慮に入れれば、完了体は中途の動作である過程を示せないのは明らかとなる。ラスードヴァ教授も自著『ロシア語動詞 体の用法』で「完了体動詞は発話時点に行われつつある動作を伝達することはできない」し、不完了体の過程と完了体の完成した動作は対立すると述べている。これは、

完了体は刻々と動く動作の
その瞬間を表現できない

ということを意味し、それは過去、現在、未来、不定法、命令法、その他の表現においてもそうである。これが体の使い分けを行う上での大本であり、全ての個別の体の使い分けはここから発していると言える。その瞬間の動作の表現を完了体が示す事ができない以上、他に代わるものがないために、やむをえず不完了体が担うことになる。

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●第15回

2-1-5項参照)である。命令法でも基本的にはそうなのだが、他の要素が強く出てくるので別に考えた方がよい。
************************************************************
7. 起こるかもしれないし、起こらないかもしれないが、起こったら~する(例示的反復)」という予測不能のニュアンスがあれば、完了体動詞未来形を使う(例示的用法、4-2-3参照)。この用法は超時間的性格を持ち、過去や現在で使えるが、どの時制でも形式的には完了体未来形で用いる。
8. 過去から現在までの継続動作には不完了体動詞現在形を使う。(3-1-3項参照)
9. 動作が終わって、その結果が残っている場合は、完了体動詞過去形か被動形動詞過去短語尾使う。(結果の存続、3-2-1項参照)
10. 動作事実の有無だけに関心がある場合には、過去(2-1-1項参照)でも、未来(4-1-1-1項参照)でも、不完了体を用いる。動作事実の有無を現在の時制で尋ねることはないはずである。
11. 不定法で具体的な1回の動作には完了体を用いる。чтобыの後には基本的には完了体動詞不定形が来ると覚える。不完了体動詞不定形が来るとしたら、研究するなどの期間を示す動作や、規則的反復や習慣である。6-2-1参照。
12. 経験(~したことがある)は1回の経験であることが明確でなければ、不完了体動詞過去形を使い、1回の経験であることが明確ならば完了体動詞過去形を使う。2-1-12項参照。
13. 動詞の動作が生のまま(素のまま)であれば不完了体を、叙想的ニュアンス(主観的なもので、懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態が出てくるとか、否定文では不可能、否定の強調など)があれば完了体を使う。
14. 不完了体過去形は仮定法過去を除き、過去の時制でのみ使われる。
15. 不完了体未来形は未来の時制でのみ使わる。<8-1-4項の動詞бытьの未来形の単独使用を除く>
16. 不完了体未来形は近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)では用いられない。同様に動詞бытьの未来形も近接未来では用いられない。

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●第14回

でみる。自分が理解しにくい項目がいっぱいあり過ぎて分からなければ、その優先順序をつける手段として、私のサイトの「続和文解釈入門」、「和文露訳指南」、「和文露訳要覧」出題の日本語を読んでみる。語彙はともかく、どの体を使うのか分からなければ、回答に書いてある体の用法を見(もし書いていなければ、私宛にサイトから投稿いただければ当該項目番号をお知らせする)、本書の目次を利用して、当該項目を再読するという方法である。数えたことはないが、本書には500以上の例文が載っているはずなので、自分がその和訳を見て露訳できなかったものを1日一つ暗記するというのを並行してやるのも、いろいろな分野の語彙を増やす上で有効だと思うし、「和文露訳要覧」の出題に対して回答する(実際に投稿するかどうかは別にして)というのも役に立つと思う。本書の目次が体の使い分けそのものなので、目次にざっと目を通しておけば、またその項目に戻って理解を深めればよい。第1章に書かれている動詞の体の本質と実際の個々の項目にある用例の間を往復して理解することにより、実際の体の運用について奥義に至ることができると確信している。
動詞の体の用法というのは、本質は一つでも、登頂するのにはいくつかの登山ルートがあるようなものである。頂上を目指さなくても途中の景色はそれなりに美しい。肩から力を抜いて、時制など各章や240ほどの構文を一つずつクリアするとか、その順番はバラバラでも、ゲーム感覚で取り組むというのも一つの考え方だと思う。そうすれば、楽しむロシア語、謎ときロシア語の世界が目の前に開けて来る。ロシア語上達のコツは、どんなことでもいいので、ロシア語に関する疑問を見つけ、それの回答を得ようと努力することである。答えを見つけるのはインターネットの発達した現在比較的簡単だし、私に聞いて下さればお手伝いしてもよい。難しいのは疑問を抱くということであり、почемучка(常に何事にも疑問を抱く人)になることを恐れる人は何事も上達しない。

<体の使い分けの簡単な目安16ヶ条>

 完了体は完了(完遂)を、不完了体は反復を意味すると覚えるだけでは、ロシア語会話をする上で体の使い分けはできない。また本書を一読しただけで、体の使い分けができるようになるとはとても思えない。体の使い分けは実戦を通じて会得してゆくものである。体の用法に例外はないが、例外的に思えるものはとりあえず個別に対処すればよい。そこで便宜的に、読者のために簡便な体の使い分けについて先に書いておく。通訳しているときには、1秒の何分の一かで単語を決めなければならず、概ねどのような体を選ぶか、体が覚えるまでにはこのような使い分けを覚えておくのも無駄ではないだろう。概ねということで、細かく言えば、例外のように思えるものも出てくることもある。とりあえず、最初の6ヶ条を覚えるだけでだいぶ違うだろう。その後で、残りの10ヶ条を覚えるとよい。そのうちに、なぜそうなるのか疑問が湧くようになれば、それは上達の証であり、そのときは本書の該当項目をもっと詳しく読めばよい。例文やもっと詳しい説明も載っている。

1. 過去や未来の時制で1回の具体的動作の完遂なら完了体を用い、それが現在の時制なら不完了体現在形を用いる。それ以外の動作(状態、過程、性質、規則的反復)は不完了体を用いる。
2. 完了体は過程を示せず、不完了体が過程を表す。
3. 過去を示す状況語(1年前、1965年、昨日など)があれば、完了体動詞過去形を使う。これは点過去で、2-2-1項参照。
4. 動作の否定、禁止や不必要には不完了体を用いる。動作の否定は2-1-2-2項や3-1-8項を、禁止については3-2-3項、5-1-4項、6-1-5項を、不必要は5-1-4 および6-1-2項を参照。
5. 現在の時制の不可能には完了体未来形の否定を用いる。3-2-2項参照。
6. 規則的な反復や、多くの回数というニュアンスがあれば、不完了体を過去・現在・未来の時制、不定法で使うが、例外は動作の一括化(2-

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●和文露訳要覧第543回

和文露訳をする上での指針を自分なりにこれまで『和文露訳入門』(2012年)、『和文露訳指南』(2014年)、『和文露訳要覧』(2016年)と改訂版を出版してきたが、誤植の訂正や用語の修正、もっとわかりやすい記述への変更などもあり、新版を出す必要性を感じてきた。また何人かの方々から再版の要請もあったことでもあり、このコーナーでの私の解説をより深くご理解いただくためにも別スレッドを立てて新訂版を出すことにした。新スレッドは『和文露訳新訂版』(本の題名は『和文露訳要覧新訂版』)とする。誤植のご指摘や本書に書かれている事項についての私の考え方に対するコメントは歓迎するのでよろしくお願いする。全617ページのうち、とりあえず1回に2ページくらいずつ公開予定。

出題)「お前のチャンスは皆無に等しい」をロシア語にせよ。

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2020年01月26日

●第13回

なら状態である。時制は全て現在なので、この場合は第3章の現在の時制の項を見てもらえばよい。ちなみに、過程と状態は不完了体動詞現在形にすればよいが、「来ている」は完了体動詞過去形となり、「~でできている」なら被動形動詞過去短語尾である。タ形の「来た」も、文脈によっては、過去かもしれないが、現在完了(「来ている」という意味)かもしれない。過去で使うなら第2章の過去の時制を、現在完了なら第3章の現在の時制を参照願う。
日本語の動詞の辞書形(終止形)は非過去(現在か未来)を示す。「学校に行く」は、毎日なら習慣・反復であり、明日なら未来の時制となり、それぞれ第3章の現在の時制、第4章の未来の時制を参照すればよい。細かい用法については、目次を見れば、どの用法に当たるかが大体分かると思うが、一通りお読みいただいて、自分なりに本書活用の目安を把握していただければ幸いである。本書の時制は過去からとなっているが、筆者の経験上、動詞の体の用法は過去の時制が一番分かりやすく、未来の時制が理解しにくい。それゆえ分かりやすいものからという、ある程度難易度と重要度を組み合わせた順番になっている。
例文において和文を先にしてあるのは、露文解釈ではなく、常住座臥、和文露訳をイメージしてほしいという事であり、和文を主体に据えることによって、和文から露文へという意識的な流れが身につくと考えるからである。初級者も語彙は無理でも、和文から判断して完了体が使われるのか、不完了体なのか、あるいは名詞が単数なのか複数なのかを推測し、その根拠を本書の説明で知ることにより、また例文を暗記すれば、飛躍的に実力がつくと考える。使われている例文も、日常会話からスピーチやビジネスの交渉で使われるやや硬い文体まで、会話体を中心に幅広く取り入れてあるので、実際の会話や通訳にも大いに役立つと信じている。過去・現在・未来の時制の章番号が最初の番号で、次の番号は時制と法については1が不完了体で、2が完了体である。2-1で始まれば過去の時制の不完了体に関係した事柄であり、4-2なら未来の時制の完了体に関係するという具合である。各項目については、できるだけ完了体と不完了体を対比して、その用法の違いを具体的に説明するように努めた。本書は動詞の体の用法について細かく書いてあるが、会話での和文露訳の際に体の使い分けが難しいからであって、本書の狙いはあくまでも和文露訳の上達であることは言うまでもない。
和文露訳をする際に和露辞典は特に必要ない。それはプロが使えるような和露辞典が存在しないからであるが、その代わり、和文露訳をするときに、候補の語彙(単語や語結合)をヤンデックスなどで引用符である"…"で検索してみることを勧める。"…"とすることで、"…"の中が確定し、格変化や活用が排除される。語彙数が万以上ならよく使われ、千単位ならグレーゾーン、百の単位ならあまり使われないと個人的に判断している。これはロシア人でもサイトで変なロシア語を使うのは日本人と同じだし、新語も同様だからである。それと"…"なしで検索してみることである。そうすれば頻繁に使われる語結合が出てくるはずだ。こういうテクニックを使うことで、頼りにならない和露辞典がなくとも、ある程度根気があれば、より正しい語彙にたどりつける可能性が出てくる。
動詞の体の奥義を究めるための私の勧める本書の使い方は、1日10ページでもいいから、本書を読んで、とにかく通読する。初回は例文には注意を払わない。通読後、体の本質という事に対して著者が何を言いたいのかを頭の隅に置くようにする。一冊丸々理解するとか、ましてや例文を暗記するなどという事は考えない。本書は約600ページあるので、2カ月あればどこに何を書いてあったかがおぼろげながら分かるようになる。体の本質に関する内容がどうであるというのではなくて、ただ時制には3つあって、過去・現在・未来で、他に命令法と不定法があったなぐらいでよい。通読してみれば、各項目に書いてある体の用法で分かりやすいところ、分かりにくいところが見えてくる。用法がよく理解できなかった項目の番号を抜き書きしておく。第1章の体の本質と規範を読み返してから、自分が理解しにくいと思う項目を、気が向いたらアトランダムに読ん

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●第12回

願っている。語彙については和露辞典が参考になるが、既存のものは類語の使い分けの記述がないので、あまり実用的ではない。そのため基本的な類語の使い分けについては、拙著『るいごプラス!』を参照願う。

<本書の特長と使い方>

これまでのロシア語に関する文法書や参考書は、多かれ少なかれ対象言語であるロシア語の時制やアスペクト(完了相や進行形など)を解説するものであり、日本語のそれは学習者が日本人である以上当然理解しているはずだという前提で書かれているように思われる。しかし理解しているということと使いこなせるという事は同じではない。会話において和文露訳をしようとすれば、当然日本語とロシア語の時制やアスペクトの違いを明確に理解している必要がある。文脈や話し手の意識の持ち方によって、訳も体の使い方も変わるべきで、本書ではそのように配慮されている。
便宜的にとはいえ、用法の説明の反復を避けるため、文の焦点(2-1-2-1項参照)、点過去(2-2-1項参照)、結果の存続(3-2-1項参照)、歴史的現在(2-1-8項参照)、順次性(2-2-1-4項参照)、動作の一括化(2-2-1-5項参照)などの文法用語を使わざるを得なかった。これは本書において頻出する用語なので、本書の効率的な理解のため、事前に当該項目を一読していただければ幸いである。また系統的なロシア語文法の説明に関しては、A comprehensive Russian grammer, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011, 3rd editionや『現代ロシア語文法』(城田俊、東洋書店)、『ロシア語文法便覧』」(宇多文雄、東洋書店)を参照することを勧める。

本書の特長は次の通りである。

1) サイト「ロシアンぴろしき」内の「続和文解釈入門」、「和文露訳要覧」というコーナーにおける和文露訳の出題(回数およそ2,000)に対する投稿者の回答にヒントを得、会話における和文露訳においての学習者の弱点や理解の難しい点の克服に焦点を当て、試行錯誤しながら各回の本文にリアルタイムで反映させた。それをさらに本書で補訂し、和文露訳の参考書としてさらにブラッシュアップを続け、学習者の真に求める和文露訳の参考書を完成させるように努めた。
2) 和文露訳で最も難しいと思われる動詞の体の使い分けを中心に詳しく解説した。そのため本書の2/3が動詞の体に関するものである。
3) 体の時制で軽視されることが多い現在の時制(遂行動詞、被動形動詞過去短語尾の結果の存続、評価解釈型動詞)についても詳述した。
4) ロシア語の遂行動詞、評価解釈型動詞について一般向け参考書としては初めて取り上げ、詳述した。
5) 予定、志向、動作の否定、歴史的現在、切迫感、結果存続無効の用法について、会話における和文露訳の観点から詳述した。
6) 単数と複数の使い分けについても和文露訳の観点から詳述した。

本書は会話においてロシア語会話や和文露訳をする際に、日本語の時制を如何にロシア語の時制に移すかを、ロシア語の体の用法を通じて会得してもらうためのものである。本書は時制や法における個々の体の用法に対する適不適を示すというような、従来の記述的アプローチдескриптивный подходではなく、統一的な語義全体からのアプローチсемантический подходと記述的アプローチを組み合わせ、フィードバックを重視した構成になっている、目次を見てもらえば分かると思うが、本書の時制は日本語の時制というよりも、実際の発話時の時制に則している。本書を使って和文露訳をする場合は、訳そうとする日本語の文の時制を明確にイメージすることが前提となる。例えば、日本語文法で「テイル形」というのがあるが、これには三つの用法がある。「書いている」なら過程(進行形)であり、「来ている」なら現在完了であり、「座っている」

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●第11回

いているわけであり、基本的にその書かれている体の用法は正しいと言える。ところが、外国人である我々が日本語からロシア語で会話をするとなると、体の用法に関する正しい規範が分かっていないと、日本語の敬語のように、明らかな誤用ということが多々起こり、意味やニュアンスが正しく伝わらないということが起こりうる。一つの文で完了体と不完了体が使えるとしても、それぞれニュアンスが違ってくる場合が多い。意味が形式を選択する、つまり叙想的ニュアンス(主観的なもので、懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態の出現とか、否定文では不可能、否定の強調などで、本質的に制御できない)の有無によって、どちらの体を選択するかが決まる場合が多いわけで、後述するが、叙想的ニュアンスがあれば完了体を選ぶことになる。日本語で何を言いたいのか、それを的確にロシア語で表現するためにこそ、それに合わせてより適切な体を選択しなければならない。ロシア語会話において体をうまく使いこなすためには、正しい体の規範を知る必要がある。その規範を知れば、ロシア語の読解力もつき、会話における実際のロシア語の担い手として動詞の体の用法の規範意識を持ち、外人ロシア語の弊から少しでも逃れることができると考える。ロシア語会話が上達するためには、初級文法の理解と語彙(和露辞典の助けを借りてもかまわないが)だけでは無理で、日本語とロシア語の時制の違いと類語の使い分けの理解が不可欠である。会話と言うのは、自分でロシア語の文を組み立てて行くわけで、意味やニュアンスにより体を自分自身で主体的に使い分ける必要が出てくる。一般的な場合なのか、反復なのか、具体的な1回の行為なのか、動作の結果は残存するのかなどを瞬時に判断する必要があるわけである。これは体のみならず、-тоと-нибудь、単数と複数の使い分けなどについても同様であり、ロシア語会話では、語彙は当然のことながら、どういう文脈で使うのかなど話し手に主体性が求められるという点を強調したい。
これまでも数は多くないとはいえ和文露訳の参考書が出版されているが、四季、日本文化、あるいは銀行、買い物といったような会話集でよく使われる事柄やトピックに偏した場面シラバスのようなものや、旅行者向けなど、会話の頻度を優先した便宜的なものか、語彙も文法もという総花的なものばかりのようで、文法的な説明もほとんどないものも多く、系統的にも難易度順にもなっていないものが多い。あたかも語彙を覚えれば、初級文法だけで、和文露訳やロシア語会話ができるかのように書かれているものもある。
本書は、これまでになされていなかった和文露訳の学習の体系化へのアプローチの一つであり、日本語とロシア語の時制をそれぞれバラバラに理解するのではなく、有機的、統合的、体系的にその真髄を究め、和文露訳に役立てようとするための一つの試みである。発話の「時間軸」を中心にした、認知学習法で言う、時制を中心とした概念シラバスと呼んでもよいかもしれない。本書は題名通り、和文露訳を扱ったものであり、日本語の文法に対する理解は欠かせないと考える。日本人だから日本語が分かるというのは、感覚としての暗示的知識であり、明示的な知識も不可欠であり、日本語の文法を詳しく学ばねばならない。日本語の文法には、大まかに言えば学校文法と日本語教育の文法があるが、外国人である日本人がロシア語を学ぶという観点から、外国人への日本語教育を対象とする日本語教育の文法を用いることがより適切であると著者は考えており、本書における言及も概ねそれに依った。
体の使い分けは動詞によって違うという事も言えるが、同じ動詞でも語義によって、また時制によっても違うし、同じ時制であっても反復、過程、遂行動詞など用法によっても異なる。本書では日本語の時制を中心に、和文露訳の観点から体の用法を中心に据えて考察したものである。
本書では体の用法の規範的用法を中心に、和文露訳のための基礎をどうつけるかを記述しているが、基本は動詞であり、その動詞を時制、法、運用法により240ほどの(小)見出しに分け、その構文ごとに勉強すれば、ロシア語会話の基本ができ、あとは語彙を増やすことだけとなる。本書がロシア語会話や和文露訳をする際の伴として、役に立つことを切に

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●第10回

までも外人ロシア語のままである。本書では和文露訳において分かりにくい動詞の体を中心に解説している。本書で動詞の体の用法が占める割合は全体の2/3もあり、ロシア語動詞の体の参考書と言えなくもない。
会話でロシア語を話す場合、我々は原始人ではないのだから、動詞なしでは会話は済まされない。またバイリンガルでもないから、頭の中で母国語の日本語からロシア語に訳すことになる。そうかといって、語彙さえ知っていれば、右から左へと簡単に露訳できるかというと、さにあらずである。まず母語である日本語自体を外国語として客観的に見つめ直す必要がある。発話時を基準に、過去・現在・未来などを時間の前後関係を表すのが時制であり、日本語の時制は過去と非過去(現在、未来)が対立する。時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動作動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動作動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来の動作や現在の習慣的な事実を示し、現在の一時的動作はテイル形を用いて示す。
 一方アスペクトで、日本語の動詞を分類すると、動作動詞、状態動詞に分かれる。動作動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは、動作事実の有無の確認とか、歴史的現在、ないしは点過去で訳すことになる。3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。これらをロシア語の時制やアスペクトなどに振り分ける必要が出て来るのである。
しかし日本語の動詞を分析的に理解できても、それに対応するロシア語の動詞の体や構文を知らなければ、簡単な文さえも作れないという事になる。これは語彙だけの問題ではない。我々は日本人だから、日本語の具体的な文の意味もニュアンスも分かるし、意識すれば時制やアスペクトも分析的に考えることができる。だから、このような日本語の時制やアスペクトに対応するロシア語の構文表のようなものがあれば、後は、通訳する際に話し手が、日本語で何を、どのようなニュアンスで伝えたいのかを知りさえすればよいことになる。つまり、動詞の体の本質を理解することにより、対応の体をその構文表に沿って当てはめ、語彙を探し出しさえすればロシア語にすることは難しいことではない。語彙の探索には辞書の他、ネットなども大いに役立つ時代であり、本書の目次がその構文表の代わりとなるので、これらを組み合わせれば、ロシア人に頼らずとも和文露訳ができることになるのである。
ロシア語の会話をマスターしようとする人は、これまでできるだけ語彙と文例を丸暗記し、その文例から応用して自分なりに会話をひねり出そうとしてきたし、今もそうである。そのままの文例が実際の会話で使えればなお結構という具合である。そのような学習法では落ちこぼれる人がほとんどだが、中には運と根性に恵まれ、上達する人も少数ながらいる。しかし、このような丸暗記が大人の勉強法だろうか?こういう迂遠な、場当たり的な、ロボットを思わせるようなガリ勉的な勉強法ではなく、より根源的な、体の本質に迫る、人間らしい、考える学習法の方が、落ちこぼれのない、正しい学習法だと確信している。そこで、日本及びロシアにおける先学のロシア語文法の分野での業績を研究し、かつ50年をかけて文学、社会政治経済、医療、科学技術、観光、スポーツ、芸術、日常会話関係の書籍800冊余を読破し、収集した約9万4千項目の語彙の中から本書のために役立つ文例を精選し、動詞という観点から和文露訳用に、三つの時制(未来、現在、過去)と二つの法(不定法、命令法)を中心にして、系統的に整理したのが本書である。
露文解釈で動詞の体の用法を見る場合、そのロシア語はロシア人が書

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●第9回

繰り返すが、どのような文でも、基本は動詞であり、動詞があれば過去・現在・未来という3つの時制やアスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)、法(命令法、不定法)が存在する。それを時制が現在(特に「毎日~する」などの習慣・反復)だけで、内容のある会話が5分も続くことは、普通はあり得ないだろう。ロシア語と日本語の時制が同じであれば、特に問題はないのだろうが、この二つの言語の系統は全く違う。日本語の時制は過去と非過去(現在と未来)であり、ロシア語の動詞には過去・現在・未来の時制の他に、完了体と不完了体の二つの体があり、それが時制とアスペクトの理解を難しくしている。ただチョムスキーの生成文法で説かれているように、人間の言語には普遍的な特性があり、時制や法についても形式が違うだけで、ロシア人と日本人との間で意思が通じる以上、その本質は変わらないはずである。そこで和文露訳について、語彙などの事柄を中心に据えるのではなく、日本語とロシア語の時制やアスペクトがどのように対応するかを念頭において、和文露訳の入門書を書いて見ようと考えた次第である。
話は飛ぶが、和文露訳の研究のために、動詞の体や語彙の収集のほかに、ロシア語を極めるには語彙だけではなく、ロシア人のメンタリティーやレアリア(背景知識、言語外現実)を知る必要があると考え、またアネクドート(小話)のオチの訳どうするのかなどの個人的興味もあって、ロシアのアネクドートの研究もしている。それはアネクドートが会話におけるロシア語の理解にも役立つのではないかと考えたからである。そこで2006年10月ロシア語黒帯研究会(後に新帯研と改称)というコーナーを、ロシア関係のサイト「ロシアンぴろしきhttp://rosianotomo.com/」内に御許可をいただき、閑話忙題http://rosianotomo.com/blog-anecdot/というコーナーを立ち上げたわけである。そのうちに常連の投稿者もでき、そのおかげもあって2010年7月まで続いた。この中で体の用法についても若干触れたが、そのときに会話における和文露訳についても、体の使い分けを中心にした勉強会を立ち上げることができるのではないかと考え始めた。そこで、2011年2月に同サイト内で「和文解釈入門」という和文露訳の短文問題を出題するコーナーを始めたのである。何人かの常連の投稿者の支持もあったが、600回を超えたこともあり、2013年1月に一旦終了したが、遂行動詞や評価解釈型動詞について検証してみたいと考え、2013年2月「続和文解釈入門」として再スタートし、2014年8月「和文露訳指南」と改題し、さらに2016年2月「和文露訳要覧」に引き継がれて、現在累計2,000回に近い。この間の投稿者からの回答やそれによるヒント、そのやり取りを含めたフィードバックを経て、他の学習者が抱える動詞の体に関するいろいろな問題の側面を知ることができた。これによりロシア語文法全体における自分の理解の独りよがりな点を、かなり改めることができたと思う。ご協力いただいた投稿者の皆様には深く感謝申し上げる次第である。そういうわけで、この10 年ほど集中的に体の用法について考察を深めた結果、自分なりに体の使い分けを本としてまとめられる見通しがつき、それが本書にも大いに反映されている次第である。
 ロシア語会話を学ぶときに、暗黙のうちにロシア語の時制と日本語の時制やアスペクトはあたかも同じであるという前提のもと、特に区別して、またイメージして教えられることはないようである。特に日本語の時制からロシア語の時制への移行をどうすべきかについては当然のこととしてあまり教えられることがない。日本語とロシア語とは全く別の言語であり、ロシア語の動詞には完了体と不完了体があり、その名称から片方は完了を、不完了体はそれ以外だと思い込む学習者も多い。和文露訳をマスターするときに覚える語彙の量は非常に大切ではあるが、文の骨格を成す動詞とその時制やアスペクトが会話の基本にあり、それに注意を向ける方が、初級や中級の段階でのロシア語会話の習得においてはより重要である。いずれにせよロシア語会話(和文露訳)で動詞の体を実際に会話で正しく使えなければ、体の理論を理解し、露文解釈ができたとしても体の用法をマスターしたとは言えず、それをマスターしないうちはいつ

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●第8回

はじめに

2012年に電子書籍として『和文露訳入門』を上梓し、さらに説明を分かりやすくするためにいろいろ工夫や検討を加え、翌年『新訂和文露訳入門』、『三訂和文露訳入門』と改訂版を立て続けに出した。2014年にはさらにその改訂版として電子書籍と紙の書籍両方を兼ねた『和文露訳指南』を出版した。2016年にはさらに工夫を積み重ねた結果を加筆訂正し、5訂版として『和文露訳要覧』をお世話になった方々のみの限定版として数部出版した。もともと執筆の動機は、会話のための和文露訳に関して、総花的な参考書ではなく、学習者にとって特に理解が難しい動詞の体の使い分けに焦点を当てて解説することだったが、今回はもっと広くロシア語に興味ある人向けとして、ネットでこの4年間の成果も含めて公開することとした。実質的に6訂版となり、題名も『和文露訳要覧新訂版』と変えた。これまで上下巻にしていた内容、つまり体の本質、過去の時制、現在の時制、未来の時制、命令法、不定法他を全1巻にまとめている。
体の用法についても、より首尾一貫した説明を持たせるよう配慮するなどしたため、全体で50頁ほど増補し、例文を入れ替えたり、似たような例文を削ったり、新たに追加したりして、総ページ数も600ページ余となり、初版の倍を超えた。和文露訳で見過ごされることの多い動作の否定、複文、完遂的用法を近接未来完了と未来完了に分けるなどの工夫を加え、より充実させたのが本書の特長である。会話において和文露訳をする上で、できるだけ多くの文の組立てを想定しおり、実際面での使いやすさのためにこれまで通り目次が索引の代わりとなっている。本書は現時点における私の和文露訳に関する集大成と言える。
 ロシア語で会話するときに、つまり会話で和文露訳をするときに必要なのは語彙であることは確かだが、全ての語彙を頭に入れておくのは不可能である。覚えていられるのはせいぜい日常会話の語彙と、仕事で使うなどの、自分に関係のあるものか、自分の興味がある語彙であろう。しかし語彙だけ並べてもまともなロシア語の文ができるはずもない。文を作るに際して重要なのは文法だが、特に文全体の動作を示す動詞の用法が重要である。動詞の意味や活用は覚えられるが、動詞の体(アスペクト)の使い分けが難しい。それは同じ人間とは言え、日本語とロシア語では言語系統が全然別だということと、それに伴って両言語において時制や法(命令法や不定法)が必ずしも一致しないからだと思われる。つまり動詞は文の骨格で、その動詞の体が筋肉に相当するのだとも言えるし、動詞の体が理解できないと動詞を使いこなせないことになる。そのような考えのもと、自らのロシア語会話の上達のために、この40年間ロシア語の動詞の体について研鑽を重ねてきた。
和文露訳やロシア語会話というのは、語彙を知らなくとも、一通りロシア語の初級文法をやり、和露辞典さえ手元にあればできるかというと、さにあらずである。40年を超える自分のロシア語学習の経験から言えることは、多くのロシア人の先生方もご指摘の通り、初級の学習者はまず完了体と不完了体の使い分けでつまずく。そのため、初級の学習者の作ったロシア語の文は何かちぐはぐな感じがする。それは日本語を学ぶ外国人の敬語の使い方に似ている。意味は分かるが、こうは言わないとか、失礼な感じがするなどという類である。ここでいう和文露訳というのは、会話におけるものであって、日本語の小説などをロシア語に訳すというような専門的なものを指すものではない。ロシア語を学ぶからには、だれしもロシア人とロシア語で話をしてみたいと思うだろう。そのためのロシア語会話などの作文力をつけるため、分かりにくいとされる体の用法を中心に、ロシア語会話を上達させるため書かれた参考書が本書である。体の用法を会得すれば、後は語彙を知るだけで、正しい文ができる。また本書を通じ体の用法を覚える過程で、本書収載の例文を覚えれば、実戦的なロシア語会話用の語彙も増えて、一石二鳥ということになる。また本書はロシア人に頼らずとも、自分の和文露訳が正しいかどうかを自己チェックできるようになるための参考書でもある。

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●第7回

10-2 複合状況語
10-3 単数と複数
10-3-1 単数と複数
10-3-2 「ありますか?」構文
10-3-3 「よくありますか?」構文
10-3-4 単数と複数の使い分け
10-3-5 否定における単数と複数
10-4 形容詞の最上級
10-5 助数詞(助数辞)
10-5-1 助数詞の種類
10-5-2 「種類」の類語
10-6 述語生格
10-6-1 生格の述語的用法
10-6-2 изの述語用法
10-7 持ち主の受け身(全体を示す与格)
10-8 知覚動詞と接続詞что/как
10-9 前置詞
10-9-1 理由を示す前置詞、前置詞句
10-9-2 所有・所属を示す前置詞
10-9-3 主な前置詞の本質的意味
10-10 「~のために」の使い分け
10-11 並列接続におけるиの有無
10-12 指示代名詞
10-12-1 日本語の指示代名詞との違い
10-12-2 どれ、どちらか、どちらも
10-13 –тоと-нибудьの使い分け
10-14 чтобыの用法
10-15 時間的前後を示す表現
10-15-1 時間的前後を示す前置詞
10-15-2 位置と時間の前後
10-16 コロンとダッシュ(接続詞を使わない複文)
10-17 状況語の語順
10-18 動詞や名詞の補語としての先行詞тоの用法
10-19 疑問詞
10-20 否定生格
10-20-1 否定生格動詞
10-21 二重否定
10-22 所有代名詞の特殊用法
10-23 活動体と不活動体
10-24 体の使い分けの早見表
あとがきに代えて
参考文献

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●第6回

8-8 エネルギッシュ型動詞
8-9 可能の意味が内在する動詞群
8-9-1 可能・不可能の意味のся動詞
8-9-2 自発的可能性のся動詞(無人称動詞)
8-10 形動詞
8-10-1 被動形動詞現在
8-10-2 能動形動詞過去
8-10-3 名詞化した能動形動詞現在と被動形動詞現在
8-11 副動詞
8-12 対格補語とо + 前置格の違い
8-13 「~しましょう」構文

第9章 その他統語論関係
9-1 時制の転用
9-1-1 「出発進行」
9-1-2 抽象的現在
9-1-3 想像中の動作の現在
9-1-4 等価
9-2 相対時制
9-2-1 時制の一致
9-2-2 相対時制
9-2-3 確述(確言)
9-3 無人称文
9-4 受動態と不定人称文
9-4-1 受動態
9-4-2 不定人称文
9-5 迷惑(被害)の受け身
9-6 人称の転用
9-6-1 多くの人への命令 ты = вы
9-6-2 皇帝のмы
9-6-3 著者のмы
9-6-4 医者のмы
9-6-5 疑問詞を二人称に使う例
9-7 強調構文
9-8 構文「とても~ので~する」他
9-8-1 「とても~ので~である」というтак + 形容詞, чтоの構文
9-8-2 「~するほど~するものない」не так + 副詞, какという構文
9-8-3 「~しすぎて~できない」слишком (чересчур) + 形容詞(動詞、副詞), чтобы + быть、ないしは不完了体動詞不定形という構文
9-9 関係代名詞что
9-9-1 関係代名詞что
9-9-2 前の文の内容全体を受ける関係代名詞что
9-10 主題の提示
9-10-1 テーマとレーマ、はが構文
9-10-2 ウナギ文
9-11 能動受動態
9-12 使役(~〔さ〕せる)
9-12-1 пустьの用法
9-12-2 可能性(許可)としての使役
9-12-3 「~を~にする」
9-12-4 恩恵の授受
9-12-5 使役受け身(~させられる)
9-13 繋辞(連辞)

第10章 会話に役立つ形容詞、副詞、数詞、接続詞、前置詞など
10-1 性質形容詞の特殊用法

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●第5回

6-1-4 動作の開始(促し)・継続・終了
6-1-5 禁止および不許可 → 不完了体動詞不定形
6-1-6 動作事実の有無の確認 → 不完了体動詞不定形
6-1-7 命令 → 不完了体動詞不定形
6-1-8 嫌気(やめたい)・不適切
6-1-9 愛好
6-1-10 規則的反復

6-2 不定法における完了体の用法
6-2-1 目的(具体的な1回の動作の実現) → 完了体動詞不定形
6-2-1-1 долженの用法(義務)
6-2-2 「~しましょうか?」構文 → 完了体動詞不定形
6-2-3 必要性 → 完了体動詞不定形
6-2-4 命令 → 完了体動詞不定形
6-2-5 可能/不可能
6-2-5-1 мочь/смочь, нельзяの用法
6-2-5-2 → не + 完了体動詞不定形
6-2-6 例示的用法 → 完了体動詞不定形
6-2-6-1 完了体動詞不定形を好む動詞・名詞などとの組み合わせ
6-2-6-2 例示的意味の不定形を取る熟語
6-2-6-3 遺憾・不本意 → не + хотеть + 完了体動詞不定形
6-2-7 不可避・必然
6-2-8 疑問詞 + 完了体動詞不定形(不完了体動詞不定形)
6-2-9 警告・危惧

第7章 特異な体のペア
7-1 時制に関係なく完了体動詞と不完了体動詞で意味の異なる動詞群(писать/написатьグループ)
7-1-1 志向
7-1-2 志向の動詞と否定
7-2 不完了体動詞の使用頻度が高い動詞群(звонить/позвонитьグループ)
7-3 状態「~である」(不完了体)と状態の発生時点「~となる」(完了体)を示す動詞群(казаться/показатьсяのグループ)
7-4 体の対立
7-5 完了体・不完了体が同形の動詞
7-6 –ну-動詞
7-7 動作の無効

第8章 会話に役立つ動詞の用法
8-1 動詞бытьの用法
8-1-1 「到着する」という意味の用法
8-1-1-1 否定(行かない)
8-1-2 軍隊で上官に対する敬語(Есть + 不定形)
8-1-3 есть + 疑問詞 + 完了体動詞不定形(~できるもの〔こと〕がある)
8-1-4 бытьの不定形無人称文
8-2 定動詞と不定動詞の特殊用法
8-2-1 反復の意味の定動詞
8-2-2 過程や予定を示す不定動詞
8-2-3 能力を示す不定動詞
8-2-4 定動詞と不定動詞における否定の用法の違い
8-2-5 運動の動詞 + 完了体動詞未来形(命令形)
8-3 複合動詞
8-4 「意見」と「知識」に関する動詞群の使い分け
8-5 接頭辞за-のつく動詞で場所を補語に取る他動詞群
8-6 хотетьとхотеться
8-7 敬語

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●第4回

4-1-2-5 現在の時制の動詞бытьと予定の用法
4-1-2-6 予想を示す動詞
4-1-3 意向
4-1-3-1 「~するつもりです、~します」の内訳
4-1-3-2 意向の動詞の使い分け
4-1-3-3 願望の意味の動詞群
4-1-4 未来の規則的反復 → 不完了体動詞未来形
4-1-5 未来の時制の不定人称文
4-1-6 ся動詞の不完了体動詞未来形の用法

4-2 未来の時制における完了体の用法
4-2-1 点未来(完遂的用法) → 完了体動詞未来形
4-2-1-1 点未来(完遂的用法)が用いられる動詞
4-2-1-2 点未来(完遂的用法)と疑問詞
4-2-1-3 点未来(完遂的用法)の特徴
4-2-1-4 点未来(完遂的用法)と否定
4-2-2 順次的用法 → 完了体動詞未来形
4-2-3 例示的用法 → 完了体動詞未来形
4-2-4 未来の時制における往復(行って来る)
4-2-5 未来の時制における被動形動詞過去短語尾
4-2-5-1 未来の時制における被動形動詞過去短語尾の用法
4-2-5-2 補足事項の説明や挿入
4-2-6 接続詞抜きでの条件法や仮定法への転用 → 完了体動詞未来形
4-2-7 譲歩
4-2-8 未来の継続

第5章 命令法
5-1 命令法における不完了体の用法
5-1-1 促し(着手、切迫感、焦燥感) → 不完了体動詞命令形
5-1-2 勧誘 → 不完了体動詞命令形
5-1-3 動作の様態 → 不完了体動詞命令形
5-1-4 禁止 → 否定詞 + 不完了体動詞命令形
5-1-5 反語的用法
5-1-6 規則的反復
5-1-7 感情的ニュアンス(願い事、説得、主張、反抗的態度、脅し)
5-1-8 過程

5-2 命令法における完了体の用法
5-2-1 要請 → 完了体動詞命令形
5-2-2 例示的反復 → 完了体動詞命令形
5-2-3 丁寧な依頼 → 完了体動詞未来形の否定疑問形
5-2-4 警告・危惧(うっかり~しないで) → 否定詞 + 完了体動詞命令形
5-2-5 同じような状況で使える完了体・不完了体の用法の違い
5-2-6 被動形動詞過去短語尾を使って命令の意味を示す用法
5-2-7 憤激と反抗のニュアンス
5-2-8 条件法的・仮定法的用法
5-2-9 間接話法
5-2-10 完了体動詞未来形による命令法

第6章 不定法
6-1 不定法における不完了体の用法
6-1-1 切迫感(促し) → 不完了体動詞不定形
6-1-2 不必要 → 不完了体動詞不定形
6-1-3 動作の持続性 → 不完了体動詞不定形
6-1-3-1 пробовать, пытаться, стремиться, стараться

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●第3回

3-1-4-6 проситьとпопроситьの一人称での使い分け
3-1-4-7 動詞以外の遂行動詞的用法
3-1-4-8 遂行動詞と否定
3-1-4-9 従属節中の遂行動詞
3-1-5 評価解釈型動詞 → 不完了体動詞現在形
3-1-5-1 評価解釈型動詞とは何か
3-1-5-2 評価解釈型動詞群
3-1-5-3 начинать の現在形の特殊用法
3-1-6 状態動詞
3-1-6-1 状態動詞とは
3-1-6-2 状態動詞と結果の存続
3-1-7 経験(~したことがある
3-1-7-1 経験の用法と不完了体動詞過去形
3-1-7-2 経験の否定
3-1-7-3 事実の有無の確認
3-1-7-4 現在を含む経験
3-1-8 動作の否定 → 不完了体動詞現在形の否定
3-1-9 多回動詞の用法 → 不完了体動詞
3-1-10 真理の提示 → 不完了体動詞現在形
3-1-11 動作の様態 → 不完了体動詞
3-1-12 結果存続無効

3-2 現在の時制における完了体の用法
3-2-1 結果の存続(現存)
3-2-1-1 結果の存続〔結果の達成と残存〕 → 完了体動詞過去形
3-2-1-2 結果の存続の否定版
3-2-1-3 被動形動詞過去短語尾の結果の存続〔現存〕)の用法 → 現在の時制
3-2-1-4 結果の存続と点過去の違い
3-2-1-5 сейчас, теперь, только чтоの違い
3-2-1-6 動詞を使わない用法
3-2-2 否定の強調 → 完了体動詞未来形の否定
3-2-3 不可能 → 完了体動詞未来形の否定
3-2-4 例示的反復

第4章 未来の時制
4-1 未来の時制における不完了体の用法
4-1-1 単一動作 → 不完了体動詞未来形
4-1-1-1 未来における動作事実の有無の確認
4-1-1-2 述語に文の焦点(中心的意味や役割)が来ない場合
4-1-1-3 動作事実の有無の確認に使える不完了体動詞(動詞の語義による)
4-1-1-4 動作事実の有無の確認の意味で概ね使えない不完了体動詞
4-1-1-5 運動の動詞と不完了体動詞未来形
4-1-1-6 動作事実の無の確認と意識定否定 → 不完了体未来形(не + бытьの未来形〔не + статьの未来形〕 + 不完了体動詞不定形
4-1-1-7 両方の体がほぼ同じ意味で使える場合
4-1-1-8 動作の促し(意志)
4-1-1-9 если, когдаと未来進行形
4-1-1-10 完了体動詞未来形、不完了体動詞現在形、不完了体動詞未来形の使い分け
4-1-2 予定の用法 → 不完了体動詞現在形
4-1-2-1 予定の用法の特性
4-1-2-2 予定の用法が使える動詞
4-1-2-3 近接未来における予定の用法
4-1-2-4 例外的用法

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●第2回

演劇的現在
2-1-8-5 動詞以外の歴史的現在
2-1-8-6 日本語の歴史的現在との違い
2-1-8-7 記録の現在
2-1-8-8 歴史的現在と点過去の違い
2-1-8-9 歴史的現在が使えない動詞や場合
2-1-8-10 歴史的現在と能動形動詞現在
2-1-9 意志の欠如 → не стал(а,о, и) + 不完了体動詞
2-1-10 過去の予定 → 不完了体動詞過去形
2-1-11 過去の経験 → 不完了体動詞過去形
2-1-12 動作の同時性

2-2 過去の時制における完了体の用法
2-2-1 点過去 → 完了体動詞過去形
2-2-1-1 点過去とは何か?
2-2-1-2 点過去と結果の存続の違い
2-2-1-3 創作者としての資格 → 完了体動詞過去形
2-2-1-4 順次的用法 → 完了体動詞過去形
2-2-1-5 動作の一括化 → 完了体動詞過去形
2-2-1-6 否定の強調
2-2-2 結果の達成への期待 → 完了体動詞過去形(疑問文・否定文)
2-2-3 動作の取りやめ(いったん開始された行為の中断、中止) → 小詞было + 完了体動詞過去形
2-2-4 結果の評価 → 完了体動詞過去形
2-2-5 回想・過去の例示的反復(~したものだ) → 小詞бывало + 完了体動詞未来形(不完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形〔歴史的現在〕)
2-2-6 疑問詞 + 主語 + 完了体動詞過去形
2-2-7 期間の区切り

第3章 現在の時制
3-1 現在の時制における不完了体の用法
3-1-1 過程 → 不完了体動詞現在形
3-1-1-1 過程の意味
3-1-1-2 過程を示すことができない動詞群
3-1-1-3 過程の意味における日本語との表記の違い
3-1-1-4 ся動詞による非情の受け身と過程の用法
3-1-1-5 その他の過程の用法
3-1-2 規則的反復・習慣・慣用・性質 → 不完了体動詞現在形
3-1-2-1 規則的反復・習慣・慣用・性質と不完了体
3-1-2-2 過程を示せず、規則的反復のみを示す動詞
3-1-2-3 完了体過去形との併用
3-1-3 過去から過去、現在及び未来に至る継続ないしは規則的反復
3-1-3-1 過去から過去、現在及び未来に至る and/or 規則的反復
3-1-3-2 過去から現在に至る動作の未遂行 → 不完了体動詞現在形
3-1-3-3 動詞を使わない用法
3-1-3-4 про-の接頭辞を持つ完了体動詞過去形
3-1-3-5 現在から未来への動作 → 完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形
3-1-4 遂行動詞 → 不完了体動詞現在形
3-1-4-1 遂行動詞を分別する理由
3-1-4-2 過程や状態を示す動詞との違い
3-1-4-3 遂行動詞の種類
3-1-4-3-1 呼応的用法
3-1-4-4 結果の存続の用法との違い
3-1-4-5 語義による区別の仕方

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2020年01月25日

●和文露訳要覧新訂版第1回

和 文 露 訳 要 覧
  
(新訂版)


<語用論的アプローチ>

- ロシア語会話上達の秘訣 -

さとう 好明
 


和文露訳要覧
(新訂版)
- ロシア語会話上達の秘訣 -

目 次
はじめに
<本書の特長と使い方>
<体の使い分けの簡単な目安16ヶ条>
第1章 動詞の体(アスペクト)の本質と規範
第2章 過去の時制
2-1 過去の時制における不完了体の用法
2-1-1 過去の出来事や動作事実の有無の確認 → 不完了体動詞過去形
2-1-1-1 過去の時制における動作事実の有無の確認とは何か?
2-1-1-2 動作事実の有無の確認の用法の種類
2-1-2 述語に文の焦点が来ない場合 → 不完了体動詞過去形
2-1-2-1 述語に文の焦点が来ない場合とは何か?
2-1-2-2 動作の否定(否定文一般
2-1-3 動作の往復
2-1-3-1 動作の往復の動詞群
2-1-4 過去の過程(進行形) → 不完了体動詞過去形
2-1-5 慣用 → 不完体動詞過去形
2-1-6 規則的反復 → 不完了体動詞過去形
2-1-6-1 みなし反復(見立て反復
2-1-7 過去の継続 → 不完了体動詞過去形
2-1-8 歴史的現在 → 不完了体動詞現在形
2-1-8-1 歴史的現在と点過去の関係
2-1-8-2 動作の順次性
2-1-8-3 歴史的現在と完了体動詞未来形

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2020年01月23日

●和文露訳要覧第542回

Женяさんからご指摘があったのですが、第540回でпринести результатыという語結合はないとコメントに書きましたが、語結合辞典のприноситьの項をチェックし忘れていました。この語結合は可能です。この場を借りてЖеняさんにお礼申し上げるとともに、皆様にお詫びいたします。

出題)「彼じゃまわりに示しがつかない」をロシア語にせよ。

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2020年01月21日

●和文露訳要覧第541回

『和文露訳要覧』4-1-1-2を下記のように訂正した。ご参考まで。
4-1-1-2 述語に文の焦点(中心的意味や役割)が来ない場合

 動作事実の有無の確認というのは、動詞が主観的ニュアンスを持たないということで、文中の述語に文の焦点が来ずに、補語や主語に来るということになる。未来の時制では、文の焦点がどこにくるかを見た方がどの体を用いるかが分かりやすい。不完了体動詞未来形を使うのは、述語に文の焦点が来ないときであり、それを目印にした方がよい。これは刺身のつまのような用法で、不完了体の特徴である回りの雰囲気に合わせて動作を行うという意味の用法である。不完了体は主観的ニュアンスのない、動作そのものを示す(叙実的なニュアンス)であるのが本義なので、既存の事実の有無の確認という概念の延長上にある用法であろう。つまり、この用法は過去の時制の不完了体動詞過去形の動作事実の有無の確認の用法や不完了体命令法の促しの用法の類推から、未来の動作事実の有無の確認の用法となったものだと思われる。
 これから行われる(ないしは行われない)動作が問題となっている以上、動作事実の有無の確認に見かけ上意図というニュアンスがあるように感じられ、文脈によっては、意図(~するつもりである)という風に理解されることもあるが、ただ動作事実の有無を確認しているに過ぎないのである。なぜならこのような不完了体動詞未来形の見かけ上の意図の用法は、完了体のように新しい事態や情報が出てくる場合に使われる、というような主観的ニュアンスはない。回りの雰囲気や状況を無視して、勝手に「~するつもりです」とは使えないのである。

(止まれ、撃つぞ)Стой! Стрелять буду!

上記の文は意向を示す文だが、Стой!「止まれ」(促しの用法で5-1-1項参照)に文の焦点があるのは明らかであり、止らなかったら、そういう文脈のもとではこれから撃つという未来の事実を述べているに過ぎないということであり、それゆえ不完了体動詞未来形が来ている。
 動詞に焦点が来ない、つまり話し手の注意が、場所、時間、動作の主体、手段や様態に向けられている時には不完了体が用いられるのである。対話ではすでに言及された動作を名指す(示す)のである。

(何に乗ってお出かけですか?)На чём вы будете ехать?
(歌い始めはだれですか?)Кто будет начинать песню?
(今晩何をなさるおつもりですか?)Что вы будете делать сегодня вечером?
(何をお飲みになりますか?)Что вы будете пить?
(何を召し上がりますか?)Что вы будете есть?

 最後の二つの文はレストランなどでよく聞く表現だが、単なる動作事実の有無の確認であり、また文の焦点が動詞ではなくчтоにあるためと、動詞は刺身のつまのようなものなので不完了体動詞未来形が使われている。この他に不完了体が来る理由として考えられるのは、回りの雰囲気を読むということであり、レストランに入ったら飲み食いするのは当然であるということから、不完了体が出てくるのだろう。さらに、最後の文で完了体のсъестьを使うと「全部食べる」という意味になってしまって、意味が違ってくるということもある。不完了体が使われるのは、不完了体の出現を促すいろいろな要素がこのように複合的に絡み合っている場合もあると思われる。

(コーヒー飲むかい?)Кофе будешь? <питьが省略されているが、日常会話ではよく使い、「君はコーヒーかい?」とも訳せるので、それならウナギ文(9-10-2項)の一つである>

出題)「未成年が刑事責任の対象となったのは16歳からだった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 10:29 | Comments [6]

2020年01月17日

●和文露訳要覧第540回

Женяさんから第536回のотметкаの語結合について問い合わせがあったので、お詫びとともにご説明いたします。отметкаは語結合辞典にはあるのですが、数字との語結合については記載ありません。そこで私の語彙集から拾ってみました。

Кто первым прошёл отметку 500 метров?(500メートル地点を誰がトップで通過しましたか?)
находится на отметке 1143 метра(標高1143メートルのところにある)
перевалив за отметку 50%(50%のラインを越えて)
Стрелка спидометра подобралась к отметке "120".(速度計の針は120の目盛に近づいた)

(Цена) поднялась до отметки в 81,24 доллара. 〔(価格は)81.24ドル(のところ)まで上昇した〕
ниже отметки в 20%(20%のレベルより低い)
Заказы не спускались ниже отметки в 1 трлн. Иен.(発注高は1兆円の大台を割らなかった)

色々調べてみましたが、数量や大きさを示すв + 対格(主格ではない)が文法的には正しく、Дом в два этажа(二階建ての家)と同じ用例だと考えます。このвは岩波や研究社の露露でも現代語ではしばしば省略されるとあるので、最初の3例文は省略されたものでしょう。4例目はそのまま対格が来るのはどうかなと考えてアポストロフィーをつけたのでしょう。つまりотметка + 生格と書きましたが、これは間違いです。ここにお詫び申し上げます。アカデミー版露露では数量のвは対格または前置格が来るとだけあり、省略については言及がありません。ただ話し言葉ではвはほとんど聞き取れないというのも事実です。Что это за книга?のкнигаは主格ですが、この表現はドイツ語からの借用のようで、岩波ではзаは助詞とありますが、アカデミー版にはчтоの項目が出版されていないので何とも言えません。

в + 前置格の例(アカデミー版露露によるが、対格と前置格の使い方の別については説明なし)
напечать в четырёх экземплярах(岩波にも研究社にも記載ないが、動詞が来ているためと大きさを示す名詞がないからだろうか?)
комедия в трёх актах(акт = действие幕という意味だが、動作に関する名詞だからか?)
в двух шагах от дома(岩波や研究社では空間的隔たりとか距離という説明はある)

出題)「すべての措置が宙ぶらりんのままとなり、何の結果ももたらさないことになる」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 09:58 | Comments [13]

2020年01月13日

●和文露訳要覧第539回

『起源図鑑』グレアム・ロートン著、ジェニファー・ダニエル絵、佐藤やえ訳、デイスカヴァー社、2017年
 知的興奮を起こさせるような本を良書というのであれば、本書は私が今まで読んだうちでベストである。サブタイトルにビッグバンからへそのゴマまでほとんどあらゆることの歴史とあるように、蒙を啓かれた思いである。一番驚いたのはアリの一種には性が三つあるものがあり、それは女王アリと二種のオスである。女王アリは働きアリを生むためにオスの一種と交接し、別の女王アリを生むために別のオスと交接するとある。

出題)「しかし強い酒をあきらめるつもりのなかった住民は、ウオッカがなければ密造酒で有り余るほど補った」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 10:57 | Comments [5]

2020年01月09日

●和文露訳要覧第538回

出題)「1929年3月中旬までに61名の売春婦が調査された」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 08:38 | Comments [6]

2020年01月07日

●和文露訳要覧第537回

出題)「1920年代後半において浮浪児が社会にとって重大な犯罪問題となりだしたというのも偶然ではない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 09:12 | Comments [10]

2020年01月02日

●和文露訳要覧第536回

С Новым годом!

出題)「1929年のソ連の失業者の公式数字は200万人の大台に近づいていた」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 04:40 | Comments [12]