2020年02月06日

●第174回

対して、憤激と反抗のニュアンスを持つ用法である。

(彼は帽子を取り、毛皮の外套に手を伸ばそうとした。ふと気がつくと、門番の娘が、10歳ぐらいの女の子だったが、不意に大きな声を上げた。彼はやにわに走り出した。女の子は彼を追いかける。結局(よってたかって)捕まえられてしまった)Он шапку взял и хотел за шубой идти – глядь, дочка швейцара, девочка лет десяти и – закричи! Он бежать, она за ним. Его и схватили.

 この用法は、上の文におけるзакричиという完了体の命令形のことで、глядьは意外性を示し、「ふと見ると」という感じである。бежатьと不定法なのは突然開始された動作を示す。6-1-1項参照。

5-2-8 条件法的・仮定法的用法

単数の命令形は例示的用法から派生した条件法や仮定法としても使え、生き生きとした口語的用法となり、命令形の後に三人称の主格が立つ場合が多い。これは譲歩や無関心を示す用法でもあり、「仮に~したとしてもесли бы」ということで例示的用法と結びつくため、譲歩を示す節には完了体動詞命令形が使われることが多い。4-2-6および4-2-7項参照。

(実際どこか間違えば、彼だって人間だから、同僚がかばってくれなければ彼は八つ裂きにされる)А ошибись он где-то действительно, ведь он человек, - так его растерзает, если коллеги не прикроет.
(我々全員が護送隊にすぐに飛びかかりたくても、ピクリとするまでに我々は撃たれて皆殺しだ)Захоти мы все сразу броситься на конвой – пока зашевелимся, нас перестреляют прежде.
(彼女か赤ん坊の身に何か起こったら、彼は絶対に自分を許せないさ)Случись что-нибудь с ней или ребёнком, он никогда себе не простит!
(彼が手紙を書かなかったりしてみろ、こんな話は読者にはなかったことになったろう)Не напиши письма он, и не было бы читателю вот такого рассказа. <否定文>
(新しい流行が現れさえすれば、すぐに多くの人々が変わってしまうでしょう)Явись лишь новая мода, и тотчас же множество людей изменилось бы.
(私たちが違う名でそれをチェックし始めたとしても、結果は常に同じだったろう)А начни мы проверять его на других именах, результат неизменно оказывался бы тем же самым.
(このような仮定が正しければ、知られている音に一定の順序を与えるだけで十分だったはずだ)Будь такое предположение правильным, достаточно было бы известным звукам придать определённый порядок.
(彼によい農場があればザハールと同じくらい稼げたのに)Будь у него хорошее хозяйство – и он бы заработал не хуже Захара.
(あなたはここを去って、私が残って、全ての責任を取れというのですか)Вы-то уедете, и я оставайся и за всё отвечай.
(いくら祈っても、誰も空からパンのかけらを落とそうなんて気にかける〔神様〕はいない)Сколько ни молись, а с неба никто не догадается сбросить кусок хлеба. <主節は例示的用法で、従属節には反復の意味の不完了体命令形>

 上の用例からも分かるように、この用法で使われる多くの動詞というのは、普通は語義的に命令形にならないか、主語が命令法で含意されるニ人称以外の一人称複数や三人称であり、法の転用ではあるが、誤解が起こらないようになっている。возьмиに至っては、「突然」というような助動詞的な働きをしている。

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●第173回

禁止の意味ゆえに不完了体動詞不定形が来る。ただ危惧の念が伴う時は完了体動詞不定形が来ることもある。不完了体命令形のне смей(те) + 不完了体不定形は禁止を強調した表現である。

(池の水を飲むなんて考えるなよ)Не выдумай пить воду из пруда.
(私を送ってゆくなんて気は起こさないでください)Не вздумайте меня провожать.
(僕が全て知っているとラールカにうっかり警告するのは絶対にやめてくれ)И не вздумай Ларку предупредить, что я всё знаю.

5-2-5 同じような状況で使える完了体・不完了体の用法の違い

 同じような状況で使える不完了体・完了体の命令形の例で、次の文は両方ともパーティーなどで誰かを紹介するときに同じような意味で使えるが、厳密に言えば不完了体動詞命令形は促し・勧誘、完了体動詞命令形は願いというニュアンスがある。その次の文も同様なニュアンスを持つ。

(御紹介します)Знакомьтесь! (Познакомьтесь!)
(宿題のノートを出して下さい)Давайте (Дайте) домашние тетради.

 次の二つの文は、使い方は同じにせよ、不完了体動詞命令形では、具体的な旅行か何か事件があったことを話し手も聞き手もはすでに知っているという前提がある。だから補語がない。不完了体動詞命令形は、状況から当然分かるはずの動作への移行を促す(話すようにせっつく)ということである。完了体の方は、具体的な旅についての新しい情報を聞かせてくれという事になる。

(さあ、言えよ)Ну, рассказывай!
(旅はどうだったか話してくれ)Расскажи, как прошла поездка.

5-2-6 被動形動詞過去短語尾を使って命令の意味を示す用法

この用法は語義に許可や命令の意味がある動詞の被動形動詞過去短語尾に見られる。先の二つの文は、禁止なので後に不完了体動詞不定形がきており、次の二つの文は命令だが、動作の反復を示しているので、同じく不完了体動詞不定形が来ている。

(ケンギールでは小包で挽き割を受け取るのは許されていたが、それを煮るのは絶対禁止だった)В Кенгире разрешено было получать крупу в посылках, но так же неукоснительно запрещено было её варить.
(これからは棍棒を持たないで見回りをするよう命じられた)Предложено было впредь обходиться без дубинок.
(看守には囚人を番号だけで点呼し、名前は知るべきではないし、覚えるべきではないと命令された)Велено было надзирателям окликать заключённых только по номерам, а фамилий не знать и не помнить.
(女性が収容所で男性の写真〔肖像画〕を所持してはならない)Не положено женщинам в лагере иметь мужские портреты.

無人称動詞не полагается(= не разрешается)にもне положеноと同じような用法がある。

(走行中に飛び乗るのは禁止されている)На ходу садиться не полагается.

5-2-7 憤激と反抗のニュアンス

これは意思に反して課された、ないしは義務として予定された行為に

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2020年02月04日

●第172回

になったが、「~できろ」、「~できるな」というふうに命令法で可能・不可能を表現するのは一般的ではない(не моги + 不完了体動詞不定形は俗語で禁止を示す)ため、同じ可能性でも例示的用法の一つとして、「ひょっとして」という警告предостережениеや危惧опасениеという意味が発達したと考えられる。また警告や危惧も主観(叙想)的ニュアンスであり、動詞が文の焦点にあるので完了体が用いられているとも言える。完了体のもつ叙想的ニュアンスというのは制御(コントロール)できないという、ゼロ(無)の可能性も含まれている。そこから完了体動詞命令形の否定は、普通は警告「うっかり~しないでください」の意味しかなく、Будь внимателен!(注意してね)とかБудьте осторожны!(気をつけてください)というようなニュアンスが含まれているということになる。

(粥を煮るな)Не вари каши. <意識的、わざと煮るな>
(うっかり粥を煮るなよ)Не свари каши. <警告・危惧>

(ここは滑りやすいから、転ばないように〔注意して〕ください)Здесь скользко, (смотрите) не упадите! <смотритеは強調の意味>
(風邪なんかひかないでくださいね)Не простудитесь!
(明日はうっかり遅れないでくださいね。こちらの方もいらっしゃるのを待ってはいられませんから)Смотрите, не опоздайте завтра, мы не сможем вас ждать. <警告から来る懇願(強い頼み)のニュアンス>
(明日は遅れないでください。手持ちの時間があまりありませんから)Не опаздывайте завтра, в нашем распоряжении будет очень мало времени. <不完了体動詞命令形опаздывайтеが用いられているため禁止の意味で、絶対に遅れるなという意味>

 この警告の用法はмочь (можно) + 完了体動詞不定形や、ニ人称の完了体動詞未来形を使っても表現できる。一緒に使われる動詞は望ましくない動作を示す動詞деструктивные глаголыであり、заблудиться(迷う)、забыть(忘れる)、опоздать(遅れる)、потерять(失う)、получить двойку(落第点を取る)、проиграть(負ける)、пропустить урок(授業をさぼる)、простудиться(風を引く)、разбить(割る)、сломать(壊す)、уронить(落とす)などである。

(ジーナ、ショールを忘れたね。風を引くかもしれないよ)Зина, ты забыл шарф. Можешь простудиться.
(こんな零下の寒さでは頬に凍傷ができるかもしれない)В такой мороз можно отморозить щёки.
(気をつけろ、うっかり日記を忘れるなよ)Смотри, не забудь дневник. = (気をつけろ、日記を忘れるぞ)Смотри, забудешь дневник!= (気をつけろ、日記を忘れるかもしれないぞ)Смотри, можешь забыть дневник!

 危惧の表現として、боятьсяと共に使われるкак бы не (чтобы не) + 完了体(過去形・不定形)があり、主文の動詞の内容をより詳しく解説するという役割がある。

(病みつきはしないかと心配だった)Я боялся, как бы не заболеть.
(彼女がいなくなりはしないかと心配だ)Боюсь, чтобы она не исчезла.
(残念だけと、今晩は行けない)Боюсь, что я не смогу прийти сегодня вечером.
(僕には彼が来るという自信がない)Боюсь, что он не придёт. <直訳は「来ないことを心配している」>

警告を強調した表現としては、не выдумай(те) + 不完了体不定形やне вздумай(те) + 不完了体動詞不定形(~というまねはするな)だが、これらの動詞自体は5-2-4項の警告の用法がもとであり、接続する不定形は

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●第171回

(熱があれば往診してもらいなさい)При температуре вызывайте врача на дом.
(インフルエンザの兆候が出たらすぐ、医者にかかりなさい)При первых признаках гриппа обращайтесь к врачу.

 ところが、例外的に、諺、格言のほかに、具体的動作を指示する掲示、注意書、取扱説明書(マニュアル)などで、例外事項や禁止事項に関わるような、偶発的(散発的)な動作(ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないような動作)を表現するために、完了体動詞命令形が用いられることがある。その場合でも完了体の順次的用法(従属節と主文の間の)と併用されることはない。順次的用法というのは動作が次々と起こるわけで、動作が起こるかどうかは条件次第という例示的反復(例示的用法)とは普通は相容れない。

(痛くなったらこの薬を飲んでください)Если будет болеть, примите это лекарство. <痛くなったらという状況の下では必ず薬を飲むが、痛くなければ飲まなくてよいと考えると、完了体動詞命令形の例示的用法が出てくることになる>
(保証書への不正確な、ないしは不十分な記載の場合は、ただちに販売店にお問い合わせください)В случае неправильного или неполного заполнения гарантийной книжки немедленно обратитесь к продавцу.
(必要なら4時間の間隔をあけてもう一度注射をして下さい)При необходимости инъекцию повторите с интервалом в 4 часа.

5-2-3 丁寧な依頼 → 完了体動詞未来形の否定疑問形

 命令形ではないが、完了体動詞未来形2人称の否定疑問形を用いて丁寧な依頼を示すことができる。完了体動詞未来形の不可能の用法から潜在的可能性へ、さらに丁寧な依頼へと派生していった用法である。不可能を疑問形にすること(~できませんか)で、丁寧さという主観的なニュアンスを生み出しており、動詞が文の焦点となっているので、完了体が用いられていて、これは日本語と似た発想である。

「トイレはどこか教えていただけませんか?」- Вы не скажете, где туалет? <= Не можете ли вы сказать, где туалет?>
「あいにくですが、申し上げられないのです」– Нет, к сожалению, не скажу. <= Нет, к сожалению, не могу сказать.>
(恐れ入りますが、少しずれていただけないでしょうか?)Простите, вы не подвинетесь немного?
(お電話お借りできませんでしょうか?)Вы не разрешите позвонить от вас?
(お力をお借りできませんでしょうか?)Вы не поможете мне?
(恐れ入りますが、ほらそこの人形を見せていただけないでしょうか?)Будьте любезны, вы не покажете мне вон ту куклу?

 下記のように、подскажетеの代わりに、同じ意味で完了体動詞命令形подскажитеの否定も最近口語では聞くようになってきた。

(ロシア人墓地はこの辺のどこにあるか教えていただけませんか?)Вы не подскажите, где здесь русские могилы?

5-2-4 警告・危惧(うっかり~しないで) → 否定詞 + 完了体動詞命令形

 完了体には「何かあれば~する」という例示的ニュアンスがあり、そこから可能性に発展し、неとともに完了体動詞未来形では不可能を示す事

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●第170回

Пойдите направо, потом у магазина «Цветы» поверните налево. <順次的用法でもある>
(〔病院の診察室で〕上半身裸になってください)Разденьтесь до пояса (по пояс), пожалуйста!

 接頭辞в-, вы-, за-, пере-, при-, про-のついた運動の動詞では、完了体命令形は要請から派生した命令などのような強制的なニュアンスを帯び、それが不完了体命令形の任意のニュアンスと対照を示す場合もある。

(来週来て下さい。ご注文をお受けしますから。でも水曜は来ないでください。水曜は工房では〔注文〕受付はしないので)Придите на следующей неделе, мы примем ваш заказ. Но не приходите в среду: в среду в мастерской приёма нет. <行かざるを得ないわけで、強制的ニュアンスがある。また動作の否定には不完了体命令形を使うことが分かる>
(可能なら明日来て下さい。10時でもいいですし、御希望なら11時でもいいです)Приходите завтра, когда сможете. Можете - в 10, если хотите - в 11 часов. <5-1-2項の勧誘なども考え方は同じである>
(日曜にうちに来て下さい)Приходите к нам в воскресенье. <どちらでもいいという任意のニュアンスであって、強制のニュアンスはなく、また日曜に文の焦点がない>

5-2-2 例示的反復 → 完了体動詞命令形

 完了体というのは、いつ動作が起こるかは不明なわけだが、動作が起これば遂行するという事で、それが潜在的な可能性を生むことになる。例示的というのは「もし~したら~する」ということで、主観的ニュアンスである。つまり、動詞が文の焦点であり、それゆえ完了体が用いられる。命令法における例示的用法は、警告・危惧(5-2-4項参照)を除いて、普通は命令法には現れないが、5-2-8項(条件法や仮定法)は命令形という形式を借りた例示的用法であり、例示的反復の用法と言える。
 例示的用法は会話では使いにくいと思われる。それは、例示的用法というのは、「何か~したら、~する」ということで、起こるかどうか分からないが、起こったらその動作は遂行されるという事からである。つまり、ある条件下での動作の強制を意味することになる。ところが、マニュアルのように、指示通りにしてもらわないと機械が壊れる、というような他の選択肢がないような場合は、動作は必ず遂行してもらわなければ困るが、会話においては、話し手の聞き手に対する動作の関わりは、指示や命令よりも提示という形式が多い。それはその動作遂行について聞き手の判断に任せるという意味合いが多く、動作に対する期待度や拘束度はゼロ、つまり、どちらでもよいという消極的ニュアンスを取ることが多い。これは動作を聞き手に指示するというのは強制するということで、日常生活では目下の者に対してはともかく、一般的には礼を失すると考えるからであろう。そのような場合には、消極的な、聞き手の判断に任せるという促しの意味の不完了体動詞命令形を使うのが自然だということになる。それと、もともと例示的用法というのは、用いられる時制に関わらず、形式的に完了体動詞未来形を取ることになっており、その形を同じ完了体とはいえ、命令形という形に変えるのも心理的に抵抗があるからかもしれない。
 規則、指示、勧告、広告などにおいて、規則的反復動作の意味で用いられる場合は、必要なら何度でもという動作の常態化(規則的反復・習慣)を念頭に置いているからであり、表現的には平板なものとなる。もっと言うと、ある条件下でも何度も起こるという確信があるときに、不完了体命令法が使われると考えてよい。

(必要なら輸血しなさい)В случае необходимости делайте переливание крови.

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●第169回

んでくださいね)Дети, пока будете гулять в парке, любуйтесь цветниками.
(さしあたってお客様のお相手をしててね。私たちはテーブルに食事の用意をするから)Ты пока принимай гостей, а мы будем на стол накрывать.

5-2 命令法における完了体の用法

5-2-1 要請 → 完了体動詞命令形

 この用法は、何かを人に頼んだり、尋ねたりするという具体的な動作であり、動詞が文の焦点となっており、話し手の主観が入る用法のため完了体が用いられる。頼みや助言の意味のニュアンスを伴っていることが多い。このように、完了体命令形も場独立型であり、要請という用法は一番ありふれたものと言える。

(トイレはどこか教えてください)Скажите, пожалуйста, где туалет?

 完了体の命令形は動作の全体的把握であり、頼み、助言などの付加的意味合いを持ち、動作過程そのものはどうでもよい。新たな動作に完了体動詞命令形が使われるというのは、新しい情報と聞き手という関係なので、他動詞ならば情報として補語を伴う事が多い。一方他動詞の不完了体動詞命令形は、すでにその情報を聞き手が知っているという既知の状況で用いられるので、補語なしで用いられることが多い。
 間接疑問文には一般的に疑問符をつけないが、強い疑問のイントネーションがある場合は疑問符をつけ、それは主文にскажи(те)やя спросилがある場合だと、ロゼンターリРозенталь先生はПунктуация и ударение в русском языке, Книга, 1988で述べている。これはскажи(те)やя спросилがなくとも文意は通じ、文の主体が疑問文にあるからだからであろう。

(駅にはどう行ったらいいか教えてください)Скажите, пожалуйста, как пройти на станцию?
(野菜を袋に入れてください)Положите овощи в пакет.
(右に行って、それから花屋さん(のところ)を左に曲がってください)

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●第168回


(お金の受け取りをいつも確認してください)Всегда убеждайтесь в получении денег.
(ちゃんとしたものを食べなさいよ)Питайся рационально. <故郷の母が自分の子供への手紙やメールで>

у-と言う接頭辞のついた運動の動詞は1回の動作も、反復の動作も扱えるので問題ないが、при-という接頭辞のついた不完了体の運動の動詞は規則的反復しか示せない。

(授業に来る時は、本を持って来てください)Когда будете приходить на занятия, приносите с собой книги.

上の文のように主節も従属節も反復の文となり、具体的な1回の動作を示すには、приноситеをвозьмитеなどと動詞を換える必要がある。このбудетеを取って、приходитеとしても意味は変わらない。これは現在の規則的反復が未来における規則的反復につながっている場合である。

5-1-7 感情的ニュアンス(願い事、説得、主張、反抗的態度、脅し)

 提案、助言、許可、要求、命令、指示をする場合、動作が既知の事柄であれば不完了体動詞命令形が、新規(未知)の事柄であれば完了体動詞命令形が用いられる。ただ許可において不完了体動詞命令形は、無関心(ну что ж〔それならまあ〕とよく使われる)や、善意を示す事がある。要求や指示にでは不完了体動詞命令形は当然~するというニュアンスから無礼な感じを示す事がある。これらは不完了体が回りの状況に依存するというか、流されるために、文脈によって願い事、説得、主張、反抗的態度、脅しなどのニュアンスが出ることがあるからである。

(お願いだから助けてくれ)Бога ради выручай.
(好きなようにしなさい)Делайте как хотите.

5-1-8 時の状況語と用いられる場合

「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」と第1章に書いたが、一見時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしているかのように見えるものもあるが、実は、時間の状況語は無限小の時間軸の不動の一点ではなく、大きな点である「期間内に」を意味しているものもある。つまり完了体がイメージする時間軸の特定かつ不動の一点というのは大きさを持たない数学的点であり、不完了体のは大きさを持つ物理的点と言い換えてもよい。大きさがあるということは期限ではなく、期間を意味するということである。

(10時までに来て下さい)Приходите к десяти.
(明日遅くとも10時には来て下さい。お願いしますよ)Я попрошу вас: придите завтра не позже 10 часов. <3-1-4-6項に書いたように、попроситьには強制的ニュアンスがある。>

 初めの文では動作は10時までにある時間軸の任意の一点で行われ、二つ目の文では動作は10時までの時間軸の特定かつ不動の一点で行われる。つまり不完了体は任意性を示し、完了体は具体性を示すという体の本質を表しているのである。共に動作の全一性を示しているが、完了体は動作の結果(来て、そこにいる)まで包含しているが、不完了体にはそれがない。

(良い子の皆さん、みなさんが公園をお散歩している間、花壇を見て楽し

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●第167回


 命令法を反語的に用いて、〔そんな~はできるはずがない、絶対無理だ〕と、行為・動作の不可能である、あるべきではないことを、強い感情をこめて表現することができる。

(まあな、こいつは全部しゃべるさ。書き留めるのが間に合わないくらいだろうよ)Ну, этот расскажет всё! Успевай записывать!

 若者言葉の「~しろってか」を使って、「~全部書き留めろってか」と訳してみるのも面白いかもしれない。успетьは不定形として完了体を取るのが普通だが、この場合は尋問が一度ではなく、あるいは一度であっても長期にわたるというニュアンスがあるから、不完了体успевать записыватьが用いられていると考えられる。

5-1-6 規則的反復

 命令法においては現在の時制の反復といっても、動作はこれからになるので、厳密に言えば時制的には未来であり、ただそれが現在にほぼ接している時点以降を扱うか、現在とは距離を置いた未来の規則的反復を扱うかという違いだけであり、扱う時系列的範囲は重なる。この違いを示すのは、従属節におけるбытьの未来形の有無のみである。これは不完了体未来形が近接未来(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)を表現できないことに起因する。下記の文でもбудетеがついていれば、現在とは離れた未来の時制の規則的反復を意味するが、そうでなければ、現在とほぼ接した時点以降の未来の規則的反復というニュアンスになる。ただ規則的反復という動作に変わりはなく、会話においてはбудетеをつけようとつけまいと、このようなニュアンスを除いて意味に変わりはない。4-1-1-9項も参照。

(彼がつけ上がるようなら、たしなめなさい)Если он будет заноситься – одёргивайте. <Если以下の従属節が未来の時制の規則的反復を示している>

(帰る時はいつも明かりを消して下さい)Всегда. когда (будете) уходить, гасите свет.

 上の文を「今日は」というような具体的な1回の動作にすると、下記のように、主文に完了体命令形が来る。

(お帰りになる時は明かりを消して下さい)Когда будете уходить, погасите свет.

 上記の文ではбудетеはこれからの動作である未来の時制を示すという点で必須であり、不完了体未来形は近接未来を示せない代わりに、未来の動作にある程度の時間の余裕を与えるという機能もある。また4-1-1-9項にあるように、文の焦点が主文の動詞погаситеにあるため、когда以下の従属節では未来の時制における動作事実の有無の確認であり、文の焦点がこないために不完了体未来形が用いられているとも言える。когда以下の従属節に完了体未来形が来ると順次的動作となって、帰る動作と明かりを消す動作が、継時的にあまり間をおかず行われることになり、この文では不自然である。
 動作の規則的反復の命令には不完了体動詞命令形を使う。共に使われる副詞及び状況語は、время от времени(時々)、всегда(いつも)、иногда(時折)、каждый день(毎日)、по выходным(休日ごとに)、пореже(ごくたまに)、почаще(ちょっと頻繁に)、регулярно(定期的に)などがある。

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●第166回


(花瓶を持って来なさい。注意して持って来てね)Принесите вазу. Несите осторожно.

5-1-4 禁止 → 否定詞 + 不完了体動詞命令形

禁止の用法というのは不完了体命令形ないしは不定形の否定であり、それは喫煙や立ち入りなど通常許されている動作が、特定の場所や時間、状況で禁止されるという意味である。これと異なるのは5-2-4項の完了体の命令形の否定で示される危惧や警告の用法であり、もともと動作がするかどうかは分からないが、うっかりして~しないようにという意味である。
禁止(不許可)というのは動作をしないように命令するわけで、あらゆる動作の蓋然性(TPOに合わせる動作の確率)вероятностьを排除することになり、それゆえ不完了体が用いられる。具体的な1回の動作、任意の1回の動作の禁止や反復の動作の禁止も含まれるが、どちらなのかは文脈による。一切の動作を否定する場合には不完了体が用いられるが、禁止でも同じ考え方である。定動詞・不定動詞の場合は、不定動詞の命令形は最初からの動作の否定であり、定動詞命令形の否定は、今行っている動作を止めよということになる。禁止を意味するне следует, не годитсяに続く不定形は必ず不完了体となる。5-2-6項や6-1-2項の不必要も参照願う。

(マンションに犬を連れてきてはいけない)Не води в квартиру собаку. <不定動詞の禁止は動作自体の禁止を示す>
(〔それ以上〕そっちへは泳ぐな。そっちは深いぞ)Не плыви туда: там глубоко! <定動詞の禁止は、それまでなされた動作をそれ以上することに対する禁止である>
(市の案内図を持っていかないでください)Не берите с собой план города.
(浮気はだめよ)Не изменяй мне.
(殴らないでください)Не бейте меня.
(そのようにふるまってはいけない)Так поступать не годится.
(疑うことなかれ、自信を持て)Не сомневайтесь!

日本語でも、幼稚園の先生が園児に、「今日は風が強いので外に出ません」というのも、禁止の命令の意味であり、次の文とニュアンス的には近い。

(ここは禁煙です)У нас не курят. <動作が行われないということから禁止の意味に発展したことが分かる>

 語義自体に禁止の意味があるものにне допускатьがあり、命令形で「あってはならない、~してはならない、~しないようにしなさい」という意味であり、取扱説明書でよく使われる。後には(動)名詞を取り、不定形は取らない。не велеть + 不完了体動詞不定形も使われる。またзапретить/запрещатьは不完了体動詞不定形を取るが、не позволитьは完了体動詞不定形を取るなど動詞の本義に合わせていろいろである。

(バイブレーターの先が鉄筋に当たらないようにして下さい)Не допускайте касания наконечника вибратора к арматуре.
(このことをお前に話せないんだ。だめだって)Не могу тебе рассказывать это: мне не велели.
(医者は彼に喫煙を禁じた)Доктор запретил ему курить.
(残念だけど、母は私が映画に行くのを許さないわ)Боюсь, что мать не позволит мне пойти в кино.

5-1-5 反語的用法

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●第165回

上のзвонитеの入った文は観光ガイドが客にという場面でよく使われる。
 祈願とか呪詛は、神様か悪魔がするわけで、話し手である人間として絶対こうなるということが言えないために、拘束度ゼロから発展した用法であり、そのため不完了体動詞命令形で示すのだと考えられる。

(早く元気になってください)Выздоравливайте! <= Поправляйтесь!; Вставайте скорее!; Не болейте!、病人への見舞での別れの挨拶で、выздоравливатьはпоправлятьсяよりも強調とした感じが出る>

暴言にも不完了体が使われるが、これは不完了体の切迫感に関係し、そこから強い促しにもなり得るということである。これは後述の不定法において切迫感には不完了体が用いられることなどでも理解されよう。また命令文ではない二人称の用法にこれに似た用法がある。

(とっとと失せろ)Убирайся!
(もう一度そこに寝てみろ、いいか〔ただじゃおかない〕)Ещё раз тут ляжешь – смотри! <лечьという完了体が来ているのは例示的用法>

5-1-3 動作の様態 → 不完了体動詞命令形

 動作の途中で命令法を使う場合は、文の焦点は補語にあるので不完了体動詞命令形が来る。この用法は動詞の動作がどのようであるか、そのありようを示すもので、動作の完成は二次的なものとなり、いいとか悪いとかの完了体動詞過去形の結果の評価とは違う。文脈によっては動詞なしでも意味が通じるというような、動作事実の有無の確認であり、動詞が刺身のつまのようなとき、つまり様態に文の焦点があるときはすでに動作が行われているという前提ゆえ、5-1-3項同様、2-1-6-1項のみなし反復として、不完了体動詞命令形が出て来る。共によく使われる副詞及び状況語は、внимательнее(もっと注意して)、побыстрее(もっと早く)、помеделеннее(もっとゆっくり)、потише(もっと静かに)などである。3-1-11項参照

(〔X線検査で〕もっと深く呼吸してください)Дышите глубже.
(もっと早く帰って来てください)Возвращайтесь поскорее.
(もっと大きい声で話して下さい)Говорите громче.

 上の文を、Громче!と動詞を省いて言っても、イントネーションによりニュアンスは変わるかもしれないが、意味そのものには変わりはない。これは動詞自体が文の焦点ではないという不完了体の用法の特徴である。

(〔いつもより〕暖かい恰好をしなさい)Теплее оденься.

 上の文に完了体動詞命令形が使われているのは、動作遂行(暖かい恰好〔セーターなどを着るとか〕をする)に意味の重点があり、暖かい恰好をしなければ風邪をひくよという主観的ニュアンスがあるからである。この文の前に「着なさい」というような出だしの文がなく、いきなりこう言っているわけで、暖かい恰好をするというのは、新しい情報であり、それゆえ完了体が出てくるとも言える。
 同じ動詞を繰り返す場合、最初は完了体動詞命令形で新しい事態や情報が出てくることを伝え、次に様態を述べる場合に不完了体動詞命令形を使うというのも、次に用いられる動詞が刺身のつまのような感じだからである。しかし、при-という接頭辞を持つ運動の動詞群の不完了体ではこの用法は使えない。規則的反復の用法(3-1-2項の予定の用法は例外であろう)しかないからである。ゆえに、次の文ではприноситьではなく、別の動詞нестиを使わざるを得ない。

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●第164回

(失せろ)Убирайся вон. <= Убирайся к чёрту. = Ступай ко всем чертям. = Проваливай.>
(有害な音楽を止めろ。かけろ、我が国のを!「ナナカマド」を!)Кончай тлетворную музыку. Гони нашу! «Рябинушку»! <そろそろ「いい加減にしろ」という焦燥感も出ている>

5-1-2 勧誘 → 不完了体動詞命令形

 話し手にとっても聞き手にとっても、動作の時間と回数の制約がない「いつか」という意味の促しと考えてもよいような勧誘的意味合いを持つ動作の要請で、相手を拘束しないような任意の動作の時に用いられ、不完了体の本質を示すような用法でもある。よく使われる命令形は、вешайте ваш плащ(コートをおかけ下さい)、заходите(お寄りになってください)、знакомитесь(ご紹介しましょう)、проходите(奥の方へどうぞ)、раздевайтесь(コートをお脱ぎください)、угощайтесь(お召し上がりください)、усаживайтесь поудобнее(もっとお楽にしてください)などである。この用法は「~するとしたら」が前提となっているために、踏み台(みなし反復)ということで、動作自体が任意であり、動作遂行の結果をイメージしないので、不完了体命令形が用いられる。この用法では時間軸の特定の不動の一点を示すような時の状況語(例えば次の文のсегодняやзавтра)でも、時間軸の一点と言うよりは、期間としての任意の一点と考えられるので共に用いることができる。

(時間がおありなら今日家に寄ってくださいね)Заходите к нам сегодня, если у вас будет время. <если以下で分かるように、このсегодняは時間を制約しておらず、不完了体命令形は、話し手の主観がない、あなたまかせと言うか、聞き手まかせの用法である。そのためこのсегодняを時間軸の不動の一点ではなく、期間と考えて、今日のいつでもという任意の一点を示していると考えれば、正に不完了体そのものの用法である>
(今日は羊の肉は入ってこないよ、明日来て下さい)Сегодня баранины не будет, приходите завтра.
(今、羊の肉がないから、もう少し後で来てください)Придите попозже, сейчас баранины нет. <完了体動詞命令形Придитеは、命令法が未来を示すことから完了体未来形の点未来の用法に似ており、「必ず来てね」という相手を拘束するような強い命令であり、不完了体命令приходитеは、動作の促し(着手)の用法であり、来ても来なくてどちらでもいいけどという感じである>

(〔メールや手紙を書いて〕下さいね)Пишите! <完了体動詞命令形のНапишите!でもよいが、それだと必ず書いてというニュアンスが感じられる>
(電話をくださいね)Звоните. <強制的なニュアンスや具体的なニュアンスはない>

勧誘の意味で完了体動詞命令形が来ているのは、心中はともかく、電話してもらうという動作遂行を、口の上だけでも強く願っているからであり、期待というニュアンスがあるから完了体動詞命令形が来ている。続く不完了体動詞命令形の文と比べてみれば分かる。

(そのうちにでも電話をくださいね)Позвоните мне как-нибудь.
(もし他に何か問題が起これば、電話下さい)Если возникнут ещё какие-нибудь вопросы, звоните.

 ニュアンスがない動作というのは、ある意味期待度ゼロ、拘束度ゼロということであり、消極的、つまりある動作がなされるかどうかはどうでもよいという場合には、上の文のように不完了体動詞命令形が用いられる。

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●第163回

不完了体というのは動作事実の有無の確認、つまり動作そのもので、ニュアンスがないものである。つまり、命令形においても、動作が行われるかどうかは個人的にはどうでもいいけど、一応そういうことになっているからしておこうという感じである。テレビショッピングや、視聴者向けのテレビのクイズで、司会者が「メモのご用意」というのは、メモをした方がいいですよ、つまり一応言っておこうかということで、絶対にメモしてもらいたいと司会者が思っているわけではない。これは子供にたくさん買い物を頼むときに、忘れてもらっては困るというニュアンスのある「メモしておきなさい」という命令とは違う。この話し手の個人的にはどうでもいいけど、一応言っておこうかと聞き手に動作の選択の余地を与えるのが不完了体動詞命令形である。しかし、促しはその場の雰囲気や条件に沿ってということで無条件で行われるため、期限を限定した条件節と共には使えない。

(女店員が買い物客に、「次の方、どうぞ」)Продавщица – покупателю: говорите. <店で行列に並んでいるときなどで、何が買いたいのかを尋ねる、つまり買い物客に注文するきっかけを与える店員の言葉>

命令法の促し(着手)の用法には不完了体命令形を使うが、会話でよく聞く、Давай, давай(さあさあ、やれよ)!とかдавай + 不完了体命令形(さあ~しろ)<давай(те) + 不完了体不定形〔または完了体一人称複数〕(~しましょう)とは別の用法>に不完了体命令形が使われるのも、この用法だからである。

(さあ喧嘩をやれよ)Давайте деритесь!

下記の文はすべてもうそろそろというニュアンスの促しであり、動作のきっかけを与えている。

(奥〔の方〕へどうぞ)Проходите, пожалуйста. <来客に対して>
(どっちを取るの〔選びなさいよ〕、家族、それとも愛人?)Выбирай – семья или любовница?
(ドアにノック。お入りなさい)Стук в дверь – входите (войдите). <不完了体動詞命令形входитеであれば、促しの用法で、事前に来訪が分かっていたことになるし、完了体動詞命令形войдитеなら、新しい事態や情報が出てくる(事前に来客を知らされていなかった)場合の、入ってよいという許可となる>

この「もうそろそろ」は切迫感に通じ、「すぐに~せよ」というニュアンスをもつことになる。

(さっさとやってください)Шевелитесь. <= Торопитесь. 動詞の語義から来る切迫感そのものの用法である>
(奴をつかまえろ!)Держи его! <カッパライやスリに対して>
(おい、くそったれ、だれに雇われたのかしゃべるんだ!)Говори, гадина, кто тебя завербовал? <文の尋問などで不完了体動詞命令形が来るのも、相手が自白するのは当然という意識が話し手にあるからであり、そこから促しや着手の用法となり、すぐに話せという切迫感が出てくる>
(かかれ)Действуй! <〔(すぐに)行動せよ〕とか〔(すぐに)やれ〕ということだが、警察や軍隊などの作戦行動の際、任務〔すべき内容〕が伝達されていれば、後は号令だけとなり、そういう意味で不完了体動詞命令形が来る。8-13項にあるДавай(те)!、Валяй(те)!〔俗語〕としても同義で、切迫感の用法でもある>

切迫感が強まれば焦燥感となり、苛立ちを示すということにもなる。

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●第162回

了体動詞命令形となる。これは代動詞のような促しの用法であり、説得のニュアンスも出てくる。逆に、最初の動詞は促しという意味で不完了体動詞命令形が来て、その後に新規の情報を伝えるということで完了体動詞命令形が来る場合もある。

(私の電話番号をメモして、お願いだからメモして。とても急いでいるの)Запиши мой телефон...записывай, пожалуйста, я очень тороплюсь.
(起きろ、今すぐ起きろ)Вставайте! Сейчас же встаньте! <最初のвставайтеが促しの用法であり、встаньтеは「今すぐ」という新規の情報を伝えているため完了体動詞命令形が用いられている。代動詞に完了体が来る例である>
(おかけください。テーブルの近くにどうぞ)Садитесь. Сядьте ближе к столу. <最初のСадитесь.が着手であり、一旦着手したのであるから、完遂の用法であるСядьтеを使っていることと「テーブルの近くに」という新規の情報が含まれているので完了体が来ている>

促しを意味する動詞で代表的なものは、начать/начинать(対格/不完了体動詞不定形)、приступить/приступать к + 与格、взяться/браться за + 対格/不完了体動詞不定形/、приняться/приниматься за + 対格/不完了体動詞不定形で、これらの動詞が必ず不完了体動詞命令形となるという事ではない。その場の状況に合わせた動作なら不完了体動詞命令形だし、新規の動作なら完了体動詞命令形である。ただ補語に不定形を取る場合はその補語は必ず不完了体動詞不定形であり、それが促しの用法である。

(減圧に取りかかってください)Приступите к декомпрессии.
(輸血を始めなさい)Начните переливание!

上の文のように、新しい事態や情報、新規の指示が出てきた場合なら、このように完了体の命令形を使うわけで、開始という動作は全て不完了体動詞命令形と考えるのは大きな間違いである。

(本題に入って下さい、本件に着手して下さい)Приступите к делу.

 交渉は雑談から始まることが多いが、話し手が雑談もそろそろ終わりだなと判断して、もうそろそろ本題にというときには、促しの用法で不完了体動詞命令形Приступайте к делу. が来るが、上の文のように、そのような世間で一般的な状況を考えに入れないという場合(例えば、いきなり本題に入るとか)は、このように完了体動詞命令形が来る。促しという名に惑わされず、文脈が場依存型(不完了体)か、場独立型(完了体)かという事で判断することが必要である。
一方、体育の時間に先生が「私の後について(同じことを)やってみてください」というのは、生徒が先生の動きを見ている中での発言で、スタートの合図みたいなものだから、Повторяйте за мной.と不完了体動詞命令形が来る。

(追剥が通行人に「背広を脱げ」〔と言いました〕)Разбойник – прохожему: - снимай твой пиджак. <促し、切迫感>

 被害者にとっては突然(つまり新しい事態や情報が出てくる場合)であっても、追剥にとっては被害者が服を脱ぐのは、話し手(この場合は追剥)の立場上、またその場の雰囲気上、当然であるという意識が話し手にあるので、不完了体動詞命令形の促しの用法を用いている。追剥が絶対に背広を脱いでもらいたいかというと、必ずしもそうではなく、動作の選択の余地もある。もし被害者が脱がないのなら、腕ずくとか、殴るとか、殺すとか、いずれにせよ欲しいものは手に入れるという意識もあるわけであり、急いでやれという切迫感のニュアンスもある。

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●第161回

(ナターリア・アナトーリエヴナ、そこで何をなさっていらっしゃるのですか?とにかくおかけください。ロシア功労建設者称号が授与されますよ。受賞にクレムリンのプーチンのところに行くんですよ)Наталья Анатольевна, вы там что делаете? Сядьте. Вам дают "Заслуженного строителя России". За наградой поедете в Кремль, к Путину".

 上の文で完了体命令形のСядьтеを使っているのは、話し手が聞き手に、主観的な意味合いから、まあ落ちついて、びっくりして腰を抜かさないようにという意味で、完遂の意味の「まずは、おかけなさい」を使っている。しかもдаютは予定の用法だということは明らかである。поедетеも聞き手にとっては、予定でも何でもなく、寝耳に水であるために、完了体未来形が来ている。

(この通知はメールで届いた。すぐ返事を用意しなさい)Это сообщение получили по электронной почте. Срочно подготовьте ответ! <Срочноが来ているのに完了体動詞命令形が来ているのは、新規の情報だからである。切迫感の用法は動作が行われるのが周囲の状況において自然であるという前提が必要である>

(昼食を取ったら、すぐにもどれ)Пообедай и сейчас же возвращайся.

上の文でсейчас жеという、あたかも時間を示す状況語があるのに、不完了体動詞命令形が続くのは、私の唱える説「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」と矛盾すると思われるかもしれない。сейчас жеは「今すぐ」という意味であって、今というこの瞬間を示していない。今というこの瞬間は常に動いているわけで、不動の一点ではないし、今を広く解釈して、一瞬後のいつかとすれば、1分後か、2分後か、はたまた10分後か知らないが、特定できない以上不動の一点ではないことは明らかである。そのため不完了体が用いられても問題は生じない。この用法は命令法の切迫感か、それに動作の様態の強調が組み合わさったものであろう。次の完了体動詞命令形の例文と比較してほしい。
 前の文もそうだが、命令法における動作が次々続く順次的用法では、先の動作の結果を次の動作が受けるかどうかによって、次の動詞の体が変わって来る。完了体の順次的用法は前の動詞の結果が次の動詞に及ばないくらい早く連続して続く場合に使われ、依頼の意味の別個の新規の動作がそれぞれ続く時ぐらいであろう。一方、前の動作の結果を次の動詞が受けるときは、初めに完了体命令形で、その後は前の動詞が作り出した文脈による促し(着手)の意味で、不完了体命令形が続く場合の方が多い。

(この手紙を読んで、彼女に渡して下さい)Прочитайте это письмо и передайте ей.
(水をたくさん汲んだら、すぐに戻るんだ。いいな?)Наберите воды и сразу же возвращайтесь, хорошо? <возвращайтесьが不完了体なのは、水をたくさん汲んだ以上、戻るのが当然だという意味の促し(着手)の用法であり、切迫のニュアンスもある>

 逆の場合は稀だが、ないこともない。

(座って、何か面白い話をして)Садись и расскажи мне какую-нибудь забавную историю. <促しと新規動作の組み合わせ。сядьと完了体命令形も可能であり、その場合は順次的用法となる。補語がなければ、Садись и рассказывай.と促しの意味の不完了体命令形を続ける方が自然である>

同じ動詞の体のペアが続く場合は、最初に新規の事柄ということで完了体動詞命令形が来る場合は、次の命令形は動作の指示だけだから、不完

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2020年02月03日

●第160回

ということは普通の文脈ではありえない展開であろう。もし敢えて露訳するならРазбейте вазу.と完了体動詞命令形が来るはずである。そういう意味で、забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞は語義的に場独立型であり、完了体が出やすいという事が言える。2-2-6項参照。

5-1-1 促し(着手、切迫感、焦燥感) → 不完了体動詞命令形

 不完了体というのは話し手にとって、動作事実の有無の確認、つまり、頼み、助言、命令などの付属的なニュアンスのない動作そのものを示すわけだから、命令法においても、すでに状況設定(心理的な踏み台)が出来上がっている場合、あとは動作を促すだけであるので不完了体命令形が用いられる。それは2-1-6-1項のみなし反復の一種とも言える。促しпобуждение к действию(着手приступ к действию)といっても、不完了体の属性であるニュアンスのなさから発生するもので、自発的に(勝手に)促すのではなく、その場でその動作をすることがその状況下においては自然であるという認識が、聞き手や第三者にとってはともかく、話し手にはある場合である。その場の雰囲気によってなされる自然体である動作の要請、つまり相手の動作にきっかけを与えるための合図に使われ、勧誘的な意味合いを持つ。いわば、その場の空気を読む用法だと考えてもよく、不完了体は場依存型であるといえる。動作することを特にイメージしない、その状況では他に動作の可能性がないという事で、純粋に動作自体を意味する不完了体が用いられるのだとも言える。
完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないことから、完了体には叙想的(主観的)ニュアンスが出てくる。そのため明日とか2時にとか、動作への促しと発話時点を結びつかないような時の状況語がある場合は、完了体動詞命令形が用いられる。ただこのような状況語がない時は、発話の時点ではないとはいえ、一瞬後以降の未来の動作を示すので、促しの用法と見分けにくいことがあるが、完了体命令形は新規の具体的1回の動作に用いられると考えればよい。
着手という用法は動作の完遂をイメージしない、完遂であれば、完了体の命令形を使えばよい。そのため着手の用法では、始発(начать/начинать, отправлиться/отправлятьсяなど)、継続(продолжать)、終了(кончить/кончать)を意味する動詞の後では、不完了体不定形を取ることになる。
動作の継続を前提したときは不完了体命令形が用いられ、その他にも今すぐといった発話の時点での動作の着手のときは、切迫という用法という事で、不完了体動詞命令形を使うと考えてもよい。この切迫という用法にしても、暗黙かそうでないかは別にして、切迫となるような前提条件があるわけで、その前提があるということ自体がみなし反復となり、不完了体が用いられるということである。切迫に不完了体が用いられるのは6-1-4項の動作の着手の説明も参考にされたい。
この促しの用法は、かけっこのときのよーいドンや、試験の時の試験官の「始め」の合図のようなものだと考えると分かりやすい。話し手は合図をするだけであり、動作をするかしないのかは聞き手次第と考えているから、促しは任意の時間軸の特定かつ不動の一点における動作ということになる。この用法では聞き手はその一点をなんとなくイメージしているが、話し手は完了体のようにその一点を明確にイメージしているわけではない。促しの用法と関連のある5-1-2項の勧誘の用法では、動作が行われるのが任意であるということがより明確である。

(始め!〔続行!〕)Начинайте! (Продолжайте!) <начинать, продолжатьは、新しい事態や情報が出て来る場合や予想外の状況とか、話題の転換を除き、不完了体動詞命令形で使う事が多い>
(おかけ下さい)Садитесь!

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●第159回

第5章 命令法

命令法の体の使い分けは不定法と非常によく似ている。命令法では過去や厳密な意味での現在の時制は示せず、また示す必要性もない。なぜなら過去や現在の動作はすでに起こったか、起こりつつあり、命令する意味がないからである。もし過去や現在の時制を命令法で示すとしたら、起こった、ないしは起こりつつある動作とは反対の、つまり起こらなかったり、起こっていない動作を示す事になる。それは仮定法過去の過去と現在の時制ということになる。命令法は時制的には未来であり、多くの場合近接未来に属する。ただ遂行動詞(3-1-4-3項末尾参照)的な用法(お詫びします)Извините.もある。

(トイレはどこか教えていただけませんか) Вы не скажете, где туалет?

 上の文は丁寧なお願いであり、普通に言えば、Скажите, пожалуйста, где туалет?となり、ここから命令法はこれからの動作ゆえに未来の時制を示すことが分かる。完了体命令形は近接未来(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)が多いが、遠い未来も動作の結果を踏まえて表現できる。完了体は回りの状況に左右されないので、聞き手の感情にも左右されないという超然的なニュアンスがある。不完了体は回りの状況に依存するので、願い事、説得、主張、反抗的態度、脅しなどの感情的な色彩をもつことがある。Продолжайте.(〔そのまま〕続けなさい)やОставайтесь.(〔そのまま〕残っていなさい)というように、現在の状態のまま動作をつけるという命令も、そのままにせよという指示は一瞬後であり、ほぼ現在と言える動作事実の有無の確認、近接未来の反復や状態の動作を命令する。つまり、命令法では不完了体も完了体も時制的に言えば、早くて一瞬後とはいえ、これからの動作だから、未来の時制との関わりが強いと言えるため、未来の時制の体の用法が大いに参考になる。5-2-4項などその典型だろう。8-13項の一人称複数、9-12-1項の三人称や一人称単数の命令法も同様な解釈ができる。
命令法では一般的に二人称の主語をつけないが、тыやвыをつけると、命令、助言、鼓舞などに断固たる調子を加味することになる。

(どんどんお尋ねください)А вы спрашивайте.

5-1 命令法における不完了体の用法

 動作の全一性というのは完了体の特質とされるが、不完了体にも現れる場合がある。特に強く現れるのが次項で説明する命令法の促しや着手の用法である。完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージするのだが、不完了体におけるこの点は全体を一つの大きな点として見立てたものであり、不動の無限小の一点ではない。完了体の動作の全一性には動作の結果を包含しているが、不完了体は動作の結果を意識しないから、全一的動作を提示ないしは示唆していることになる。いわば動作に主観性を与えず、聞き手にその動作を行うかどうかの選択の余地があることを示しており、この状況下ではこうするのが自然であると言っているに過ぎない。ただこの状況下ではこの動作ということを強調すれば、義務や強制というニュアンスが出てくるが、これは何色にでも染まる不完了体の特性であり、それは飽くまでも文脈に依るのである。
不完了体が場依存型で、完了体が場独立型だと何度か説明したが、これは不完了体が聞き手にとって恣意的動作であり、完了体は話し手にとって恣意的な動作であることを示しており、それが語義からも分かる場合がある。部屋に人を招いて、ソファーがあれば、「おかけ下さいСадитесь.<不完了体動詞命令形>」というのは雰囲気的に自然で、これこそ場依存型の典型みたいなものだが、部屋に花瓶があっても、「花瓶を割りなさい」

Posted by SATOH at 21:01 | Comments [0]

●第158回

(逃げたら撃て)А побежит – стреляй!
(渡していただけないと、後悔なさることになりますよ)Не дадите – будете жалеть.
(そういう場合になったら考える)Будет случай, посмотрю.

 この用法は並立接続詞иの用法から発達した可能性がある。しかも主語を二人称以外(一人称でも三人称でもよい)において、条件法や仮定法(ありそうもないか、事実とは異なる場合を仮定すること)の意味を示すこともできる。命令法の5-2-8項も参照願う。

(時が至れば、みなさんは私たちと同じ立場に立つと私は信じるのみです)Я только верю: наступит время – и вы станете на наше место!
(くれるものはもらっておけ、殴られるなら逃げろ)Дают – бери, бьют – беги. <先行詞が不完了体だが、これは規則的反復の意味>

4-2-7 譲歩

 譲歩というのは「仮に~したとしても」ということだから、例示的的用法と発想は同じである。そのため譲歩の意味をもつ従属節には完了体動詞未来形を使う。

(俺が何を言おうと、彼はしてくれる)Он делает, что ни скажу.
(誰が見ても驚くよ)Кто ни увидит, удивится.

4-2-8 未来の継続

 未来のある時点からある時点までの継続を完了体未来形で示す事ができる。

(明日から彼にもう一つ罠を仕掛けよう)С завтрашнего дня я поставлю ему ещё одну ловушку. <未来における結果の存続の用法とも言える>

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●第157回

行する文に対する挿入状況語>
(この政治家二人、マクナマラもラスクも非凡な人たちであるという事をここで指摘しておく)Отмечу здесь, что оба эти деятеля – Макнамара и Раск – люди незаурядные. <先行する文に対する補足説明>

同じ挿入句でも遂行動詞(不完了体動詞現在形)が使われるものがある。ドストエフスキーの作家の日記で亡き兄の人柄を紹介するくだりで、

(もし亡き帝の意思により全員が釈放されなかったら、2カ月後に釈放されたものの多くが必ずそれ(流刑)の憂き目に遭っていたろう〔と自信を持って言えるが〕)И многим из освобождённых через два месяца подверглись бы ей (ссылке) непременно (говорю утвердительно), если б не были все освобождены по воле покойного государя ...

という文の、挿入状況語говорю утвердительноである。この作品には、他にもповторяю(繰り返すが)、тут-то я вас и ловлю〔言葉尻をとらえて申し訳ありませんが(на слове, на словахが省略されていると思われる)〕という不完了体動詞現在形の挿入状況語が散見されるが、いずれも新規の動作ではなく、これらは遂行動詞である。говорить, повторятьにも次のように遂行動詞としての用法がある。

(分かるように言っているんだ)Я тебе русским языком говорю.
(私が馬鹿な事を言っているというの?)Глупости говорю?
(繰り返すが、つい先ごろ現れたこの活動家の定義をウーチン氏に対して私は決して関係づけているわけではない)Повторяю, это определение новейшего деятеля я положительно не отношу к г-ну Утину.

挿入状況語でも話題の転換であれば完了体動詞未来形を、話しの流れに沿ったものであれば、遂行動詞として不完了体動詞現在形が使えるものもあるという事になる。разумеется(もちろん)などの決まり文句のような挿入句が不完了体動詞現在形なのは、遂行動詞の名残なのかもしれない。ちなみに評価解釈型動詞は挿入句としては用いられない。露文和訳や露文解釈だけをする人にとっては、どうでもいいことかもしれないが、会話で和文露訳をせざるを得ない者にとっては、時制をどうするか、体の使い分けをどうするかは非常に重要な事柄だということを強調したい。

(公爵たちの家名が使われなくなりつつあるという事に気づく)Замечаем, что княжие имена выходят из употребления. <遂行動詞>

4-2-6 接続詞抜きでの条件法や仮定法への転用 → 完了体動詞未来形

 平叙文を二つ並べるか、平叙文と命令文の組み合わせだけで主観的ニュアンスが加味されている時、つまり動詞が文の焦点となっている時には、条件法や仮定法という形式を取らなくとも、そのような意味が出てくる場合があり、その場合には完了体動詞未来形と完了体動詞未来形が並立して出て来る。これは法の転用とでも呼べそうな用法で、「~せよ、そうすれば~となる」という意味で使う。口語的用法であり、接続詞がないために、先の文が先行詞として完了体未来形となり、後の動詞が不完了体命令形(未来形)という場合もある。これはそういう状況下(文脈)ではそうなるという不完了体の場依存型の用法そのものである。

(レーゲンスブルグという町に行けば、橋の上で幸せが見つかる)В город Регенсбург пойдёшь, счастье на мосту найдёшь.
(そのときはそのとき)Поживём – увидим.
(集計したら連絡します)Подсчитаем – сообщим.
(連絡したら戻れ)Сообщишь – возвращайся.

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●第156回

 未来の時制において動詞бытьの未来形 + 被動形動詞過去短語尾は、動作主を明示したくない場合にも使える。動作主が示されていれば、動作そのものを示すが、示されていなければ、結果の存続から派生して、動作ではなく、質的状態の意味を持つ。過程を無視して結果を重視するときにこの用法を使う。完了体動詞未来形と不定人称文を組み合わせても同様な効果が出せるが、そうなると主観的なニュアンスが出てくるので、契約など客観性を重視する場合には不適切である。そのため契約文、技術説明書等では被動形動詞過去短語尾が、未来の時制で多用されることになる。

(請負業者は全てに必要な取扱説明書を作成し、発注者に引き渡す)Подрядчиком будут разработаны и переданы заказчику все необходимые ннструкции по эксплуатации. <動作主があるために未来の時制での動作を示すとともに、二つの文の主語を一つにまとめるということと、順次的な用法として被動形動詞過去短語尾が未来の時制で使われている>
(ご要望は設計書類作成のときに考慮します)Ваша просьба будет учтена при разработке технического проекта.
(〔これから〕家宅捜査を行います)Будет произведён обыск. <実際に家宅捜索をする際の通告で、これから動作が終わりまで遂行されるという事を意味している>
(スペアパーツの件はどう片をつけますか?)Как будет решён вопрос с запасными частями? <焦点は問題を解決済みにすること、ないしはその程度(完全に片をつけるのか、ほどほどでいいのかとか)にある。これを次の文のように不完了体動詞未来形にすると、文の焦点はКак(どのように)に来ることになる>
(下請けの人に住居を確保する件は、どのように片をつけますか?)Как будет решаться вопрос обеспечения персонала Подрядчика жильём?

次の文のように期間や未来のある動作の起点からの継続(期間)を示すことも出来る。

(高圧線の建設は8カ月後に終了します)Строительство линии высоковольтной передачи будет завершено через 8 месяцев. 
(タグボートの提供は午前8時から再開されます)Предоставление буксиров будет возобновлено с 8 часов утра.

4-2-5-2 補足事項の説明や挿入

 補足事項の説明や挿入というのも、話題の転換や場面の切り替えであれば、主観的な動作であると言えるため、完了体動詞未来形が用いられる。замечатьは遂行動詞であるが、スピーチや論文の中で、補足説明として挿入するような形で入る場合には、完了体のзаметитьを使う。

(ついでに言うと、スタルゴーロドでのイーリフとペトローフによる路面電車生産の描写は、その5年後に現れたのである)Попутно заметим, что описание пуска трамвая в Старгороде, сделанное И. Ильфом и Е. Петровым, появилось пять лет спустя.

これは補足事項の説明や挿入状況語という事自体が、著者や話し手が直接顔を出すような表現、いわば主観的発想であるため、完了体動詞未来形が用いられる。不完了体動詞現在形を用いる遂行動詞と、完了体動詞未来形を用いるこのような補足事項の説明の用法の違いというのは、補足事項の説明をする動詞や挿入状況語である動詞句は、その性質上、先行する文の後で使われ、遂行動詞は従属文に対する主文のほうにあり、従属文の関する何らかの動作を終えるということを示している。

(客観性を期するために述べておく)Объективности ради отмечу. <先

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●第155回


(どう思う?この季節にどこで花を手に入れられるというのだ?)Как ты думаешь, где в это время года достанешь цветы? <= Где можно достать цветы?>
(誰が助けてくれるというのだ?誰もね)Кто поможет? - Никто.

 お分かりのように、これは反語法であり、否定の強調という意味の完了体未来形となる。疑問文というのは、単に動作事実の有無の確認をするのであれば、不完了体が来るし、完了体過去形であれば、なんらかの主観的要素の入った文となる。「彼に電話してくれましたか?」をロシア語にすると完了体でも不完了体でも可能だが、ニュアンスの差は歴然である。

Вы ему позвонили? <電話することを期待していたというニュアンスで、これが主観的要素となる>
Вы ему звонили? <動作事実の有無の確認>

ところが、完了体未来形で例示的用法を疑問文にすると、当然主観が入ってくるわけで、単なる疑問というよりは、すでに話し手の何らかの結論が出た反語法と成らざるを得ない。つまり虚心坦懐な疑問は動作事実の有無の確認ということで不完了体の領域ということになる。

4-2-4 未来の時制における往復(行って来る)

 過去における往復ということであれば、不定動詞や接頭辞のついた運動の動詞の不完了体приезжать/приходить(2-1-3項参照)などが使える。

(朝市場に走って行って来たわ)Утром на рынок бегала.

 これからの往復動作ということなら、接頭辞с-のついた完了体動詞сбегать(口語)、сводить (свести)〔連れて行って戻ってくる〕、свозить (свезти)〔乗り物で運んで戻ってくる〕、сгонять(俗語)、скатать、слетать(俗語)、смахать(俗語)、смотаться(俗語)、сносить(歩いて運んで戻る)、сплавать(泳いで)、сползать(這って)、сходить(歩いて)、съездить(車で)を使う。сбегать, сгонять, скатать, слетать, смахать, смотатьсяはすべて「走って(または乗り物で)取ってくる」という意味だが、「ひとっ走りして戻る」という感じである。これらの動詞は運動の動詞などと違って、過去の時制でも不定法でも使える。

(ちょっとお待ちください。お金を取りにひとっ走り行って来ますから)Подождите меня, я сбегаю за деньгами.

 この他にも不定動詞の未来形も使えるが、これだと「すぐに行く」というようなニュアンスはない。

(タクシーの金がないなら、バスで行って来よう)Раз нет денег на такси, будем ездить на автобусе. <文の焦点は行くという動作ではなく、交通手段にある>

 しかし、時間が限定されると、不完了体は使えない。

(彼は10分で新聞を取りに行って来た)Он сходил за газетой за 10 минут.

4-2-5 未来の時制における被動形動詞過去短語尾

4-2-5-1 未来の時制における被動形動詞過去短語尾の用法

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●第154回

起こるときにも4-2-2項の順次的用法ということで完了体動詞未来形を使う。二つ、ないしはそれ以上の動詞を用いることにより、動作の完了という主観的ニュアンスが出てくる。
 これは厳密な時制的には未来であるが、3-2-4項にもあるように、広い意味での現在の時制と言える。例示的意味は本来過去形の動詞とは無縁で、不定法と完了体動詞未来形に広く現れる。この用法は起源的には歴史的現在(2-1-8-3項参照)であり、2-1-11項で示したように、過去の時制で使う時も完了体動詞未来形を用いる。そのため例示的用法は超時間的性格を帯びているとも言える。

(何かあったら、いつでもお手伝いします)Если что, всегда вам помогу. <未来の定期的反復である(〔これから〕毎日彼女は彼を手伝うようになる)Каждый день она будет ему помогать.と比較してみるとよい>
(着いたら分かる)Доедем – разберёмся
(時が来れば、彼も感謝するよ)Придёт время, и он будет благодарить нас.
(会議が終わったら、すぐ家に帰るよ)Совещание кончится, и я сразу домой. <順次的用法のニュアンスもある>
(私は金で全てを買うさ、どんな敬意も、どんな武勲も、どんな人をも、それでどんな罪からも逃れられる)Деньгами всё куплю, всякую почесть, всякую доблесть, всякого подкуплю и от всякого откуплюсь. <金があればという例示的意味から可能性のニュアンスが出てくる>

 この用法で人の性質や能力を示す事ができる。

(彼はどんな荷物でも持ちあげられる)Он поднимет любой груз.
(ヴィークトルはきちんとした人だ。絶対に遅れないし、いつも時間に間に合う)Виктор человек точный: никогда не опоздает, всё вовремя успеет.

 пока не + 完了体動詞未来形で、「~するまで」という構文に完了体動詞未来形を使うのも、いつ~するかが分からないという例示的用法だからである。

(呼ぶまで来るな)Не ходи ко мне, пока не позову.

 例示的用法は仮想的可能性を提示するという意味で、仮定法の未来時制の用法と非常に近い用法である。仮定法は過去や現在の事実に反する仮定を示すが、未来では条件法と意味はほとんど変わらない。未来は予定などを除き、一般的に未確定の事柄に属するからだろう。ただ仮定法未来時制の方が、万が一という話し手の動作の実現に対する疑いのニュアンスが出る。

(我々がエルサレムにチェチェン人を招いたらプーチンは何と言うか興味がある)Интересно, что сказал бы Путин, если бы мы пригласили в Иерусалим чеченцев?

 例示的用法を否定文で用いれば、3-2-2項の否定の強調や3-2-3項の不可能という用法につながる。その例文を次に挙げる。

(安全ベルトを締めないと、罰金を払うことになる)Не наденешь ремень безопасности - заплатишь штраф.
(渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ)Скоро приеду, если в пробках не застряну. <動作が順次的に行われていることを示す完了体の用法でもある。не застрянуは、これから渋滞にはまらなかったらという、例示的用法である>
 例示的用法で否定文は否定の強調(3-2-2項)となるが、疑問文はその主観性から反語法となり、これも否定の強調とならざるを得ない。

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●第153回


 下記の文のように、動詞が一つでも、иがあることにより、意味的に動作が順々と素早く行われる場合を示す事ができる。

(たった数秒で検索がお続けになれます)Всего несколько секунд – и вы сможете продолжить поиск.

未来の時制の順次的用法で使われるеслиには、если нет, то нет.(なければない)というニュアンスがある。次の文では、「頼まれなければ行かない」ということが含意されている。

(頼まれれば行くよ)Если попросишь, приду.

4-2-3 例示的用法 → 完了体動詞未来形

 完了体動詞未来形は未来において具体的な1回の動作が遂行することを意味するが、直近であれば、これからすぐということで、4-2-1項の用法である。それ以外では、時の状況語がない限り、動作がいつ起こるかどうかは不明なわけだが、動作が起これば主観的に判断して遂行するという事で、それが潜在的(仮想的)な可能性потенциальность(予測不能性)を生むことになる。これを例示的意味наглядно-примерное значениеの用法と呼ぶ。全一的な動作が起こるのであれば演繹的に時間軸の不動の一点があるはずだという考え方である。過去の時制で例示的用法が使われるときも、この予測不能性を形式として示すために、完了体動詞過去形ではなく、完了体動詞未来形が使われるのだと思われる。完了体動詞過去形を使えば、動作が既に遂行された(確述、確言)というイメージになってしまうからであろう。完了体過去形の時制の転用(9-1-1項)にも確述のニュアンスがある。未来は過去と違って、完遂的用法にせよ、確実に動作の起こるということが保証されないということを意味する。
例示的用法が過去の時制で用いられると、起こったり、起こらなかったりという不定期の動作、つまり偶発的な動作の出現を意味することになる。不定法(6-2-6項)にもこの用法がある。
この用法は「ふだんはしないが、何かあれば(やろうと思えば)~する」という予測不能性の提示、偶発的(散発的)反復потенциально возможная повторяемостьの動作を示す。偶発的というのは、主観的に判断して、ある条件がそろえば起こる、そろわなければ起こらないという意味であり、定期的であるとか、話し手が日常的に何度も起こり得ると見なす反復動作を扱う不完了体動詞現在形の規則的反復とは異なる。そういう意味で、例示的用法には具体的な文脈が必要であり、潜在的可能性の提示という事から完了体の持つ主観的ニュアンスが出るので、平板な不完了体の規則的反復・習慣と違い、生き生きとした表現になる。偶発的といっても、とりあえず、最初の具体的な動作がイメージとしてあるわけで、初めから動作が繰り返されるということをイメージしているわけではないのが不完了体との違いである。つまり無意識な、理性で制御できないような人の性癖などは不完了体の扱いであり、例示的用法では扱わないということになる。具体性を強調するために、一つの動作を代表に見立て、例として反復を示すというのが例示的用法である。そのため不定人称文など、主語が不定の意味の複数のときに例示的用法が用いられることはなく、不定人称文や命令形の代わりに、例示的用法には完了体未来形を使った普遍人称文を活用すべきである。例示的用法でよく使われる状況語は、бывает(よくする)、бывало(よくしたものだ)、в любой момент(いつでも)、всегда(いつでも)、иногда(時折)、иной раз(時々)、нередко(しばしば)、случается(よくある)、случалось(よくあった)などである。3-2-4項参照。
 不完了体動詞未来形の用法では、話し手が時間の遅速はともかく動作が起こると見なしているわけで、この用法との差が分かる。次々と動作が

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●第152回

例示的用法を否定文で用いれば、3-2-2項の否定の強調や3-2-3項の不可能という用法につながる。その例文を次に挙げる。例示的用法は条件節などの従属節で用いられことが分かる。

(ヴィークトルはきちんとした人だ。絶対に遅れないし、いつも時間に間に合う)Виктор человек точный: никогда не опоздает, всё вовремя успеет. <例示的用法の否定版で、完了体未来形は理由を示す従属節で用いられている>
(安全ベルトを締めないと、罰金を払うことになる)Не наденешь ремень безопасности - заплатишь штраф.
(渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ)Скоро приеду, если в пробках не застряну. <動作が順次的に行われていることを示す完了体の用法でもある。не застрянуは、これから渋滞にはまらなかったらという、例示的用法である>

点未来(完遂的用法)の否定版では、完了体動詞未来形は具体的な1回の動作がない事を示し、不完了体動詞現在形(予定の用法)はそういう予定がないことを示しているだけで、実質的な意味に変わりはない。不完了体は厳密な意味で完了体が使えない現在の時制を除けば、本質的に具体的な1回の動作は扱わないので、具体的な1回の動作の時に不完了体未来形は使えない。

(彼はロンドンに行かない)Он не уедет в Лондон.
(彼はロンドンに行く予定はない)Он не едет в Лондон.

この用法を否定文で用いると、文脈によっては、未来の一つの時点における動作が行われないか、あるいはその一つの時点を近接未来ととらえると、広い意味での今の時点での動作の否定(否定の強調3-2-2項)となる。否定の強調を現在の時制で扱い、点未来(完遂的用法)を未来の時制で扱っているのは、日本語が動詞の活用という事では現在と未来を区別しないということと、完了体動詞未来形は今現在この一瞬ではない、広い意味の現在(一瞬以降である近接未来)を含む未来を扱うからである。
 完了体未来形というのは一瞬後か、かなり後かは別にして未来に動作が起こり、これを否定するわけだから、現在の状態を示すことはできないことになる。そのため現在の状態を示すのであれば、被動形動詞過去短語尾の否定を現在の時制で使わざるを得ない。これなら完了体だから具体性を示すことができるわけである。状態であれば、状態動詞の否定も可能性としてはあり得るが、その動作を否定しても、不完了体だから、慣用(一般性)という概念が邪魔をして、個別の具体的な事柄は表現できないと思われる。
完遂の意味を強調すると「必ず~する」という意味になるが、その場合でもне преминуть + 完了体不定形と完了体不定形が来る。

(必ず報告する)Я не премину сообщить.

4-2-2 順次的用法 → 完了体動詞未来形

二つ以上の動作がそれぞれ完了体動詞未来形で示されるときに、継時的にあまり間をおかずに次々起こる動作を示す用法で、動作の焦点が次々に移動することになる。この場合、次の動作は最初の(あるいは前の)動作が完了した後でのみ成立可能となるので、共に完了体を使うという論理である。2-2-1-4項参照のこと。

(下に降りて、角まで行き、左に曲がってください)Вы спуститесь вниз, дойдёте до угла и повернёте налево.
(僕が着いたら、話しをしよう)Приеду – поговорим.

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●第151回

Завтра он прочитает эту книгу.の訳を「明日彼はこの本を読み終わるだろう」と「だろう」を入れて訳すとすれば、これは上のような考え方からだということは理解できるが、「だろう」は国語辞典を引いても、「推測の意味」であるので、これを避ける工夫が必要である。主語が三人称だから、意志・欲求の「~う」は使えない。それに、このпрочитаетは未来の動作の確実性を意味している。だからそれに相当する日本語の動詞表現である「~る」を使えばよい。「読み終える」は動作動詞であり、ル形は未来だけを示すから、「明日彼はこの本を読み終える」とすれば正しい日本語という事になる。
例示的用法と遂行の関係について述べると、完了体動詞未来形には例示的用法「(~であれば)~する」がつきものだが、点未来(完遂的用法)「(これから)~する」にもそのニュアンスが出る場合もある。未来というものは未定のものであり、ある意味、条件法と表裏一体であると言える。つまり、不完了体動詞現在形の予定の用法や不完了体動詞未来形には例示的ニュアンスがないことになる。ただ完了体動詞未来形は未来の時制の規則的反復には使えない。

(警察がいなくなれば、奴らは戻って来る)Они вернутся, когда полиция уедет.

4-2-1-4 点未来(完遂的用法)と否定

 「~するつもりはない」という意向の否定版を示すために意味的に一番明確なのは、4-1-3項の意向の動詞と否定詞の組み合わせ、つまりне собираться (намерен, думать, планировать)を用いることである。これだと今後一切かような動作はしないという反復の否定版も、具体的な1回の動作の意向の否定版も示す事ができる。一方、4-1-1-6項の動作事実の無の確認は反復の否定版(ゼロの反復、つまり未来の時制における一切の動作の否定)だけである。完了体未来形の否定で意向の否定版を示す事ができるのは、始発の動詞だけであり、動作の始発自体を否定することから意向の否定となり、しかも、それは具体的な1回の動作の否定版である。それ以外の完了体動詞では例示的反復の否定版ということから、完遂の否定版や動作の強調の意味になってしまう。

(自分の立場を法廷で変えるつもりはない)Свою позицию на суде я менять не собираюсь. <≒ менять не буду(動作事実の無の確認)>
(僕はそこには行かない)Я туда не пойду. <始発の動詞>

主観的ニュアンスなしに動詞本来の生の動作だけを意味するのが不完了体であり、これ否定すると今後一切かような動作は行わないという、未来におけるあらゆる時点で反復される動作も否定することになり、完了体動詞未来形の点未来(完遂的用法)〔具体的な1回の動作の完遂〕の否定版と言える用法4-2-1項と対立する。また不完了体未来形が否定文で用いられるのであるから、これこそ動作事実の無の確認の用法でもある。

(彼はロンドンに行かない)Он не уедет в Лондон. <1回の具体的動作の完遂の否定版>
(許して下さい、二度としませんから)Простите (Извините) меня, я никогда больше не буду так делать. <今後複数回の動作の否定、ここから動作事実の無の確認となる>
(今〔ここで〕お別れをして、もうお会いすることはありません)Сейчас мы с вами попрощаемся и больше не увидимся. <1回の具体的動作の完遂の否定版であり、否定の強調でもある。большеのおかげで例示的反復の否定版であることが明確となり、不完了体未来形の否定の動作事実の無の確認に文意が近くなる>

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●第150回

4-2-1-2 点未来(完遂的用法)と疑問詞

 疑問詞と動詞が組み合わされる場合は、疑問詞が文の焦点に来る場合が多いため、不完了体動詞未来形が使われがちである。疑問詞と完了体動詞未来形が共に使われる場合というのは、次のような場合である。

(このような状況が起こったら、だれが費用を払ってくれるのですか?)А кто оплатит расходы, если такая ситуация возникнет?

 上記の文では、一番の問題は「誰が」ではなく、「払ってくれるか」という動作そのものが問題であることが分かる。払ってくれないかもしれないという懸念と、誰も払ってくれないという反語的ニュアンスが、完了体動詞未来形により感じ取れるのである。これはеслиの節に「もしそういう事態があるとしたら」という意味の完了体動詞未来形の例示的用法(4-2-3項参照)が来ていることからも分かる。このように動作自体が問題であれば、完了体動詞未来形が来る。露文解釈で見る分には割合簡単に推測できるが、自分が会話で即座に和文露訳するとなると、常に自分たち(通訳する相手の)の利害(人命や、特に金銭、損得)に関わるかどうかを常に念頭に置いて、そうであれば動作そのものに文の焦点が来る可能性が高いので、完了体動詞未来形を使うというふうに理解し、利害に関係しないなら不完了体が来るというのでもよい。

4-2-1-3 点未来(完遂的用法)の特徴

 完了体動詞未来形が使われるのは、完了体が主観的ニュアンスを伴うものであるということから、予定というものを初めから考慮しない場合であり、それはわざと予定を無視するということではない。予定という観念自体がそもそも念頭にないのである。完了体動詞未来形は未来に起こることへの確信を示すとともに、その場の、ないしはこれまでの雰囲気とは違う新しい話題を提示するという主観的ニュアンスがある。完了体動詞未来形は推測ではなく、話し手にとって確度の高い未来の動作を示す。

(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.

 上記の文は「行く」であって、「行くだろう」ではない。推測なら、видимо, по-видимому, кажетсяなどをつければいい。

(雨になるだろう)Видимо, будет дождь.
(もうすぐ晴れるでしょう)Видимо, скоро прояснится.

(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём.

上記の文はレーニンの有名な言葉だが、これなどは完了体動詞未来形の用法が非常に分かりやすいものである。これを<我らは別の道を行くでしょう>では語訳であり、しかも訳文が原文のもつ迫力に欠けると言わざるを得ない。

『ベーシック日本語教育』(佐々木泰子、ひつじ書房、2007年)の中に〔感情・感覚を示す「悲しい」、「痛い」、「感じる」、意志・欲求を示す「つもりだ」、「~う/よう」、「~たい」、精神作用を示す「思う」、「考える」は主語が一人称のときだけ用いられる。二人称の時は、「~か」(問いかけ)、「ね」などの終助詞を添える。三人称のときは、「~かもしれない」、「~に違いない」、「~のだ」、「~らしい」、「~のようだ」、「~だろう」という推測・判断の表現形式を添える。例外は引用の形式にするか、小説などの感情移入である〕とある。

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●第149回

が、現在から切れていると主観的に判断するときに、完了体動詞未来形が使われるのである。

(それでは勉強に取りかかりましょう)Теперь начнём заниматься.

完了体は主観的ということから、点過去のように、過去の時制では完了体は過去の時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)での動作をイメージする。それに対比して考えれば、完了体動詞未来形というのは、同じく未来の一点への到達に関する動作を扱うと言える。その際その一点が意識にありさえすれば、具体的に明示されるかどうかは問題ではない。文脈に明示されていなければ、今すぐ動作が起こるというニュアンスがあり、主語が一人称であれば決意や意志を、二人称や三人称では推量を強く示す場合が多い。一方不完了体動詞未来形は未来における動作事実の有無を示す事に主体があり、いつ動作が行われるかは二の次ということになる。これによって未来における時の一点を示す具体的な状況語があれば、完了体動詞未来形を使うのが自然だという事が分かる。
日本語の時制は過去と非過去(現在、未来)が対立する。時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動作動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動作動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来の動作や現在の習慣的な事実を示し、現在の一時的動作はテイル形を用いて示す。文脈にもよるが、動作動詞のル形を完了体動詞未来形で訳せることも多い。「~するはずである」という構文も完了体動詞未来形か、должен + 完了体動詞不定形で露訳できる。

4-2-1-1 点未来(完遂的用法)が用いられる動詞

 これには完了体動詞未来形(これを完了体現在形とか、完了体現在未来形と呼ぶ学者もいる)を用いる。過程、持続性を考えないような単一の動作を未来の時制で行う場合は、叙想的ニュアンス(主観的なもので、懸念、期待、動作の完了、新しい事態や情報が出てくる場合、否定文では不可能、否定の強調など)を含んでいれば、完了体動詞未来形が使われる。これらの主観的ニュアンスも動詞や文脈によって現れ方も様々である。無論、гулять(散歩する)、жить(生きる)、играть(遊ぶ)、пить(飲む)、читать(読む)などの無接頭辞単純動詞は例外であり、бытьの未来形と組み合わせて、自由に未来の時制で使われる。また、予定というニュアンスが強く出るのなら、不完了体動詞現在形で予定の意味に使えるものがあれば、それを使えばよい。

(彼は今によくなりますよ)Теперь он выздоровеет. <病気の快癒>
(どこか他のパーツの損傷が重大な危険をもたらしますか?)Приведёт ли повреждения какой-инбудь другой части к серьёзной опасности? <複合動詞(8-3項参照)であるのに完了体動詞未来形が用いられているのは、危害をもたらすという動作が起こるかどうかを問題にしているからである。人命や損得(金銭)に関わる動詞は、世の中の最大の関心事なので文の焦点になるのが当然であり、それゆえ完了体が来ることが多い>

 不完了体動詞現在形の予定の用法と完了体動詞未来形の点未来(完遂的用法)の差を見てみると、完了体が近接未来を示している場合は、ニュアンスはともかく、意味はほとんど変わらない。

(彼はロンドンに行く)Он уедет в Лондон. <具体的1回行為の未来における遂行>
(彼はロンドンに行くことになっている)Он едет в Лондон. <予定>

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●第148回

まり、それが不定の時間続く(結果の存続)>
(その仕事を終わらせる)Я кончу работу. <その仕事が遂行されて、やることがなくなる(結果の存続)>
(〔終業時間なので〕仕事は終わりにします)Я буду кончать работу. <時間的に終わる区切りを指しているのであって、仕事自体は残る>
(行き先を地図で教えてあげましょう)Я вам покажу дорогу на карте.

 一方、未来完了では具体的な未来の時の状況語をイメージする。未来完了においては未来において動作の結果が現れるが、それが発話の時点とは結びつかない。未来の時制における被動形動詞過去短語尾は、この未来完了の用法で用いられる完了体他動詞由来であり、近接未来完了では用いられない。

(彼は今日明日中に死ぬ)Он сегодня-завтра умрёт.
(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.
(日本は必ず復興する)Япония обязательно возродится!  <漠然とした遠い未来であっても、動作が完遂すると話し手が考えている以上完了体未来形が用いられる>
(欠席ないし遅刻に対しては罰が下されることになる)За небытие или опоздание будет взыскан.
(差額は発注者によりそれに応じて払い戻しされることになる)Разница будет возмещена соответственно заказчиком.

完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないゆえに、完了体動詞未来形の完遂的用法は完了体の典型的用法と言える。具体的な1回の動作の達成(完遂)をイメージするということが、意識するかどうかにかかわらず、自動的に時間軸の不動の一点に動作を集束することになるからであり、それが、不完了体未来形が不定の動作を暗示することとの違いである。始発の動詞について言えば、動作の開始イコール動作の達成(完遂)ということになる。

(いくつかの看板は何とかもっているような状態だ。きっと通行人の頭に落ちるよ)Некоторые вывески еле держатся, - того гляди свалятся на голову прохожего.

完了体というのは主観的ニュアンスを帯び、考えてから動作に移るまでに、少なくとも一呼吸というか、一瞬はあるわけで、そのために今その時点のその瞬間を示す事ができないということになる。つまり完了体動詞未来形というのは、動作の開始に現在のこの瞬間を含まず、動作の終了は早くてその一瞬後以降である。つまり今ここでの具体的な1回の、実現する確度の高い主観的な未来の動作(一瞬後でも、1分後、1時間後でも、明日でも、1年後でも構わない)の達成に使われる用法である。その場の状況を考慮に入れず、いきなり使えるという点で、完了体の持ついわゆる場独立型の典型的な用法である。場依存型ではないので、何の前提もない出だし(話し始め)の文である始発文、話題の転換、場面の切り替えのときに使われるのが一般的である。この話題の転換や場面の切り替えというのは主観的な動作ゆえに、完了体未来形は話し手にとって恣意的動作ということになる。そのため話題の転換を示すтеперь, тогда(それでは、では)の後などは、完了体動詞未来形が出やすいと言える。新規の事柄を表現する場合、あるいは聞き手の意表を突くという場合には、完了体動詞未来形が出てくることになる。
 不完了体動詞現在形の予定の用法との違いは、予定の用法が現在から未来への動作の連続というニュアンスがあるのに対して、完了体動詞未来形は未来の動作が一拍置いた感じであり、この一拍置くという感じは、あくまで感じであって、未来への動作が連続していないという認識と理解すればよい。完了体の機能は主観性にあるから、一瞬でも未来への動作

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●第147回

場合もある。

(作業の指導はどのように〔今後〕行われるのですか?)Как будет осуществляться руководство строительством? <文の焦点はКакにあるから不完了体動詞未来形が用いられている>
(その施設の最終検収〔立ち会い試験〕は設計指標達成後に行われる)Окончательная приёмка объекта будет осуществляться после достижения им проектных показателей.
(全ての作業は労働安全要求事項に基づき〔これから〕行われる)Все работы будут выполняться в соответствии с требованиями техники безопасности.
(口銭はどのように支払われるのですか?)Как будут выплачиваться комиссионные? <未来の規則的反復であることと、Как(どのように)に文の焦点が来ているため不完了体動詞未来形が来ている>
(テスト実施期限が近づくに伴い、そのような材料の明細〔リスト〕は貴社にお渡しいたします)По мере приближения сроков проведений испытаний будут вручаться вам ведомости таких материалов. <明確に過程・規則的反復を示しているので、これに被動形動詞過去短語尾は使えない>

4-2 未来の時制における完了体の用法

4-2-1 点未来(完遂的用法) → 完了体動詞未来形

 完了体過去形には過去の時制において点過去があり、その派生として現在の時制には結果の存続という用法がある。ともに完遂的用法だが、完了体過去形という一つの形式に過去完了の完了と現在完了の完了という二つの用法があり、これを文脈により使い分けているということになる。完了体未来形の点未来(完遂的用法)には、未来において動作が完遂され、その結果がある期間存続するという結果の存続の用法が内在している。動作が遂行されるのが、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)なら近接未来完了であり、発話の時点と隔たっている未来なら未来完了と二つの用法がある。近接未来完了における発話時点との融合は、動作の開始が発話時点(例えば今現在のこの一瞬後)であるとしても、動作の終了は早くて発話の一瞬後という未来の時制に起こり、動作遂行の結果を示す時間軸の特定、かつ無限小の不動の一点は未来にあるということを意味する。動作の終了が発話の早くて一瞬後であるため、今というような副詞を除き、具体的な時の状況語と共には使われないことが多い。また近接未来完了には動作結果表出の想定というニュアンスがあり、それは動作が始まって終わるという動作の全一性の後で、何らかの結果の存続(そこにそのままいるとか、結果の良否などの主観的ニュアンス)が発話の時点で想定されるという意味であり、完了体過去形の結果の存続や結果の評価と対比される。不完了体未来形は未来の時制の動作事実の有無の確認はするが、動作の完遂には言及しない。

(しばらく待ちます)Я пока подожду. <пока = некоторое время с настоящего моментаということで、今この瞬間から待つという動作が始

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●第146回

(国家院にはこれからたびたび来られることになりますか?)Вы часто будете приходить в Думу?
(〔これから〕レート表を全ての当行のコルレス銀行に毎月送付します)Мы будем ежемесячно рассылать наш курсовой бюллетень всем нашим корреспондентам.
(私はここにときたま来ることになるよ)Я буду здесь иногда бывать.
(泣き騒げば、殴るぞ)Будешь реветь - буду бить.
(死ぬほどペテルブルグを離れたくないということは分かる。いずれにせよ、便の合間にここに来ることになるんだぜ)Я же вижу, что тебе до смерти не хочется покидать Питер. А так между рейсами будешь бывать здесь.

「~できる」という意味のмочьは未来の時制では使えないし、смочь「~できるようになる」は規則的反復を示せないので、бытьの未来形 + в состоянии + 不完了体動詞不定形「~できるようになっている」を使って、未来の時制での規則的反復や状態を示す事になる。またこの表現はмочьには副動詞がないので、будучи в состоянииと副動詞代わりにも使える。6-2-5-2項の例文も参照願う。

(手術がうまくいけば、少年は臭いもかげるし、鼻で息をすることができるようになる)Если операция пройдёт успешно, подросток будет в состоянии чувствовать запахи и дышать через нос.

4-1-5未来の時制の不定人称文

 不完了体動詞未来形三人称を使っての不定人称文でも、動作主(不定の人であって、事物ではない)を明示しなくてすむ。用法的にはся動詞と同じだが、不定人称文は現在の時制では受け身の代わりとして広く用いられるのに対し、未来の時制での使用は、ся動詞に比べるとそれほど多くない。これは未来というものが基本的に不確定であるのに、ся動詞と違って、主語を明示しないという用法が不確定さを増すからだと思われる。9-4項参照。

(お迎え〔の方〕がいらっしゃいますか?)Вас будут встречать? <動作事実の有無の確認なので不完了体動詞未来形が来ている>
(わが市にも繊維コンビナートが建設される)В нашем городе будут строить текстильный комбинат.

4-1-6 ся動詞の不完了体動詞未来形の用法

 ся動詞の不完了体動詞未来形も動作主を明示しない場合に使えるが、状態ではなく、動作やその過程のニュアンスが出てくるときや、動作の規則的反復や、文の焦点が動詞に来ない場合に用いる。この用法は日常会話ではあまり聞かないが、ビジネスなどの交渉ごとでは頻出する。なぜかというと、動作主を明示するという事は、責任(ビジネスで言えば金の支払)に直結するからである。一人称は当然のこと、二人称でも相手の責任をあからさまに云々するようなことは無作法とされているから、動作主を明示しない三人称が好まれるわけである。通訳を目指す人はこの用法と、それに関連して、受け身で使える複合動詞(8-3項参照)をマスターすることが望ましい。
ただ同じビジネス関係でも、プレゼンテーションの通訳となると、一人称複数であるмы(弊社、当社)を使って文を作るように勧められる。つまり肯定的な事、つまり自社をアピールすることなら、逆に動作主を明示する必要があるという事になる。またクレーム(損害賠償)の交渉でも、相手の非を明らかにし、自社の責任がないことや、あってもそれを軽減するという事で、一人称とニ人称の主語を明確に表現しなければならない

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●第145回

 この他、意向の意味で使える動詞群に含まれるのは、задумать/задумывать、замыслить/замышлять、иметь намерение、намылиться(俗語的用法)、подумывать、помыслить、 приготовиться/приготовляться、ладить(口語的)、предполагать(口語的)、расположиться/располагаться(廃用だが、19世紀の小説を読むには理解しておいた方がよい)、рассчитывать, склонён считатьがある。

(この原稿を出版するつもりはない)Я не предполагаю печатать эту рукопись.

この他に、不完了体動詞未来形による動作事実の有無の確認の用法で「~するつもりである」と似たようなニュアンスが出せる場合があるが、語義に経過の意味がなければならない。不完了体は一般的に動作の開始や終了を示す事ができないからである。

(明日のご予定は?)- Какие у вас планы на завтра?
(部屋の掃除でもします〔するつもりです〕)- Будем (Собираемся) убирать комнату? <動作事実の有無の確認と意向の動詞が意味的に近く感じられる用法>
(前からこの件について君と話しをするつもりでした)Я давно собирался поговорить с тобой об этом.

 собираться, намерен, намереватьсяなどは、上のような不完了体動詞不定形も取れるし、叙想語だから、後に完了体動詞不定形を取って、具体的な1回の動作も示す事ができるというか、その方が自然である。ところが動作事実の有無の確認の用法での不完了体動詞未来形はそれができない。

(今日イワンのところにお立ち寄りになりますか)Вы будете заходить сегодня к Ивану? <заходитьはちょっとの期間ненадолго立ち寄るという意味で、動作の経過のニュアンスがある>
(今日奨学金をもらうのかい?)Сегодня ты будешь получать стипендию? <奨学金をもらうためには窓口などで手続きが要るので、それに時間がかかるという経過のニュアンスがある>

4-1-3-3 願望の意味の動詞群

 願望の動詞も、意向の動詞も会話では意味が変わらないことが多い。

(何をお飲みになりますか?)Что вы хотите выпить?

 このような用法では、一般的にхотеть + 完了体動詞不定形が文体的にニュートラルとされ、不完了体動詞未来形(бытьの未来形 + 不完了体)は口語的とされる。またサービス業の人が客に対しては、желать + 完了体動詞不定形を使うのが一般的で、これは商人的文体とされる。

(お昼はお部屋のほうにご注文なさいますか?)Желаете ли вы заказать обед в номер?
(ご朝食には何をお召し上がりになりますか?)Что вы желаете на завтрак?
(何をお召し上がりになりますか?)Что вы будете есть?

4-1-4 未来の規則的反復 → 不完了体動詞未来形

 未来の規則的反復には不完了体動詞未来形が使われる。

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●第144回

 ところが否定の完了体動詞過去形не собрался(не собралась, не собралось, не собрались)では「~しようとしていたが、しなかった」という意味になる。

(彼は新しいテレビを買おうとしていたが、結局買わなかった)Он так и не собрался купить новый телевизор.

 また完了体動詞未来形を否定すると、不可能の意味が出る。

(もう1週間ボタンを縫い付けようとしているんだけど、だめだ〔できない〕)Никак не соберусь пришить пуговицу – уже неделю собираюсь.

ロ) намерен(а, о, и)/намереваться

 намерен(а, о, и) とнамереватьсяは同義語だが、намерен(а, о, и) は現在形でよく使われ、намереватьсяは過去形で使われる場合が多いようだ。これはнамерен(а, о,и) だとбытьの過去形を付け加えるのが面倒だという事があるのかもしれない。намереватьсяはнамеревал(а, о, и)ся(сь) とすればいいだけで、楽だからだろう。намерен(а, о, и)/намереватьсяはсобиратьсяと違って、「留学するつもりだ」などの重要な決定を下す場面で使われ、「散歩するつもりだ」などというような日常的な場合には、普通は使わない。намерен, намереватьсяとも否定文で使われることは稀である。
 また、厳密に言えばнамереваться に対応する完了体はないとはいえ、意味が近い完了体であるвознамериться + 不定形は「~する気になり始める」があり、始発のニュアンスがある。

(彼はハンカチを元に押し込もうとしたが、マーシャはそれを取り上げた)Он и тоже вознамерился сунуть платок обратно, но Маша его отняла. <完了体動詞過去形の順次的用法であり、動作が次々と行われたことを示すために、両方の動詞ともに完了体である必要があるためвознамерилсяが用いられている>
(やつはたった1日だけとどまるつもりだ)Он намерен оставаться всего лишь сутки. <期間があるので不定形は不完了体となっている>
(当地にどのくらい滞在なさるおつもりですか?)Сколько дней вы намереваетесь пробыть здесь?

ハ) думать

 думатьは自発的な個人の決定に使われ、主語は機関ではなく、人間(個人)である。

(そこに行くつもりだが、行けるかどうか分からない)Думаю поехать туда, но не знаю, получится ли.

 上記の文のように、думатьは最終的に決定が下されないときにでも使える。намерен/намереватьсяはこの意味では使えない。それゆえдуматьは意向の意味では否定文と相性がよくない。дажеやиなど強調の意味の助詞と一緒に使うなどの強意の否定文で使えるのみである。

ニ) планировать

 планироватьは長期にわたる予定に使われ、計画に関係する。

(休暇は冬に行くつもりです)Я планирую уйти в отпуск зимой.

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●第143回

用法では、主観的ニュアンスを示す叙想語の一つである。собираться = иметь намерение(意向を持っている)ということであり、意向の動詞は、擬人法を除き、主語は人か、人が関わる機関である。намерен(а, о, и)は遂行的用法の述語であり、他は遂行動詞である。これらの類義語を使う場合は、これらは後に不定形を取るので、具体的1回の行為には完了体を、規則的反復には不完了体を用いると覚えておけばよい。否定文の場合は動作が起こらないという事で不完了体動詞不定形が来る。この中ではсобиратьсяが使える範囲が広いので、これを使う事を勧める。

イ) собираться

собраться/собиратьсяは「どこかへ出かける支度をする」とか「出発するつもりである」というのが原義だが、ここから発展して出発のみならず、動作の意向の意味になったと思われる。собиратьсяの後に来る不定形は、具体的な1回の動作には完了体動詞不定形を、もうそろそろというニュアンスの促しや切迫感、反復、ある程度の期間、を考慮するような動作、動作の否定には不完了体動詞不定形が来る。6-1-1項参照。

(塗料を御注文なさるおつもりですか?)Вы собираетесь заказать краски?
(だって彼らは殺すつもりはない、脅かすだけだ)Ведь не убивать они собираются, а пугать.
(そろそろ帰るつもり。とにかくもう9時だもの)Собираюсь уходить. Уже девять часов вообще-то. <切迫感を示す不完了体動詞不定形>
(もうそろそろ帰ろうとした矢先、二人の女子学生が再び私に近寄って来た)Когда я уже собирался уходить, две студентки снова подошли ко мне. <уходитьは切迫感の不定法>
(何をなさるおつもりですか?)Что вы собираетесь делать? <делатьと不完了体なのは不定法の動作事実の有無の確認という用法であり、不完了体の漠然とした感じがよく出ている。сделатьも可能だが、これだと具体的動作が話し手の頭にあることになる。6-1-6項を参照>
(そこで何が起ころうと、遅れるつもりはない)Что бы там ни было, опаздывать я не собираюсь.
(殺られるつもりはない)А погибать я не собираюсь. <не собиратьсяの後に来る不定形は動作自体を否定するので不完了体が来る。また文末におくне собираюсьは動作の否定の強調である>

完了体のсобратьсяは不完了体のсобиратьсяと違い、「前は~するつもりはなかったが、今は~するつもりである(急にその気になる)」という意味と、「長い事~するつもりだったが、ついにした」という完了体であるが故の主観的ニュアンスがある。次の文が前者の例である。

(それとも気が変わって辞める気にでもなったのか?)Или увольняться собралась? <切迫感の意味で不完了体動詞不定形が来る>

 次の文は両方の体が使えるが、完了体の方は、「長い事~するつもりだったが、ついにした」という例であり、ずっと電話しようと思っていたというニュアンスがあるが、不完了体にはそのようなニュアンスはなく、~つもりだったという意向の意味だけである。

(ちょうどお電話を差し上げようと思っておりました)А я как раз собрался (собирался) вам звонить!
(申し訳ありません。ようやく今お電話できました。忙しかったので)Извините, что только сейчас собрался вам позвонить, был очень занят.
(しようと思っていたことを彼女はした)Она сделала, как собиралась.

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●第142回

の動作に使える。

(私たちにはさらに多くの交渉が待ち受けている)Нам предстоит ещё много переговоров.
(今日私たちは支払手順についての重要な問題を話し合う事になっています)Сегодня нам предстоит обсудить очень важный вопрос о порядке платежей.
(今日の天気はどうなりますか?)Какая ожидается погода сегодня?
(私はどうなるのだ?)Что ждёт меня? <= Что будет со мной? であり、このことからждатьが語義によっては予定の用法で使えることが分かる>
(明日センターで人を待たせておきます)Завтра вас ждут в Центре.

「~の恐れがある」という悪い事態を想定する場合には、主語は3人称しか来ないугрожать (грозить) + 与格(意味上の主語)が使える。

(その会社は倒産の恐れがある)Фирме угрожает банкротство.

4-1-3 意向

 不完了体未来形の意向の用法については4-1-1-2項でも触れた。

(何をお飲みになりますか?)Что будете пить?

上記の文は以降の用法というよりは、動作事実の有無の確認の用法であり、場を無視したものではない。喫茶店に入って、ウェーターや一緒にいる人からの問いかけと理解するのが普通で、喫茶店に入れば、何か飲み物を注文するのが当然だという暗黙の了解があるからである。つまり、不完了体未来形というのは、場依存性(文脈依存性)があるため、場独立型の(場を無視するというよりは、始めから場を考慮しない)ような新規の具体的1回の動作には使えないことになる。そのときは次項で説明するсобираться, намеренなどの叙想語を使うか、動作が遂行されることが明らかならば、「~するつもり」に惑わされずに完了体未来形を使うべきである。

4-1-3-1 「~するつもりです、~します」の内訳

 「~するつもりです、~します」という構文をロシア語にする場合、この構文の日本語には、願望(~したい)、決意(決心)、意向(予定)がある。それに合わせてロシア語を選ぶ必要がある。
 「~します」というのは、本来自発的な意志であり、回りの雰囲気に合わせるものではないから、完了体動詞未来形が来るのが普通だが、予定とか、回りの雰囲気に合わせての意向ということなら、4-1-1-1項の動作事実の有無の確認のように不完了体動詞未来形でも示せることがある。この場合は「~するつもりである」とは言っても、不完了体の持つ動作事実の有無の確認から派生して、その動作が終了するかどうかは分からないというニュアンスがある。それ以外にも4-1-4項の意向の規則的反復のような場合もある。だから、動作の実現を強くイメージする(つまりは主観的な)という意向の意味では、主観的な意味を示すということから叙想語であるсобираться + 不定形などを用いた方が誤解が少ない。このсобиратьсяは遂行動詞や状態動詞でもあるので、現在の時制では不完了体動詞現在形が来る。

4-1-3-2 意向の動詞の使い分け

 собираться, намереваться, намерен(а, о, и), думать, планироватьは意向の

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●第141回

отсюда сегодня свадьба.
(月曜から私休暇です)А с понедельника я в отпуске.
(明日は二人とも早起きだ)Завтра у нас обоих ранний подъём.
(5分動くなよ、さもないとお陀仏だからな)Пять минут не двигаться! А то – покойник.
(明日お忙しくなければ、お伺いしたいのですが)Если вы завтра не заняты, я хотел бы вас навестить.
(明日お閑でしたら、市内観光に連れて行っていただけませんか?)Если вы свободны завтра, не смогли бы вы сопроводить меня на экскурсию по городу?

 上の文のсвободныは、「その時間は〔今現在の時点から見て、スケジュール的に〕仕事などで塞がっていない」という意味なので、その時間が明日であってもбытьの未来形を含む未来の時制は取らないことが多い。бытьの未来形が来ても間違いではないが、非常に硬い感じがする。同様なことはзанятыにも言えるし、завтраもこのような予定の用法が多い。

(5分後に開始だ)Через пять минут начало.
(誰かが私の事を尋ねてきたら、私はレストランにいますから)Если меня будут спрашивать, я в ресторане. <近接未来の予定>
(競技の開始はいつですか?)Когда начало соревнований?
(会議の開会式〔閉会式〕はいつですか?)Когда открытие (закрытие) конференции?
(会議参加者歓迎レセプションは何時ですか?)В котором часу приём в честь участников конференции?
(今年の休暇はいつですか?)Когда у вас отпуск в этом году?
(出航はいつですか?)Когда отплытие?
(ここでは朝食はいつ、どこでですか?)Где и когда у вас завтрак?

 上の二つ文の場合は規則的反復のニュアンスも当然あるし、下記のように反復の意味がはっきりしている場合もある。

(昼休みは何時ですか?)В какое время перерыв на обед?

 いずれにせよ、この構文では動作の開始を示すначалоのような(動)名詞が来ないと予定の意味では使えない。こういう始発の名詞が予定の用法を持つ動詞の代わりをしているとも言える。これは予定の用法を持つ動詞自体が動作の開始の意味が、程度の多寡はあれ語義に含まれているのと同じと言える。始発の名詞がなければбытьの未来形をつけることになる。

(会議はいつですか?)Когда будет заседание?

4-1-2-6 予想を示す動詞

предстоять (ожидаться) は不完了体の状態動詞であるが、語義に動作の予想が含まれているため、現在の時制で未来を示す時の状況語と共にも使われる。これは未来での動作を現在の時点で予想するという意味だからである。これらの動詞は叙想語であり、主語が三人称でのみ用いられ、具体的な1回の動作の場合は完了体動詞不定形が続く。предстоятьは名詞との組み合わせで、「(未来において)~が待ちうけている、(未来において)~となるのが明らかだ」という意味と、無人称動詞としての用法もあり、不定形と共に、「(未来において)~することになっている、~しなければならない」という予想の意味がある。この場合、意味上の主語は与格を取る。また同じ状態動詞であるждатьも語義に動作への期待のニュアンスがあるときには、предстоять, ожидатьсяのように現在の時制で未来

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●第140回

本質に沿った文脈においてという事が分かる。また文脈によっては「いつもどのようなワインを飲んでいますか?」という反復の意味にとれないこともない。このような近接未来の場合には使えるという意味なので、その点をよくご理解いただきたい。近接未来で使える予定の用法の例を挙げる。

(明日歴史の試験を受けるんです)Завтра я сдаю экзамен по истории.
(両親がびっくり仰天したことに、彼は大学をやめると宣言した)К ужасу родителй он заявил, что бросает институт.
(〔アナウンスなどで〕当列車は2分停車いたします)Поезд стоит две минуты! <стоятьは〔立っている〕という状態の意味ではなくて、これからпрекратить движение〔動きを止める〕という動作を示している>

4-1-2-4 例外的用法

 приходить/приезжатьなどпри-という接頭辞のついた運動の動詞については、元々過程(進行形)の意味では使えない動詞だから、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)は作れないという考え方もできるが、ムラヴィヨーヴァМуравьёва先生のVerbs of motion in Russian, Русский язык, 1975の184ページにприходит = собирается прийтиと説明があり、下記のような用例もある。

(兄が家族連れでうちに来るんだ。朝兄からそれについて連絡があった)Ко мне приезжает мой старший брат с семьёй. Он утром сообщил мне об этом.
「いつ飛行機で着くの?」- Когда ты прилетаешь?
「土曜よ」- В субботу. <マリーニナА. Марининаの «神々が笑う時Когда боги смеются» にある例>
(明日来るよ)Я прихожу завтра. <A grammer of aspect, Forsyth>

 даватьは過程の意味では使えないから、過程の用法から発展したと考えられる予定の用法には使えないと考えてもよいが、下記の例のように予定の意味で使われるものもある。これはこの動詞に動作開始の意味があるから、その類推で予定の意味に使われるようになったのかもしれないし、複合動詞(8-3項参照)としてなら、予定の意味で使えるという事なのかもしれない。

(誰が宣誓をするのですか?)Кто даёт присягу?
(値引きして〔保証をつけて〕くれますか?)Даёте ли вы скидку (гарантию)?
(以下にモスクワの個人アパートの普通の部屋について内容を説明します)Ниже я даю описание обыкновенной комнаты в московской частной квартире.

4-1-2-5 現在の時制における動詞бытьと予定の用法

 動詞бытьの現在形(通常は省略される)を使って、予定の意味を示すことが出来る。状態動詞は予定の用法(近接未来ближайшее будущее〔発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来〕)では使えないが、бытьが「到着する」、主語が三人称のみの「起こる、現れる」という動作の意味になるときは、3-1-6-1項にあるように完了体的用法としてそれが可能となる。状態動詞の現在形で未来を示す状況語と共に使えるのは、本項の他には4-1-2-6項の予想を示す動詞群である。これ以外の時制の転用については9-1項参照のこと。

(ここから5キロのところで今日結婚式がある)За пять километров

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●第139回

дирижировать(指揮する)、ехать*(乗り物で行く)、ждать(待つ)、забирать(取り上げる)、завтракать(朝食を取る)、заказывать(注文する)、заканчиваться(終わる)、заниматься(従事する)、запрещать(ся)(禁止する、される)、играть(遊ぶ)、идти*(歩いて行く)、излагать(述べる)、изменять(変える)、исполняться(満~歳になる)、истекать(経過する)、кататься(スキーやスケートで滑る)、кончать(終える)、кончаться(終わる)、кутить(豪遊する)、лететь*(飛ぶ)、метать(掃く)、направлять свой путь(足を伸ばす、行く)、начинать(始める)、начинаться(始まる)、нести*(手で運ぶ)、обедать(昼食を取る)、опаздывать(遅れる)、опускать(下ろす)、оставаться(残る)、останавливать(ся)(止める、止まる)、откладываться(延期する)、открываться(開店する)、отменять(ся)(中止とする、になる)、отплывать#(船で出発する)、отправляться(出発する)、отсутствовать(欠席する)、отходить#(バス、汽車、船で出発する)、отчаливать(出かける)、отъезжать#(車で出発する)、переезжать(引越しする)、передавать(放送する、よろしくと伝える)、переходить(歩いて渡る)、петь(歌う)、пировать(宴会をする)、пить(飲む)、плыть*(泳ぐ)、подавать(バレーボールのサーブをする、裁判に訴える)、поднимать(上げる)、подчинять(従わせる)、покидать(離れる)、получать(受け取る)、поступать(行動する)、посылать(送る)、председательствовать(議長をする)、прекращать(止めさせる)、прибывать#(船、汽車で到着する)、признавать(認める)、применять(用いる)、приступать(取りかかる)、приходить#(主に船で到着する)、приезжать(車などで到着する)、прилетать(飛行機で到着する)、проводить(行う)、проводиться(行われる)、продаваться(売られる)、произносить клятву(宣誓する)、проходить(行われる)、разводиться(離婚する)、разыгрывать(行われる)、расстрелять(銃殺する)、руководить(指導する)、сдавать(「試験を受ける」という意味のみ)、следовать(列車が~へ向かう)、совершать(遂行する)、соревноваться(競争する)、стартовать(スタートする)、стоять(停車するという意味で)、судить(審判をする)、считать(数える)、толкать(押す)、танцевать(踊る)、тренироваться(トレーニングする)、удаляться(退場となる)、уезжать(飛行機や車で去る)、ужинать(夕食を取る)、улетать(飛行機で去る)、устанавливаться(定める)、уходить(歩いて去る)、участвовать (принимать участие)(参加する)、фехтовать(フェンシングする)が現在形で予定を示す。
 予定の用法は、1年後であっても予定に入っているという事であれば使えるが、それはここに挙げた全ての動詞ではなく、使用例を見る限り、ехать(車で行く)、лететь(飛行機で行く)、уезжать(乗り物で去る)ぐらいである。またビジネスでの出張は飛行機が基本であり、そのため陸路や水路を使う(飛行機の使えない)ехатьよりは、уезжатьが多用されることになる。このような比較的遠い未来ではそれほど使われないというのは、この用法が過程の意味から発達してきたと推測される事を考えると理解できよう。

4-1-2-3 近接未来における予定の用法

 питьを予定の意味でも使えると書いたが、あくまでも近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)の文脈でのみである。питьが予定の意味で広く使えるという意味ではない。

(ワインは何になさいますか?)Какое вино вы пьёте?

 上の文を会話で予定の意味で使うときには、当然その前に「ワインが飲みたい」というような会話がなされていることが前提である。その証拠にвы пьётеを省略しても、そういう会話が前になされていれば、意味は通じる。つまり刺身のつまのような、その場雰囲気に合わせた様な不完了体の

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●第138回

начинает.
(雇わないというなら、それも結構)Не берут на работу – не надо!

4-1-2-1 予定の用法の特性

 予定の用法で重要なのは、明示されているかどうかにかかわらず、未来における時を示す状況語が文の焦点であるということである。これがなければ形式上、現在の時制の過程の用法と区別できない。完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないが、この場合不完了体は時を示す状況語を示すだけで、動作については特に意識しないという違いがある。この用法は元々が過程の用法から発展してきたものと考えられ、未来進行形とでも呼べるもので、未来への動作が今行われている動作から連続するという意識があるときに使われる。予定を組むというのは話し手にとって、主観的動作ではあるが、一旦予定が組まれてしまえば、それは主観的動作ではなくなり、惰性的な動作でもあるゆえに、不完了体が用いられるとも考えられる。つまり予定は未定であり、決定ではない動作のゆえに完了体は用いられないとも言える。
形式が不完了体動詞現在形なので、より一般的な規則的反復の用法と紛らわしい。この予定の意味で使うためには未来であることを示す状況語か、前後の文脈で動作が直近の未来に関係するのだという前提が必要である。現実的には不完了体動詞未来形の使用に対して制限のある運動の動詞とか、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)の動作で、起こって当然という場合に使われることが多く、それ以外では、直近の未来でない場合は不完了体動詞未来形が、主観的ニュアンスのある場合は完了体動詞未来形が用いられる。
 予定という用法は、意志を無視するというのではないが、意志を念頭に置かない。これは決められた線路の上を、先に先にと走る電車と同じだと考えればよい。話し手にとって表現しようという動作が新規の事柄だという意識はない事になる。もし文脈においてまったく別の事柄(新規の事柄)だという意識があれば、完了体動詞未来形を使う事になる。予定の用法に使われる動詞には、動作の開始の意味が程度の多寡はあれ語義に含まれている。つまり動作の開始を示す不完了体の動詞「~する」なら、下記に挙げる動詞の他にもこの用法が文脈によって使える可能性があると言える。逆に言えば、この用法で使えないのは、状態動詞、反復の動詞(多回動詞を含む)、遂行動詞(запрещаться〔禁止する〕を除く)など過程の意味で使えない動詞ということだが、多義の動詞は語義によっては使える場合がある。これは先に述べたように、この用法が過程の意味から発展したと思われるからである。

4-1-2-2 予定の用法が使える動詞

 予定と言っても近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)の動作に関して使われるものがほとんどである。現在確認されている予定の用法が使える動詞群を下記に示すが、これらの動詞は完了体の役割である新しい事態や情報が出てきたことを強調するのでなければ、近接未来の予定の意味で使えるという意味である。定動詞のうち8つは*で表示し、アナウンスなど公的な場で使われる動詞は#で表示した。

аккомпанировать(伴奏する)、бежать*(走る)、бить(殴る)、брать(取る)、везти*(車で運ぶ)、вести*(連れて行く)、взрывать(爆破する)、возвращаться(戻る)、вставать(起きる)、встречать(出迎える)、встречаться(会う)、выводить(引き会わす)、выезжать(車で出動する)、вылетать#(飛行機で出発する)、выписываться(退院する)、выполнять(遂行する)、выступать(発言する、出演する、進発する)、выходить(降りる)、гулять(散歩する)、давать банкет(午餐会を催す)、давать присягу(宣誓する)、

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●第137回

了体現在形を用いる。一方不完了体未来形は現在とはつながりのないと話し手の考える未来の時制における動作事実の有無の確認(4-1-1-1項参照)に使われるのが普通である。
予定の用法に不完了体現在形を用いるのだから、これは厳密に言えば時制の転用である。用いられているのが不完了体のため、回りの空気を読むような動作であり、動作事実の有無の確認でもある。新しい事態や新規の情報が出てきた場合は完了体動詞未来形を使う。状態動詞は予定の用法では使わない。動詞бытьの現在の時制で完遂的用法として使える場合があるが、それは完了体としての用法であって、状態動詞としての用法ではない。3-1-6項参照。
 不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージしないために、不完了体は時間を示す状況語との相性が悪い。それゆえ不完了体動詞現在形の予定の用法を示す次のような文は一見例外のように見える。

(彼は来月外国に行くことになっている)Он уезжает за границу в следующем месяце.
(彼は明日来ることになっている)Он приходит завтра.

 しかし、2-2-1-2項で示したように不完了体動詞過去形でも、踏み台(みなし反復)のように予め場を設定しておけば、時間を示す状況語との共存も可能であることを考えると、予定の用法というのは、あたかも予定表に書き込まれたように、既知の動作をなぞるとか、動作事実の有無の確認という代動詞(動作の反復の意味合いもある)のような用法であり、新規の動作ではない。もともとの予定表に時間を示す状況語があるとイメージされているがゆえに、このような文は可能であることになる。この仮想の予定表が踏み台(みなし反復)に相当するのである。最初の文の示すのは、外国へは徒歩や飛行機ではなく、何らかの移動手段で行くということと、それが予定にあるように来月だということであり、二つ目の文は徒歩で明日だということである。
その他に考えられるのは、時の状況語を時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)というよりは期間とみて、来月は来月でも(明日は明日でも)、「来月中(明日中)」という意味ということになる。ムラヴィヨーヴァЛ. Муравьёва先生はприходит, уходит, выходит, переходит, переезжает = собирается прийти, уйти, выйти, перейти, переехатьであるとしているので、予定の意味の場合、形式が現在の時制なので対応する完了体が使えないということでの代用(精確に言えば完了体不定形が要素として組み込まれている)ということで、特定かつ不動の一点(到達点)を示す時の状況と共に用いられても問題ないのかもしれない。完了体の次の文と比較願う。

(その汽車は9時に到着する)Поезд придёт в 9 часов. <完遂的用法>

予定の用法は人に関わる動作を扱い、偶発性(事故、渋滞、事件)に関わる動作や主観的に行う具体的動作とは相容れないと考えてよい。забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)は、スローモーションなどの特殊な文脈を除いては、過程を示す事はなく、偶発性に関係する動詞群であり、これらの完了体は主観的な動作を扱うが、これらの動詞の不完了体は主として反復か動作事実の有無の確認に用いられると考えてよい。
予定の用法は次のように否定文でも使える。

(本日より警報時商売も交通も中断されることはない)С сегодняшнего дня торговля и автодвижение во время тревоги не прекращаются.
(彼は12月前に開講することはない)Он раньше декабря лекций не

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●第136回

пленарной сессии.

次の文のように、動詞ではなく、補語である「ロシア語で」に焦点が来ているような場合には、不完了体動詞未来形(бытьの未来形 + 不完了体)が用いられる。

(報告はロシア語でします)Я буду делать доклад на русском языке.

時間の長さをイメージするような動作でも不完了体動詞未来形となる。完了体動詞未来形が動作を「すぐ~やってのける」というイメージがあるのに反し、不完了体動詞未来形はこれまでの動作や行為の延長上にあると思われるような動作、また時間的には一拍おいた感じか、期限が明示されないような場合に使われると考えればよい。обедать, заказыватьも上記のように3つの使い分けが可能である。
 しかしучаствовать(参加する)のように対応する完了体のない動詞もある。この動詞は近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)の場合、文脈によっては現在形で、次のように予定の意味で使える。

(このチームは初めてオリンピックに参加します)Эта команда впервые участвует в Олимпийских играх.

しかし、未来の時制の場合は、次の文のように動詞бытьの未来形との組み合わせが多い。それは動作事実の有無の確認で使う事が多いからである。

(この会議に参加なさいますか?)Вы будете участвовать в этом заседании?

участвоватьを出だしの文などで、どうしても新しい情報という事を強調したいという場合は、同義語の完了体を用いるしかない。

(セミナーに参加します)Приму участие в семинарах.

この他に少し意味は変わるが、次のように完了体動詞未来形も使える。

(ちょっとゼミに参加します)Поучаствую в семинарах.

語義の関係上、完了体と不完了体が同程度に使われる動詞というのは少ない。どちらかがメインで使われる場合が多いし、上に挙げたようにほぼ不完了体しか使わないもの、完了体しか使わない動詞(例えば4-1-1-4項の瞬間動作動詞など)もある。そう考えれば、動詞によって、又その語義によって、未来の時制で使われる用法というのも、ある程度決まってくるという事になる。

4-1-2 予定の用法 → 不完了体動詞現在形

 予定の用法というのは概ね動作動詞の不完了体現在形が用いられるが、これは予定の用法が現在の時制から見ての予定であるがゆえに現在の時制に拘束され、場依存型であるからである。
 予定предстояниеの用法「~する、~するところだ、~することになっている、~しようとしている」は理屈で考えれば未来進行形であり、不完了体未来形で示すはずのものであるが、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)やその場の状況下で実現の可能性が非常に高い未来において、既存の動作の延長上にある動作の継続が意識され、話し手により確定した事実とみなされるため、不完

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2020年02月02日

●第135回

(左に曲がれば、駅が見えますよ)Если вы повернёте налево, то увидите станцию.
(お帰りになる時は、明りを消して下さい)Когда будете уходить, погасите свет.

 上の文は1回の動作を示しているが、次の文は未来の規則的反復を示す。

(お帰りの時はいつも明りを消して下さい)Всегда, когда будете уходить, гасите свет.

у-と言う接頭辞のついた運動の動詞は1回の動作も、反復の動作も扱えるので問題ないが、при-という接頭辞のついた不完了体の運動の動詞は規則的反復しか示せない。

(授業に来る時は、本を持って来てください)Когда будете приходить на занятия, приносите с собой книги.

上の文のように主節も従属節も反復の文となり、具体的な1回の動作を示すには、приноситеをвозьмитеなどと動詞を換える必要がある。このбудетеを取って、приходитеとしても意味は変わらない。未来の規則的反復か、現在の規則的反復かということは、5-1-6項にあるように、実際の文では区別しないことが多いからである。ただ次のような現在における反復の文では、不完了体動詞現在形が用いられる。

(もし膜が破れたらどんな措置をとりますか?)Какие принимаются меры, если лопается мембрана?

4-1-1-10 完了体動詞未来形、不完了体動詞現在形、不完了体動詞未来形の使い分け

 意味やニュアンスが体の用法を決めるわけだから、話し手(通訳、ガイド)が、新しい情報を提示するのだという意識があれば、完了体動詞未来形を使うだろうし、動作が予定の行動であるという認識なら、使える動詞は限られているが、予定の意味の不完了体動詞現在形を使うだろう。また単に動作がこれから起こるかどうか知りたいという動作事実の有無の確認である疑問文や、回りの雰囲気に合わせてということなら不完了体動詞未来形を使うという事になる。
 例えば、「報告(講演)するделать/сделать доклад」という動詞を未来の時制で使うとすると、複合動詞(8-3項参照)のделатьは、珍しいことに完了体動詞未来形、不完了体動詞現在形、不完了体動詞未来形の3つが使える。他の動詞では完了体動詞未来形か不完了体動詞未来形の二つのうちいずれかが多く、動詞によっては語義の関係上、完了体動詞未来形、ないしは不完了体動詞未来形のどちらだけかを使うのが多いというのもある。未来の時制で和文露訳をする場合、どちらを使うか悩むところだが、単一の動作を意味し、新しい話題の提示ということであれば完了体動詞未来形を用いるのが普通である。ゆえに、出だしの文であれば、次のように完了体動詞未来形を使う。

(戦車について報告します)Я сделаю доклад о танках.

はっきり動作の延長上にあると確信できるなら、使える動詞は限られているとはいえ、予定という意味で、次のように不完了体動詞現在形を使う事になる。

(本会議で報告します〔することになっています〕)Я делаю доклад на

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●第134回

完了体の機能の一つで命令法に現れやすいが、未来の時制でも示すことができる。一人称の場合は動作の促しから派生して意志のニュアンスが出やすい。促しといっても、新たな事態や情報が出てくる場合ではなく、状況に身をゆだねた形での促しである。

(じゃあそろそろ集会を始めましょう)Ну, будем начинать собрание!
(そう願いたいものです)Будем надеяться!
(その辞典は近日発売される)Словарь будет продаваться в ближайшие дни.
(問題を出します)Я буду задавать вопросы.
(来月エニセイ川に水力発電所を建設します)В следующем месяце мы будем строить ГЭС на Энисее.
(腫瘍を切除します)Я буду удалять опухоль.
(いただきます)Я буду есть. <これは挨拶表現ではなく、「これから食べます」という意味>

4-1-1-9 если, когдаと未来進行形

 когдаやесли以下の従属節に不完了体動詞未来形が、主節に完了体動詞が来る時は、従属節に未来の過程(経過)の意味が出てくるし、二つの動作が何ら拘束し合わずに、時間的に共存する動作を示すことができるので広く使われる用法である。未来における規則的反復については5-1-6項も参照願う。

(映画館のそばを通る時に、明日の切符を買いましょう)Когда мы будем идти мимо кинотеатра, мы купим билеты на завтра.
(貯水池のそばを車で通る時に、一休みするのに素晴らしい場所を教えてあげますよ)Когда мы будем ехать мимо водохранилища, я покажу вам прекрасное место для отдыха.
(帰るときは、ガスを消して下さい)Когда вы будете уходить, выключите газ.
(その専門家の病気の期間が60日以上となる場合には、その専門家を交代させる措置を取ります)В случае, если период болезни специалиста будет длиться более 60 дней, мы примем меры по замене данного специалиста.
(もしこの方法を使うのが初めてなら、CDをドライブに入れなさい)Если будете использовать это средство впервые, вставьте компакт-диск в привод.

 これに対して、если以下の従属節にも、主節にも完了体動詞未来形が来る場合を見てみよう。

(もしレバーを右にいっぱい回すと、目盛には緑色が光ります)Если вы повернёте ручку направо до отказа, на шкале вспыхнет зелёный свет.

 上の文ではповернётеという動作が実現してから、вспыхнетという動作が成立することを意味し、しかも最初の動作と次の動作があまり間をおかずに行われるという動作の順次性が示されている。この使い分けは、二つの文の時間的関係である。если, когдаを含む節で次々と動作が起こるのであれば、完了体を続けることになるし、時間的拘束がなければ、不完了体動詞未来形(бытьの未来形 + 不完了体動詞不定形)を従属節に使う事になる。完了体動詞未来形を使うというのは、具体的な動作が起こるという確信があるわけで、動作が起こるかどうか分からないという時には使えず、その場合には不完了体動詞未来形を使う事になる。つまり主節に完了体動詞未来形が来る場合は、例示的用法および順次的用法であり、4-2-3項を参照願う。この動作が起こるかどうか分からないというのであれば、それが動作事実の有無の確認につながるのである。

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●第132回


(お願いすることで私は彼をわずらわしはしない)Я не буду обременять его своей просьбой. <今後依頼することはない>
Я не обременю (↘)его своей просьбой. <降下型イントネーションの位置が動詞の後ならお願いはするが、それは負担になるようなお願いではない。通常の平叙文のように語末でイントネーションが降下すれば、不完了体未来形と意味的には同じであり、ただ文脈により主観的ニュアンスで、否定の強調か不可能のニュアンスがある>

私見だが不完了体未来形の否定は動作事実の無の確認だから、未来において動作は起こらないということがはっきりしている。ところが完了体未来形の否定では、イントネーションの置き方により意味の解釈が異なる場合がある。動詞のすぐ後でイントネーションを下げた場合↘は、完了体の特徴として主観的ニュアンスから動詞に文の焦点が来る。そのため動詞の直後に降下型イントネーションがあれば、ここでいったん意味が切れ、この後のフレーズには否定詞неは関与せず、「お願いはするが、それで彼をわずらわす事はない」となる。一方文末で下げれば、否定詞неは文の内容全体にかかる、つまりお願いはしないという、不完了体未来形に近い意味になる。ただ完了体未来形の否定は、文脈により否定の強調か不可能のニュアンスがあることを忘れてはならない。次の文例も同様である。

(彼はきみに話をして疲れさせることはない)Он не будет утомлять тебя разговором. <今後話をすることはない>
(疲れさせるような話はしない)Он не утомит (↘)тебя разговором. <降下型イントネーションの位置が動詞の後なら話はするが、それは疲れさせるような話ではない。通常の平叙文のように語末でイントネーションが降下すれば、不完了体未来形と意味的には同じである>

 この用法で他動詞は補語に対格を取り、否定生格を取ることはない。

(〔今後〕タオルは洗わない)Я не буду стирать полотенце.
(彼は〔今後〕課題を解かない)Он не будет решать задачу.
(彼は課題を解けない)Он не решит задачу (задачи). <完了体未来形は否定生格を取る可能性もある>

未来の時制の否定文における体の用法というのも難しい。現在の時制であれば、не + 不完了体現在形を使うのが一般的で、これは現在この瞬間において、ゼロの反復も含めて動作がまったくないことを示す。広い意味の現在である、近接未来(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)ならば、не + 完了体未来形を使って近接未来完了の用法(否定の強調、不可能)となる。ややこしいのはне + 完了体未来形には完遂的用法の否定というのがあり、これは未来のある時点における動作の完了を示す未来完了の用法があり、これは文脈により区別するしかない。
また未来の時制の否定文に使われる動作事実の無の確認の用法(не + 不完了体未来形)と近接未来完了の否定文(4-2-1-4項参照)の違いは、動作事実の無の確認の用法は現在と関わりのない、少なくとも現在からは一拍置いた未来の動作を扱っているのに対し、近接未来完了の否定文は現在との結びつきが感じられるという点と、完了体の持つ具体性が感じられるという点である。会話における和文露訳で未来の時制における否定文を扱う際には、動作が現在と続いているという意識があるか、動作の具体性とその結果を意識していれば完了体未来形を、動作が現在から一拍置いた以降の未来であって、具体性をあまり意識しないのであれば不完了体未来形を使うようにすればよい。

(お前には〔今は、ここでは〕言わない)Я не скажу тебе об этом . <広

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●第131回


(許して下さい、二度としませんから)Простите (Извините) меня, я никогда больше не буду так делать.

 上の文は交通違反などをして、警察官に注意されてという文脈(回りの雰囲気や状況によって)で、不完了体動詞未来形の否定が使われている場合である。больше(これ以上)という副詞があるのも、すでに言及された事に対してのという含みがあり、動作に焦点が来ていないことになる。以下の文も同様である。

(もうしませんから)Больше не буду.
(二度は繰り返して言わないからな)Дважды повторять не буду.
(奴を背負う〔だっこして運ぶ〕のはごめんこうむる)Я его нести не буду.
(お前を騙しはしない)Я тебя обманывать не буду.
(お手間〔お時間〕は取らせません)Я не буду отнимать ваше время.
(俺にかまうな。俺もお前には手をださないから)Ты меня не трогай, и я тебя не буду трогать.
(その家族と娘について一言も話しませんよ)Я не буду говорить ни слова об этой семье и девушке. <話さないように頼まれての確認の返事>

2-1-9項の意志の欠如не стал(а, о, и)と同様、未来の時制においてне + статьの未来形は完了体ゆえに動作事実の意識的否定を示し、この意味ではне + бытьの未来形とは異なる。

(結婚を急ぐつもりはない)А я торопиться с женитьбой не стану.
(彼にご馳走を勧めないでください。食べませんから)Не угощайте его, он не станет есть.
(彼の人生は終わりだ。だから彼は〔裁判で〕弁護してもらうつもりはない)Жизнь его окончена и защищаться он не станет.
(だって人を密告するつもりなんかないよ)Ведь не стану же я доносить на других.

 「~するつもりはない」という意識的否定は、4-1-3項の意向の動詞と否定詞の組み合わせでも同じ意味が出せるが、一般的には動作がない以上不完了体動詞不定形が後に来る。

(自分の立場を法廷で変えるつもりはない)Свою позицию на суде я менять не собираюсь. <менять не будуなら「~しないことになる」という動作事実の無の確認の用法>
(殺されるつもりはない)А погибать я не собираюсь.
(パプア人は客になにか害をするつもりなどもともとなかった)Папуасы не намеревались причинить гостю какой-либо вред. <遺憾・不本意というニュアンスがあるので完了体動詞不定形が来る。6-2-6-3項参照>

 не браться + 不完了体不定形は「~しようとは思わない、その任にあらず」ということだが、自分の能力、自信、希望に対する懸念を示す。браться = приниматьсяということで、語義に着手のニュアンスがあるためにначинатьなどと同様不完了体不定形が来るのが普通である。

(それについては判断しかねる)Я не берусь судить об этом.
(事故全体の規模を計算しようと思う人は今のところいない)Общий размер аварии пока никто не берётся подсчитать. <6-2-6-3項のように遺憾のニュアンスがあるので完了体不定形が来ている>

未来の時制における完了体と不完了体が否定文で使われると、その使い分けがよく分からない文も多い。

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●第130回

来形が来ている。
 出だしの「明日モスクワに立ちます」という文を露訳すれば、新しい事態や情報が出てきたわけであるから、Завтра я поеду в Москву. と完了体動詞未来形を使うのが普通である。Завтра я еду в Москву. と不完了体動詞現在形の予定の用法を用いると、前からモスクワ行きを予定していたということになる。あまり言わないが、不完了体動詞未来形を使ってみよう。ただし、завтраという時間の副詞があると、4-2-1項でも述べるが、未来での時を示す状況語があると、時間軸の一点を示すという事で完了体動詞未来形を使うのが自然だという事だということと、出発するという述語に文の焦点が来ることから、それは完了体動詞未来形の領域なので、これを外して文を作ると、Я буду ехать в Москву. となり、「(飛行機ではなく)車や電車でモスクワに行く、モスクワに行く間に乗るのは(飛行機ではなく)車か電車である」という未来進行形の過程や経過のニュアンスになる。
 при-という接頭辞のつく運動の動詞(приходить, приноситьなど)は過程の意味がなく、ある程度の期間を示せないからこの用法では使えないが、下記のように動作事実の有無の確認で使うвыходитьや、述語に文の焦点の来ない用法のуходитьは運動の動詞だが、この用法で使える。

(多分、大晦日はあなたが会社から最後に帰ることになるでしょう)Возможно, накануне Нового года вы будете уходить с работы последним.
 
4-1-1-6 動作事実の無の確認と意識的否定 → 不完了体未来形(не + бытьの未来形〔не + статьの未来形〕 + 不完了体動詞不定形)

 不完了体というのは場依存型であり、これを未来の時制の否定文で用いると、その文脈(慣習)により当然なすべきと考えられる行為や動作を否定するわけだから、慣習に逆らうことになり、文脈によってはあたかも意識的な行為や動作を示すように感じられることがあるが、そうではなく、単に動作事実が未来において生じないことを確認しているにすぎない。注意すべきは、不完了体未来形の否定は、あくまで文脈という枠内の中において、その文脈で当然行われるはずの行為や動作を否定するのであって、完了体のように始めから文脈や場を度外視しているわけではないことである。
 また完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないことにあるわけで、完了体はイメージするがゆえに動作プラスアルファという、何らかの主観的ニュアンスがつく。主観的ニュアンスなしに動詞本来の生の動作だけを意味するのが不完了体であり、これ否定すると今後一切かような動作は行わないという未来におけるあらゆる時点で反復される動作も否定することになり、未来の時制において完了体動詞未来形の完遂的用法(具体的な1回の動作)を否定する用法4-2-1項と対立する。また不完了体未来形が否定文で用いられるのであるから、これこそ動作事実の無の確認の用法でもある。
不完了体動詞未来形の肯定文では、回りの雰囲気や状況から、文脈によっては、一見「~するつもりである」という意味に感じられることもあるが、場独立型の、自らの意図を示す動作ということにはならない。否定文の場合も、不完了体が持つ文脈依存性であることから、今後一切~しないというこれから起こる未来のいつの時点の動作をも全て否定するゆえに、「~するつもりはない」という意識的な否定の動作とは異なることを理解する必要がある。
一方、否定詞と完了体動詞未来形の組み合わせは、不可能の意味か、ないしは特定かつ不動の一点(到達点)をイメージしての具体的動作事実の否定の強調の意味となる。Не буду говорить とНе скажуの違いは、前者が「(今後)言わない」という動作事実の無の確認を示すが、後者は「言わない」という未来の動作の否定の強調であると同時に、「言えない」という不可能をも表せる。そのどちらかは文脈による。

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●第129回

→ простудиться(風邪を引く)、×рождаться → родиться(産まれる)、×умирать → умереть(死ぬ)、×упадать → упасть(ころぶ)

(彼が死ぬのには時間がかかる)Он будет умирать долго. <未来進行形(過程や期間)>

4-1-1-5 運動の動詞と不完了体動詞未来形

 始発という概念自体は3つの解釈が可能である。一つは新たな事態や情報が出てくる場合で、この意味は完了体が担っている。もう一つは予定、3つ目は動作の促しという回りの状況や雰囲気によりなされるもので、後の二つは不完了体の領域である。露露辞典ではпойти/поехатьにидти/ехатьとは別に項目を立て、それぞれначать идти/начать ехать(歩き始める/進み始める)という語義を与えている。つまりидти/ехатьには、新たな事態や情報が出てくるという意味での始発の意味はない。「行く」という動作事実の有無の確認の意味か、過程、予定の意味だけである。だからбытьの未来形 + идти (ехать)を使う場合に、例えば、出だしの文としての「薬局に行って来る」という新たな事態や情報が出てくる場合の露訳に、いきなり×Я буду идти в аптеку. とは使えない。動作自体が新規であり、動作が文の焦点に来る文なので完了体動詞未来形を使うべきである。不完了体未来形は近接未来では使えないし、不完了体には明確な意味で完遂的用法はないから、未来完了でも使えない。使えるのは未来の時制における動作事実の有無の確認だけである。よく使われるのは、4-1-1-9項にあるесли, когда との組み合わせである。不完了体動詞未来形がいきなり出てくるように見える次の文でも、普通列車に文の焦点があるから、動作事実の有無の確認ということで、動詞がなくても意味は通じるから、不完了体動詞未来形が使われているということになる。

(普通列車に乗ってでいらっしゃるのですね)Вы будете ехать в обычном пассажирском поезде. <急行や特急、飛行機ではなく>

(薬局まで行って来る。薬局までは歩いて15分だ)Я пойду в аптеку. До аптеки я буду идти 15 минут.

 上の文のように同じ動詞が二度使われる場合、最初の方が普通は新しい事態や情報が出てくる場合なので完了体を使い、二度目に使われる動詞は代動詞(みなし反復と考えてもよい)であり、既知のものであるゆえに、文の焦点とはならない。いわば刺身のつまのような用法だから不完了体を使うのである。ただ同じ始発でも予定であれば、下記のように不完了体動詞現在形で示すことができる。これは既存の動作の延長上にあるという解釈からだろう。

(1時間後に薬局に〔歩いて〕行く)Я иду в аптеку через час.

 レーニンの言葉とされる(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём. にせよ、行くという動作については、これまでとは違う別の道を行くということで何の前提もないのだから、完了体動詞未来形を用いる。そういう動作が起こる事が当然という意識がない以上、不完了体動詞未来形は使えないことが分かる。

(この場合費用はすべて貴社のご負担となります)В этом случае вы будете нести все расходы.

 нестиも運動の動詞であるが、上記の場合は複合動詞(8-3項参照)であり、文の焦点となっているのは、文脈によるが、вы(貴社)、расходы(費用)の方であって、нестиではないことが明らかなので、不完了体動詞未

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●第128回

しかし、2度目の動詞はその動作について新しい情報を提示しない、つまり動作には焦点が来ないので、代動詞として不完了体が出てくる(みなし反復)という事が言える。これは過去の時制においてуже(すでに)やоднажды(あるとき)があれば、動作事実の有無の確認を補強してくれるので、不完了体動詞過去形が来るというのと同じ発想である。
 質問があって、それに答えるとき、質問と同じ動詞で答える場合は、不完了体を使うというのは上記からお分かりだろうが、ロシア語では同じ単語の反復を避ける傾向があるので、動詞を言い換えた場合でも、その動詞は不完了体にするのが普通である。

(貨物はどのように納入されるのですか?)Как будут поставляться грузы?

 Какに文の焦点が来ているから不完了体が用いられているが、その回答である次の文でも、動詞を言い換えてはあるが、文の焦点は「鉄道で」あって、動詞には来ていないので、不完了体が用いられる。

(鉄道で発送します)Мы будем отправлять их по железной дороге.

4-1-1-4 動作事実の有無の確認の意味で概ね使えない不完了体動詞

 下記の不完了体動詞はбудуなどのбытьの未来形の後には未来における規則的反復、継続(ある程度の期間のかかる動作)の用法以外には使えず、概ね完了体動詞未来形を使う事になる。これは完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージするためである。これらの動詞はその語義から、必然的にその時間軸の特定かつ不動の一点に意識が行き、動作自体に文の焦点となる要素が強く、そのため完了体動詞未来形を使うことになる。つまり、その場の雰囲気に合わせて使うというよりは、具体的な場面での場独立的な使用が主であるからである。過去の時制においてはこれらの動詞の不完了体過去形は動作事実の有無の確認の意味で使える。

・状態の変化・発生を示す動作 ×освобождаться → освободиться(解放される)、×преобращаться → преобратиться(変換する)、×становиться → стать(~になる)

(有料教育はますます値段が高くなってゆく)Платное образование будет становиться всё более дорогим. <未来進行形(過程)の用法>

・瞬間的に成立する動作 ×брать → взять(取る)、×давать → дать(与える)、×изобретать → изобрести(発明する)、×находить → найти(見つける)、×получать → получить(受け取る)

・無意識的で否定的結果をもたらす動作 ×лишаться → лишиться(なくなる)、×ломать → сломать(壊す)、×разбивать → разбить(砕く)、×ронять → уронить(なくす)、×терять → потерять(失う)、×убивать → убить(殺す)、×ударять → ударить(なぐる) <否定文の場合も含めて、これらの動詞は具体的な1回の動作を示し、このような危害や人の生命、損得(金銭)に関わる動作は人間の暮らしにとって非常に重要なものゆえ、感情を抜きにした単なる動作事実の有無の確認ということにはならず、主観的ニュアンスがあると考えられ、完了体が多用される>

・反復のきかない単一的、無意識的な動作および目的志向的でない動作 
×видеть → увидеть(見る)、×выздоравливать → выздороветь(元気になる)、×вылечиваться → вылечиться(治る)、×погибать → погибнуть(死ぬ)、×поправляться → поправиться(元気になる)、×простужаться

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●第127回

(私は彼の意見を知っていた)Я знал его мнение.
(彼の意見を聞いてみます)Я узнаю его мнение. <узнатьは「情報を得る」という意味で、不完了体のузнаватьには状態の意味はない>

 過去の時制ではこの用法に使われる動詞の制限は特にないが、未来の時制ではこの用法に使われる動詞は限られてくる。この用法が使えるものは、まず第一に、無接頭辞単純動詞(本源動詞)гулять(散歩する)、делать(する)、жить(生きる)、играть(遊ぶ)、писать(書く)、пить(飲む)、строить(建てる)、читать(読む)などである。これらには対応する完了体がない場合はもとより、対応する完了体がある場合でも、不完了体の方が使われる頻度がはるかに高いということもあって、比較的自由に使える。これらは7-2項にある接頭辞のある完了体(прочитать, написатьなど)では補語が絶対に必要だが、無接頭辞単純動詞は必ずしも補語を必要としないし、意味や使われる範囲もそのような完了体と比べて広い。
 第二は一つの動詞にいくつか語義があって、その中に瞬時的移動・変化を示すようなものを含むもの(4-1-1-4項の瞬間動作動詞など)は使えないが、動作の過程、持続性、延長性を示す語義であれば不完了体動詞未来形が使われることになる。例えば、получатьは具体的なものを受け取る(ないしは「叱られるполучить выговор」など)という意味では、動作が一気に終わる(過程ではない)のでこの用法は使えないが、特典を得る、交付を受けるというような、ある程度過程のニュアンスがある語義の時は使える。даватьは過程の意味では用いないのでこの用法には使えない。захватыватьも未来の時制では「つかむ、とらえる」という反復の動作(過程、持続性、延長性を考慮しない動作)を示すのでこの用法では使えず、完了体のзахватитьを使う事になる。これ以外に広く使えるのは未来の反復である。未来の時制における動作事実の有無の確認には、その文脈における動詞の語義が直接かかわって来るのである。×は非文(文法的に正しくない文)である。

(彼が叱責される)×Он будет получать выговор. → Он получит выговор.
(こういう助言をさしあげよう)×Я буду давать вам такой совет. → Я дам вам такой совет.
(パレルモはサイトの読者にスタイルに関する助言を〔これから〕与えます)Читателям сайта Палермо будет давать советы по стилю. <未来の時制での規則的反復>
(太陽は2060年までに世界のエネルギーの50%を供給することになる)Солнце будет давать 50% мировой энергии к 2060 году. <未来の時制での規則的反復>

 「どのように」というような様態を示す状況語か、疑問詞が来れば、疑問詞に文の焦点が来ることが多いし、動詞が意味の主体を担わないという事で不完了体が使われることが多い。この用法をよく示すものとしてещёとの組み合わせがある。この副詞があることで、反復を暗示しているわけだから、代動詞として同じ動詞を二度使うのと同じ効果がある。これも2-1-6-1項のみなし反復と同じ考え方である。

(注意して作文を書き写します)Я буду внимательно переписывать сочинение.
(まだまだあなたに反論しますからね)Я ещё буду возражать вам.
(何を変えることができるかさらに調べてみます)Мы ещё будем узнавать, что можно изменить.
(夜もう一度薬を飲みます)Я буду ещё раз принимать лекарство вечером.

 仮に、同じ動詞が2度続けて使われたとしたら、最初の方は新しい事態や情報が出てきたということで、完了体の動詞が来るのが普通である。

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●第126回

を行うという意味の用法である。不完了体は主観的ニュアンスのない、動作そのものを示す(叙実的なニュアンス)であるのが本義なので、既存の事実の有無の確認という概念の延長上にある用法であろう。つまり、この用法は過去の時制の不完了体動詞過去形の動作事実の有無の確認の用法や不完了体命令法の促しの用法の類推から、未来の動作事実の有無の確認の用法となったものだと思われる。
 これから行われる(ないしは行われない)動作が問題となっている以上、動作事実の有無の確認に見かけ上意図というニュアンスがあるように感じられ、文脈によっては、意図(~するつもりである)という風に理解されることもあるが、ただ動作事実の有無を確認しているに過ぎないのである。なぜならこのような不完了体動詞未来形の見かけ上の意図の用法は、完了体のように新しい事態や情報が出てくる場合に使われる、というような主観的ニュアンスはない。回りの雰囲気や状況を無視して、勝手に「~するつもりです」とは使えないのである。(動作事実の無の確認4-1-1-6項参照)

(止まれ、撃つぞ)Стой! Стрелять буду!

上記の文は意向を示す文だが、Стой!「止まれ」(促しの用法で5-1-1項参照)に文の焦点があるのは明らかであり、止らなかったら、そういう文脈のもとではこれから撃つという未来の事実を述べているに過ぎないということであり、それゆえ不完了体動詞未来形が来ている。
 動詞に焦点が来ない、つまり話し手の注意が、場所、時間、動作の主体、手段や様態に向けられている時には不完了体が用いられるのである。対話ではすでに言及された動作を名指す(示す)のである。

(何に乗ってお出かけですか?)На чём вы будете ехать?
(歌い始めはだれですか?)Кто будет начинать песню?
(今晩何をなさいますか?)Что вы будете делать сегодня вечером?
(何をお飲みになりますか?)Что вы будете пить?
(何をお召し上がりになりますか?)Что вы будете есть?

 最後の二つの文はレストランなどでよく聞く表現だが、単なる動作事実の有無の確認であり、また文の焦点が動詞ではなくчтоにあるためと、動詞は刺身のつまのようなものなので不完了体動詞未来形が使われている。この他に不完了体が来る理由として考えられるのは、回りの雰囲気を読むということであり、レストランに入ったら飲み食いするのは当然であるということから、不完了体が出てくるのだろう。さらに、最後の文で完了体のсъестьを使うと「全部食べる」という意味になってしまって、意味が違ってくるということもある。不完了体が使われるのは、不完了体の出現を促すいろいろな要素がこのように複合的に絡み合っている場合もあると思われる。

(コーヒー飲むかい?)Кофе будешь? <питьが省略されているが、日常会話ではよく使い、「君はコーヒーかい?」とも訳せるので、それならウナギ文(9-10-2項)の一つである>

4-1-1-3 動作事実の有無の確認に使える不完了体動詞(動詞の語義による)

 同じ文でも過去の時制で事実の有無の確認に不完了体が用いられる場合、未来の時制では体が入れ替わることがある。

(私は教授に会った)Я видел профессора.
(教授に会います)Я увижу профессора. <увидетьの過去形は「見た」という意味であり、「会った」という意味にはならない>

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●第125回

けで、この内容の具体化が過去や未来の時制で進めば、完了体との使い分けに悩む場面も出てこよう。文につく補語は直接補語(対格)、間接補語(与格)の他に、TPO(いつ、どこで、どのように)が考えられるが、完了体にとって重要なのは、「いつ」であり、それも期間периодではなく、時間軸の一点момент времениである。一方、不完了体では「いつ」は「いつ」でも期間периодが扱う対象となる。
2016年に逝去されたボンダールコБондарко先生の『機能文法の原則とアスペクト研究の諸問題』Принципы функциональной грамматики и вопросы аспектологии, URSS, 2016から抜き出して、動作事実の有無の確認(動作の名指しобообщённо-фактическая функция)の用法の特性につき解説する。
 動作事実の有無の確認というのは、動作に関する最大限に一般的(非具体的)情報を伝えることにある。

a) 動作の有無に関する情報
(彼に手紙を書きましたか?)Вы ему писали?
b) 特定な状況であれ、一般的な状況であれ、こういう場合には一般的にこうなるというような情報
(こういうものと別れるの残念だ)Жаль расставаться с этой вещью?
(果たしてそのような言葉を投げかけてよいものだろうか)Разве можно бросать такими словами?

 動作事実の有無の確認の用法かどうかを見分けるポイントは次の通り: < >内は私のコメント。

1. 動作が1回であるか反復であるかを問題にしない。 <ということは1回の動作でも示せるということになる>
2. 結果の達成かそうでないかを問題にしない。 <聞き手にとってはどっちでもいいけれどというニュアンスがある>
3. 動作の有無そのものが強調されており、結果の存続とは一線を画す。
4. 順次的動作ではない。

(失礼ですが、どこでバナナをお求めですか)Простите, где вы покупали бананы? <バナナを持って歩いている人に対して。みなし(見立て)反復2-1-6-1項参照>

「アンドレイは電話してきたか?」は不完了体でも完了体でも露訳可能であるが、ニュアンスの違いはある。

Андрей звонил? <不完了体の典型的な動作事実の有無の確認の用法であり、この発話を見る限り、聞き手は電話があったかどうかには特に関心はない>
Андрей позвонил? <完了体の持つ叙想(主観的)ニュアンスがあり、電話してくれるのを期待していたというニュアンス>

不完了体の動作事実の有無の確認は、過去の時制では完了体の結果の存続перфектと、未来の時制においては完遂の用法と対立する。

4-1-1-2 述語に文の焦点(中心的意味や役割)が来ない場合

 動作事実の有無の確認というのは、動詞が主観的ニュアンスを持たないということで、文中の述語に文の焦点が来ずに、補語や主語に来るということになる。未来の時制では、文の焦点がどこにくるかを見た方がどの体を用いるかが分かりやすい。不完了体動詞未来形を使うのは、述語に文の焦点が来ないときであり、それを目印にした方がよい。これは刺身のつまのような用法で、不完了体の特徴である回りの雰囲気に合わせて動作

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●第124回

鉄における現実の会話では、予定の用法であるВы выходите?という会話を聞く方が圧倒的に多い。車両の出口のそばに立っていたら降りるのは当然と考えるのが普通だからだ。だからこの文は、降りるかどうか、見た感じでは分からないときに使うと考えればよい>
(お座りになりますか?〔電車、バスの中で〕)Вы будете садиться?

 平叙文の場合は、動作の有無の(するかしないかの)選択が終わり、未来において「する(これから動作が有る、起こる)」ということを述べているにすぎない。否定文であれば、その逆で「しない(無)」という選択をしたことになる。(4-1-1-6項参照)

(いいですか、もし30分以内にこの隊列を出発させないのなら、上に報告します)Слушайте! Если вы в течение получаса не отправите этого эшелона – я буду докладывать выше. <話し手に主観的ニュアンスはないが、回りの状況によって、хотеть, собиратьсяというような意向のニュアンスが出てくる場合もある>

 статьの未来形 + 不完了体動詞不定形はбытьの未来形 + 不完了体動詞不定形と違って、стать自体が完了体のため、主体的な意志(意思)の意味で使えるが、用例は少ない。下記の文では「屋外に」に文の焦点が来ている。статьの語義から始発や意図のニュアンスがある。

(私たちは屋外で夕食をとるつもりです)Мы станем ужинать на воздухе.
(彼は読書するつもりだ)Он станет читать.

бытьの未来形と形容詞短語尾の組み合わせで意向の意味が出る場合もある。

(手短に申し上げます)Я буду краток.

<動作事実の有無の確認のまとめ>

 2-1-1-1項において過去の時制の動作事実の有無の確認について述べたが、動作事実の有無の確認の用法は過去、未来のみならず、現在や不定法にもある。そこで動作事実の有無の確認のまとめをしておこう。現在の時制では動作の有無が動作の前提となっており、さらに過程などの用法が重なって体の特徴を形作るため、詳細は3-1を参照されたい。
完了体は不完了体と違い、1回の具体的動作を示す。単なる具体的動作ではなく、1回の、「いつ」、つまり期間ではなく、時間軸の1点момент времениにおける過去や未来における具体的動作であって、場所ではない。そのため疑問詞との組み合わせでは、疑問詞に文の焦点が来ることが多いこともあり、不完了体が来ることが多い。
一方、体の用法を完了体の側からではなく、不完了体の側から見れば、不完了体の本質は動作事実の有無の確認であり、これは主語 + 動詞の疑問文という構文なら理解しやすいだろう。

(お昼召しあがりになりましたか?)Вы обедали? <昼を食べたかどうか聞いているだけで、文字通り他意はない>
(スヴェルクーノヴォ、次の駅はドロフェーエヴォ!お降りになる方はいらっしゃいますか?)Сверкуново, следующая – Дорофеево! Будет кто выходить? <未来の時制の場合бытьの未来形が動作の有無の指標となっている>
(具だくさんスープを食べるかい、そこの彼氏?)Похлёбку есть будешь, кавалер? <同上>

しかし、補語が付加されるにつれて、内容はより具体的になってゆくわ

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●第123回

でもないが、日本語は形式上は現在と未来が同形(非過去)であり、状況語や文脈で現在と未来を区別している。実生活は別にして、時制について言えば、確実な未来というのはある。日本語でも推測には推測の表現があり、4-2-1-3項にあるようにロシア語も同様である。
 不完了体動詞未来形は未来の時制だけで使われ、過去や現在の時制で使われることはない。ただ動詞бытьの未来形は単独で8-1-4項や9-1-2項のように時制の転用(現在の時制)で使われ場合もある。

4-1-1 単一動作 → 不完了体動詞未来形

 未来の時制はбытьの未来形で表現され、そのうち不完了体不定形とともに用いられたものが不完了体未来形である。

4-1-1-1 未来における動作事実の有無の確認

 完了体動詞未来形は具体的な1回の動作に使われるが、不完了体動詞未来形は、特にそれを意識せず、未来における動作事実の有無の確認に用いられ、文脈によって具体的な動作にも使われる。動作事実の有無の確認の意味がよく分かりやすいのが疑問文である。会話でその動作がこれから起こるのかどうかを虚心坦懐に確認するときにこの用法が用いられ、そのため口語的表現とされる。動作の有無を尋ねるだけであって、完了体のような主観的ニュアンスがない場合に使われる。動作の有無を尋ねるということは、動作が行われるかどうかが分からないということであり、その場合は不完了体動詞未来形が、動作が行われる確信があるのなら完了体動詞未来形を使う事になる。次の文でも聞き手は注文するかどうか、お迎えの人が来るかどうかを単に聞いているだけで、注文してもらわなければ困るとか、来なければ困るという主観的なニュアンスはない。動作が未来において起こるかどうかが分からないわけであり、このような時に不完了体動詞未来形が使われる。露訳する日本語の文の後にили нет?(それともしないのか?)をつけて文が成り立つなら、それは動作事実の有無の確認ということになるので、それで区別ができると思う。この用法が使えない不完了体動詞については4-1-1-4項参照。

(塗料をご注文なさいますか?)Вы будете заказывать краски?
(〔空港や駅などで〕お迎えの方がいらっしゃいますか?)Вас будут встречать?

この用法は4-1-3-1の意志(意思)の用法を兼ねてもいるが、上の文と語義的に似た意志(意思)を示す次の文のхотеть(~したい)やсобираться(~するつもりです)は、話し手の主観的ニュアンスが加わる叙想語модальные словаであるために、具体的な動作を示す完了体動詞不定形が来る。これで分かるように完了体というのは、動詞本来の生の語義に主観的ニュアンスを付加するときに使われる。

(塗料を御注文なさりたいのですか?)Вы хотите заказать краски?
(塗料を御注文なさるおつもりですか?)Вы собираетесь заказать краски?

заказыватьは4-1-2項の不完了体動詞現在形の予定の用法にも使えるが、文脈によっては、形式上、反復や過程と紛らわしいという欠点もある。そのためбытьの未来形を用いた方が、未来における動作事実の有無の確認なら形式上、瞬間的に意味が取れるので、会話での疑問文では多用されると言える。

(贈り物を御注文なさいますか?)Подарки заказываете?
(〔地下鉄などで〕お降りになりますか?)Вы будете выходить? <地下

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●第122回

第4章 未来の時制

未来には事実がまだ存在しないので、主観的な想定を示すことになる。ただ予定のように確定した事実と見なされる場合には、たとえ未来のことでも不完了体現在形が用いられることに留意すべきである。
 Письмовник, Курганов Н.Г.という1794年に出た、日本でいう往来物みたいな文法と文例集を併せた本があるが、その第1巻の動詞の説明のところに、不完了体未来形は未来において動作が完遂するかは不明であると書いてあり、完了体未来形の動作が完遂するというのと対比させている。これなども一つの見識であろう。
 ソコローフスカヤСоколовская К. А.先生によると、ロシア語で過去の時制が使われる率が45%であり、未来の時制は8%にすぎないという。しかも未来の時制における完了体は不完了体の7倍もよく使われるというから不完了体動詞未来形は重要でないように思われるが、その用法を究めれば、なかなか奥深い用法であることが分かる。
 日本語では形式上現在と未来の時制が曖昧な場合があり、「~します」を露訳するときに、毎日や何度もというような規則的反復なら不完了体動詞現在形を使うが、これから~するという動作であれば、遂行動詞を除き、露訳では未来の時制を使う事になる。

4-1 未来の時制における不完了体の用法

今と言っても、「今電話があったよ」とか、「今行く」というように、ロシア語でも今この瞬間から時間的にある程度前後するということは何回か述べた。不完了体動詞未来形は未来の時制のみで使われるが、このような近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)を表す場合には不完了体未来形は用いられない。これは過去というものはすでに動作が終了しているので、終了したという確認は不要であり、そのため不完了体過去形は直近の過去でも使えるが、未来においては、動作が終了するという確証はその動作の結果が出るかどうかである。不完了体未来形は、動作事実の有無の確認だけで結果には言及せず、そのため未来における動作の不確実性が感じられる。近接未来は、極端に言えば、一瞬後に動作が始まって終わり、一瞬後ゆえすぐその結果が出て、それが分かるというニュアンスであるが、不完了体では動作が終了するかどうかは文脈次第であり、いずれにせよ結果については示せないから、近接未来には用いられない。
近接未来(一瞬後の未来)というのは、今この瞬間が常に未来に向かって動いているため、一瞬後には厳密な意味での現在になり、すぐに過去になってしまう。不完了体動詞未来形には、未来における規則的反復、継続という用法もあるが、すぐ過ぎ去るような不安定な未来ではなく、ある程度の時間の余裕があるような未来を扱い、意識的には現在の動作と切れている動作を示す。一方、一瞬後やそれを含む未来、ないしは動作の結果を暗示するような現在の動作とは切れているような近接未来の動作は、完了体動詞未来形が扱う。同じ近接未来でも不完了体現在形は、現在から潜在的意識の上ではつながっているような予定の用法で用いられる。
完了体未来形および不完了体未来形の用法に推測という意味はない。露文解釈においてロシア語の専門家でさえ、未来の時制のロシア語文の和訳に「~だろう、~でしょう」を用い、Завтра я буду читать эту книгу.を「明日私はこの本を読む」ではなく、「読むだろう」と「~だろう」を未来の時制を示す印として用いているのをよく見かける。国語辞典を見る限り、「~だろう、~でしょう」は「推測」を示す。例えば、「明日咲きますか?」「咲きます」は確実な未来を示し、「花が咲きましょう」(現代語では「咲くでしょう」)は推測という意味になると「日本語とはどういう言語か」(三浦つとむ、講談社学術文庫、1976年)にもある。確かに未来は不確か(未定であり決定ではない)なのだから「推測」を使いたい、また学習者のために何か未来の時制の目印をという気持ちは分からない

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●第121回

も)、всегда(いつでも)<всегдаは完了体動詞未来形と共に例示的用法でも使われる。これはвсегдаにはв любое времяとкаждый разの二つの意味があり、例示的反復は前者、規則的反復は後者の意味の時に発現すると思われる>、иногда(時折)、иной раз(時々)、нередко(しばしば)、случается(よくある)<過去の時制ならслучалось(よくあった)>などである。これらの状況語は反復を示すが、必ず動作が起こり、予測可能であり、頻度が語義の違いだけという場合は、規則的反復であり、不完了体が用いられるが、動作が起こるかどうか分からない場合、起こるにせよ動作がいつ起こるかどうか分からないという予測不能な場合は例示的反復であり、完了体未来形が用いられる。この用法がよく使われるのは動作が次々と行われる順次的用法のとき、否定の状況がある時、動作の到来を強調するような語句(как только, сразу, вдруг)がある時であるが、特によくみられるのは、文脈に原因が記載されているどうかは別にして、その結果(論理的帰結)のニュアンスがある時である。不完了体の規則的反復には結果のニュアンスはない。
 規則的反復では現在のこの一点が言及されている期間に動作が含まれるので、不完了体現在形を使うが、例示的反復では、動作を仮にとか例えば~であるというように、例として具体的にこれからの動作として示すので体は完了体未来形が、従属文の時制はその動作が現在のこの一点が言及された期間内に含まれないので未来となる。бываетなどが例示的反復で使われるが、状況語(挿入語、副詞句のようなもの)であり、文の直接の成分ではない。

(運転手が駐車場に車を置かないで、罰金を払うというのはこのようによくあることだ)Так и случается: поставит водитель машину не на стоянке – заплатит штраф. <順次的用法>
(私はいつも、どこでもハサミで足の爪を切り、パチンと切っちゃうの)Я обычно где ножницами обрежу, где откушу <順次的用法であり、気が向いたら~をするということで話し手の主観が入っているので、完了体未来形が来ている>
(いくつかの文書にはプロの犯罪者の、友人や同類への見方が、時たま見え隠れする)В некоторых документах нет-нет да и мелькнёт взгляд профессионального преступника на сообщество друзей и соратников.
(余分にあって悪いことはない)Лишний не помешает. <否定の文脈と結果のニュアンス>
(安全ベルトをつけないと、罰金だ)Не наденешь ремень безопасности – заплатишь штраф. <否定の文脈と結果のニュアンス>
(時には起きて各部屋を見て歩くことがあるが、静かで、ネズミたちの引っかく音が聞こえるくらいである)Встану иногда, пройдусь по комнатам – тишина, только мыши скребутся. <順次的用法>
(全ての人は時間がないとぼやくが、ちょっとでも自由な時間ができると、無駄に過ごしてしまう)Все жалуются на отсутствие времени. Но выпадет свободный часок – проведёшь его бесполезно. <結果のニュアンスが文脈にある>
(いつもこうだ。僕が中庭に走って来るや否や、すぐに誰かが叫び出すんだ)Так всегда: как только выбегу во двор, сразу кто-инбудь –закричит.
(必要な時には助けるよ)Я тебе помогу, когда будет нужно. <複文の場合、起こる動作は未来の時制であることに注意>


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●第120回

う意味で使われることが多い。ちなみに嚢中の錐はВидна птица по полёту.とか、Золото и в грязи блестит.と訳す>

 諺に完了体動詞未来形を使うのは、2-1-8-3項に書いたように、ボンダールコ先生曰く、18世紀末まで歴史的現在に完了体動詞未来形も使われていたからだろう。過去の出来事を鮮やかに眼前に表現するという事が、現在では不可能ということで表現されるというのは面白い。ありえないというニュアンスがあれば、この用法の類推から完了体動詞未来形が使われる。

(それによもや私が大きな間違いを犯すとは思えない)Вряд ли я сделаю при этом значительную ошибку. <ありえない(不可能)というニュアンスから完了体が来ている>

3-2-4 例示的反復

 例示的反復というのは、ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないという予測不能な動作、つまりしたり、しなかったりという動作の予測不能性を示す用法で、例示的用法から派生したものでもあり、潜在的可能性とも関連する。また例示的反復には話し手の気持ち次第という、完了体ゆえの主観的要素が関わっている。詳しい説明は4-2-3項参照。例示的反復では今この一瞬が動作に含まれないので、不完了体現在形は使えない。例示的反復は超時間的用法であり、過去、現在で使われるが、いずれの時制でも例示的用法からの派生という事で完了体未来形が用いられ、この反復は1回の具体的出来事を例として伝達される (Повторяемость передаётся на примере одного конкретного эпизода) ため不完了体の機能である規則的反復と区別して、例示的反復(偶発的反復)と呼ぶことにする。そのため主語が単数の文やтыを主語にした普遍人称文(特に諺など)でよく用いられるが、不定人称文など、主語が不定の意味の複数のときに例示的用法が用いられることはない。不定人称文や命令形(命令法の例示的用法については5-2-2項参照)を使う代わりに、完了体未来形の普遍人称文を活用すべきである。
 普遍人称文というのは「文中の述語が任意の人によって行われる行為を意味する文」で、現在と未来の時制でのみ用いられ、тыを主語に立て完了体未来形を用いることが多いが、一人称複数が主語の文もあり、命令法もある。普遍人称文が二つの文から成るときは、主語は同じか、少なくとも意味上の主語は同じで、動詞の体や時制も合わせる。例文は2-1-8-3項末尾や3-2-3項末尾に挙げておいたので参照願う。
「早起きは三文の得」の露訳は例示的反復でも、不完了体の規則的反復でも表現できるが、完了体では一つの動作を例にとることにより、完了体の特質でもある具体性が感じられ、生き生きとした感じが出るが、不完了体では、例外なく皆こうであるというような平板な感じを受ける。

Встанешь раньше, шагнёшь дальше. <例示的反復で、例示的用法の例えば早起きしたらというニュアンスがあり、二つの動作に論理的帰結がある>
Кто рано встаёт, тому бог даёт. <規則的反復で動作の常態化を示すが、二つの動作に論理的帰結はない>

 ここで誤解して欲しくないのは、このように二つの体が語義的に同じような場合に使われるというのは非常に稀であり、仮に使われるにせよ、上に記したようなニュアンスの差はあり、通常は二つの用法に厳然とした使い分けの差があるということである。
現在の時制の例示的反復でよく使われる状況語は、бывает(よくする)<過去の時制ならбывало(よくした)>、в любой момент(いつで

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●第119回

(広い意味での現在も含む)において、不可能であるか、否定を強調するという違いがある。

(私はあの世を信じない)Я не верю в загробный мир. <今現在のこの一瞬も信じていない>
(見るまでは信じない)Не поверю, пока не увижу. <「仮に信ずるとしても」という条件法が暗示されているため、例示的用法の完了体動詞未来形が使われる。「今現在信じていない」ということを述べているのではない>
(死んでも降伏しない)Умрём, но не сдадимся! <死んだとしてもという条件があるため、例示的用法の完了体動詞未来形が使われている。「今現在降伏していない」ということを述べているのではなく、この一瞬後以降の未来に「降伏しない」ということ言っている>

不完了体現在形である遂行動詞を否定すると遂行動詞としての意味は失われるが、完了体未来形の否定の強調という用法は完遂的用法の否定版であり、その代用と言える。

3-2-3 不可能 → 完了体動詞未来形の否定

 不可能は例示的用法から発展したと思われる用法で、前の項の否定の強調であり、潜在的可能性も含めて全ての動作の否定ということが、あらゆる可能性を排除し、それによりありえない(不可能)という主観的ニュアンスが現れるということになる。述語に文の焦点が来ているので完了体動詞未来形の否定が使われている。これを現在の時制で扱うのは、「ありえない」ということで、未来の時制すらも否定されているのだと考えてもよい。6-2-5項参照。完了体未来形を否定すると、否定の強調の他に、完遂の否定版という事をも示す。

(この品物は1ルーブルでは買えない)Эту вещь за рубль не купишь.
(ただ我々は一体だれなのか決して知ることはない)Мы только никогда не узнаем, кто именно. <知ることができない>
(僕にはそれが理解できない)Я этого не пойму.
(その名字は今は思い出せない)Фамилии сейчас не вспомню. <補語は単数の否定生格>
(そうらしいけど、ほんとかどうかは言えない。受け売りなんだ)Вроде бы да, точно не скажу: за что купил, за то и продаю.
(死人を生き返らせるわけにはいかない)Из мёртвого живого не сделаешь.
(タバコの火はありませんか?)Прикурить не найдётся? <直訳すると「(タバコの火を借りる可能性が)存在することはあり得ないか?」→「不可能とは思いますが」→「ひょっとしたら」≒ может бытьというニュアンスが出る>
(先生、先生のところに私の病気の薬ありますか?)Доктор, а найдётся ли у вас лекарство от моей болезни. <上の構文の応用>
(もっと何か食べるものない?)У тебя ещё чего-нибудь поесть не найдётся? <同上>
(恋はジャガイモじゃないの。窓から捨てるわけにいかないじゃない)Любовь - не картошка, не выбросишь в окошко. <「文中の述語が任意の人によって行われる行為を意味する」という普遍人称文であり、普遍人称文は過去形では用いられない>
(粥はバターで悪くなるはずがない → 多々ますます弁ず)Каши маслом не испортишь. <普遍人称文>
(隠れたるより見(あら)わるるはなし)Шила (Шило) в мешке не утаишь. <普遍人称文。一見すると意味が似ているからといって、直訳して「嚢中の錐」と訳すと誤訳になる。嚢中の錐は才能のある人はたちまち外に現れるということだから、それだと意味が違ってくる。この諺は悪事露見とい

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●第118回

(どうして今日はそんなに真面目なの。ニコっともしないの?)Почему ты сегодня такой серьёзный, не улыбнёшься? <否定の強調>
(どうして今日は全然笑わないの?)Почему ты сегодня совсем не улыбаешься? <動作の否定>
(喜んで紅茶を一杯いただきます)Не откажусь выпить чашечку чая. <Не откажусь. = Не отказался бы. = Охотно бы.で、「断るなど滅相もありません」という否定の強調からであろう>
(赤信号ではだれも通りを渡らない)Улицу никто на красный цвет не перейдёт. <否定のときに例示的反復を使うのと同じ発想である>

 完了体動詞未来形を使う事で、望ましくないこと、非難や動作の不可避性という主観的ニュアンスも出てくる。

(ねえ、私たちが邪魔だってどうしておっしゃらないの)Ну, что же вы не скажете, что мы мешаем вам.
(叫んでも叫んでも、どうして答えてくれないの?)Я кричу, кричу. Что же ты не ответишь?
(どうして直接彼に聞かないの、遠慮してるってわけ?)Почему ты не спросишь его прямо, стесняешься?

 「仮に~するとしても~しない」という例示的用法の否定版の例は、次の通りである。

(その投稿者の方が私に対して気を悪くされないといいのですが)Надеюсь, что корреспондент на меня не посетует.
(帝は全員の上に立つ長だから、奴が帝を裁くなんて気にはならないよ)А царя он судить не посмеет, потому что царь сам над всеми начальник.
(お求めになった粉わさびが本当の偽物かもしれないとしても驚きませんよ)Не удивлюсь, что купленный Вами порошок "васаби", может быть настоящей подделкой.

完了体動詞未来形の否定は、広い意味での現在(現在のこの一瞬を除く近接未来ближайшее будущее〔発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来〕)において時間軸の特定の不動の一点(特に指示がなければ一瞬後の今)では、動作は遂行しないという事を示し、例示的用法から、一度も動作がないという事を強調しての否定の強調か、不可能(3-2-3項)を示す事になる。どちらかかは文脈によるという解釈上の問題がある。一方不完了体動詞未来形の否定(動作事実の無の確認4-1-1-6項)は、未来の時制におけるあらゆる時点での動作がそもそも起こらないということを示しており、そういう事を未来の時制で言えるのは動作事実の無の確認だけという事になる。ただникогда, ни разуという否定の状況語がなければ、否定の強調も、動作事実の無の確認も区別が難しい。違いは話し手が未来における時間軸の特定の一点を意識する(完了体動詞未来形)か、しない(不完了体動詞未来形)かだからである。つまり具体的な補語があれば完了体動詞未来形の否定が出やすいという事は言える

(こんな過ちをもう絶対繰り返さない)Я больше никогда не повторю этой ошибки! <否定の強調>
(常識ではこんなこと繰り返す事は出来ない。〔繰り返せるわけがない〕)В здравом уме не повторю такое! <不可能>
(二度は言わない)Два раза повторять не буду. <動作事実の無の確認>

現在の時制の否定文というのは、今現在のこの一瞬において動作がないことを示すが、完了体動詞未来形の否定は、ある条件の下で例示的用法が使われるということと、現在といっても一瞬後およびそれ以降の未来

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●第117回

(彼は死んだ、死んでいる)Он мёртв.
(彼は死んでいた)Он был мёртв. <発話の時点以前に>
(彼は墜落死した)Он упал мёртвым.
(俺の勝ちだ〔お前の負けだ〕)Бита! <カードゲームで、Ваша карта (ставка) бита. を略したものであり、この動詞битьは不完了体だが、無接頭辞単純動詞(本源動詞)と考えてよく、被動形動詞過去短語尾で結果の存続を示すことができる>

3-2-2 否定の強調 → 完了体動詞未来形の否定

完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないことから、その一点を仮に広い意味での今(今現在の一瞬後)と考え、それでも具体的な1回の動作が遂行されないとなると、主観的イメージということから否定の強調という用法になる。万に一つの動作も否定するわけで、これは例示的反復の否定と考えてもよい。一方、動作の否定は動作が全くないのだから、一般的に動作がないというのは意味的に不完了体動詞の領域に属する。つまり過去、現在、未来の動作における規則的反復の否定ということになる。一方完了体動詞未来形を否定するというのは、完了体の本質である具体的な動作を否定することになり、次項で説明する不可能の用法もそうである。
完了体動詞未来形の否定の強調は、4-2-3項の例示的用法や3-2-4項の例示的反復から派生したもので、一つで全体を示す、つまり一つたりとも(ほんの少しでも)~しないということがниなどを用いて明示的にも、あるいはниなどを用いずに暗示的にも表現されている場合は、潜在的可能性すら否定するため完全な否定となる。例示的用法と関係があるために、完了体動詞未来形が用いられているが、その動作を打ち消しているために、発話直後の出来事を含む広い意味での現在の時制でも用いられると考えてよい。未来の時制の完遂的用法4-2-1項でも述べるが、完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージするため、主観的ニュアンスを帯びる。この用法では近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)において動作がないことを示しているのであり、否定の意味の近接未来完了(完遂的用法4-2-1-4項)とも言える。この用法には未来を示す状況語が動詞を修飾していないという前提がある。修飾していれば未来完了の可能性が高い。完了体未来形の否定というのは、未来の時制における具体的な1回の動作を否定するということであり、文脈によって、近接未来完了(4-2-1項参照)の否定の強調なのか、未来完了(4-2-1項参照)の完遂的用法(具体的な1回の動作)の否定なのかを区別することになる。
また否定の強調という主観的ニュアンスがあり、そのため動詞に焦点が来ているので完了体が用いられていると考えることもできる。この用法は不可能の用法と区別がつかないことがあるが、和文露訳をする上で実用上は問題がない。

(返さないったら返さない)Не отдам, и весь сказ!
(弁護士がいなければ一言もしゃべらないぞ)Без адвоката я ни слова не скажу.
(これ以上安くは渡さないよ)Дешевле не отдам.
(許さん!)Не позволю!
(さっぱり分からない)Ничего не пойму.
(このことは繰り返しませんから)Это не повторится.
(作業割当担当者や班長も一人として敢えて囚人を足蹴にしたり、手を上げたりする者はいない)И ни один нарядчик и ни один бригадир не осмелится пнуть ногой или замахнуться на зэка.
(彼のことを呼んでいるのに、彼ったら動こうともしない)Его зовут, а он с места не сдвинется.

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●第116回

(しかし、たった今彼が電話してきた)Но он только что позвонил.

 только что とсейчасの違いは、только чтоは二つの動作を対比した用法に使えるが、сейчасは使えない。またсейчасは、過去の時点における(現在と関係のない)「~したばかり」という意味でも使えない。

(僕はたった今〔ここに〕入ってきたばかりだぜ。それなのに君ときたら自分のお願いかよ)Я только что вошёл, а ты ко мне со своими просьбами.
(僕はその時、首になったばかりだった)Я тогда только что уволился.
(彼らはたった今までここにいたんだ。遠くからでも分かったよ)Они только что были здесь, я заметил ещё издалёка.

「たった今」とか「~したばかり、~したての、~ほやほや」と副詞的に使うと、только что изготовленный кирпич(できたてのレンガ)、только что отпечатанный журнал(刷りたてほやほやの雑誌)、только что погашенные пожары(たった今消し止めた火事)などと言えるが、その他に接頭辞を使って、свеже- + 被動形動詞(能動形動詞)過去からでも作れる。свежеарестованный(逮捕されたばかりの人)、свежевзятый подследственный(収監されたばかりの被疑者)、свежевскопанная земля(掘り起こしたばかりの土)、свежевыкопанная траншея(掘ったばかりの塹壕)、свежевыжатый сок(しぼりたてのジュース)、свежевыловленная рыба(獲れたての魚)、свежевымытая сорочка(洗いたてのシャツ)、свежевыпавший снег(降りたての雪、新雪)、свежевыпеченные булки(焼きたての丸パン)、свежевырытые могилы(掘り返したばかりの墓)、свежевыстиранное бельё(洗いたての洗濯物)、свежевыстроенный домик(建て終わったばかりの小さな家)、свежезаваренный (свежесваренный) кофе(いれたてのコーヒー)、свежеиспечённые пирожки(焼きたてのピロシキ)、свежемороженый тунец(冷凍したてのマグロ)、свеженадоенное молоко(しぼりたてのミルク)、свеженаезженные дороги(車がたくさん通ったばかりの道)、свеженапиленные доски(のこぎりで切ったばかりの板)、свеженарезанные стебли(切りたての茎)、свежеосаждённая двуокись марганца(沈殿したばかりの二酸化マンガン)、свежеотпечатанные купюры(刷りたての紙幣)、свежеотрубленная голова(斬ったばかりの首)、свежепогибшие(〔事故で〕死んだばかりの人)、свежеприбывший инстранец(来たばかりの外国人)、свежеприклеенное воззвание(貼ったばかりのアピール文)、свежепросольные огурцы(浅漬けのキュウリ)、свежескошенная трава(刈ったばかりの草)、свежесобранные овощи(採りたての野菜)、свежесрезанные розы(切りたてのバラ)、свежеструганный (свежестроганные) столб(かんなで削りたての柱)があり、この他に、ново-という接頭辞を使って、нововышедшие из-под его карандаша стихи(彼の手になるできたての詩)、новоиспечённый профессор(なりたてほやほやの教授)という言い方もある。

3-2-1-6 動詞を使わない用法

 3-2-1-5項のロ)теперьにも結果の存続の用法があると指摘したが、動詞を使わないで結果の存続の意味を出せる場合もある。これはбытьという状態動詞を現在の時制で用いているのだと考えればよい。

(私はロシアは初めて〔2回目〕です)Я в России впервые (〔во〕 второй раз).

 形容詞短語尾にも、下記のように結果の存続の用法があるものもある。

(スーズダリはロシア有数の古い都市で、1024年から有名だ)Суздаль – это один из древнейших российских городов, известен с 1024 г.

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●第115回

ロ)теперь

(彼は今によくなる)Теперь он выздоровеет.

上の文のтеперьは、動作が現在から未来に及ぶ場合であり、сейчасも未来で使えるが、現在から直近(すぐ)の未来にしか使えない。

(今着くよ)Я сейчас приду.

現在から過去に及ぶ場合でも使える。

(今や我々は救われた、助かった)Теперь мы спасены.

次の文は「それでは、それから、こんどは」と訳せる場合である。

(これは全体像で、こんどは細かい点です)Это общее положение, теперь частности.

その他に文頭に来て、「さて」と訳せるような場合もある。

(さてと、どうして君はいつもいつも遅刻するのだい)Теперь, почему ты всегда опаздываешь.

またтеперьには下記の文のように過去と対比するような用法があり、これにはсейчасは使えない。

(今や彼は大金持ちになったが、かつて彼らは貧乏だった)Теперь он разбогател, когда-то они бедствовали.

「~になる」というのはстать + 造格や служить + 造格、文脈によってはбытьも使えるが、теперьにも結果の存続という用法がある。

(あなたもパパよ)Ты теперь папа.

上のようにいきなり言われて、びっくり(本当に嬉しいか、顔で笑ってかは知らないが)ということがあるかもしれない。

ハ)только что

 только что はсовсем недавно, буквально сейчас(たった今)という意味で、意味上発話時点と結びつきの強い近接過去であり、結果の存続と考えて、完了体動詞過去形や被動形動詞過去と結びつくのが普通である。

(私はたった今戻った〔戻ってきたばかりだ〕)Я только что вернулся.
(買ったばかりの品物)только что купленная вещь

不完了体動詞過去形が来る例では、次の例文があるが、これは動作事実の有無の確認であり、電話したかどうかに文の焦点が来ていると考えられる。だから、結果の存続の意味を強く出そうと思えば、позвонилと完了体も来ることもある。いずれにせよ、7-2項でも述べるが、звонить/позвонитьは、不完了体が完了体に対して優勢な動詞群の一つではある。

(ぼくにたった今アンドレイが電話してきた)Мне только что звонил Андрей.

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●第114回

(いつご注文なさったのですか?)Когда был сделан заказ?

 上の文の注文は生きているわけだから、былなしでの結果の存続でもいいはずだが、注文がなされたのは過去のいつの時点(過去の一点)かということなのでбылが必要となる例である。
 結果の存続から状態の意味に、つまりいいか、悪いかという結果の評価ではなく、どのようにという様態の意味に移行した例を挙げる。

(チェンバー〔格納室〕の近くで作業している操作員を放射線からどのように保護しているのですか?)Как защищён от радиации оператор, работающий вблизи камеры?
(チェンバー〔格納室〕の遠隔制御の仕組みはどうなっているのですか?)Как устроено дистанционное управление камерой?

3-2-1-5 сейчас、теперь、только чтоの違い

分析哲学では「今」を瞬間の現在としてのみ捉えるのではなく、「今」は(文脈によって)任意の持続の幅を持つという考え方である。「今」が任意の時間幅を持つというのは、文脈によっては、この瞬間という時間軸の一点の意味にも、ある程度時間の幅を過去や未来に持つ場合があるという意味である。日本語でもロシア語でもそのような使い方をする。

イ)сейчас

(彼はたった今来たばかりだ)Он только сейчас пришёл.
(たった今彼と電話で話したばかりだ)Я сейчас говорил с ним по телефону. <сейчасの代わりにтолько чтоを使ってもよい>
(たった今ナースチャが電話してきた)Только что звонила Настя.

上の文の二つ目と三つ目の文「たった今сейчас, только что」にどうして不完了体が出てくるのだろう?「たった今」という日本語には、少なくとも二つの使い方があることが分かる。一つは「イワノフさんがたった今お見えになりました(お見えです)」と、もう一つは、上の文のような「たった今電話したばかりだ」である。前者ではイワノフさんは今ここにいるのであり、結果の存続なので完了体動詞過去形を使う。後者は電話で話は終了していることが分かり、何の話をしたのかその内容が分からず、たんに事実の有無を確認しているにすぎないので不完了体動詞過去形が出てくるわけである。
сейчасには発話の瞬間〔同時性〕、たった今(発話の直前〔近接過去〕、上記の例文)、それと次の文の今すぐ(発話の直後〔近接未来〕、次の例文)という意味があり、19世紀にはтеперьも同じように使われていた。

(「寝なさい」「今すぐ寝ます」)Ложись спать. – Сейчас.) <Ложисьという不完了体動詞命令形は促しの用法であり、4-1-1-8項参照>
(今行きます)Я сейчас буду.

現在ではсейчасは「今」は「今」でも、時間的に比較的短く、一般的にあまり重要でない事柄に用い、теперьは時間的に比較的長く、過去との対比とか、重要な事柄である「今」に用いられることが多い。
 сейчасの発話の同時性というのは、一番分かりやすそうだが、過去において何かを物語る時の同時性を示すのにも使える。これにはтеперьも使える。

(今旅人は汚い村の通りをゆっくりと歩いていた)Сейчас (Теперь) путники брели по грязной деревенской улице.

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2020年02月01日

●第113回

 結果の存続と点過去の違いについて、ロシア語で書かれた日本の寺社についての説明文に沿って説明する。その方が違いが分かりやすいと思われるからである。

(建長寺は1253年建立、1415年焼失、その後も何度も焼けた)Храм Кэнтёдзи был основан в 1253 г., в 1415 г. сгорел, потом горел ещё неоднократно.
(鶴岡八幡宮は1063年頼朝の祖先頼義により創建。現今の建物は1828年のものである)Храм Цуругаока Хатимангу построен в 1063 г. предком Ёритомо – Ёриёси. Современные постройки датируются 1828 годом.
(円覚寺の建物は1282年に建立された)Здание Энгакудзи возведено в 1282 г.
(〔鎌倉の〕大仏は1252年に鋳造された)Статуя (Великого Будды) была отлита в 1252 г.
(銀閣寺は1483年に建立された)Серебряный павильон (Гинкакудзи) сооружён в 1483 г.
(金閣寺は1397年に建立された)Золотой павильон (Кинкакудзи) был построен в 1397 г.
(金閣寺は日本の匠たちにより1955年再建)Кинкакудзи был восстановлен японскими мастерами в 1955 г.

 上記は京都や鎌倉の有名な寺社、大仏でいずれも現存しているものばかりである。鶴岡八幡宮は1828年再建されているのにбылがついていないし、鎌倉の大仏は奈良の大仏と違い、大仏を覆う大仏殿は14~15世紀に倒壊し、再建されなかったとはいえ、御本尊はそのままであるのに、былаがついている。金閣寺は1950年の放火で焼失したので、一見問題ないように見えるが、最後の文は再建されたものが存続しているのにもかかわらず、былがついている。
被動形動詞過去短語尾は、普通は完了体の他動詞の過去語幹から作られる。それとロシア語の完了体過去では、過去の目印である年号がつく文には通常完了体動詞過去形が用いられ、点過去と結果の存続という二つの用法がある。そのため、その能動文を受け身にして被動形過去の短語尾を使うときに、これらの用法が別々の形(点過去や結果の存続という形)で現れるのではないかと思われる。点過去のようにただ過去にそういうことがあったという認識だけで、今現在における結果の存続など特にイメージしないのであれば、過去の年号がある以上、時制は過去だという認識との整合性からбылという過去の時制の目印がつくし、話し手が結果の存続に意識がいく場合には、現在の時制故былなどはつけないのだと考えられる。
また建長寺のように存続していても、創建当時の建物がсгорел(焼失した)など明らかに存続しないという文言があれば、былがなければ変だと思うはずだし、逆に観光ガイドなどをしていて、目の前にある建物などを説明するときに、былなどをつけるというのはやはりおかしいと感じるはずだ。つまりбылなどという過去の時制の目印の有無は、話し手がその建物自体の存続に対してどのようなイメージを抱いているかにかかっていると言える。
 円覚寺だって現存しているのは夢殿だけで、それ以外は再建されているわけで、былなどをつけるか、取るべきか細かく考えれば面倒である。それに目の前にあるもの以外は、発話の時点で存続しているかどうかを調べるのも厄介であるという現実的な理由で、一応былなどをつけておこうかという場合もあるだろう。しかしガイドや工場見学など現場で通訳する場合、工場などの建物などが目の前にあれば、建て替えられたということが分かっていない限り、былなどをつけるのには心理的に抵抗があると思われる。もしбылなどをつけたならすぐに「建て替えられた」、「名称が変わった」などの説明を補足する必要があるはずだ。こういう点は実際に会社案内の通訳や観光ガイドをやってみれば分かることだ。

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●第112回

восстановлено.
(1924年ルミャンツェフ図書館はレーニンの名を冠し、1925年から1992年までレーニン名称ソ連国立図書館と呼ばれた)В 1924 г. Румянцевской библиотеке было присвоено имя В.И. Ленина, и с 1925 г по 1992 г. она называлась Государственная библиотека СССР им. В. И. Ленина. <現在は俗称レーニン図書館Библиотека Ленинаで、正式にはロシア国立図書館Российская государственная библиотека (РГБ)であり、現在とは名称が異なっているために、было присвоеноと過去の時制になっている>
(イサアーキー大寺院は現今の姿では1818~1858年に建設された)Исаакиевский собор в современном виде был построен в 1818 – 1858 гг. <動作の起点から終了の時点を一つの期間として点で示す点過去である>
(1836年に書かれ、〔その年に〕初めて上演された)Написана и впервые поставлена в 1836 г. <ゴーゴリの喜劇『検察官Ревизор』についてだが、最初に上演された喜劇が、そのままの形で現在に至っているということで、現在の時制の結果の存続が用いられている>
(その小説は1928年から1940年までに書かれ、刊行された)Роман написан и опубликован в период с 1928 по 1940 гг. <これは書かれたという事実が今も残っているという意味での現在時制の結果の存続であり、書かれたという動作の過去の一点を示すためв периодが使われている>
(フェスティバルはモスクワで1985年7月27日から8月3日まで行われた)Фестиваль проходил в Москве с 27 июля по 3 августа 1985 года. <このようにв периодがないと点過去としてのニュアンスはなくなり、動作の継続として不完了体過去形が用いられる>
(9時と10時に開く店がある)Открываются магазины в 9 и в 10 ч.
(図書館は毎日開いている)Библиотека открыта ежедневно.
(レストランは月曜から土曜まで12時から23時までオープンしている)Ресторан открыт с понедельника по субботу с 12 до 23 часов.

 上の文のように不完了体ならともかく、被動形動詞過去短語尾には、このように反復を示す用法は、本来ないはずである。つまりこの現在の時制におけるоткрытは動作ではなく、状態の意味であり、形容詞化していると言える。ちなみにоткрытは過去の時制では、次に示す文のように動作の用法がまだ残っている。被動形動詞過去短語尾には動作的意味(「~した」)と状態的意味(~している)という二つの意味があるが、形容詞化したоткрытは現在時制では動作の意味で使えないので、自発的意味を持つ再帰動詞открытьсяの過去形を使い、点過去(文脈によっては結果の存続)の用法となる。ちなみに過去の時制ではоткрытが使えるが、この用法では結果の存続の意味が出せないことになる。

(ノヴォシビールスクで軽食レストラン「ヤキトリヤ」がオープンしたのは2005年3月23日である)В Новосибирске кафе «Якитория» открылся 23 марта 2005 года. <結果の現存、ないしは点過去>
(2003年2月17日レストラン「ワサビ」1号店がオープンした)17 февраля 2003 г. был открыт первый ресторан «Васаби». <点過去>

初めの文ではオープンした後引き続き現在も営業している(ないしは後述の点過去の一つの用法)という感じだが、後者では1号店がオープンしたという事実だけで、現在そのままの形では営業していないか、閉店してしまったというニュアンスが出るからである。

(本日開店!)Мы открылись! <実際は必ずしも開店が本日でなくとも、その後でも見かける>

上の文はレストランなどで使われ、結果の存続の用法であり、Открыто! と形容詞の短語尾を用いると、「営業中」となる。ちなみに、<~に開店予定>というなら、下記のように予定の用法を使う。


(11月24日開店〔予定〕!)Мы открываемся 24 ноября!

(X線写真では病変は認められない)На рентгенограмме патологических изменений не обнаружено.

 上の文を能動態に直すと、На рентгенограмме патологических изменений не обнаружили. となり、意味的には点過去か、結果の存続かはこれだけでは分からない。再度受け身にするときにне とобнаружилиの間にбылоが入れば、点過去という解釈で、過去のある一点で病変が発見されなかったという意味だし、былоがなければ上の文のように結果の存続であり、今の時点では見つからなかったという意味である。
 「自分の負けを認めた」を会話の文と考えると、「認めた」は結果の存続(現在完了)であり、「負けた」のも発話の時点に負けたのであり、1年前の負けの話をしているわけではないことは明らかである。つまり「負けた」には結果の存続を使えばよいことが分かる。ここで「負け」に名詞を使ってしまうと、必ずしも結果の存続という意味にはならず、点過去の可能性も出てきて、曖昧な訳となってしまう。「認めた」には完了体過去形を使うのは容易に理解できよう。となると、一つの文に二つの結果の存続の用法を使うには、並列複文(иなどを用いて動詞を二つつなげる)が頭に浮かぶが、この和文では無理がある。残された手は結果の存続の用法がある被動形動詞過去を使うことである。つまり、Признал себя побеждённым.とすればよい。和文露訳をする際に上っ面だけ直訳するのではなく、時制という観点から文の意味を深く考える癖をつければ、丸暗記するよりははるかに効果的に、応用が効く訳ができるようになる。

3-2-1-4 結果の存続と点過去の違い

Posted by SATOH at 17:38 | Comments [0]

●第111回

た」とは日本語であまり言わないように、Я говорил не этого.とは普通は言わない。言わなかったという動作事実の有無の確認でもある>
(それは言わなかった)Я этого не сказал. <完了体動詞過去形にすると、「言うはずだったのに、それを言わなかった」という主観的ニュアンスが出てくる>

3-2-1-3 被動形動詞過去短語尾の結果の存続〔現存〕)の用法 → 現在の時制

 被動形動詞過去というのは完了体由来であり、完了体の性質を受け継いでいることを忘れてはならない。それゆえ結果の存続を示しても、規則的反復や過程を示すことはない。
 過去の時制において点過去と結果の存続を区別するのは文脈によるが、他動詞のように受動態(受け身)で被動形動詞過去短語尾を用いることができるときは、бытьの過去形と共に使われる過去の時制の場合なら点過去、それがない場合、つまり現在の時制なら概ね発話の時点と結びつきの強い近接過去由来の結果の存続と区別できる。つまり点過去だという意識があるか、特に結果の存続という意識のない時はбытьの過去形と共に使われると考えてよい。これは能動態に戻して考えれば、点過去か結果の存続か、曖昧だったのが、被動形動詞過去短語尾にすることで意味がより明確になることが分る。

(ペンキ塗りたて)Осторожно окрашено! (Окрашено!) <ペンキを塗ったばかりで、触れるとペンキがつくよという警告で、結果の存続の例である>
(絵は1887年に製作され、トレチャコフ美術館に〔今現在〕ある)Картина создана в 1887 г., находится в Третьяковской галерее.
(1991年からその歴史的名称は復活した)С 1991 г. историческое название восстановлено.
(1924年ルミャンツェフ図書館はレーニンの名を冠し、1925年から1992年までレーニン名称ソ連国立図書館と呼ばれた)В 1924 г. Румянцевской библиотеке было присвоено имя В.И. Ленина, и с 1925 г по 1992 г. она называлась Государственная библиотека СССР им. В. И. Ленина. <現在は俗称レーニン図書館Библиотека Ленинаで、正式にはロシア国立図書館Российская государственная библиотека (РГБ)であり、現在とは名称が異なっているために、было присвоеноと過去の時制になっている>
(イサアーキー大寺院は現今の姿では1818~1858年に建設された)Исаакиевский собор в современном виде был построен в 1818 – 1858 гг. <動作の起点から終了の時点を一つの期間として点で示す点過去である>
(1836年に書かれ、〔その年に〕初めて上演された)Написана и впервые поставлена в 1836 г. <ゴーゴリの喜劇『検察官Ревизор』についてだが、最初に上演された喜劇が、そのままの形で現在に至っているということで、現在の時制の結果の存続が用いられている>
(その小説は1928年から1940年までに書かれ、刊行された)Роман написан и опубликован в период с 1928 по 1940 гг. <これは書かれたという事実が今も残っているという意味での現在時制の結果の存続であり、書かれたという動作の過去の一点を示すためв периодが使われている>
(フェスティバルはモスクワで1985年7月27日から8月3日まで行われた)Фестиваль проходил в Москве с 27 июля по 3 августа 1985 года. <このようにв периодがないと点過去としてのニュアンスはなくなり、動作の継続として不完了体過去形が用いられる>
(9時と10時に開く店がある)Открываются магазины в 9 и в 10 ч.
(図書館は毎日開いている)Библиотека открыта ежедневно.
(レストランは月曜から土曜まで12時から23時までオープンしている)Ресторан открыт с понедельника по субботу с 12 до 23 часов.

Posted by SATOH at 17:37 | Comments [0]

●第110回

方法と理由を聞いているわけで、動作事実の有無の確認と代動詞の機能であり、動詞に文の焦点が来ていないことは明確である>
(彼は自分が殺られたということが分かった)Он понял, что убит.

 結果の存続という用法に、結果の現存という言葉を使いたくないのは、文字通り、この用法が必ずしも現在ということではなく、発話の時点に関係するからである。次の文は過去の時制の文であるが、発話の時点が過去であり、結果の存続の用法である。

(雨が降り出したので、我々は散歩に行くことができなった)Пошёл дождь, и мы не могли идти гулять.

 остатьсяの過去形の結果の存続の用法と、оставатьсяの現在形の状態の用法は、意味の上で非常に似ている。その使い分けの差は、完了体はその本質として具体的な1回の動作を示すことから、具体的な事柄と共に用いられ、оставатьсяの現在形は抽象的なものと共に用いられるという点にある。

(お前、どのくらい金が残っている?)Сколько денег осталось у тебя?
(出て行くこともできない。残るのは一つ、作り変えることを目指すことだ)Уйти нельзя. Остаётся одно – переделывать.
(矯正も、償いも、忘却もできない。残るのは死だ)Не исправить, не искупить, не забыть... Остаётся смерть.

 結果の存続で動作の起点が過去の一点ではなく、以降(~から)を示す事ができる。

(その日から彼は浴びるのほど酒を飲むのををやめた)С того дня он вышел из запоя.

3-2-1-2 結果の存続の否定版

日本語の現在完了も「~していない」という否定文においては、ロシア語に訳す時は3つに分類される。一つ目の、一旦開始された動作が終了していないという意味なら、下記のようにそれぞれ、今も根付いていない、今は残っていない、今の時点では終わっていないという意味で完了体動詞過去形が来る。2-1-2-2項参照。

(お祝をするという伝統はまだ根づいていない)Традиции празднования пока не установились.
(その記念碑は残っていない)Памятник не сохранился.
(休み時間はまだ終わっていない)Перерыв ещё не кончился.

しかし、動作を初めから否定すると、これは動作が現在の時点で存在しないのだから、不完了体動詞現在形の否定と同じことである。3-1-8項で説明したように、初めからの動作の否定には不完了体が用いられるからである。三つ目は、動作自体は行われるのだが、その動作の内容が否定される場合である。「そうは言っていない」というのは、言いかえれば、「そうでない事を言った」ということである。この場合日本語では現在完了なのに、「そうは言っていない」の露訳では下記のように不完了体動詞過去形が来る。これは形式上動作が否定されているので、不完了体が来るという事と、動作の結果が現在の時点まで残っていないので、結果の存続の用法である完了体動詞過去形という形式が使えず、結果存続無効ということになる。3-1-12参照。

(そうは言っていない)Я этого не говорил. <「そうでないことを言っ

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●第109回

たというなら、そこにはもういないというのが結果の存続だし、どこかに行ってしまったというのも、同じく主語はそこにいないのである。この用法では文の焦点が動詞に来ているため完了体動詞過去形が用いられている。この用法は過去の時制における点過去(2-2-1項参照)と区別するのは文脈によるしかない。しかも文脈によっては、どちらとも取れることがあるということをよく理解してほしい。しかし、結果の存続は、あくまでも点過去の用法から派生した用法であり、完了体動詞過去形の本質は点過去にあることを忘れてはならない。
 それでは結果の存続の用法であることを明確にさせるためにはどうすればよいのだろうか?自動詞の場合は無理だが、他動詞の場合は能動相で用いられている完了体過去形を受動相(受身)にすることにより、用いられる時制により点過去と結果の存続を区別することができる。つまり被動形動詞過去短語尾を現在の時制で用いれば、誤解の余地なく結果の存続と理解されるのである。詳しくは3-2-1-3項参照。

「ミーシャが来ているよ」- К тебе пришёл Миша.
「彼ずっと前から私のこと待っているの?」- Он давно меня ждёт?

「ヂーマが来ていたよ」- К тебе приходил Дима.
「どうして彼、僕を待ってくれなかったんだ?」- Почему он меня не подождал?

пришёлは結果の存続の用法だが、приходитьのように対義語уходитьがある動詞は不完了体の過去形では、「来たが、今はいない」という意味になる可能性が高い。これについては2-1-3項にある動詞群を参照のこと。
 結果の存続という用法は、過去の時制の動作事実の有無の確認と紛らわしいが、存続という主観的ニュアンスが出ていることで完了体動詞過去形が来ると考えられる。動作事実の有無の確認2-2-6の項も参照願う。

(雨がやんだ)Дождь прошёл. <「雨が通り過ぎた」が直訳で、今は雨が降っていない>
(頭痛〔足の痛み〕がなくなった)Голова (Нога) прошла. <今は痛みがない>
(腕〔手〕の痛みがおさまった)Боль в руке прошла. <今は痛みがない>
(いつ分かったの?〔いつから気がついていたの?〕)Когда ты поняла?
(ご命令に従い、参上しました)По вашему приказанию явился. <今そこにいる>
(この姿で国営百貨店GUMの建物は現存している)В этом виде здание ГУМа сохранилось до сих пор.
(イコン崇拝の伝統は988年のキリスト教受容〔への改宗〕以降もロシアで守られている)Традиции поклонения иконам сохранились в России со времени принятия христианства в 988 г.
(20世紀初頭この状況はその州に残っていた)Это положение сохранялось в губернии и в начале ⅩⅩ в. <不完了体過去形が来ているために結果の存続とはならずに、動作の有の確認(結果存続無効)であり、今は残っていないという事が暗示される>
(探していたものをついに見つけた)Наконец я нашёл то, что искал. <見つけたものはそこにある>
(彼の国家は滅亡した)Его государство прекратило своё существование. <その国はもう存在しない>
(ローストビーフは終わりました)Ростбиф кончился. <ローストビーフはもうない>
(お前が彼女を殺したのか?どうやって、何のために殺したんだ?)Ты её убил? Как убивал, за что убивал? <最初の完了体動詞過去形は新規の動作および結果の存続を示し、それに続く不完了体動詞過去形は、殺害の

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●第108回

подумал, что Данила решил в самостоятельность поиграл.

歴史的現在をアネクドートや、会話での昔の自慢話だけに使う特殊な用法だと考えるのは間違いである。次のような文は若い人もよく使う。

(ずっと待っている〔待っていた〕のに、なかなか来ないんだから)Я-то жду, жду, и тебя нет и нет. <ようやく来た待ち人に対する愚痴や文句>

上の文を、仮に1時間待たされた上での話としても、直近とはいえ、過去は過去だから使えるし、元の和文も日本語における歴史的現在としても違和感のない表現である。この文の特徴は完了体動詞過去形の結果の存続の用法と対立しているということにある。点過去が結果の存続と意味的に対立するなら、歴史的現在が点過去に似ている以上、歴史的現在も結果の存続の用法と意味的に対立すると言えることになる。点過去というのは、動作の結果が現在に残っているかもしれないし、残っていないかもしれない、もっと言うと、そういう事に関心がないというニュアンスである。動作の結果が今に残っていないということを強調するのであれば、結果の存続については否定詞を使って否定文にするか、現在との関わりがないことが特徴である歴史的現在を使えばいいことになる。この用法は面と向かっての会話で使われることが多いので、上の例文を見ても分かるように、現在の時制を用いても、今現在のその場での出来事とは無関係であることが明確である。つまり歴史的現在は直前の出来事など、文脈によっては結果存続無効(3-1-12項)参照というように使えるわけである。3-2-1-2項も参照のこと。


3-2 現在の時制における完了体の用法

 完了体が現在の時制で用いられないのは、現在の時制における動作の一点が常に動いているため、ビデオカメラの一コマ一コマの静止画面のような、結果の存続のという形式か、ないしは一瞬後の未来のような広い意味での現在でしか完了体は表せないからである。それゆえ、完了体動詞未来形は厳密な意味での現在、つまり今現在のこの一瞬を表現できない。今сейчасは3-2-1-4項で示したように、日本語同様、ある程度の過去や未来へと幅を持った現在を表現できるため、完了体が表現できる現在というのは、直前直後であり、今現在のこの一瞬の動作を除く現在という事になる。本書の現在の時制で完了体を扱うのはこの理由に依る。
 下記に詳述する結果の存続は動作の結果が現在のこの一瞬に及んでいるが、動作自体は過去に終了しているため、完了体過去形が用いられている。

3-2-1 結果の存続(現存)

3-2-1-1 結果の存続〔結果の達成と残存〕 → 完了体動詞過去形

 結果の存続перфектное значениеというのは、「~したばかりだ、~したところだ」というように、過去において生じた出来事や動作の結果が発話の時点まで残っていることを言い、発話が今(過去のある時点)なら今(過去のある時点)に至るまで残っている、つまり現在完了(過去完了)のことであり、未来の時制なら未来完了である。いずれも完遂的用法の一つであり、本書において過去の時制では点過去ないしは過去完了の継続となり、未来の時制では完遂的用法となる。結果の存続というのは、主語がそこに今もいる(ある)ということではなく、その動詞の意味する動作が遂行して、その結果が発話の時点に残っているということである。帰っ

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●和文露訳要覧第544回

貧乏性のせいか高価なものには興味がない。植物でも関心があるのは雑草で、モスクワにもスズメノカタビラ мятлик однолетний が住んでいた近くにも生えているのを見て、なぜ安心したことを思い出す。犬は小さいころに太ももを隣の犬にかまれたこともあって、近づかないようにしている。犬猫も含めて生物は苦手であり、かといって犬猫を含め、生物(当然人間も)を虐待する人の気持ちが分からない。お互い没交渉が最善だと思っている。そうはいってもテレビの生き物関係のドキュメンタリーは珍しい生き物を中心によく見ている。ペットではない生き物で関心があるのは頭が良いとされるカラスである。モスクワではよく見かけるズキンガラスсерая ворона(黒と灰色のツートンカラーのカラス)で、これは日本のハシボソカラスчёрная воронаの近縁種で、ロシアでもウラル以東で見かける。ほかには絵のГрачи прилетелиに描かれているミヤマガラス(日本では京都近辺にいるという)、それとコクマルガラスгалка(これも北九州にいるらしい)である。コクマルガラスはモスクワの教会でよく見かけた。ローレンツの『ソロモンの指輪』にはコクマルガラスが人によく馴れ、頭もよく、1年の婚約期間(まだ生殖器が成熟していないこともある)を経てつがいとなった相手とは一生添い遂げるとある。鳥がいくら頭がよいといっても、どんな表現運動でも理解できるという社会性動物の能力であって、気分表現は衝動的かつ遺伝的なものとあり、人間のように考えて行動するというのとは違うようである。心理的発達程度の最も高いのはワタリガラスворонで、極東でよく見かけた。本書はペットの選び方にも言及しており、ペットに関心のある方には大いに参考になると思う。

出題)「新経済政策初期から国内で密造酒製造が広く普及すると、立法府はこの現象と断固として戦う必要に迫られた」をロシア語にせよ。

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