2020年02月02日
●第120回
う意味で使われることが多い。ちなみに嚢中の錐はВидна птица по полёту.とか、Золото и в грязи блестит.と訳す>
諺に完了体動詞未来形を使うのは、2-1-8-3項に書いたように、ボンダールコ先生曰く、18世紀末まで歴史的現在に完了体動詞未来形も使われていたからだろう。過去の出来事を鮮やかに眼前に表現するという事が、現在では不可能ということで表現されるというのは面白い。ありえないというニュアンスがあれば、この用法の類推から完了体動詞未来形が使われる。
(それによもや私が大きな間違いを犯すとは思えない)Вряд ли я сделаю при этом значительную ошибку. <ありえない(不可能)というニュアンスから完了体が来ている>
3-2-4 例示的反復
例示的反復というのは、ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないという予測不能な動作、つまりしたり、しなかったりという動作の予測不能性を示す用法で、例示的用法から派生したものでもあり、潜在的可能性とも関連する。また例示的反復には話し手の気持ち次第という、完了体ゆえの主観的要素が関わっている。詳しい説明は4-2-3項参照。例示的反復では今この一瞬が動作に含まれないので、不完了体現在形は使えない。例示的反復は超時間的用法であり、過去、現在で使われるが、いずれの時制でも例示的用法からの派生という事で完了体未来形が用いられ、この反復は1回の具体的出来事を例として伝達される (Повторяемость передаётся на примере одного конкретного эпизода) ため不完了体の機能である規則的反復と区別して、例示的反復(偶発的反復)と呼ぶことにする。そのため主語が単数の文やтыを主語にした普遍人称文(特に諺など)でよく用いられるが、不定人称文など、主語が不定の意味の複数のときに例示的用法が用いられることはない。不定人称文や命令形(命令法の例示的用法については5-2-2項参照)を使う代わりに、完了体未来形の普遍人称文を活用すべきである。
普遍人称文というのは「文中の述語が任意の人によって行われる行為を意味する文」で、現在と未来の時制でのみ用いられ、тыを主語に立て完了体未来形を用いることが多いが、一人称複数が主語の文もあり、命令法もある。普遍人称文が二つの文から成るときは、主語は同じか、少なくとも意味上の主語は同じで、動詞の体や時制も合わせる。例文は2-1-8-3項末尾や3-2-3項末尾に挙げておいたので参照願う。
「早起きは三文の得」の露訳は例示的反復でも、不完了体の規則的反復でも表現できるが、完了体では一つの動作を例にとることにより、完了体の特質でもある具体性が感じられ、生き生きとした感じが出るが、不完了体では、例外なく皆こうであるというような平板な感じを受ける。
Встанешь раньше, шагнёшь дальше. <例示的反復で、例示的用法の例えば早起きしたらというニュアンスがあり、二つの動作に論理的帰結がある>
Кто рано встаёт, тому бог даёт. <規則的反復で動作の常態化を示すが、二つの動作に論理的帰結はない>
ここで誤解して欲しくないのは、このように二つの体が語義的に同じような場合に使われるというのは非常に稀であり、仮に使われるにせよ、上に記したようなニュアンスの差はあり、通常は二つの用法に厳然とした使い分けの差があるということである。
現在の時制の例示的反復でよく使われる状況語は、бывает(よくする)<過去の時制ならбывало(よくした)>、в любой момент(いつで