2020年02月02日

●第119回

(広い意味での現在も含む)において、不可能であるか、否定を強調するという違いがある。

(私はあの世を信じない)Я не верю в загробный мир. <今現在のこの一瞬も信じていない>
(見るまでは信じない)Не поверю, пока не увижу. <「仮に信ずるとしても」という条件法が暗示されているため、例示的用法の完了体動詞未来形が使われる。「今現在信じていない」ということを述べているのではない>
(死んでも降伏しない)Умрём, но не сдадимся! <死んだとしてもという条件があるため、例示的用法の完了体動詞未来形が使われている。「今現在降伏していない」ということを述べているのではなく、この一瞬後以降の未来に「降伏しない」ということ言っている>

不完了体現在形である遂行動詞を否定すると遂行動詞としての意味は失われるが、完了体未来形の否定の強調という用法は完遂的用法の否定版であり、その代用と言える。

3-2-3 不可能 → 完了体動詞未来形の否定

 不可能は例示的用法から発展したと思われる用法で、前の項の否定の強調であり、潜在的可能性も含めて全ての動作の否定ということが、あらゆる可能性を排除し、それによりありえない(不可能)という主観的ニュアンスが現れるということになる。述語に文の焦点が来ているので完了体動詞未来形の否定が使われている。これを現在の時制で扱うのは、「ありえない」ということで、未来の時制すらも否定されているのだと考えてもよい。6-2-5項参照。完了体未来形を否定すると、否定の強調の他に、完遂の否定版という事をも示す。

(この品物は1ルーブルでは買えない)Эту вещь за рубль не купишь.
(ただ我々は一体だれなのか決して知ることはない)Мы только никогда не узнаем, кто именно. <知ることができない>
(僕にはそれが理解できない)Я этого не пойму.
(その名字は今は思い出せない)Фамилии сейчас не вспомню. <補語は単数の否定生格>
(そうらしいけど、ほんとかどうかは言えない。受け売りなんだ)Вроде бы да, точно не скажу: за что купил, за то и продаю.
(死人を生き返らせるわけにはいかない)Из мёртвого живого не сделаешь.
(タバコの火はありませんか?)Прикурить не найдётся? <直訳すると「(タバコの火を借りる可能性が)存在することはあり得ないか?」→「不可能とは思いますが」→「ひょっとしたら」≒ может бытьというニュアンスが出る>
(先生、先生のところに私の病気の薬ありますか?)Доктор, а найдётся ли у вас лекарство от моей болезни. <上の構文の応用>
(もっと何か食べるものない?)У тебя ещё чего-нибудь поесть не найдётся? <同上>
(恋はジャガイモじゃないの。窓から捨てるわけにいかないじゃない)Любовь - не картошка, не выбросишь в окошко. <「文中の述語が任意の人によって行われる行為を意味する」という普遍人称文であり、普遍人称文は過去形では用いられない>
(粥はバターで悪くなるはずがない → 多々ますます弁ず)Каши маслом не испортишь. <普遍人称文>
(隠れたるより見(あら)わるるはなし)Шила (Шило) в мешке не утаишь. <普遍人称文。一見すると意味が似ているからといって、直訳して「嚢中の錐」と訳すと誤訳になる。嚢中の錐は才能のある人はたちまち外に現れるということだから、それだと意味が違ってくる。この諺は悪事露見とい

Posted by SATOH at 2020年02月02日 16:12
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