2020年02月02日
●第118回
(どうして今日はそんなに真面目なの。ニコっともしないの?)Почему ты сегодня такой серьёзный, не улыбнёшься? <否定の強調>
(どうして今日は全然笑わないの?)Почему ты сегодня совсем не улыбаешься? <動作の否定>
(喜んで紅茶を一杯いただきます)Не откажусь выпить чашечку чая. <Не откажусь. = Не отказался бы. = Охотно бы.で、「断るなど滅相もありません」という否定の強調からであろう>
(赤信号ではだれも通りを渡らない)Улицу никто на красный цвет не перейдёт. <否定のときに例示的反復を使うのと同じ発想である>
完了体動詞未来形を使う事で、望ましくないこと、非難や動作の不可避性という主観的ニュアンスも出てくる。
(ねえ、私たちが邪魔だってどうしておっしゃらないの)Ну, что же вы не скажете, что мы мешаем вам.
(叫んでも叫んでも、どうして答えてくれないの?)Я кричу, кричу. Что же ты не ответишь?
(どうして直接彼に聞かないの、遠慮してるってわけ?)Почему ты не спросишь его прямо, стесняешься?
「仮に~するとしても~しない」という例示的用法の否定版の例は、次の通りである。
(その投稿者の方が私に対して気を悪くされないといいのですが)Надеюсь, что корреспондент на меня не посетует.
(帝は全員の上に立つ長だから、奴が帝を裁くなんて気にはならないよ)А царя он судить не посмеет, потому что царь сам над всеми начальник.
(お求めになった粉わさびが本当の偽物かもしれないとしても驚きませんよ)Не удивлюсь, что купленный Вами порошок "васаби", может быть настоящей подделкой.
完了体動詞未来形の否定は、広い意味での現在(現在のこの一瞬を除く近接未来ближайшее будущее〔発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来〕)において時間軸の特定の不動の一点(特に指示がなければ一瞬後の今)では、動作は遂行しないという事を示し、例示的用法から、一度も動作がないという事を強調しての否定の強調か、不可能(3-2-3項)を示す事になる。どちらかかは文脈によるという解釈上の問題がある。一方不完了体動詞未来形の否定(動作事実の無の確認4-1-1-6項)は、未来の時制におけるあらゆる時点での動作がそもそも起こらないということを示しており、そういう事を未来の時制で言えるのは動作事実の無の確認だけという事になる。ただникогда, ни разуという否定の状況語がなければ、否定の強調も、動作事実の無の確認も区別が難しい。違いは話し手が未来における時間軸の特定の一点を意識する(完了体動詞未来形)か、しない(不完了体動詞未来形)かだからである。つまり具体的な補語があれば完了体動詞未来形の否定が出やすいという事は言える
(こんな過ちをもう絶対繰り返さない)Я больше никогда не повторю этой ошибки! <否定の強調>
(常識ではこんなこと繰り返す事は出来ない。〔繰り返せるわけがない〕)В здравом уме не повторю такое! <不可能>
(二度は言わない)Два раза повторять не буду. <動作事実の無の確認>
現在の時制の否定文というのは、今現在のこの一瞬において動作がないことを示すが、完了体動詞未来形の否定は、ある条件の下で例示的用法が使われるということと、現在といっても一瞬後およびそれ以降の未来