2020年01月17日

●和文露訳要覧第540回

Женяさんから第536回のотметкаの語結合について問い合わせがあったので、お詫びとともにご説明いたします。отметкаは語結合辞典にはあるのですが、数字との語結合については記載ありません。そこで私の語彙集から拾ってみました。

Кто первым прошёл отметку 500 метров?(500メートル地点を誰がトップで通過しましたか?)
находится на отметке 1143 метра(標高1143メートルのところにある)
перевалив за отметку 50%(50%のラインを越えて)
Стрелка спидометра подобралась к отметке "120".(速度計の針は120の目盛に近づいた)

(Цена) поднялась до отметки в 81,24 доллара. 〔(価格は)81.24ドル(のところ)まで上昇した〕
ниже отметки в 20%(20%のレベルより低い)
Заказы не спускались ниже отметки в 1 трлн. Иен.(発注高は1兆円の大台を割らなかった)

色々調べてみましたが、数量や大きさを示すв + 対格(主格ではない)が文法的には正しく、Дом в два этажа(二階建ての家)と同じ用例だと考えます。このвは岩波や研究社の露露でも現代語ではしばしば省略されるとあるので、最初の3例文は省略されたものでしょう。4例目はそのまま対格が来るのはどうかなと考えてアポストロフィーをつけたのでしょう。つまりотметка + 生格と書きましたが、これは間違いです。ここにお詫び申し上げます。アカデミー版露露では数量のвは対格または前置格が来るとだけあり、省略については言及がありません。ただ話し言葉ではвはほとんど聞き取れないというのも事実です。Что это за книга?のкнигаは主格ですが、この表現はドイツ語からの借用のようで、岩波ではзаは助詞とありますが、アカデミー版にはчтоの項目が出版されていないので何とも言えません。

в + 前置格の例(アカデミー版露露によるが、対格と前置格の使い方の別については説明なし)
напечать в четырёх экземплярах(岩波にも研究社にも記載ないが、動詞が来ているためと大きさを示す名詞がないからだろうか?)
комедия в трёх актах(акт = действие幕という意味だが、動作に関する名詞だからか?)
в двух шагах от дома(岩波や研究社では空間的隔たりとか距離という説明はある)

出題)「すべての措置が宙ぶらりんのままとなり、何の結果ももたらさないことになる」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2020年01月17日 09:58
コメント

Все меры останутся на весу, и никаких результатов не сложится.
宜しく御願い致します。
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お答えだと、自動詞を用いているので結果が自然と出るというふうになります。結果は誰か(何か)がもたらすものではないでしょうか?私の答えは、Все меры останутся висеть в воздухе и не приведут ровно ни к каким результатам.

Posted by さきちゃん at 2020年01月17日 10:59

Всякие меры останутся висячими
в воздухе и не принесут никаких
результатов.
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アカデミー版を見る限りвисячийに物理的に垂れ下がっている、釣り下がっている以外の意味はないと思います。それと語結合辞典を見てもпринестиとрезультатの語結合はないようです。

Posted by ブーチャン at 2020年01月17日 11:34

設問の趣旨を理解し難いのですが、それぞれの措置毎に(異なる)結果が予定される場合など、結果出現の繰り返しが予測されている場合には、
① Все меры будут оставаться такими, как они висят в воздухе, так и не будут приводить ни к каким результатам.
しかし、1つの結果を得るためにいくつの措置が取られるような場合など、1回の結果を予測しているのであれば、
② Все меры будут оставаться такими, как они висят в воздухе, так и не приведут ни к какому результату.
宜しくご指導お願いします。
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①だとすべての措置が反復して宙ぶらりんとなり、それらがそれぞれ何の結果をもたらさない(動作の無の確認)ということで、どういうことなのか想像しにくいように思います。
②が設問の趣旨に近いと思いますが、不完了体未来形(未来の反復)と完了体未来形」(具体的一回の動作)という結びつきは意味的にどうかなと思います。これはすべての措置ということで動作を一括化しているわけで、両方とも完了体未来形を使うべきです。いかなる結果もないわけですし、結果という名詞が可算名詞なので、複数形を使うべきです。単数形を使うならその結果がないということになり、「いかなる」とは結び付きません。

Posted by Женя at 2020年01月17日 17:48

Все мероприятия придутся оставаться в воздухе и не приносить никаких результатов.
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придутсяというような動詞を使う必要はなく、単に両方とも完了体にすればよいと思います。принестиとрезультатыの語結合は知りません。

Posted by Го at 2020年01月18日 00:18

Все меры должны остаться висящими в воздухе и не должны принести никаких результатов.
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должныは意訳です。

Posted by チェブラ at 2020年01月18日 16:15

Останешь все меры недоделанныйми и не достигаешь никаких успехов.
もしこうした場合は、必ずこうなるということで、св Нвとしました。よろしくお願いいたします。
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体の用法はその通りです。普遍人称文というのは、ことわざのように任意の人によって行われる行為を意味する文ですから違います。

Posted by やま at 2020年01月18日 16:45

コメントありがとうございます。次に変更します。
Все меры останутся такими, как они висят в воздухе, так и не приведут ни к каким результатам.

質問ですが、「何の結果も無い」という場合、結果が複数ある訳ではないですから、単数でも問題ないのではないでしょうか。用例的にも、例えばサルトルの言葉を
Постановка «я могу» приводит к положительному результату, постановка «я не могу» не приводит ни к какому результату.
とした例を見ました(https://socratify.net/quotes/zhan-pol-sartr)が、これは間違いなのでしょうか。
宜しくご指導お願いします。
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おっしゃるように、『「何の結果も無い」という場合、結果が複数ある訳ではないですから、単数でも問題ない』という論理には個人的に賛成しますが、ロシア語文法における可算名詞の否定の場合には、存在するすべての(いかなる)当該可算名詞が存在しないということで複数生格を用いるという考え方のようです。引用されているサルトルに関する文は、すべての結果ではなく、その肯定的結果ということですから、具体的な例に対してということで単数が来ているのだと思います。

Posted by Женя at 2020年01月21日 12:10

コメントありがとうございます。了解いたしました。

Posted by Женя at 2020年01月21日 16:49

принести と результат との語結合に関する質問です。
他の方へのコメントに「語結合辞典を見てもпринестиとрузультатの語結合はない」と記しておられますが、疑問に思っています。
① МАС(Словарь русского языка)によれば、3番目の語義に Дать, доставить (как результат, следствие). とあります。как результат と明記されていますから、принести какой-либо результат あるいは принести что-либо как результат と言えることは自明で、не принести никаких результатов も問題ないのではないでしょうか。
② 語結合辞典(デニソワ、モルコフキナ監修、第2版、1983)の、приносить の項で приносить что の что の語彙には、удачу、 пользу や вред などと並んで какие-либо результаты が記されています。
③ 研究社露和辞典の принести の第3項は「(事物・事象がある結果を)もたらす」とあって、例文に принести желаемые результаты とあります。
④ Яндекс の Новости で «не принесло никаких рузультатов» と «не привело ни к каким результатам» を期間 2019.1.1-12.31で検索しますと、Сообщения 数は128 と 46 と出ました。記事内容までは検証していませんが、принести の方が多いです。
宜しくご指導お願いします。
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申し訳ありません。語結合辞典のприноситьの項をチェックし忘れておりました。

Posted by Женя at 2020年01月22日 06:39

コメントありがとうございます。了解いたしました。
前回の никакой の問題の続きなのですが、検討してみますと、「可算名詞だから複数で」というのは必然的ではないかも知れません。
再度、単数で使用している文例を挙げますと、① МАС(Словарь русского языка。https://kartaslov.ruで参照)は У Михаила Иваныча так много накипело в груди, что никакой слушатель не в состоянии выслушать всего, что он желал сказать.( Гл. Успенский, Разоренье.) を収録しています。② 研究社露和辞典では、 Ни к какому выводу он не пришёл. Ни о какой премии я не мечтал. Я не зделаю этого ни под каким видом. ни в каком случай「決して(・・・せぬ)」 ③ プログレッシブロシア語辞典では Мы никаким образом не причастны к этому. Ты на какой руке носишь часы? – Ни на какой. などです。
問題は、文例上なぜ単数で良いのかですが、МАСでの語義はобозначает: ни один (из всех, многих) となっています。МАСの例文の никакой слушатель は ни один из всех слушатель (или слушателей)となり、単数で使えるのは当然になります。本設問でも ни к какому результату とすれば ни к одному из всех результату (или результатов) の意味になり、否定文では、複数の ни к каким результатам と同義になります。
研究社露和の語義でも「どんな...も(...ない)」だけでなく「どれひとつ(...ない)」としてあります。前回引用したサルトルの文も、具体的な例に対してだから、と考える必要は無いことにならないでしょうか。
宜しくご指導お願いします。
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言葉足らずで申し訳ありません。おっしゃるように、アカデミー版露露でもникакой = употр. при глаголах с частицей "не" для выражения полного отрицания(全否定);
ни один из нескольких, из многих(いくつかの中の一つも、多くのうちで一つも~ない)と定義しており、全否定の場合は可算名詞はすべて複数生格をとるが、二つ目の定義では「一つも~ない」と強調しているため、単数形が用いられています。例えば、Случилось это зимой , когда никаких цветов нет.ほかにも「一つも~ない」と否定を強調する場合には、次の例のように単数となります。На улице нет ни одной души.

Posted by Женя at 2020年01月23日 14:56

コメントありがとうございます。了解致しました。

Posted by Женя at 2020年01月25日 07:54

追記です。紹介いただいたアカデミー版露露(БАС)の定義はМАСのものとはずれがあります。МАСの定義を正確に言えばУпотребляется в отрицательных предложениях для выражения полного отрицания и обозначает: ни один (из всех, многих) .「全否定のために否定文で用いられ、ни один (из всех, многих) を意味する」になっています。МАСの定義では、「инкакой (単数形)で全否定になる」ということです。複数形 никакие はそれをさらに複数にして使っているだけ、になりそうです。МАСの定義に「(強調しない)全否定なら複数形で」という意味はないようですし、「単数だから全否定を強調している」という意味もないように思います。
単語を日本語に置き換えると、日本語の意味から差を意識し過ぎるのではないでしょうか。最後の例も全否定のために ни один という語法が用いられただけで、日本語に訳すと強調しているとも受け取れますが、ロシア語としては На улице нет никаких душ. と変わらないのではないでしょうか。
強調しているのかどうか、についてアカデミー版露露に説明がありましたら、ご紹介お願いします。
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最新のアカデミー版露露では、ни の説明に、частица усилит.とあり、続いてни один, ни одна, ни одно, ни одниがありますので、強調だと書いたわけであり、また「一つもない」というのは単に「~ない」よりも否定の強調に当たると考えたわけです。それでそう書いたわけであって自分の考えを押し付けるつもりはありません。никакой = ни один из нескольких, из многихとあるわけですから、否定の強調ということでは同じということになります。
前にも書きましたが、ロシア語では可算名詞の全否定では複数生格を取り、一つもない強調する場合ни одинとなります。可算名詞の否定で単数となる場合は具体的な、つまり英語で定冠詞を取るような場合で、その場合は複数もあり得ます。

Posted by Женя at 2020年01月25日 09:47

コメントありがとうございます。
結局アカデミー版露露(БАС)でも ни の意味(否定の強調)が示されているだけで、ни один としても никакой あるいは никаких としても否定の強調という意味では区別はないことになります。никакой+単数名詞 も никаких+複数名詞も同じ全否定で、同じく強調されている、ということになります。やはり、言い方が違うだけであり、片方だけが何か強調しているわけではない、と了解致しました。

Posted by Женя at 2020年01月28日 11:00
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