2019年05月31日
2019年05月27日
●和文露訳要覧第475回
『戦争直前のモスクワ』Москва предвоенная, Бурт, Центрполиграф, 2018を今読んでいる。題名は題名として、扱っているのは第二次世界大戦直前から戦中のモスクワの市民生活についてであり、その中で戦時中もサッカーの選手権試合は行われていて、特に目を引くのは»Родина» - «Глухонемые», 8:1という試合結果である。ここから健常者と耳の不自由な人の試合が組まれていたことが分かる。
出題)刑事映画の刑事や探偵のセリフで重要参考人や目撃者などに対し「最後に一つだけ」をロシア語にせよ。
2019年05月24日
●和文露訳要覧第474回
всегдаは完了体動詞未来形と共に例示的用法でも使われる。これはвсегдаにはв любое времяとкаждый разの二つの意味があり、例示的(偶発的反復)反復は前者、規則的反復は後者の意味の時に発現すると思われる。
出題)「強力な爆風によって吹っ飛ばされた窓を除けば、大使公邸はほとんど被害を受けなかった」をロシア語にせよ。
2019年05月20日
●和文露訳要覧第473回
実話。地下鉄のある駅のホームで「私は、神だ」というTシャツを着た若い人がスマホを見ながらうろうろ駅の出口を探していた。
出題)「よく見れば、今でもそれらを見ることができる」をロシア語にせよ。
2019年05月17日
2019年05月14日
2019年05月10日
●和文露訳要覧第470回
『和文露訳要覧』2-2-1-6項
ちなみにникогдаは過去、現在、未来の時制で使われるが、過去の時制では完了体と使われることはあまりなく、不完了体とともに用いられることが多い。未来の時制では例示的な用法で使われることが多く、完了体動詞未来形と共に使われることが多い。ни разуは過去の時制では完了体動詞過去形が一般的(ниが使われているということと関係があるのかもしれない)で、不完了体動詞過去形は経験の用法(3-1-7-1項)で使われることがある。ただ現在の時制では用いられず、完了体動詞未来形とは可能であるとは言え、一般的に未来の時制では用いられないと考えた方がよい。これは文字通り一度も~ないということで、時間軸の特定の一点を意識しているから否定の強調として完了体が出やすいのである。
出題)「多くの店で行列ができた」をロシア語にせよ。
2019年05月07日
●和文露訳要覧第469回
ロシアの犯罪史を長いこと研究しているが、ピョートル1世のころに鼻削ぎ(鼻切)отсечение носаに代わって、鼻裂き(рванье ноздрей, вырывание ноздрей) が用いられたという記述をだいぶ前に見たことがある。大黒屋幸太夫もペテルブルグでこの刑罰を受けた人を見たとあるが、どういう刑罰なのか分からなかった。鼻中隔を削ぐのかとも思ったが、最近ようやくわかった。左右の小鼻(鼻翼)を特殊なやっとこで削ぐというもので、18世紀中ごろまでは女性の罪人にも用いられたという。刑罰についてはロシアが特に残酷というわけではなく、当時の先進国であるイギリスやフランスの方が残酷であると『Сыщик, ищи вора!』(捕り手よ、賊を探せ)Бушков, «Капитал», 2018に記載がある。
出題)「これが党機関の目を逃れることはなかった」をロシア語にせよ。
2019年05月02日
●和文露訳要覧第468回
『Сыщик, ищи вора!』(捕り手よ、賊を探せ)Бушков, «Капитал», 2018を読んでいるが、その中に16世紀のモスクワでは金持ちの間で飼い熊(鎖をつけていたり、つけていなかったり)というのが流行っていて、夜中になると飼い主たちは明け方まで町中にクマを放したと書かれている。熊は仲間同士で争うことはあっても、番人や遅く帰ってきた通行人には危害を与えなかったという。これは明らかに盗賊除けであろう。
出題)「こっちにいらっしゃい。言っているのが聞こえているんでしょ」をロシア語にせよ。