2020年02月03日

●第151回

Завтра он прочитает эту книгу.の訳を「明日彼はこの本を読み終わるだろう」と「だろう」を入れて訳すとすれば、これは上のような考え方からだということは理解できるが、「だろう」は国語辞典を引いても、「推測の意味」であるので、これを避ける工夫が必要である。主語が三人称だから、意志・欲求の「~う」は使えない。それに、このпрочитаетは未来の動作の確実性を意味している。だからそれに相当する日本語の動詞表現である「~る」を使えばよい。「読み終える」は動作動詞であり、ル形は未来だけを示すから、「明日彼はこの本を読み終える」とすれば正しい日本語という事になる。
例示的用法と遂行の関係について述べると、完了体動詞未来形には例示的用法「(~であれば)~する」がつきものだが、点未来(完遂的用法)「(これから)~する」にもそのニュアンスが出る場合もある。未来というものは未定のものであり、ある意味、条件法と表裏一体であると言える。つまり、不完了体動詞現在形の予定の用法や不完了体動詞未来形には例示的ニュアンスがないことになる。ただ完了体動詞未来形は未来の時制の規則的反復には使えない。

(警察がいなくなれば、奴らは戻って来る)Они вернутся, когда полиция уедет.

4-2-1-4 点未来(完遂的用法)と否定

 「~するつもりはない」という意向の否定版を示すために意味的に一番明確なのは、4-1-3項の意向の動詞と否定詞の組み合わせ、つまりне собираться (намерен, думать, планировать)を用いることである。これだと今後一切かような動作はしないという反復の否定版も、具体的な1回の動作の意向の否定版も示す事ができる。一方、4-1-1-6項の動作事実の無の確認は反復の否定版(ゼロの反復、つまり未来の時制における一切の動作の否定)だけである。完了体未来形の否定で意向の否定版を示す事ができるのは、始発の動詞だけであり、動作の始発自体を否定することから意向の否定となり、しかも、それは具体的な1回の動作の否定版である。それ以外の完了体動詞では例示的反復の否定版ということから、完遂の否定版や動作の強調の意味になってしまう。

(自分の立場を法廷で変えるつもりはない)Свою позицию на суде я менять не собираюсь. <≒ менять не буду(動作事実の無の確認)>
(僕はそこには行かない)Я туда не пойду. <始発の動詞>

主観的ニュアンスなしに動詞本来の生の動作だけを意味するのが不完了体であり、これ否定すると今後一切かような動作は行わないという、未来におけるあらゆる時点で反復される動作も否定することになり、完了体動詞未来形の点未来(完遂的用法)〔具体的な1回の動作の完遂〕の否定版と言える用法4-2-1項と対立する。また不完了体未来形が否定文で用いられるのであるから、これこそ動作事実の無の確認の用法でもある。

(彼はロンドンに行かない)Он не уедет в Лондон. <1回の具体的動作の完遂の否定版>
(許して下さい、二度としませんから)Простите (Извините) меня, я никогда больше не буду так делать. <今後複数回の動作の否定、ここから動作事実の無の確認となる>
(今〔ここで〕お別れをして、もうお会いすることはありません)Сейчас мы с вами попрощаемся и больше не увидимся. <1回の具体的動作の完遂の否定版であり、否定の強調でもある。большеのおかげで例示的反復の否定版であることが明確となり、不完了体未来形の否定の動作事実の無の確認に文意が近くなる>

Posted by SATOH at 2020年02月03日 14:49
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