2020年02月03日
●第150回
4-2-1-2 点未来(完遂的用法)と疑問詞
疑問詞と動詞が組み合わされる場合は、疑問詞が文の焦点に来る場合が多いため、不完了体動詞未来形が使われがちである。疑問詞と完了体動詞未来形が共に使われる場合というのは、次のような場合である。
(このような状況が起こったら、だれが費用を払ってくれるのですか?)А кто оплатит расходы, если такая ситуация возникнет?
上記の文では、一番の問題は「誰が」ではなく、「払ってくれるか」という動作そのものが問題であることが分かる。払ってくれないかもしれないという懸念と、誰も払ってくれないという反語的ニュアンスが、完了体動詞未来形により感じ取れるのである。これはеслиの節に「もしそういう事態があるとしたら」という意味の完了体動詞未来形の例示的用法(4-2-3項参照)が来ていることからも分かる。このように動作自体が問題であれば、完了体動詞未来形が来る。露文解釈で見る分には割合簡単に推測できるが、自分が会話で即座に和文露訳するとなると、常に自分たち(通訳する相手の)の利害(人命や、特に金銭、損得)に関わるかどうかを常に念頭に置いて、そうであれば動作そのものに文の焦点が来る可能性が高いので、完了体動詞未来形を使うというふうに理解し、利害に関係しないなら不完了体が来るというのでもよい。
4-2-1-3 点未来(完遂的用法)の特徴
完了体動詞未来形が使われるのは、完了体が主観的ニュアンスを伴うものであるということから、予定というものを初めから考慮しない場合であり、それはわざと予定を無視するということではない。予定という観念自体がそもそも念頭にないのである。完了体動詞未来形は未来に起こることへの確信を示すとともに、その場の、ないしはこれまでの雰囲気とは違う新しい話題を提示するという主観的ニュアンスがある。完了体動詞未来形は推測ではなく、話し手にとって確度の高い未来の動作を示す。
(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.
上記の文は「行く」であって、「行くだろう」ではない。推測なら、видимо, по-видимому, кажетсяなどをつければいい。
(雨になるだろう)Видимо, будет дождь.
(もうすぐ晴れるでしょう)Видимо, скоро прояснится.
(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём.
上記の文はレーニンの有名な言葉だが、これなどは完了体動詞未来形の用法が非常に分かりやすいものである。これを<我らは別の道を行くでしょう>では語訳であり、しかも訳文が原文のもつ迫力に欠けると言わざるを得ない。
『ベーシック日本語教育』(佐々木泰子、ひつじ書房、2007年)の中に〔感情・感覚を示す「悲しい」、「痛い」、「感じる」、意志・欲求を示す「つもりだ」、「~う/よう」、「~たい」、精神作用を示す「思う」、「考える」は主語が一人称のときだけ用いられる。二人称の時は、「~か」(問いかけ)、「ね」などの終助詞を添える。三人称のときは、「~かもしれない」、「~に違いない」、「~のだ」、「~らしい」、「~のようだ」、「~だろう」という推測・判断の表現形式を添える。例外は引用の形式にするか、小説などの感情移入である〕とある。