2020年02月03日

●第148回

まり、それが不定の時間続く(結果の存続)>
(その仕事を終わらせる)Я кончу работу. <その仕事が遂行されて、やることがなくなる(結果の存続)>
(〔終業時間なので〕仕事は終わりにします)Я буду кончать работу. <時間的に終わる区切りを指しているのであって、仕事自体は残る>
(行き先を地図で教えてあげましょう)Я вам покажу дорогу на карте.

 一方、未来完了では具体的な未来の時の状況語をイメージする。未来完了においては未来において動作の結果が現れるが、それが発話の時点とは結びつかない。未来の時制における被動形動詞過去短語尾は、この未来完了の用法で用いられる完了体他動詞由来であり、近接未来完了では用いられない。

(彼は今日明日中に死ぬ)Он сегодня-завтра умрёт.
(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.
(日本は必ず復興する)Япония обязательно возродится!  <漠然とした遠い未来であっても、動作が完遂すると話し手が考えている以上完了体未来形が用いられる>
(欠席ないし遅刻に対しては罰が下されることになる)За небытие или опоздание будет взыскан.
(差額は発注者によりそれに応じて払い戻しされることになる)Разница будет возмещена соответственно заказчиком.

完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないゆえに、完了体動詞未来形の完遂的用法は完了体の典型的用法と言える。具体的な1回の動作の達成(完遂)をイメージするということが、意識するかどうかにかかわらず、自動的に時間軸の不動の一点に動作を集束することになるからであり、それが、不完了体未来形が不定の動作を暗示することとの違いである。始発の動詞について言えば、動作の開始イコール動作の達成(完遂)ということになる。

(いくつかの看板は何とかもっているような状態だ。きっと通行人の頭に落ちるよ)Некоторые вывески еле держатся, - того гляди свалятся на голову прохожего.

完了体というのは主観的ニュアンスを帯び、考えてから動作に移るまでに、少なくとも一呼吸というか、一瞬はあるわけで、そのために今その時点のその瞬間を示す事ができないということになる。つまり完了体動詞未来形というのは、動作の開始に現在のこの瞬間を含まず、動作の終了は早くてその一瞬後以降である。つまり今ここでの具体的な1回の、実現する確度の高い主観的な未来の動作(一瞬後でも、1分後、1時間後でも、明日でも、1年後でも構わない)の達成に使われる用法である。その場の状況を考慮に入れず、いきなり使えるという点で、完了体の持ついわゆる場独立型の典型的な用法である。場依存型ではないので、何の前提もない出だし(話し始め)の文である始発文、話題の転換、場面の切り替えのときに使われるのが一般的である。この話題の転換や場面の切り替えというのは主観的な動作ゆえに、完了体未来形は話し手にとって恣意的動作ということになる。そのため話題の転換を示すтеперь, тогда(それでは、では)の後などは、完了体動詞未来形が出やすいと言える。新規の事柄を表現する場合、あるいは聞き手の意表を突くという場合には、完了体動詞未来形が出てくることになる。
 不完了体動詞現在形の予定の用法との違いは、予定の用法が現在から未来への動作の連続というニュアンスがあるのに対して、完了体動詞未来形は未来の動作が一拍置いた感じであり、この一拍置くという感じは、あくまで感じであって、未来への動作が連続していないという認識と理解すればよい。完了体の機能は主観性にあるから、一瞬でも未来への動作

Posted by SATOH at 2020年02月03日 13:58
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