2020年02月01日

●第108回

подумал, что Данила решил в самостоятельность поиграл.

歴史的現在をアネクドートや、会話での昔の自慢話だけに使う特殊な用法だと考えるのは間違いである。次のような文は若い人もよく使う。

(ずっと待っている〔待っていた〕のに、なかなか来ないんだから)Я-то жду, жду, и тебя нет и нет. <ようやく来た待ち人に対する愚痴や文句>

上の文を、仮に1時間待たされた上での話としても、直近とはいえ、過去は過去だから使えるし、元の和文も日本語における歴史的現在としても違和感のない表現である。この文の特徴は完了体動詞過去形の結果の存続の用法と対立しているということにある。点過去が結果の存続と意味的に対立するなら、歴史的現在が点過去に似ている以上、歴史的現在も結果の存続の用法と意味的に対立すると言えることになる。点過去というのは、動作の結果が現在に残っているかもしれないし、残っていないかもしれない、もっと言うと、そういう事に関心がないというニュアンスである。動作の結果が今に残っていないということを強調するのであれば、結果の存続については否定詞を使って否定文にするか、現在との関わりがないことが特徴である歴史的現在を使えばいいことになる。この用法は面と向かっての会話で使われることが多いので、上の例文を見ても分かるように、現在の時制を用いても、今現在のその場での出来事とは無関係であることが明確である。つまり歴史的現在は直前の出来事など、文脈によっては結果存続無効(3-1-12項)参照というように使えるわけである。3-2-1-2項も参照のこと。


3-2 現在の時制における完了体の用法

 完了体が現在の時制で用いられないのは、現在の時制における動作の一点が常に動いているため、ビデオカメラの一コマ一コマの静止画面のような、結果の存続のという形式か、ないしは一瞬後の未来のような広い意味での現在でしか完了体は表せないからである。それゆえ、完了体動詞未来形は厳密な意味での現在、つまり今現在のこの一瞬を表現できない。今сейчасは3-2-1-4項で示したように、日本語同様、ある程度の過去や未来へと幅を持った現在を表現できるため、完了体が表現できる現在というのは、直前直後であり、今現在のこの一瞬の動作を除く現在という事になる。本書の現在の時制で完了体を扱うのはこの理由に依る。
 下記に詳述する結果の存続は動作の結果が現在のこの一瞬に及んでいるが、動作自体は過去に終了しているため、完了体過去形が用いられている。

3-2-1 結果の存続(現存)

3-2-1-1 結果の存続〔結果の達成と残存〕 → 完了体動詞過去形

 結果の存続перфектное значениеというのは、「~したばかりだ、~したところだ」というように、過去において生じた出来事や動作の結果が発話の時点まで残っていることを言い、発話が今(過去のある時点)なら今(過去のある時点)に至るまで残っている、つまり現在完了(過去完了)のことであり、未来の時制なら未来完了である。いずれも完遂的用法の一つであり、本書において過去の時制では点過去ないしは過去完了の継続となり、未来の時制では完遂的用法となる。結果の存続というのは、主語がそこに今もいる(ある)ということではなく、その動詞の意味する動作が遂行して、その結果が発話の時点に残っているということである。帰っ

Posted by SATOH at 2020年02月01日 17:14
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