2020年02月01日

●第109回

たというなら、そこにはもういないというのが結果の存続だし、どこかに行ってしまったというのも、同じく主語はそこにいないのである。この用法では文の焦点が動詞に来ているため完了体動詞過去形が用いられている。この用法は過去の時制における点過去(2-2-1項参照)と区別するのは文脈によるしかない。しかも文脈によっては、どちらとも取れることがあるということをよく理解してほしい。しかし、結果の存続は、あくまでも点過去の用法から派生した用法であり、完了体動詞過去形の本質は点過去にあることを忘れてはならない。
 それでは結果の存続の用法であることを明確にさせるためにはどうすればよいのだろうか?自動詞の場合は無理だが、他動詞の場合は能動相で用いられている完了体過去形を受動相(受身)にすることにより、用いられる時制により点過去と結果の存続を区別することができる。つまり被動形動詞過去短語尾を現在の時制で用いれば、誤解の余地なく結果の存続と理解されるのである。詳しくは3-2-1-3項参照。

「ミーシャが来ているよ」- К тебе пришёл Миша.
「彼ずっと前から私のこと待っているの?」- Он давно меня ждёт?

「ヂーマが来ていたよ」- К тебе приходил Дима.
「どうして彼、僕を待ってくれなかったんだ?」- Почему он меня не подождал?

пришёлは結果の存続の用法だが、приходитьのように対義語уходитьがある動詞は不完了体の過去形では、「来たが、今はいない」という意味になる可能性が高い。これについては2-1-3項にある動詞群を参照のこと。
 結果の存続という用法は、過去の時制の動作事実の有無の確認と紛らわしいが、存続という主観的ニュアンスが出ていることで完了体動詞過去形が来ると考えられる。動作事実の有無の確認2-2-6の項も参照願う。

(雨がやんだ)Дождь прошёл. <「雨が通り過ぎた」が直訳で、今は雨が降っていない>
(頭痛〔足の痛み〕がなくなった)Голова (Нога) прошла. <今は痛みがない>
(腕〔手〕の痛みがおさまった)Боль в руке прошла. <今は痛みがない>
(いつ分かったの?〔いつから気がついていたの?〕)Когда ты поняла?
(ご命令に従い、参上しました)По вашему приказанию явился. <今そこにいる>
(この姿で国営百貨店GUMの建物は現存している)В этом виде здание ГУМа сохранилось до сих пор.
(イコン崇拝の伝統は988年のキリスト教受容〔への改宗〕以降もロシアで守られている)Традиции поклонения иконам сохранились в России со времени принятия христианства в 988 г.
(20世紀初頭この状況はその州に残っていた)Это положение сохранялось в губернии и в начале ⅩⅩ в. <不完了体過去形が来ているために結果の存続とはならずに、動作の有の確認(結果存続無効)であり、今は残っていないという事が暗示される>
(探していたものをついに見つけた)Наконец я нашёл то, что искал. <見つけたものはそこにある>
(彼の国家は滅亡した)Его государство прекратило своё существование. <その国はもう存在しない>
(ローストビーフは終わりました)Ростбиф кончился. <ローストビーフはもうない>
(お前が彼女を殺したのか?どうやって、何のために殺したんだ?)Ты её убил? Как убивал, за что убивал? <最初の完了体動詞過去形は新規の動作および結果の存続を示し、それに続く不完了体動詞過去形は、殺害の

Posted by SATOH at 2020年02月01日 17:18
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