2020年02月03日
●第157回
行する文に対する挿入状況語>
(この政治家二人、マクナマラもラスクも非凡な人たちであるという事をここで指摘しておく)Отмечу здесь, что оба эти деятеля – Макнамара и Раск – люди незаурядные. <先行する文に対する補足説明>
同じ挿入句でも遂行動詞(不完了体動詞現在形)が使われるものがある。ドストエフスキーの作家の日記で亡き兄の人柄を紹介するくだりで、
(もし亡き帝の意思により全員が釈放されなかったら、2カ月後に釈放されたものの多くが必ずそれ(流刑)の憂き目に遭っていたろう〔と自信を持って言えるが〕)И многим из освобождённых через два месяца подверглись бы ей (ссылке) непременно (говорю утвердительно), если б не были все освобождены по воле покойного государя ...
という文の、挿入状況語говорю утвердительноである。この作品には、他にもповторяю(繰り返すが)、тут-то я вас и ловлю〔言葉尻をとらえて申し訳ありませんが(на слове, на словахが省略されていると思われる)〕という不完了体動詞現在形の挿入状況語が散見されるが、いずれも新規の動作ではなく、これらは遂行動詞である。говорить, повторятьにも次のように遂行動詞としての用法がある。
(分かるように言っているんだ)Я тебе русским языком говорю.
(私が馬鹿な事を言っているというの?)Глупости говорю?
(繰り返すが、つい先ごろ現れたこの活動家の定義をウーチン氏に対して私は決して関係づけているわけではない)Повторяю, это определение новейшего деятеля я положительно не отношу к г-ну Утину.
挿入状況語でも話題の転換であれば完了体動詞未来形を、話しの流れに沿ったものであれば、遂行動詞として不完了体動詞現在形が使えるものもあるという事になる。разумеется(もちろん)などの決まり文句のような挿入句が不完了体動詞現在形なのは、遂行動詞の名残なのかもしれない。ちなみに評価解釈型動詞は挿入句としては用いられない。露文和訳や露文解釈だけをする人にとっては、どうでもいいことかもしれないが、会話で和文露訳をせざるを得ない者にとっては、時制をどうするか、体の使い分けをどうするかは非常に重要な事柄だということを強調したい。
(公爵たちの家名が使われなくなりつつあるという事に気づく)Замечаем, что княжие имена выходят из употребления. <遂行動詞>
4-2-6 接続詞抜きでの条件法や仮定法への転用 → 完了体動詞未来形
平叙文を二つ並べるか、平叙文と命令文の組み合わせだけで主観的ニュアンスが加味されている時、つまり動詞が文の焦点となっている時には、条件法や仮定法という形式を取らなくとも、そのような意味が出てくる場合があり、その場合には完了体動詞未来形と完了体動詞未来形が並立して出て来る。これは法の転用とでも呼べそうな用法で、「~せよ、そうすれば~となる」という意味で使う。口語的用法であり、接続詞がないために、先の文が先行詞として完了体未来形となり、後の動詞が不完了体命令形(未来形)という場合もある。これはそういう状況下(文脈)ではそうなるという不完了体の場依存型の用法そのものである。
(レーゲンスブルグという町に行けば、橋の上で幸せが見つかる)В город Регенсбург пойдёшь, счастье на мосту найдёшь.
(そのときはそのとき)Поживём – увидим.
(集計したら連絡します)Подсчитаем – сообщим.
(連絡したら戻れ)Сообщишь – возвращайся.