2020年02月01日

●第112回

восстановлено.
(1924年ルミャンツェフ図書館はレーニンの名を冠し、1925年から1992年までレーニン名称ソ連国立図書館と呼ばれた)В 1924 г. Румянцевской библиотеке было присвоено имя В.И. Ленина, и с 1925 г по 1992 г. она называлась Государственная библиотека СССР им. В. И. Ленина. <現在は俗称レーニン図書館Библиотека Ленинаで、正式にはロシア国立図書館Российская государственная библиотека (РГБ)であり、現在とは名称が異なっているために、было присвоеноと過去の時制になっている>
(イサアーキー大寺院は現今の姿では1818~1858年に建設された)Исаакиевский собор в современном виде был построен в 1818 – 1858 гг. <動作の起点から終了の時点を一つの期間として点で示す点過去である>
(1836年に書かれ、〔その年に〕初めて上演された)Написана и впервые поставлена в 1836 г. <ゴーゴリの喜劇『検察官Ревизор』についてだが、最初に上演された喜劇が、そのままの形で現在に至っているということで、現在の時制の結果の存続が用いられている>
(その小説は1928年から1940年までに書かれ、刊行された)Роман написан и опубликован в период с 1928 по 1940 гг. <これは書かれたという事実が今も残っているという意味での現在時制の結果の存続であり、書かれたという動作の過去の一点を示すためв периодが使われている>
(フェスティバルはモスクワで1985年7月27日から8月3日まで行われた)Фестиваль проходил в Москве с 27 июля по 3 августа 1985 года. <このようにв периодがないと点過去としてのニュアンスはなくなり、動作の継続として不完了体過去形が用いられる>
(9時と10時に開く店がある)Открываются магазины в 9 и в 10 ч.
(図書館は毎日開いている)Библиотека открыта ежедневно.
(レストランは月曜から土曜まで12時から23時までオープンしている)Ресторан открыт с понедельника по субботу с 12 до 23 часов.

 上の文のように不完了体ならともかく、被動形動詞過去短語尾には、このように反復を示す用法は、本来ないはずである。つまりこの現在の時制におけるоткрытは動作ではなく、状態の意味であり、形容詞化していると言える。ちなみにоткрытは過去の時制では、次に示す文のように動作の用法がまだ残っている。被動形動詞過去短語尾には動作的意味(「~した」)と状態的意味(~している)という二つの意味があるが、形容詞化したоткрытは現在時制では動作の意味で使えないので、自発的意味を持つ再帰動詞открытьсяの過去形を使い、点過去(文脈によっては結果の存続)の用法となる。ちなみに過去の時制ではоткрытが使えるが、この用法では結果の存続の意味が出せないことになる。

(ノヴォシビールスクで軽食レストラン「ヤキトリヤ」がオープンしたのは2005年3月23日である)В Новосибирске кафе «Якитория» открылся 23 марта 2005 года. <結果の現存、ないしは点過去>
(2003年2月17日レストラン「ワサビ」1号店がオープンした)17 февраля 2003 г. был открыт первый ресторан «Васаби». <点過去>

初めの文ではオープンした後引き続き現在も営業している(ないしは後述の点過去の一つの用法)という感じだが、後者では1号店がオープンしたという事実だけで、現在そのままの形では営業していないか、閉店してしまったというニュアンスが出るからである。

(本日開店!)Мы открылись! <実際は必ずしも開店が本日でなくとも、その後でも見かける>

上の文はレストランなどで使われ、結果の存続の用法であり、Открыто! と形容詞の短語尾を用いると、「営業中」となる。ちなみに、<~に開店予定>というなら、下記のように予定の用法を使う。


(11月24日開店〔予定〕!)Мы открываемся 24 ноября!

(X線写真では病変は認められない)На рентгенограмме патологических изменений не обнаружено.

 上の文を能動態に直すと、На рентгенограмме патологических изменений не обнаружили. となり、意味的には点過去か、結果の存続かはこれだけでは分からない。再度受け身にするときにне とобнаружилиの間にбылоが入れば、点過去という解釈で、過去のある一点で病変が発見されなかったという意味だし、былоがなければ上の文のように結果の存続であり、今の時点では見つからなかったという意味である。
 「自分の負けを認めた」を会話の文と考えると、「認めた」は結果の存続(現在完了)であり、「負けた」のも発話の時点に負けたのであり、1年前の負けの話をしているわけではないことは明らかである。つまり「負けた」には結果の存続を使えばよいことが分かる。ここで「負け」に名詞を使ってしまうと、必ずしも結果の存続という意味にはならず、点過去の可能性も出てきて、曖昧な訳となってしまう。「認めた」には完了体過去形を使うのは容易に理解できよう。となると、一つの文に二つの結果の存続の用法を使うには、並列複文(иなどを用いて動詞を二つつなげる)が頭に浮かぶが、この和文では無理がある。残された手は結果の存続の用法がある被動形動詞過去を使うことである。つまり、Признал себя побеждённым.とすればよい。和文露訳をする際に上っ面だけ直訳するのではなく、時制という観点から文の意味を深く考える癖をつければ、丸暗記するよりははるかに効果的に、応用が効く訳ができるようになる。

3-2-1-4 結果の存続と点過去の違い

Posted by SATOH at 2020年02月01日 17:38
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