2020年02月02日

●第129回

→ простудиться(風邪を引く)、×рождаться → родиться(産まれる)、×умирать → умереть(死ぬ)、×упадать → упасть(ころぶ)

(彼が死ぬのには時間がかかる)Он будет умирать долго. <未来進行形(過程や期間)>

4-1-1-5 運動の動詞と不完了体動詞未来形

 始発という概念自体は3つの解釈が可能である。一つは新たな事態や情報が出てくる場合で、この意味は完了体が担っている。もう一つは予定、3つ目は動作の促しという回りの状況や雰囲気によりなされるもので、後の二つは不完了体の領域である。露露辞典ではпойти/поехатьにидти/ехатьとは別に項目を立て、それぞれначать идти/начать ехать(歩き始める/進み始める)という語義を与えている。つまりидти/ехатьには、新たな事態や情報が出てくるという意味での始発の意味はない。「行く」という動作事実の有無の確認の意味か、過程、予定の意味だけである。だからбытьの未来形 + идти (ехать)を使う場合に、例えば、出だしの文としての「薬局に行って来る」という新たな事態や情報が出てくる場合の露訳に、いきなり×Я буду идти в аптеку. とは使えない。動作自体が新規であり、動作が文の焦点に来る文なので完了体動詞未来形を使うべきである。不完了体未来形は近接未来では使えないし、不完了体には明確な意味で完遂的用法はないから、未来完了でも使えない。使えるのは未来の時制における動作事実の有無の確認だけである。よく使われるのは、4-1-1-9項にあるесли, когда との組み合わせである。不完了体動詞未来形がいきなり出てくるように見える次の文でも、普通列車に文の焦点があるから、動作事実の有無の確認ということで、動詞がなくても意味は通じるから、不完了体動詞未来形が使われているということになる。

(普通列車に乗ってでいらっしゃるのですね)Вы будете ехать в обычном пассажирском поезде. <急行や特急、飛行機ではなく>

(薬局まで行って来る。薬局までは歩いて15分だ)Я пойду в аптеку. До аптеки я буду идти 15 минут.

 上の文のように同じ動詞が二度使われる場合、最初の方が普通は新しい事態や情報が出てくる場合なので完了体を使い、二度目に使われる動詞は代動詞(みなし反復と考えてもよい)であり、既知のものであるゆえに、文の焦点とはならない。いわば刺身のつまのような用法だから不完了体を使うのである。ただ同じ始発でも予定であれば、下記のように不完了体動詞現在形で示すことができる。これは既存の動作の延長上にあるという解釈からだろう。

(1時間後に薬局に〔歩いて〕行く)Я иду в аптеку через час.

 レーニンの言葉とされる(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём. にせよ、行くという動作については、これまでとは違う別の道を行くということで何の前提もないのだから、完了体動詞未来形を用いる。そういう動作が起こる事が当然という意識がない以上、不完了体動詞未来形は使えないことが分かる。

(この場合費用はすべて貴社のご負担となります)В этом случае вы будете нести все расходы.

 нестиも運動の動詞であるが、上記の場合は複合動詞(8-3項参照)であり、文の焦点となっているのは、文脈によるが、вы(貴社)、расходы(費用)の方であって、нестиではないことが明らかなので、不完了体動詞未

Posted by SATOH at 2020年02月02日 19:40
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