2020年02月03日
●第153回
下記の文のように、動詞が一つでも、иがあることにより、意味的に動作が順々と素早く行われる場合を示す事ができる。
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未来の時制の順次的用法で使われるеслиには、если нет, то нет.(なければない)というニュアンスがある。次の文では、「頼まれなければ行かない」ということが含意されている。
(頼まれれば行くよ)Если попросишь, приду.
4-2-3 例示的用法 → 完了体動詞未来形
完了体動詞未来形は未来において具体的な1回の動作が遂行することを意味するが、直近であれば、これからすぐということで、4-2-1項の用法である。それ以外では、時の状況語がない限り、動作がいつ起こるかどうかは不明なわけだが、動作が起これば主観的に判断して遂行するという事で、それが潜在的(仮想的)な可能性потенциальность(予測不能性)を生むことになる。これを例示的意味наглядно-примерное значениеの用法と呼ぶ。全一的な動作が起こるのであれば演繹的に時間軸の不動の一点があるはずだという考え方である。過去の時制で例示的用法が使われるときも、この予測不能性を形式として示すために、完了体動詞過去形ではなく、完了体動詞未来形が使われるのだと思われる。完了体動詞過去形を使えば、動作が既に遂行された(確述、確言)というイメージになってしまうからであろう。完了体過去形の時制の転用(9-1-1項)にも確述のニュアンスがある。未来は過去と違って、完遂的用法にせよ、確実に動作の起こるということが保証されないということを意味する。
例示的用法が過去の時制で用いられると、起こったり、起こらなかったりという不定期の動作、つまり偶発的な動作の出現を意味することになる。不定法(6-2-6項)にもこの用法がある。
この用法は「ふだんはしないが、何かあれば(やろうと思えば)~する」という予測不能性の提示、偶発的(散発的)反復потенциально возможная повторяемостьの動作を示す。偶発的というのは、主観的に判断して、ある条件がそろえば起こる、そろわなければ起こらないという意味であり、定期的であるとか、話し手が日常的に何度も起こり得ると見なす反復動作を扱う不完了体動詞現在形の規則的反復とは異なる。そういう意味で、例示的用法には具体的な文脈が必要であり、潜在的可能性の提示という事から完了体の持つ主観的ニュアンスが出るので、平板な不完了体の規則的反復・習慣と違い、生き生きとした表現になる。偶発的といっても、とりあえず、最初の具体的な動作がイメージとしてあるわけで、初めから動作が繰り返されるということをイメージしているわけではないのが不完了体との違いである。つまり無意識な、理性で制御できないような人の性癖などは不完了体の扱いであり、例示的用法では扱わないということになる。具体性を強調するために、一つの動作を代表に見立て、例として反復を示すというのが例示的用法である。そのため不定人称文など、主語が不定の意味の複数のときに例示的用法が用いられることはなく、不定人称文や命令形の代わりに、例示的用法には完了体未来形を使った普遍人称文を活用すべきである。例示的用法でよく使われる状況語は、бывает(よくする)、бывало(よくしたものだ)、в любой момент(いつでも)、всегда(いつでも)、иногда(時折)、иной раз(時々)、нередко(しばしば)、случается(よくある)、случалось(よくあった)などである。3-2-4項参照。
不完了体動詞未来形の用法では、話し手が時間の遅速はともかく動作が起こると見なしているわけで、この用法との差が分かる。次々と動作が