2020年01月29日
●第67回
であり、主観的な動作ではないゆえに、不完了体が用いられるという事も考えられる。つまり過程も、反復も、継続も不完了体が本質的に持っている用法ではなく、文脈によるのだということが言える。そのため過程、継続、反復の用法は、すべてその場における動作を、場と切り離しては行い得ないという点で場依存型である。
動作動詞の不完了体現在形は現在の一時的事実(そのときのこと)や習慣的な事実(ふつうのこと)を示し、状態動詞のそれは恒常的事実(いつものこと)を示す。ここで言う事実というのは客観的事実に加え、話し手が事実と考えているものも含む。
日本語の「~している」をロシア語にするときに、自動的に不完了体動詞現在形になるというのではなく、現在完了なら完了体動詞過去形、被動形動詞過去形短語尾を、過程や反復なら不完了体動詞現在形とし、「棒の先がとがっている」には形容詞などを、また「その話は一度聞いている」というような経験・経歴については、ロシア語では歴史的現在か、点過去で訳すように使い分けることが必要である。3-1-7項参照。
不完了体現在形を用いた肯定文では動作が現に起きており、否定文では起きていないことは明らかなので、動作の有無のどちらかであることは明白である。動作の有無は不完了体の現在の時制における全ての用法に共通しているため、過去や未来の時制とは異なり、現在の時制では動作事実の有無の確認だけの用法はあり得ないと言える。
3-1-1 過程 → 不完了体動詞現在形
完了体は話し手がその動詞の語義にある動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)をイメージし、それが体の本質であると述べた。そうであれば不完了体は特定かつ不動の一点での動作をイメージしないということになるから、反復や慣用(一般的に~である)については御理解いただけよう。しかし、過程(いわゆる進行形)となると、まさに今のこの一瞬に動作が行われているわけだから、この定義と矛盾すると感じる人がいるかもしれない。しかし過程の今のこの一瞬というのは、特定ではあるが、不動ではない、動いている一点であり、曲線や直線などの連続する点からなる点ではない。動いている動作をビデオに撮れば、特定の時間の一瞬を一コマという形で切り取れるのは誰しもが知っていることであるが、その一コマは、その一瞬が残像の形で固定化されたものであって、結果の存続(厳密に言うと点過去)であり、それは一コマの隅に撮影時間が印字されることでも分かる。一方、過程(進行形)における一瞬というものは、刻々と動いている一瞬であるという違いがある。
ビデオや写真を撮ると、その一瞬が保存されるわけだが、写真は削除もできるし、印画したものをなくすという事もありえ、そうなると発話の時点まで残らないわけだから、結果の現存にはならず、そういう意味で、点過去と言うのが正しく、現在まで残っていれば結果の存続となるという事なのである。
過程にはこの項で述べる動作動詞による動的過程(進行形)と3-1-6項(状態動詞)で述べる静的過程があり、静的過程には二次元や三次元方向の動きがないとは言え、時間的な経過があるわけで、過程の重要な要素である。
動作事実の有無の確認というのは、動詞の語義そのものであり、「動作があったか、なかったか」というだけのことであり、不完了体が使われ、過去の時制が一番分かりやすい。これは不完了体動詞未来形を使って未来の時制でも使われる。しかし、現在の時制では動作が進行中のため、なかなか分かりにくい。過程の用法というのは過去、現在、未来における進行形だが、話を分かりやすくするために現在進行形で考えてみる。現在の過程というのは、今正に動作が進行中であり、動作が起こっている(有る)ことは間違いないし、主観的ニュアンスがないために、不完了体が来ているとも言える。状態動詞、遂行動詞、評価解釈型動詞も同様に、現在動作