2020年01月31日

●第105回

含まれるのは、бывать(よく出かける)、видывать(しばしば見る)、говаривать(しばしば話す)、едать(頻繁に食べる)、знавать(しばしば知る)、пивать(よく飲む)、сиживать(頻繁に座る)、слыхивать(よく聞く)、хаживать(よく歩き回る)、читывать(よく読む)である。
видать(よく見る)、слыхать(よく聞く)も多回動詞だが、видатьには現在形もあるし、不定形でも使われ、слыхатьは不定形でも使われる。

(彼は昔もよく飲んだものだったが、今でも2週間酔いつぶれたりした)Он и прежде пивал, но теперь пьянствовал без просыпу две недели.

 多回動詞の動作の過去の時制における否定は、具体的な1回の行為の否定ではなく、多回動詞の語義にある動作が何度も行われることへの全否定なので、感情的、強調的ニュアンスをもつ。

(そんなことはこれまでの人生でまったく知らなかった)И такого никогда не знавал при жизни.
(フョードル・イワーノヴィチは何日も家に帰らなかった)Фёдор Иванович не бывал дома целыми днями.
(この無線機を聞いても君は怖くなることはないんだね)Тебе не бывает страшно, когда слушаешь этот ящик.

3-1-10 真理の提示 → 不完了体動詞現在形

 真理というのは過去から現在への規則的反復や継続であるとも言える。「地球が太陽の周りを回る」といっても、遠い未来には太陽も地球も、この宇宙も消滅すると言われているから、未来のことは分からないが、少なくとも今現在は真理と見なす事ができるということと、真理は永遠性と慣用、無条件性を強調した概念というよりは、真理やものの本質の時制には、現在のこの一瞬も含まれるから、過去、現在、未来の時制でも不完了体動詞現在形が用いられる。

(地球は太陽の周りを回っている)Земля вращается вокруг Солнца.

こういうのは公式として覚えるのではなく、なぜ不完了体なのかを考えた方がよい。日本語教育でも、真理や習慣は時制を超えているので現在で表すとあるだけであり、それ以上の説明はない。私見を述べると、今現在である2012年10月21日午前6時ちょうどでも「地球は太陽の周りを回っている」わけで、これは過程を示していることは明らかである。完了体は過程を示せないので、不完了体動詞現在形を使う事になる。また現在というのは刻々と未来に移行しているわけで、1分後には午前6時1分が現在となる。このようにして、24時間後には、22日の午前6時が現在となるわけであり、その時点でも、過程として地球は回っているわけである。イェスペルセンは「文法の原理」(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)において、「現在というのは厳密に言えば現在の一瞬であり、点としてとらえることができる。ただ現在の一点が言及された期間内に入っていれば現在の時制であり、反復についても慣用ということで、現在の一点が含まれているから現在の時制になるのだ」と指摘している。つまり、22日の午前6時現在にも地球は回っているわけで、これが反復において不完了体が使われる理由でもある。つまり「地球が太陽の周りを回っている」に不完了体動詞現在形が用いられるのは、過程の意味と、それによって生じる規則的反復の意味があるからだと考えた方がよいことになる。
天動説の人にとっては、Солнце вращается вокруг Земли.(地球の周りを太陽が回る)が真理であり、その証拠はと聞かれたら、日は東から昇り、西に沈むと言うだろう。我々にとって、それは真理でないから完了体を使わねばならないのだろうか?真理は不完了体動詞現在形で表すと教条的に考えるよりも、なぜ不完了体動詞現在形を用いるのかを考えた方がよ

Posted by SATOH at 2020年01月31日 17:11
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