2020年01月31日
●第106回
いという事がお分かりだろう。真理というのは立場によって変わる場合もある。アメリカでは聖書を文字通り信じている人がいるわけで、そういう人にとって地動説は真理ではないという事になる。真理は不完了体と覚えるのではなく、もっと時制や態の用法に着目して理解するようにしないと、混同することになる。日本人の常識が通じないことは世の中にいくらもあるし、日本人の中ですら、細かく見ていけば考え方にいろいろ差があることは、日常よく経験することでもある。ゆえに、真理および話し手の考える真理とは、話し手が(客観的に)事実(当然である事柄)と考えるゆえに、過程の意味(その時点でその動作が行われている)と、常に反復される(真理とは反復されるものである)ということで、不完了体現在が使われるという事になる。これは一見例示的用法に似ていると思われるかもしれないが、例示的用法は、話し手が主観的であることを意識して、主観的に「何か~あったら」ということで、不完了体にはそのような主観性・仮定性(条件性)はなく、ある意味、絶対的ということでもある。
3-1-11 動作の様態 → 不完了体動詞
規則的反復や状態などと共に用いられる不完了体の属性である動作事実の有無の確認の用法の一つであり、文の焦点に来るのは動詞ではなく、<どのように>に相当する状況語である場合は、現在の時制では不完了体動詞現在形、過去の時制であれば不完了体動詞過去形、未来の時制であれば不完了体動詞未来形が来る。この用法は文法的には過程を示しており、ラスードヴァ先生曰く、過程というのは現象の内容を示すわけで、動作や事実の有無の確認とは対立する。様態に文の焦点があるということはすでに動作が行われているという前提ゆえ、5-1-3項同様、2-1-6-1項のみなし反復という考え方ができる。
(休暇はどのように過ごしましたか?)Как вы проводили отпуск? <答えはスキー場でとか家族と一緒にとかであって、いい悪いの結果を聞いているわけではない。2-2-4項の結果の評価との対比>
(コンピューターへのインプットはどうやるのですか?)Как осуществляется ввод данных в машину?
この用法は、その時点の状態で、どのように物事がなされているか、その状態や方法、順調にいっているかどうかなど経過を示すものである。特に後者は完了体動詞過去形の結果の評価と紛らわしいが、完了体動詞過去形の方は動作が終了しているが、上記では反復、ないしは動作が終了していないという違いがある。上記の文のмашинаは自転車、車、バイクや機械という意味の他に、コンピューターという意味でよく使う。
(首都は如何ですか?)Как вам нравится столица? <首都に滞在中という感じで、動作が終わっていない>
(劇はどうでしたか?)Как понравился спектакль? <劇が終わってからその感想(よかったか、悪かったかという結果の評価)が求められている>
(いかがお過ごしですか?)Как вы живёте? <Как вы поживаете? はやや古めかしい表現>
(貴国の加速器の調子はどうですか?)Как работает ваш ускоритель?
(本船の水先案内と係留をどう評価しますか?)Как вы оцениваете проводку судна и швартовку?
жить, работатьは状態動詞であり、今現在のことを聞いているわけで、動作が終了していないし、これらの動詞には対応の完了体がないから、結果の評価では完了体が使えないという事情もある。оцениватьの文は水先案内と係留が終わってからで、その評価を求めており、返事はХорошо.な