2020年01月28日
●第47回
ここでも不完了体は歴史的現在という用法では、本来の体の用法である過程の意味を一部残していると言えるという。ボンダールコ先生は体の違いの中立化と呼んでいる。
iii) 完了体動詞過去形で示された文がすべて歴史的現在で表せるわけではない場合
ボンダールコ先生は、意味の同じ例として、(突然汽車が停車した)Вдруг поезд остановился.と(突然汽車が停車する)Вдруг поезд останавливается.の二つの文を挙げ、過去を眼前にありありとというニュアンスを取ってしまえば、意味的には同じであるという。果たしてそうか?最初の文は、文脈によって、結果の存続(現存)ないしは点過去と二つの解釈が可能である。もっと言えば、特に何も文脈が示されていなければ、結果の存続と取るのが普通であろう。二番目の文を完了体動詞過去形に直せば、1番目と同じ文にはなるが、歴史的現在というのは過去の出来事を述べるのであり、それは現在とは何の関係もないのだから意味は点過去しかありえない。つまり部分的に意味が重なるところがあるというだけである。用法から考えて歴史的現在には、結果の存続という用法はまじまないはずだ。
ボンダールコ先生は、上記の二つの文と対照的な、意味が異なる例として、(突然電話が鳴りだした)Вдруг зазвонил телефон.と(突然電話が鳴る)Вдруг звонит телефон.を挙げ、前者の動詞には始発の意味があるが、後者にはないゆえに、意味的に置き換えることはできないと述べている。зазвонитьに対応する不完了体は、露和辞典にもあるようにзвонить(ただзвонитьから見れば、対応の完了体はпозвонитьと考えるのが一般的だろうけれど)だから、一般的に体として対応していても、歴史的現在では使えないという解釈が成り立つわけである。
2-1-8-9 歴史的現在が使えない動詞や場合
歴史的(劇的)現在という用法は、不完了体の動詞であればすべて可能だと考えるのは間違いである。знать, ведатьにはこの用法はない。またこれらの動詞は現在形で経過や予定を示すこともできない。*Когда я вошёл, он знал (ведал), что дома его никто не ждёт. や*Завтра он знае (ведает), что дома его никто не ждёт.、また*Он сидит и знает (ведает), что дома его никто не ждёт. という文も文法的に間違いである。こういう風にзнать (ведать)で歴史的現在が使えないという事は、日常会話に多く使われる歴史的現在が、あるエピソードを語るために使われるのが多いので、動詞は1回の動作を行うものが多くなるという事であろう。それ以外では、不完了体の動詞の用法そのものといえる一定の時間の継続を示す動詞ぐらいであろう。また会話では使われないような、時事ロシア語で使われるような形式ばった動詞も歴史的現在では使われない。それは歴史的(演劇的)現在は書記言語に現れるのが比較的遅い、つまり庶民の日常表現として現れるものだからだとイェスペルセンも『文法の原理』で述べている。ただロシア語ではアネクドートのみならず、日常会話でも多用されるので、この用法は一応心得ておいた方がよい。
過去を示すのであればどんな文脈でも歴史的現在が使えるのかというと、完了体動詞過去形の結果の存続は現在や発話の時点と直接つながる故、使えないことが分かる。同じ完了体動詞過去形の点過去ならどうだろう。一見すべて使えそうだが、歴史的現在というのは、「過去の出来事を眼前にあたかも今現在あるかのようにありありと再現する」という用法のため、パードゥチェヴァПадучева Е.А.先生が指摘しているように、心理的距離のあるものは使えないとしている。歴史的現在とは、フォークロア的なものから発達したものであり、民衆的な用法、ナレーション的用法であり、私の考えではこの用法の上記のような定義と矛盾するような用法、例えば、統計的データを羅列するような文章では使えないと思う。日