2020年01月26日

●第10回

までも外人ロシア語のままである。本書では和文露訳において分かりにくい動詞の体を中心に解説している。本書で動詞の体の用法が占める割合は全体の2/3もあり、ロシア語動詞の体の参考書と言えなくもない。
会話でロシア語を話す場合、我々は原始人ではないのだから、動詞なしでは会話は済まされない。またバイリンガルでもないから、頭の中で母国語の日本語からロシア語に訳すことになる。そうかといって、語彙さえ知っていれば、右から左へと簡単に露訳できるかというと、さにあらずである。まず母語である日本語自体を外国語として客観的に見つめ直す必要がある。発話時を基準に、過去・現在・未来などを時間の前後関係を表すのが時制であり、日本語の時制は過去と非過去(現在、未来)が対立する。時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動作動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動作動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来の動作や現在の習慣的な事実を示し、現在の一時的動作はテイル形を用いて示す。
 一方アスペクトで、日本語の動詞を分類すると、動作動詞、状態動詞に分かれる。動作動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは、動作事実の有無の確認とか、歴史的現在、ないしは点過去で訳すことになる。3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。これらをロシア語の時制やアスペクトなどに振り分ける必要が出て来るのである。
しかし日本語の動詞を分析的に理解できても、それに対応するロシア語の動詞の体や構文を知らなければ、簡単な文さえも作れないという事になる。これは語彙だけの問題ではない。我々は日本人だから、日本語の具体的な文の意味もニュアンスも分かるし、意識すれば時制やアスペクトも分析的に考えることができる。だから、このような日本語の時制やアスペクトに対応するロシア語の構文表のようなものがあれば、後は、通訳する際に話し手が、日本語で何を、どのようなニュアンスで伝えたいのかを知りさえすればよいことになる。つまり、動詞の体の本質を理解することにより、対応の体をその構文表に沿って当てはめ、語彙を探し出しさえすればロシア語にすることは難しいことではない。語彙の探索には辞書の他、ネットなども大いに役立つ時代であり、本書の目次がその構文表の代わりとなるので、これらを組み合わせれば、ロシア人に頼らずとも和文露訳ができることになるのである。
ロシア語の会話をマスターしようとする人は、これまでできるだけ語彙と文例を丸暗記し、その文例から応用して自分なりに会話をひねり出そうとしてきたし、今もそうである。そのままの文例が実際の会話で使えればなお結構という具合である。そのような学習法では落ちこぼれる人がほとんどだが、中には運と根性に恵まれ、上達する人も少数ながらいる。しかし、このような丸暗記が大人の勉強法だろうか?こういう迂遠な、場当たり的な、ロボットを思わせるようなガリ勉的な勉強法ではなく、より根源的な、体の本質に迫る、人間らしい、考える学習法の方が、落ちこぼれのない、正しい学習法だと確信している。そこで、日本及びロシアにおける先学のロシア語文法の分野での業績を研究し、かつ50年をかけて文学、社会政治経済、医療、科学技術、観光、スポーツ、芸術、日常会話関係の書籍800冊余を読破し、収集した約9万4千項目の語彙の中から本書のために役立つ文例を精選し、動詞という観点から和文露訳用に、三つの時制(未来、現在、過去)と二つの法(不定法、命令法)を中心にして、系統的に整理したのが本書である。
露文解釈で動詞の体の用法を見る場合、そのロシア語はロシア人が書

Posted by SATOH at 2020年01月26日 17:11
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